CO2フリー燃料、水素エネルギーキャリアとしてのアンモニアの可能性(その12)

-アンモニアをめぐる新たな動き-


国際環境経済研究所主席研究員、元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター

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 今回は、ここ半年ほどの間に顕著になってきたCO2フリーNH3の新たな可能性と、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻によって起きた天然ガス価格の高騰が、今後のCO2フリーNH3の社会実装へ及ぼす影響などについて考えてみたいと思います。

1.水素キャリアとしても注目され始めたアンモニア

 連載第9回「4.CO2フリーアンモニアによる水素エネルギーの導入」でも少し触れたように、NH3を水素キャリアとして利用することも可能です。水素を輸送しやすいNH3として運び、利用時にNH3を分解(クラッキング)して水素に再変換して利用するという方法です。ただ、その場合には、分解プロセスが追加的に必要となるので、そのための設備とエネルギーの投入、そして水素の用途によっては、さらに水素の精製が必要となります。こうしたことから、日本ではこれまでNH3の主要な用途としては、NH3のまま発電用CO2フリー燃料として利用するという考え方が主流でした。
 しかし、ここ半年ほどの間に世界ではNH3の水素キャリアとしての利用が急速に注目され始めています。その背景には、水素の輸送距離次第では、上述のような手間をかけてもNH3を分解して製造する水素の方が、輸送が容易で、コスト的に有利との理解が世界的に広まってきたためと考えられます。
 私は3月の初めにNH3の利用に関する、ある国際シンポジウムに参加したのですが、そこで驚いたことは、NH3の水素キャリアとしての利用が当たり前のように語られていたことです。実際、前回(連載第11回)の「4. 世界のCO2フリーNH3サプライチェーン構築の動き」で記したように、オランダのRotterdam、ドイツのBrunsbüttel、Wilhelmshaven、英国のImmingham等の港湾では、NH3の荷揚げ設備とともに、NH3の分解による水素の製造設備の建設が港湾の整備計画に含まれています。NH3で輸入し、港湾内で水素に必要量変換して国内の消費地まで輸送するという考え方に立つものです。またこれは資料で確認した情報ではありませんが、シンポジウムの参加者から、中欧諸国では(ドイツと同様に国内に十分な量の水素源がないので)NH3が自国で必要とされる水素源として有力視されていると聞きました。(追記:さらにこの後も、ドイツのHamburg港、ベルギーのAntwerp港において、NH3分解水素製造設備の建設計画が報じられています。)
 こうした動きを裏付けるように、TOPSOE、KBR、thyssenkrupp等のNH3の製造、分解に伝統的に強い技術力を有する欧米の企業は、NH3の分解設備の販売を既に始め、PRに努めています。ただ、NH3の分解による水素の製造技術にはまだ改良の余地注1)があるので、日本のプラントメーカーも保有する技術力を駆使してこれらの課題を解決した分解技術を完成し、出遅れ感のあるNH3の分解設備市場でも存在感を発揮して欲しいと思っています。
 ところで、このような動きが出てきてから、IEAが2019年6月に公表した“The Future of Hydrogen”で示されていた分析結果【図1、2】を改めてよく見ると、その分析結果からは、コスト面でも水素キャリアとしてのNH3の優位性が示唆されていることに、恥ずかしながら最近、気がつきました。
 IEAによるオーストラリアからグリーン水素を日本に導入する場合のコストの推計結果【図1】を見ると:

  1. ①NH3をキャリアとする日本着の水素のコストは、液化水素やLOHC(低分子有機ハイドライド)をキャリアとする場合よりも安価であること(右のグラフ)
  2. ②さらに、その水素コストは、日本国内で製造する水素よりも安価であること(左のグラフとの比較)

 ということが示されています。ところで②の結果は、日本では発電分野のみならず産業部門の脱炭素化でも水素が重要な役割を果たすと考えられていることと併せ考えると、NH3の水素キャリアとしての可能性は、今後、より深く調査し、追求されるべき問題ではないかと思います。

 また【図2】は、北アフリカ地域から欧州域内の水素ステーションに水素を液化水素、LOHC、NH3をキャリアとして運ぶ場合の、同じくIEAによるコスト推計結果ですが、これらキャリアからの水素製造を欧州港湾で荷揚げ直後に集中的に行う場合(centralised reconversion)も、港湾から水素ステーションに配送後に行う場合(Decentralised reconversion) も(それほど大きなコスト差はないものの)NH3をキャリアとして水素を運ぶ方式が安価という結果が示されています。

