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CO2フリー燃料、水素エネルギーキャリアとしてのアンモニアの可能性(その10)最終回

-SIP「エネルギーキャリア」の成果-


国際環境経済研究所主席研究員、元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター


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SIP「エネルギーキャリア」とはどんなプロジェクトだったのか

 アンモニア(NH3)が、CO2フリー燃料、水素エネルギーキャリアとしての大きな可能性をもつことは、今では広く知られるようになりました。しかし、SIP「エネルギーキャリア」が始まった2014年の頃は、こうした認識を口にする人はエネルギー専門家の間でもほとんどいませんでした。この変化には隔世の感を禁じ得ません。
 このきっかけとなったのは、日本のSIP「エネルギーキャリア」による研究開発成果です。それは、水素エネルギーの導入と利用を目指す関係者に大きなインパクトをもたらしました。そして今ではSIP「エネルギーキャリア」の名は、世界の水素エネルギー関係者に広く知られています。
 連載の最後に、こうしたインパクトをもたらしたSIP「エネルギーキャリア」とは、どんなプロジェクトだったのかについて振り返ってみたいと思います。

1. SIP(内閣府戦略的イノベーション創造プログラム:Cross Ministerial Strategic Innovation Promotion Program)とは

 SIP「エネルギーキャリア」では、この連載でこれまでに記してきたとおり、NH3の燃焼メカニズムの解明からさまざまなNH3燃焼機器開発まで基礎から開発研究にいたる一気通貫の研究開発、さらにはCO2フリーNH3の製造技術開発からそのサプライチェーンの構築に係る技術的、経済的フィージビリティ・スタディまで、NH3のCO2フリー燃料、水素エネルギーキャリアとしての可能性を突き詰めるための総合的な研究が一体的に行われました。こうしたことを可能にしたのは、SIP(Cross Ministerial Strategic Innovation Promotion Program)という、内閣府が2014年に創設した新たなイノベーション創造プログラムによるものであったと言えるでしょう。
 SIP創設の狙いは、「科学技術イノベーション創造推進費に関する基本方針」(2014年5月23日、総合科学技術・イノベーション会議)に次のように記されています。

 「総合科学技術・イノベーション会議は、『イノベーションに最も適した国』を創り上げていくための司令塔として、権限、予算両面でこれまでにない強力な推進力を発揮できるよう、司令塔機能の抜本的強化策の具体化を図らなければならない。総合科学技術・イノベーション会議は、・・・(中略)・・・府省間の縦割り排除、産学官の連携強化、基礎研究から出口までの迅速化のつなぎ等に、より直接的に行動していく必要がある」。
 「各府省の取組を俯瞰しつつ、更にその枠を超えたイノベーションを創造するべく、総合科学技術・イノベーション会議の戦略推進機能を大幅に強化する必要がある。その一環として、鍵となる技術の開発等の重要課題の解決のための取組に対して、府省の枠にとらわれず、総合科学技術・イノベーション会議が自ら重点的に予算を配分する『戦略的イノベーション創造プログラム』(SIP)を創設する」。

 そして、こうした政策構想を実現するための手段として、新たに「科学技術イノベーション創造推進費(以下、推進費)」という、総合科学技術・イノベーション会議が自ら重点的に予算を配分し、複数年にわたるプロジェクトが安定的に実施しやすい予算の仕組みが用意されました。さらに、府省・分野の枠を超えて、基礎研究から出口(実用化・事業化までを見据え、規制・制度改革を含めた取組を推進するために、SIPでは、総合科学技術・イノベーション会議により任命されたプログラムディレクター(PD)に研究開発計画の策定とその実施を委ねるという、従来の政府の研究開発プロジェクトにはない制度設計が行われました。これらのことがSIP「エネルギーキャリア」において、先に記したような基礎から開発研究にいたる一気通貫の研究開発と、NH3のCO2フリー燃料、水素エネルギーキャリアとしての可能性の追求に係る総合的な研究の実施を可能にし、技術革新を原動力とするイノベーションの創造につながる成果を挙げることができた、制度面での大きな要因だと思います。

2.SIP「エネルギーキャリア」の実施体制

 SIP「エネルギーキャリア」では、その要となるPDに村木 茂氏(東京ガス(株)副会長-当時-)が選任されました。そして、PDを補佐するサブPDを秋鹿 研一氏(東京工業大学名誉教授)と私が務めることになりました。SIP「エネルギーキャリア」の推進体制を【図1】に示しておきます。たまたまですが、これは産学官それぞれのバックグラウンドをもつ者が一体となった推進体制となりました注1)

