CO2フリー燃料、水素エネルギーキャリアとしてのアンモニアの可能性(その3)

-SIP「エネルギーキャリア」の成果-


国際環境経済研究所主席研究員、元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター

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SIP「エネルギーキャリア」とアンモニア(NH3

 前回記したように、水素エネルギーは、日本が直面しているエネルギー、環境制約を克服する手段として重要な役割を果たすことが期待されますが、水素エネルギーの代表的な物質である水素の輸送や貯蔵は容易ではありません。特に水素エネルギーを海外の再エネの大量導入手段とするためには、その輸送・貯蔵面の問題を解決する必要があります。そしてその問題をイノベーションにより克服することを目的にSIP「エネルギーキャリア」が始まりました。

1.SIP「エネルギーキャリア」

 「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」は、安倍首相のイノベーション重視の方針を受け、政府のイノベーション創出機能の強化を図るために、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)によって2014年度に創設されました。そして、SIPでは政府の研究開発成果をイノベーションにつなげるために、プロジェクトの実施において、府省、分野の枠を超えて基礎研究から実用化、事業化までを見据え、規制・制度改革を含めた取り組みを推進するために、新たな制度設計が行われました。それは、これまでの各省庁が主体となってプロジェクトを実施する方式ではなく、SIPで取り上げるテーマ毎にプログラム・ディレクター(PD)を内閣府が任命し、PDがテーマ目標の実現に責任をもってプロジェクトを進めるという方式です。
 そのSIP第一期のテーマの一つとして、水素エネルギーの輸送・貯蔵・利用に関するイノベーションの創造を目的とするSIP「エネルギーキャリア注1) 」が取り上げられたのです。SIP「エネルギーキャリア」では、村木 茂氏(東京ガス(株)副会長、当時)がPDとして任命され、東京工業大学名誉教授の秋鹿 研一氏と私が、サブPDとして村木PDを補佐し、このプロジェクトを運営していくことになりました。

2.SIP「エネルギーキャリア」で取り上げたエネルギーキャリア

 水素を輸送、貯蔵の容易な状態や別の物質に変えて、水素エネルギーを利用するエネルギーキャリアとして、SIP「エネルギーキャリア」では液体水素、メチルシクロヘキサン(MCH)、アンモニア(NH3)の3つを取り上げ、その製造、貯蔵、利用に係る研究開発に取り組みました。

 SIP「エネルギーキャリア」で取り上げた各エネルギーキャリアの物性値を【第1表】に示します。また、やや細かい内容の表になりますが、【第2表】に、物性に由来する各エネルギーキャリアの特徴を整理しました。なお、個々のエネルギーキャリアについてのより詳しい説明は、国際環境経済研究所のサイトの別の解説記事、「水素社会を拓くエネルギーキャリア(8)~(11)注2) 」をご覧ください。

 IEA(国際エネルギー機関)は”The Future of Hydrogen“注3)の中で、これらの3つのエネルギーキャリアのほかに、水素エネルギーを輸送、貯蔵、利用する手段として”hydrogen-based fuels and feedstocks”についても解説しています。IEAは、それらの例として合成メタン(synthetic methane)、合成液体燃料(synthetic liquid fuels)を取り上げ、それらの長所、短所を論じています注4)
 本連載では、SIP「エネルギーキャリア」において、世界が注目する研究開発成果を上げたNH3関連の成果と社会実装に向けた取り組みの状況について、まずご説明します注5)

3.エネルギーキャリアとしてのアンモニア(NH3)の特長

3.1 大きな水素密度
 先に記したようにNH3は1分子中に3つの水素原子(H)をもつことから、水素密度の大きな物質です。液化NH3の体積当たりの水素密度は、SIP「エネルギーキャリア」で取り上げている3つの水素エネルギーキャリアの中で液化水素のそれよりも大きく、最大です【第1表】。体積当たりの水素密度が大きいということは、その輸送・貯蔵に必要となるインフラの規模が比較的小さくてすむということを意味します。

3.2 NH3の大量輸送、貯蔵技術
 NH3は、常圧下で -33℃、または、常温で8.5気圧といったマイルドな条件で液化し、その体積は、同重量の気体水素の1/1,350 または 1/1,200 となります(前者は冷却して液化した場合、後者は圧力をかけて液化した場合)。
 NH3の大規模な商業サプライチェーンは、国際的に既に確立し実用に供されており、実際、NH3は世界で年間約1.8億トンが製造され、約1,800万トンが国際的に流通しています。この流通規模は、数ある化学品の中でも最大規模のものです。つまりNH3に関しては、大量輸送、貯蔵に係る技術的な課題はありません。さらに、このNH3の液化条件は、液化石油ガス(LPG)の液化条件とほぼ同じなので、NH3の輸送、貯蔵ではLPGのインフラを利用することも可能です。

