水素社会を拓くエネルギー・キャリア(4)

水素エネルギーとエネルギー・キャリア


国際環境経済研究所主席研究員、元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター

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 前回、日本が再生可能エネルギーを大量に導入していくためには、海外の再生可能エネルギー資源の導入を図らなければならないこと、そしてその導入に当たっては、再生可能エネルギーを輸送、貯蔵がしやすい化学エネルギーに変えて日本に運んでくることが必要であることを指摘した。そして、化学エネルギーの中では、地球上に豊富に存在する水と再生可能エネルギーから生成することのできる水素が、化学エネルギーの出発点として重要であると書いた。繰り返しになるが、こうした水素は無尽蔵のエネルギーであり、また、燃焼の際には水が生成するだけなので環境負荷もない。水素エネルギーが夢のエネルギーと呼ばれる所以である。

 水素は、しかし、物質自体が持つ物性により、取扱いが大変に難しい物質である。その難しさは以下のようなものだ。

 水素をそのままの形でエネルギーとして利用するには、連載の第1回目でも記したように、水素の体積当たりの燃焼熱が小さ過ぎる注1)。これは水素が常態では気体の形で存在するためだ。エネルギーの密度を高めるという観点、取扱いやすさという観点から、エネルギーは液体であることが望ましいが、水素は、高い圧力をかけても通常の温度域では液体にはならない。

 水素を液体にするには、-253℃という超低温まで冷やす必要がある。しかし、これだけの低温になると液体水素を貯蔵する容器に高度の断熱対策を講じても外部からの自然入熱が避けられず、水素の蒸発潜熱も非常に小さいことから、液体状態の水素からのボイル・オフ(自然蒸発)を止めることはできない。ボイル・オフした水素は、安全な形で外に逃がしてやらないと容器が内圧の上昇に耐えられない。

 水素に高圧をかけて圧縮し、その体積を減らすという方法もあるが、そのためには水素を高圧で貯蔵できる耐圧容器が必要となる。水素は漏洩すると他の可燃性物質に比べても爆発限界が広く注2)、発火に要するエネルギーも小さいため注3)爆発する危険性がきわめて高い物質である。さらに、水素は金属を脆くする性質があることから、水素を高圧で貯蔵する容器には特殊合金や炭素繊維強化樹脂などの材料を用いて漏洩防止対策をとる必要がある。

 このように水素を扱う際には、水素が気体状態であるか液体状態であるかを問わず、高圧と金属脆化に耐え、漏洩の起きない特別な容器で貯蔵する必要がある。なお、水素の体積当たりの燃焼熱は、350気圧、700気圧という高い圧力の下でもガソリンのそれぞれ約1/12、1/7の程度、液体水素の場合にはガソリンの燃焼熱の約1/4にとどまる。

 加えて水素に臭いを付けることは難しい。液体水素の蒸発温度は非常に低温(-253℃)であるため付臭剤はその温度域では固体となってしまうこと、さらに水素は物質中最も小さな分子なので分子の大きな付臭剤よりも早く拡散してしまうこと等がその理由である。このため、水素に都市ガスのように臭いを付けて、人に漏洩していることを気づかせることが難しい。万一漏洩した場合、水素検知器などによって漏洩していることは分かったとしても、漏洩個所を特定することが容易ではない。

 以上のような水素の性質を考慮すると、海外の再生可能エネルギーを水素のまま、日本に長い距離を運んでくることは容易ではないことが分かるだろう。水素を何らかの方法で長距離、大量輸送が可能な化学エネルギーの形にしなければならない。また、当然、長時間の貯蔵も可能でなければならない。

 それで水素を輸送、貯蔵が可能な形にして運ぶという「水素キャリア」というアイデアが生まれた。連載の第1回に記したような理由で、以下、水素キャリアを包含する概念の用語として「エネルギー・キャリア」という用語を用いて話を進めることにするが、「水素社会」の構築のためにはエネルギー・キャリアの開発、利用が必要と考えられている理由がここにある。

 それではエネルギー・キャリアが満たすべき要件とは、どんなものだろうか?

