新型コロナウイルスの非科学(2)

資源の配分


相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師

印刷用ページ

前回:新型コロナウイルスの非科学(1)

「一刻も早く経済を回さなければ新型コロナウイルス感染以上に甚大な被害が出る」
 そういう意見をよく耳にします。しかし同じような経済的な観点から、新型コロナウイルスの臨床検査について述べる意見はあまりありません。そこには臨床検査と実験施設のPCR検査との混同があるのかもしれませんし、「医療は何を犠牲にしても人を助けるべき」という暗黙の了解があるのかもしれません。
 しかし現実問題として医療資源も他の資源と同じく、人・モノ・金は有限であります。パンデミック初期に圧倒的に不足していたのはモノでした。多くの検査機器・試薬は外国製であり、世界的に検査試薬が不足する中、入手が困難となったためです。今、国産の検査機器がある程度普及するにつれ、物資の不足は幾分解消傾向にあります。一方で不足が深刻となっているのが、人的資源の枯渇です。

医療資源の有限性

 私は医療者として身内の苦労話を吹聴することはなるべく避けたいと思っています。それでも今現在PCR検査を行っているのが、医療崩壊と言われて久しい日本の医療現場のスタッフであるという点は、もう少し認識されて欲しいと感じてしまいます。
 検査は言うまでもなく人と時間を要します。今一般に行われている「鼻咽頭拭い液(鼻から綿棒を入れて検査をするもの)」によるPCR検査でどのような人と時間が消費されているのかを少し詳しく説明します。退屈かもしれませんがお付き合いください。

検査を行う医師と補助をする看護師はガウンを着て、N95マスクを着け、フェイスシールド・キャップを装着、手袋をつけて感染区域に入る。
患者を呼び、お話を伺う。新型コロナウイルス以外の疾患が疑われればその検査を追加する(他の医療機関に紹介できない為)。
容器にラベルを貼り、名前を再度確認し、検体の取り間違いがないことをダブルチェックした後、患者の鼻に綿棒を入れ、検体を採取する。
感染区域外にスタッフが待機しており、感染しないよう容器に入れて検査室まで運搬する。場合によっては専用の車で検査施設まで運搬する。
診察後には診察室と電子カルテをアルコール消毒し、さらに手袋を交換する(手袋にウイルスのRNAがついていた場合、たとえ失活していてもそのRNAが次の患者の検体に混じる可能性があるため)。
検査室ではRNA検体処理に慣れたベテラン技師が待機しており、他の患者さんのRNAが混入しないよう細心の注意を払って検体を処理し、機械へかける。自動化機器がない施設であれば、手動でPCRを行う。
検査機器は繰り返し使用すると誤差が出てくるため、1日に1回~数回精度管理を行う。

 大した作業ではない、と思われるかもしれませんが、実験室のPCRとはだいぶ趣が異なることは分かっていただけるかと思います。この作業を丸一日続けて、何人の患者さんの検体を採取できるでしょうか。ドライブスルー方式では②の過程が簡略化されるものの、一人の医者が検体採取をするスピードは1時間にせいぜい10~20件、8時間フルに働いても最大で200件にも至りません。
 単純作業なのだから医療者以外にやらせれば、という声も出るでしょう。では感染リスクの高いこの作業を誰にやらせるのでしょうか。その方の教育は誰が行い、検査者が感染したり、ストレスにより体調を崩したら責任は誰がとるのでしょうか。もちろん「こんな作業は危険ではない」とストレスを全く感じない方には、むしろ危なくて作業を任せることはできません。つまり誰かに作業を転嫁すれば、むしろ総計の消費資源は増加する可能性もあるのです。
 医療者は元々過労死ラインを超過した勤務時間が問題となっている職業です。その現場に、これだけの業務が毎日何千件と追加されています。短期の対策と思い耐えてきた人々も、この業務が年の単位に渡って続く可能性が高くなるにつれ、疲労度を増しています。これはお金を払えば解決する、という類の話ではなく、資源の有限性の問題なのです。

技術開発の予測不能性

 もちろんこの負担は、唾液を用いた検査への移行や機器の自動化、PCRの代替となる抗原検査などの技術開発によりある程度軽減することは可能です。空港の検査などでは感度を多少犠牲にしてPCR検査から唾液による抗原検査に切り替えました注1)。これは資源の有限性を理解した上での決断だと思います。つまり現在の枯渇具合は、時と共に推移する可能性は充分あります。しかしそれを元に拡充を考えるのは、「捕らぬ狸の皮算用」と言えるでしょう。
 どんなに理想的な手法が確立したところで、検査には機械と試薬と人、感染を外に漏らさない設備を持った検査室、という資源は消費され続けます。世の中に緊急性を要する患者・検査が数多ある中、新型コロナウイルスだけはその資源が無尽蔵に提供される、という世界は訪れないでしょう。
 PCRという技術自体を良く知る基礎系の科学者にとって「なんでこんな簡単なことができないのだ」と思われる検査も、患者を直に診る、絶対に間違いを犯せない、という状況では全く異なります。研究者と臨床家の間で無症状者への検査拡大の是非・可否につき意見が割れる背景にはこのような「非科学的な」現状があるのです。

資源分配の優先順位

 とはいうものの、「やみくもに誰にでも検査をすべき」などと考える方は、今はさすがにほとんどいないだろうと思います。つまり今問題になっているのは「検査をすべきかどうか」ではなく、「どのような人を優先的に検査すべきか」なのだと思います。これもまた、科学ではありません。
 たとえば医療機関などで医療者に新型コロナウイルス感染者が出た場合には、感染者と接触したスタッフや患者さん全員にPCR検査が行われることがよくあります。そこには

感染者と接触した人は、他の人よりもウイルスを持っている可能性が高い
医療関係者という職業は重症化リスクの高い高齢者や病人に感染させるリスクが高い

という2つの軸で評価が下されていることになります。
 しかしウイルスを持っている可能性がどの程度高ければ検査を行うのが妥当か、という基準に科学的根拠はありませんし、その決断は資源と状況次第で変わります。つまり「検査前確率が低いから検査することに意味がない」という意見にも、実は「常識的に考えて」という非科学的な判断が入り込んでいるのです。
 社会的意義についても同じことが言えるでしょう。
「自分だって高齢者の介護をしているのに、医療者だけ優遇されるのは納得がいかない」
 そういう不公平感を覚える方もいるのではないのでしょうか。
 資源が有限である以上、残念ながらこの不平等を完全に払拭することはできません。これは新型コロナウイルスに限らず、どんな資源においても同じです。
 そのような中必要なことは、科学者ではない方々も巻き込んだ優先順位づけのための議論ではないです。今のニュースなどでは「無症状者に検査をすべきか否か」という二元論ばかりが取り沙汰され、「どの人を優先させるか」の議論が乏しいように思います。優先順位付けが必要なのは人工呼吸器やワクチンだけではありません。不平等な中で最も犠牲者を少なくするためには、どのような人が優先的に検査を受けるべきなのか。今はそれを考える時期だと考えています。

次回:「新型コロナウイルスの非科学(3)」につづく。

注1)
https://www.yomiuri.co.jp/national/20200729-OYT1T50175/