3.3 NH3の取り扱い
 ここでNH3の取扱い上の留意点について記しておきましょう。NH3の物性に係る懸念事項は、NH3の有する急性毒性と臭気です。
 IEAはNH3の取り扱いについて、”The Future of Hydrogen“の中でNH3はその性状から専門家による適切な管理の下で取り扱われる必要があるが、NH3は19世紀初頭から冷媒として、肥料原料としては一世紀以上の長きにわたり大量に使用されているので、工業分野ではNH3の取り扱い経験は豊富に蓄積されていると指摘しています。また、タンカーによる海上輸送など、NH3の長距離の輸送・貯蔵は日常的に行われていること、さらには米国の穀倉地帯では、施肥のため、農民がNH3を直接、農地に大量に散布していることも紹介しています。
 科学的にもNH3には直接吸入や直接接触した場合の急性毒性はあるものの、発がん性等の深刻な毒性は認められていません(なお、NH3は空気中や水中で急速に拡散し、酸化されるので、人が直接吸入、接触することは通常はほとんどありません)。さらにNH3は着火温度が高く、また爆発限界も狭い物質であるため、米国では可燃性、爆発性物質としては区分されていません。NH3の臭気の強さに対する所要の対策は必要となりますが、このNH3の性質は、逆に漏洩検知上は有利に働くことになります。
 国内では火力発電所において相当量のNH3が脱硝剤として既に長年にわたって安全に使用されており、後述するCO2フリー燃料としてのNH3の利用が想定される火力発電所は、NH3の取扱い経験が蓄積されている現場の一つです。

3.4 CO2フリー燃料としてのNH3
 このようにNH3は、水素エネルギーのキャリアとして具備すべき基本的な要件を満たしています。したがって、水素エネルギーをNH3の形で輸送した後、他のキャリアと同様にNH3から水素をNH3の分解(クラッキング)によって取り出して利用することも十分に可能です。
 しかし、NH3にはこうした利用方法だけでなく、NH3から水素を取り出すことなく、そのまま燃料として使えることがSIP「エネルギーキャリア」の成果から明らかになりました(【第1図】の“直接利用”のルート)。つまりNH3は、水素エネルギーの優れたキャリアであるとともに、CO2フリーの燃料としても使えることが明らかとなったのです。
 これは大きなメリットです。何故なら、それによってNH3から水素を取り出すために必要となるプロセスが不要となり、同プロセスに必要となるエネルギーの投入も必要なくなるので、大幅なコストの低減が可能となるからです。さらに、容易とはいえないクラッキング後に生成する水素の取り扱いの問題からも解放されます。
 NH3が燃焼時にCO2を排出しないことは、先に記したようにNH3の分子式から明らかですが、実際にNH3を燃料として使用することについては、2つの確認すべき課題がありました。それは、①NH3は着火温度が高く(651℃)、火炎速度が遅い(火の回りが遅い)ので、NH3は安定的に燃焼するか(NH3の燃焼安定性)、そして、②NH3はその分子中に窒素原子を含むことから、NH3の燃焼によって大量に生成する可能性のあるNOX(Fuel NOX)の排出抑制が可能か(NOXの排出抑制)という課題です。
 他方、NH3の燃焼反応には、燃焼により分子数が増加するという特徴があります。このことは、燃焼排気によりタービンを回す燃焼機器では有利に働く可能性があります。
 以上のNH3の燃料としての特徴を【第2図】に整理しておきます。