3.SIP「エネルギーキャリア」の目的とプロジェクトの全体像

 SIP「エネルギーキャリア」は2014年度から始まったSIPの第一期(2014~18年度)で採択された10テーマ中の一つのテーマです。
 SIP「エネルギーキャリア」で目指したことは、CO2フリー水素バリューチェーン【図2】の構築に向けて、水素の製造から輸送・貯蔵用キャリア、そして利用に関する技術開発を強化することでした。

 このため、その発足の際には内閣府に加えて、関連する研究開発テーマの実施を進めていた経済産業省、文部科学省が参加した関係府省による協議が行われ、SIP「エネルギーキャリア」で新たに取り上げる研究開発テーマの選定と、既存の研究テーマを含む関連研究開発活動との連携の強化を図る体制づくりが行われることになりました。なおこの協議の中で、前年の2013年度から(研究開発法人)科学技術振興機構(JST)のALCA(先端的低炭素化技術開発)のテーマとして着手されていた「エネルギーの貯蔵、輸送、利用等に関する革新的な技術開発」は発展的に解消し、SIP「エネルギーキャリア」に移行することになったことは、本連載第3回の【補足】に記したとおりです。その結果、SIP「エネルギーキャリア」を含む、日本の水素エネルギー関連研究の全体像は【図3】のような姿となり、ALCAから移行したNH3関連の研究開発はSIP「エネルギーキャリア」で、そして液化水素とMCHについては、SIP「エネルギーキャリア」と経済産業省、資源エネルギー庁との間で研究開発テーマを分担、連携することにより実施することになりました。この説明からお分かりのとおり、SIP「エネルギーキャリア」は、NH3関係の研究開発で広く知られていますが、実際は、NH3関連のテーマだけでなく、液化水素、MCHに関する研究開発も行っています。

 SIP「エネルギーキャリア」は、2014~18年度の5年間、各年に約30億円の政府資金を投じて研究が行われました。そのNH3関連テーマの成果については、これまでの連載(技術面の成果については、特に連載第4回)においてご紹介してきましたが、液化水素、MCH関連の研究開発でも、以下のような重要な成果をあげています。
 液化水素に関しては、液化水素のローディングシステム(荷揚げ設備)の開発が重要な成果としてあげられるでしょう。液化水素は、ボイルオフしやすく、また、きわめて爆発しやすいので、荷揚げの際も-253°Cという極低温を維持し、安全に取り扱う必要があり、そのための特殊な荷揚げ設備が必要となります。SIP「エネルギーキャリア」では、同設備の開発に目途をつけるとともに、液化水素輸送船の乗組員が、その荷揚げ装置を使って安全かつ確実に荷揚げできるよう、乗組員用の操作手順書案を作成しました。さらに、それを国際間輸送で使えるものとするために、その国際標準化活動にも着手しています。
 MCHに関しては、長距離輸送が容易というMCHの利点を活かすため、水素ステーション(ST)の限られた敷地面積の中でも設置可能となる、水素をMCHから取り出し精製するための小型モジュール装置の開発に目途を付けました。
 その一方で、SIP「エネルギーキャリア」の実施期間中に、中断または中止された研究開発テーマもあります。プロジェクト終了までの5年間で技術を実証し、社会実装に目途を付けるというSIPの厳しい条件の下で、(a) それまでの間には実証段階までには至りそうもないと判断されたテーマ(太陽熱利用水素/NH3製造技術開発、MCHの電解合成等)、(b) 開発目標とされた機器やシステムの社会実装環境が整うまでには時間を要すると見込まれるため、要素技術開発やプロトタイプ設備開発の段階でいったん終了することとされたテーマ(水素エンジン、MCH利用水素ST等)、(c) 限られた研究予算の中で、SIP「エネルギーキャリア」の中では相対的に開発の優先度を下げざるを得なかったテーマ(水素燃焼技術開発、NH3利用水素ST等)などがこうした例として挙げられます(【図4】参照)。なお、(a) のカテゴリーのテーマの中には、ALCAの対象テーマとして採択されたものの、ALCAのSIPへの発展的解消・移行という制度変更によって、研究実施期間が半減されるという制度変更の影響を被ったものがあります(ALCAでのテーマ採択時には、研究実施期間は10年程度と設定されていたため)。このことは、政策面の反省点として記録に留めておく必要があるでしょう。