2.ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の影響

 NH3をめぐる最近の世界の環境変化として、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻による天然ガス価格の高騰の影響についても見ておく必要があるでしょう。
 現在は治まりつつあるものの、原料の天然ガス価格が高騰した影響で、CO2フリーNH3の中では安価と言われているブルーNH3の価格は、北西ヨーロッパ市場、北東アジア市場では一時期1,500$/t-NH3を超える水準まで高騰したと推定されています注2)。これは、「連載第6回」で推計したブルーNH3のコスト350$/t-NH3を大幅に超えるものであり、いくら脱炭素の発電燃料とは言っても、この価格水準が続いた場合には、経済的に発電用燃料として利用することは難しいでしょう。現在、天然ガス価格の沈静化とともに、これらの市場でのブルーNH3の価格水準は、750$/t-NH3程度まで下がってきているようです注3)が、まだまだロシアによるウクライナへの軍事侵攻の影響が続き、高すぎる価格水準が続いています。ただ、こうした状況の中でも米国のブルーNH3の価格は、比較的安定していて、現在では400$/t-NH3程度まで下がっていることが注目されます。前回記したようにJERAによるブルーNH3の調達先が米国になった背景にはこうした事情があるのかもしれません。
 ただ、こうした価格動向は、私は一時的なものと考えています。以下にこの問題についての私見を記します。

3.今後のCO2フリーNH3の価格動向について(私見)

 私は、発電燃料向けのNH3価格は、いずれこの連載の「その6」で推計したブルーNH3の生産コスト350$/t-NH3前後に収斂していくと考えています注4)。それは、以下のような理由によります:
 まず、「連載第6回」で記したように天然ガスを原料とするブルーNH3の製造コストは、基本的には天然ガス価格に連動しますが、天然ガスの原価コストは安いと考えられるからです。実際、数年前NH3は200$/ton-NH3 程度(CO2フリーNH3にした場合は280$/t-NH3程度注5))で取り引きされていた時期がかなり長い間続いたことがあります。先の350$/t-NH3程度のブルーNH3の価格水準が、今後とも可能となるためには、原料として安価な天然ガス注6)が入手可能なことが必要ですが、世界には未利用のガス田が数多く存在し、そうしたガス田からの天然ガスは、きわめて安価な価格で入手できると考えられます(私が、天然ガス田開発に実際に取り組んでいる方から聞いた未利用ガス田の天然ガス価格は、350$/t-NH3という価格水準の前提とされた天然ガス価格3$/MMBtu注7)を大幅に下回る、驚くほど安い価格水準でした)。
 また、「連載第7回」の「4(5) CO2フリーアンモニア市場の特徴」で考察したように、発電用の燃料NH3の取り引きは、その取引形態が大量かつ長期安定なものとなることから、需要家側にも価格交渉面でのレバレッジがあります。また、(JERAが実際、目指したように)需要家自身が燃料NH3の製造や天然ガス等の資源権益の確保に取り組むことによって、価格交渉におけるレバレッジを獲得していくこともできるでしょう。
 また、電力セクターには2026年度以降、「排出量取引制度」、「発電事業者に対する有償オークション」、「炭素に対する賦課金」等のCarbon Pricingが導入されることが予定されており、これによって、脱炭素燃料であるCO2フリーNH3の化石燃料に対する価格競争力は、大きく高まると考えられます。
 CO2フリーNH3の市場の中での競争環境も激しさを増していくでしょう。ブルーNH3だけ見ても価格競争力のあるブルーNH3を供給可能な国や地域は、世界にかなりの数が存在します。さらに、近い将来は、ブルーとグリーンNH3の間の価格競争が激化することが考えられます。これは、グリーンNH3の原料であるグリーン水素の価格が、(電解装置と再エネ電力コストの更なる低下による)電解コストの低下によって、今後、大幅に下がると予想されていること等からです。

 以上のような理由で、私はCO2フリーNH3の価格は、脱炭素社会の中で持続的に利用可能な価格水準に収斂していくと考えています。

注1)
NH3の分解速度・効率と生成水素の純度の向上のための触媒の改良、分解プロセス全体の熱バランスの改善やプラント材料の改良等の課題。
注2)
Argus Media Limitedの情報による。なお、同時期、やはり原料天然ガスの高騰によってブルー水素の価格も10$/kg-H2を上回ったと推定されている。
注3)
2023年3月23日の時点。Argus Media Limitedの情報による。
注4)
この350$/t-NH3には、「連載その6」で記したように供給側に一定の利益水準(EIRR(Equity Internal Rate of Return):10%程度)が含まれている数字であることに要留意。
注5)
CO2フリーNH3にするためのCCSコストは、「連載その6」で記したように80$/t-NH3程度と推定されることから。
注6)
このコスト試算が前提としている天然ガス価格は3$/MMBtu。
注7)
この価格水準の算定に係る詳細については、連載第6回を参照。