 これらの課題に係るSIP「エネルギーキャリア」でのNH3直接利用技術開発研究の成果については、次回に説明します。

【補足】 SIP「エネルギーキャリア」の発足の経緯と水素エネルギー研究の歴史

 SIP「エネルギーキャリア」の発足の経緯と水素エネルギー研究の歴史も簡単に記しておきましょう。
 2000年代後半から2010年の始めにかけて、世界では「京都議定書」後のGHG排出削減対策に係る国際的枠組みのあり方についての議論が活発化し、国内では、地球温暖化対策税が2012年10月から導入されることになりました。こうした中で産業競争力懇談会(COCN)は、2012年度の研究テーマとして、「太陽エネルギーの化学エネルギーへの変換と利用」注6)を取り上げ、その研究報告書において海外の安価な再エネを(NH3やMCH等の)化学エネルギーの形で長距離、大量輸送することの可能性と重要性を指摘するとともに、国としてそのための研究開発を基礎研究から実証段階にわたってシームレスに進める必要があることを提言しました。
 この提言や、水素エネルギーの重要性に関する認識の高まりを受けて、文部科学省は、科学技術振興機構(JST)のALCA(先端的低炭素化技術開発)の2013年度の特別重点プロジェクトとして、「エネルギーの貯蔵、輸送、利用等に関する革新的な技術開発」を採択しました。また、時をほぼ同じくして経済産業省でも、「再生可能エネルギー貯蔵・輸送等技術開発」を開始しました。そして両省は、両プロジェクト間の連携を確保するため、これらを両省共同の「未来開拓研究プロジェクト」と位置づけ、JSTに「エネルギー貯蔵・輸送ワーキンググループ」(座長:笠木伸英 化学技術振興機構研究開発センター上席フェロー)を設けて、プロジェクトの運営や研究開発成果についての情報交換等を行っていました。
 こうした状況の中、政府部内におけるイノベーション創造機能の強化方策として、上述のとおり2014年度からSIP制度が発足し、ALCAの「エネルギーの貯蔵、輸送、利用等に関する革新的な技術開発」を吸収・発展させる形で、SIPの第一期テーマの一つとしてSIP「エネルギーキャリア」が発足したのです。
 なお、水素エネルギーについての国の取り組みとしては、これに先立つものがあります。1973年の第一次石油ショックを契機として、石油代替エネルギーとしての水素が注目され始めました。1974~92年には通商産業省の「サンシャイン計画」で熱化学水素製造、1978~92年には同省の「ムーンライト計画」で燃料電池の開発のための技術開発が行われています。
 そして、1993年には同省によりニューサンシャイン計画の一環として「水素利用国際クリーンエネルギーシステム技術研究開発(WE-NET)が開始され、その後2002年まで10年間にわたってWE-NETの下で水素製造、輸送、貯蔵、利用技術等の開発が行われました注7)。その当時も、海外の再エネを利用した水素製造、材料開発を含む水素の輸送・貯蔵技術(タンカー建造、タンク建設など)、エンジン、タービン、燃料電池などの水素利用技術開発が研究開発の目的でした。水素エネルギーのキャリアとしては、液化水素に加えてNH3等も視野の片隅には入っていたようですが、「“液体水素(ママ)”は国内外において技術開発に着手されていない、大量に輸送できる、変換技術が単純、消費地で利用する際に便利」注8)という当時の認識で、主に液化水素が研究開発の対象とされました(そのため、WE-NETにおいてはNH3がCO2フリー燃料となる可能性については顧みられることはありませんでした)。
 WE-NETプロジェクトは、2003年までの計画を1年前倒しで終了し、その後、「水素安全利用等基盤技術開発」に衣替えしましたが、その成果は、固体高分子形燃料電池、水素ステーション関連技術、その他の水素エネルギーの利用に係る要素技術の実用化に活かされています注9)

注1)
「エネルギーキャリア」とは、本連載の第1回目に記したように「水素エネルギーを輸送、貯蔵が容易な状態や物質に変えたもの」です。
注2)
MCHについては「水素社会を拓くエネルギーキャリア(8)」(http://ieei.or.jp/2015/02/expl150206/)、液化水素については「同(9)」(http://ieei.or.jp/2015/02/expl150218/)、NH3については「同(10)」(http://ieei.or.jp/2015/03/expl150317/)と「同(11)」(http://ieei.or.jp/2015/03/expl150330/)をご参照ください。なお、本連載では液体水素の表記を「液化水素」と変えています。また本連載では、上記の記事を書いた以降に行われた研究開発/調査等の結果に基づき、これらの解説記事とは一部異なった記述をする可能性があることを予めご了解ください。
注3)
”The Future of Hydrogen“, 2019年6月、IEA
注4)
ご関心の向きは同レポートの第2章をご参照いただければと思いますが、これらのhydrogen-based fuels and feedstocksの長所は、輸送、貯蔵、利用が容易であること、一方、短所はhydrogen-based fuels and feedstocksの合成にコストがかかること、そして炭化水素系のhydrogen-based fuelsについては、原料となるCO2の入手が容易ではないこと、製造コストが高いこと、加えて原料CO2の発生源の問題があること等が論じられています。
注5)
NH3以外の液化水素、MCHに関するSIP「エネルギーキャリア」での成果、並びに液化水素、NH3、MCHの社会実装面での課題(サプライチェーン構築上の課題、コスト比較など)については、本連載の今後の回で記したいと思います。
注6)
プロジェクトリーダー:住友化学(株) 顧問 中江清彦。「太陽エネルギーの化学エネルギーへの変換と利用」の研究報告は、2013年2月にCOCNから公表されています。(http://www.cocn.jp/report/4af1702aa6bbbac302f21d6dbc1bea54389c47e4.pdf
注7)
第1期WE-NET(1993~98年)、第2期WE-NET(1999~2002年)
注8)
「水素利用国際グリーンエネルギーシステム技術(WE-NET)プロジェクトの成立経緯と今後の進め方について」(座談会)、「季刊 エネルギー総合工学」 Vol.17, No.2 1994.7. なお、この認識は、その後の研究開発や調査研究の結果、現時点では必ずしも正しいとは言えないことが分かっています。また、この座談会では「液化水素」ではなく、「液体水素」という用語が使われています。
注9)
WE-NETについての経緯や成果については、https://www.enaa.or.jp/WE-NET/newinfo/station_taka_j.html を参照。