 SIP「エネルギーキャリア」では、ハードに係る研究開発だけでなく、開発成果の社会実装をにらんで、それに関わる海外事情調査、経済的・社会的分析評価、社会実装に向けた基盤づくり、海外関係機関との積極的な情報交流などにも取り組みました。それらは、(一財)日本エネルギー経済研究所、IEA(国際エネルギー機関)等による経済性分析(連載第6回に記載)、GAC((一社)グリーンアンモニアコンソーシアム)の結成(同第8回)、エネルギーキャリアの特性分析(同第9回)、エネルギーキャリアの安全性に係るリスク評価書の作成等の形で、成果としてまとめられ、研究開発成果の社会実装に向けた検討に寄与しています。

4.SIP「エネルギーキャリア」の成功要因と今後の課題

 SIP「エネルギーキャリア」が、世界にも誇れる大きな成果を挙げることが出来たのは、5年の間、外部評価の目を入れつつも、PDに研究開発計画の策定とその実施を委ねたこと、推進費の創設により、年間約30億円の研究開発費がプロジェクト期間中、ほぼ安定的に用意されたことといった、SIPの制度設計が寄与したことは間違いありません。
 しかし、そういった制度設計の狙いは、(当たり前のことですが)PD及び個々の研究テーマの研究責任者を始めとする、SIP「エネルギーキャリア」の要となる役割を担ったスタッフに人を得たことによって、その狙いが効果的に発揮されたことを忘れてはなりません。
 少し具体的な例をご紹介します。村木PDは、プロジェクト終了時点で研究開発対象の技術を実証段階まで発展させるという目標を堅持し、研究開発を加速するための資源配分の増強を臨機応変に行う一方で、冷徹に研究開発の中断や中止を通告するという難しい役割を、民間企業の経営者らしいリーダーシップとメリハリの効いた判断により果たされました注2)。こうしたことは、これまでの府省縦割りでのプロジェクトの実施体制の下では、関係府省による計画変更に係るそれぞれの判断が必要であったために、なかなか容易には出来なかったことでした。
 村木PDが、化学の知識を持つとともに、第一級の企業経営の経験を持たれていたこと、優れたコミュニケーション能力をもたれていたことも、プロジェクトの運営、そして国内のみならず海外の関係機関との情報交流や連携関係の構築の大きな原動力となりました。
 また、SIP「エネルギーキャリア」の個別研究テーマの研究責任者にも、人に恵まれました。中でもNH3の直接燃焼研究チームを率いられた東北大学の小林教授は、世界有数の燃焼科学の研究者であるだけでなく、チームの管理・運営にも大きな力を発揮されました。この研究チームは、成果の出始めたNH3の燃焼技術研究を加速するために、研究資源の増強が図られたこともあって、最終的には12の研究機関から成る100人を超えるチームに膨れ上がりましたが、このチームをうまくまとめ上げ、大学における燃焼メカニズムに係る研究と企業での燃焼機器設計との間で、不断の情報交換と効果的な協力関係を機能させることに成功しました。これにより、科学的基礎に裏付けられた、社会実装につながるNH3の燃焼技術が開発されたと思います。まさに「基礎研究から出口(実用化・事業化)までを見据え」た取り組みが実現したことになります。
 表には出にくいことで見過ごしてならないのは、SIP「エネルギーキャリア」の研究管理の実務に当たった優秀で熱意あるスタッフの存在です。SIP「エネルギーキャリア」では、管理法人のJSTに設けられた「『エネルギーキャリア』事務所」が研究資金、成果の進捗管理、普及・広報等の業務を行いましたが、同事務所では、技術の分かる企業からの出向スタッフとJSTのスタッフが一体となって、プロジェクトの運営に当たりました。これらのスタッフは、オーナーシップを持って担当する研究テーマの状況をフォローすることによって、研究チームが直面している問題の早期解決やPDによる研究資源の配分等を臨機応変に行うことを可能にしました。
 この研究管理チームは、SIP「エネルギーキャリア」の終了によって解散してしまいましたが、SIP「エネルギーキャリア」で実施された各研究テーマに係る研究成果は、このチームによって整理され、JSTのサイト(https://www.jst.go.jp/sip/k04.html)で閲覧できるようになっています。ただ、記録という形では残しにくい経験や教訓については、今ではチームの多くの人材がJSTを離れてしまったため、それらが時間とともに散逸・消滅しつつあるのは惜しいことだと思っています(なお、このことが、私がこの連載を書き始めた動機の一つとなっています)。
 他方、反省すべき点もあります。
 SIPの目標である、研究開発成果の社会実装を通じたイノベーションの創造を実現するためには、しばしば他の政府の政策との調整が必要となります。イノベーションの創造も重要な政策課題ですが、各省庁のさまざまな振興、規制、誘導政策等は、それぞれその他の重要な政策ニーズがその背景にあって実施されているものなので、政策間の調整には、幅広い関係者との詰めた議論と検討が必要となります。PDがプロジェクトの推進に強いリーダーシップを発揮できることは、このSIPの大きな特長ですが、そういった政策の調整まで民間出身のPDに委ねることは、PDの負担が大き過ぎるだけでなく、政府の仕事のやり方として適切とは言えません。
 SIP「エネルギーキャリア」の実施や社会実装に向けた取り組みに当たっては、村木PDはその相当の労力と時間を、特にエネルギー政策を所管する資源エネルギー庁との連携・調整の確保に費やしましたが、実際、その負担は決して小さなものではありませんでした。
 こうした問題については、SIP創設時の構想のとおり、総合科学技術・イノベーション会議の事務局である内閣府が、「イノベーション創造の司令塔」機能を発揮するため、積極的かつ強力に必要な調整にあたることが必要です。そのための手段の一つとして、「統合イノベーション戦略」を毎年、閣議決定という形で府省全体でとりまとめ、アップデートするという仕組みが、2017年に構築・整備されましたが、この機能がその目論見通りに発揮されるためには、内閣府の政策調整に係る実務能力の一層の強化を図ることが必要でしょう。
 しかしSIPの現状をみると、特にその第2期(2018年~)以降、内閣府はSIPの成果の社会実装のための政策間調整よりも、SIP各プロジェクトの管理と評価に時間を割く傾向が強くなってきているように感じます注3)。PDにSIPの各テーマに係る研究計画の策定と実施を委ねるということもあって、SIPの責任官庁として、その管理と評価をしっかりとやる必要があることは分からないではありませんが、SIPの制度設計のそもそもの狙いとのバランスは常に意識される必要があると思います。そして何よりも、PD個人では手に余る、成果の社会実装における府省間の政策調整は、内閣府の重要な役割であるはずです。