注1)
ガソリン1リットルから得られる燃焼熱と同量の熱量を水素から得ようとすると、水素が約3,000リットル必要であったことを思い出してほしい。(連載第1回を参照。
注2)
水素が空気に4~75%混合すると爆発する。ちなみに、メタン(天然ガスの主成分)の爆発限界は5~15%。
注3)
水素の最小着火エネルギーは0.02mJ。人間が日常的に帯電するエネルギー量は0.18mJなので、人間が発する静電気の火花でも着火する。

 まずは、エネルギー・キャリアの体積当たりの水素密度を高める必要がある。この問題については、これまでにも述べてきたので、ここで繰り返すことはやめよう。ただ、ここで重量当たりの水素密度についても少し書いておく必要があるだろう。体積当たりの水素密度を高める方策として、水素吸蔵材料に水素を原子状で貯蔵するというアイデアがある。しかし、これまでに開発された水素吸蔵合金は、単位重量当たりの水素密度が低く注4)、水素貯蔵量の割には重くなり過ぎる。例えば、小型燃料電池自動車が400km走行するのに必要な4kgの水素を貯蔵するためには、合金のみで300kg、タンク全体としては400~500kg程度の重量になってしまう注5)。これでは水素を運ぶために水素を燃料として使ってしまうようなものだ。つまりエネルギー・キャリアとして望ましい条件は、より正確に言えば、体積当たりの水素密度が大きく、かつ、重量当たりの水素密度の大きいものであること、ということになる。

主な水素キャリアの物性値

 次に、エネルギーとしての取扱いやすさという観点からは、そのエネルギー・キャリアは常温・常圧に近い条件下で液体の形で存在することが望ましい。これは、できる限り既存の輸送、貯蔵インフラの利用が可能であること、と言い換えても良いだろう。これまでに構築されてきた化石燃料の輸送、貯蔵関連のインフラは膨大なものであり、これを大きく変革する必要のあるエネルギーを新たに導入することは、経済的にも社会的にも困難である。

 輸送、貯蔵インフラのみならず利用面でも、そのエネルギー・キャリアが運んだ化学エネルギーが、既存のエネルギー関連機器(エンジン、タービン、工業炉など)で、そのまま、あるいは、若干の改変を加えることによって、化石燃料の代替燃料として使うことができることが望ましい。そのエネルギー・キャリアを燃料電池自動車(FCV)向けの燃料用に用いる場合には、FCV用のスペックを満たす水素燃料に効率よく変換できるものである必要がある注6)

 そして、エネルギー・キャリアのコストは可能な限り安価であることが重要である。エネルギー・キャリアが運ぶ水素エネルギーの効用(CO2排出量の低減、エネルギー資源制約の克服等)に見合う、ある程度のコストの上昇は許容したとしても、経済活動の基盤であるエネルギーコストの上昇は可能な限り小さいことが望ましい。

 最後に、もっとも重要なことだが、そのエネルギー・キャリアは、実際の使用環境において安全に取扱い、利用ができるものでなければならない。

 【表1】にSIP「エネルギー・キャリア」で取り上げられている液体水素、メチルシクロヘキサン、アンモニアの3つのエネルギー・キャリアの外に、これまでにエネルギー・キャリアの候補として考えられた代表的な物質の関係する物性情報を示す。メタノール、ジメチルエーテルは、水素エネルギーを運ぶ手段としては比較的優れた性質を有しているが、使用時にCO2を排出することなどからSIP「エネルギー・キャリア」の対象では取り上げられていない。

 エネルギー・キャリアの開発、利用を進めることの重要性とエネルギー・キャリアの望ましい要件については、これまでの説明でご理解いただけたのではないかと思う。しかし、燃料電池自動車(FCV)の市販の開始時期が近づくとともに、家庭用燃料電池コジェネレーション・システム(エネファーム)の普及が進み、「水素社会の到来」が喧伝されつつある中で、エネルギー・キャリアの名をあまり耳にすることがないのは何故なのだろうか?それを考えることは、本当の意味での「水素社会」とはどのような社会かということについての理解と、水素社会を支えるエネルギー・キャリアの開発、利用を進める際の重要な視点を明らかにすることにもつながる。

 そこで、次回以降、この問題について考えてみることにしたい。

注4)
参考までに【表1】に水素吸蔵合金(LaNi5H6)の数値も掲げておくが、水素吸蔵合金の使用時には固体粒子を充填する際の空隙率(最小でも26%)分だけ、体積水素密度が表中の数値よりもさらに減少することに留意する必要がある。
注5)
広島大学のHPに掲載されている記事 「水素エネルギー社会の実現を目指して-水素貯蔵機能の開発-」 藤井博信著 (http://www.hiroshima-u.ac.jp/gakujutsu/kenkyu/hydrogen/)
注6)
可能性としては、アンモニアのように、そのままの形でFCVの燃料として用いることのできるエネルギー・キャリアもある。

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