5.おわりに

 以上に記したことからお分かりのように、SIP「エネルギーキャリア」は、これまでにない制度設計の下で、その狙いがうまく発現したプロジェクトだったと言えると思います。しかし、そこには(すべての人間の活動に関して言えることですが)その効果の発現を可能とした、多くの人の活躍や貢献があったことを忘れることはできません。
 この記事では、極力、個別の方の名前やエピソードに言及することは最小限に留めましたが、SIP「エネルギーキャリア」の成功の裏には、いろいろな忘れがたいエピソードや、内外の人材の活躍があったことも事実です。これらのことは、また、別の機会に記録として残したいと考えています。

注1)
村木 茂氏は、東京ガス(株)副会長、秋鹿 研一氏は、東京工業大学名誉教授(いずれも当時)、で、私(塩沢)は、住友化学(株)に勤務する前は、内閣府と経済産業省に勤めていました。なお、村木氏も私も民間企業に勤めていますが、(当たり前のことですが)所属している東京ガス(株)も住友化学(株)もNH3を含むエネルギーキャリアの製造や販売に関連する事業は営んでいません。(住友化学(株)の前身である住友化学工業(株)は、1935~85年の間、NH3の製造を行っていましたが、1985年にNH3の製造から撤退しました)。
注2)
以下は、村木PDの指揮ぶりで特に印象に残っていることをいくつかご紹介します。
村木PDはPDにご就任された当初は、エネルギーキャリアとしてのNH3の可能性については、ほとんどご存知ありませんでした。それが、NH3は水素に再変換することなくそのまま燃料として使える可能性があるということを理解した瞬間、NH3のエネルギーキャリアとしての可能性を見抜かれました。
また、NH3の燃焼機器開発の優先順位については、燃料電池開発に携わったご自身の知識と経験をもとに的確な指示を出されていました。
さらに当面のNH3の原料として、安価な天然ガスの確保が重要であることを知ると、東京ガス(株)で天然ガス調達を担当されていた経験から、産ガス国とのコンタクトの方策等について明確な方針を示されました。
注3)
私は、現在、第2期のSIPテーマの一つ「IoE社会のエネルギーシステム」のイノベーション戦略コーディネーターとしても関わっていますが、その中でこのことを強く感じています。