環境省「長期低炭素ビジョン」解題(1)


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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ビジョン小委員会の審議経緯

 本年3月、環境省が管轄する中央環境審議会地球環境部会は「長期低炭素ビジョン」(以下「ビジョン」と略す)を発表した。本文だけで80頁、参考資料を合わせると180頁余りの大部の資料である。これは「パリ協定が各国に求めている気候変動対策に係る長期戦略を我が国が策定するにあたり、環境政策の観点からその基礎とすべき考え方、特に、我が国の役割を明らかにする理念、また目指すべき将来像の「絵姿」を示すことを目的としてとりまとめたもの」(「ビジョン」まえがき)である。
 日本では平成28年5月13日に「地球温暖化対策計画」を閣議決定しており、その中で「我が国は、パリ協定を踏まえ、全ての主要国が参加する公平かつ実効性ある国際枠組みのもと注1) 、主要排出国がその能力に応じた排出削減に取り組むよう国際社会を主導し、地球温暖化対策と経済成長を両立させながら、長期的目標として2050年までに80%の温室効果ガスの排出削減を目指す。」と、我が国が長期で目指すべき温暖化対策の方向を示しているが、一方で同計画では「このような大幅な排出削減は、従来の取組の延長では実現が困難である。したがって、抜本的排出削減を可能とする革新的技術の開発・普及などイノベーションによる解決を最大限に追求するとともに、国内投資を促し、国際競争力を高め、国民に広く知恵を求めつつ、長期的、戦略的な取組の中で大幅な排出削減を目指し、また、世界全体での削減にも貢献していくことする。」ともされている。つまりここで書かれている80%削減が、現状では実現困難であり、今後技術革新やイノベーションにより社会全体で長期的に「目指す」べき方向性を示したものであり、また国内対策のみならず地球規模の削減貢献も含むことを示唆している。
 今般の「ビジョン」ではこうした「地球温暖化対策計画」における認識をふまえて「イノベーションには技術のみでなく経済・社会システムやライフスタイルのイノベーションも含まれること、気候変動対策は、経済成長、地方創生、少子高齢化対策などの我が国の抱える課題の同時解決にも資するものであるべきことなどの提言を含んだ、今後の政策の方向を示したものである。」(「ビジョン」まえがき)と、その性格を位置づけている。
 この「ビジョン」は、様々な分野を代表する18名の委員により、平成28年7月から平成29年3月にかけて、計9回にわたる有識者ヒアリング(加えて地方ヒアリングを2回実施)と、初回ならびに最終3回の、合わせて4回におよぶ委員による意見陳述をもとに、最終的に環境省によってとりまとめられ、中央環境審議会地球環境部会の下で承認、公表されたものであるが、筆者も日本鉄鋼連盟エネルギー技術委員長の立場で、産業界を代表する委員の一人としてこのプロセスに参画した。
 「長期低炭素ビジョン」そのものは環境省のホームページからダウンロード可能なので注2) 、ここでその全貌を逐一紹介することはしないが、本稿では、この「ビジョン」を策定していく過程で筆者が行った様々な発言や意見表明を経緯を追って紹介させていただくことで、この「長期低炭素ビジョン」のはらんでいる論点、問題点を抽出し、今後、我が国が温暖化対策の「長期戦略」を策定していくに当たり、どのような論点が残っており、どのような議論を展開していくべきかについて、筆者なりに解題していくことにする。
 なお本稿における筆者の発言については、記録として残すためもり、原則として「ビジョン」小委員会での発言録からそのまま引用しているが(囲み枠部分で紹介)、委員会の場でのライヴな発言のままでは前後の文脈から理解しにくいところもあるため、一部補筆修正させていただいていることについて、ご了解いただきたい。

第一回「ビジョン小委員会の進め方について」

 2016年7月29日に開催された第一回「ビジョン小委員会」では、事務局から小委員会設立の趣旨と進め方に関する説明の後、我が国が「2050年までに温室効果ガス排出の80%削減を目指す」という長期のシナリオを考えていくにあたり、どういった論点があるかという点につき、各委員に自由な意見陳述が求められた。多くの委員から「パリ協定で気温上昇を2℃未満に抑えるという目標に世界が合意した中、我が国も(2℃目標に整合した)80%削減という野心的な目標を掲げて、具体的な対策を強力に進めるべき」、「80%削減はチャレンジングだが達成可能な目標である」といった、威勢のいいコメントが続く中、筆者はまず、30年余りも先を見据えた長期戦略を考えるうえで、先ずは基本とすべき考え方を示す必要があると考え、以下の発言を行った。少々長くなるが、以下でも述べるとおり、この小委員会に参加した委員が「長期ビジョン」について自由に意見陳述することを求められたのは、これが最初で最後であったこともあり、そのまま紹介させていただくことにする。

 「エネルギー多消費産業の代表ということで意見を述べさせていただきます。既に日本の産業はご存じのとおり、世界最高水準のエネルギー効率を達成している中で、2030年に向けて「低炭素社会実行計画」のもと、最先端技術の最大導入ということを掲げて取組みを進めているところでございます。これは2030年の26%削減という我が国の中期目標に向けて、産業界としてはこういう方策をとっていくということをコミットしているわけですけれども、この26%削減のためには、今後14年間で日本社会全体で35%という劇的なエネルギー効率改善を実現することが必要となってまいります。これを実現する方策として長期エネルギー需給見通しの中でも大変野心的な省エネが想定されているわけでして、2030年までに現在手にしているさまざまな最先端技術、トップランナー製品等がほぼ限界まで普及しているということが想定されているわけです。そうしますと、2030年以後にさらに削減量26%を80%まで持っていこうとしますと、非常に大きな深掘りをする必要があるわけですけれども、どういう戦力を使ってやるかという方策が立たなくなってくるわけでございます。つまり現在想定されていないような新たな革新的な技術を導入し、社会のイノベーションを含めた取組を新たに始める必要が出てくるということでして、つまり革新的な技術の開発というのが2050年80%という目標には絶対的に不可欠な条件であるということでございます。
 革新的な技術開発ということを考えたときに、今後、どういうことを考えなきゃいけないかという一つの例なのですが、35年先までに革新技術をつくるということは、今から35年前に今日の世界をどう見ていたかということが参考になると思います。35年前、つまり1981年に世界にはインターネットはおろか、パソコンすら存在していなかった。81年にIBMがインテル・マイクロソフト系のパソコンを初めて発表しているのです。その後、アナログレコードに代わってCDが出てきたのが82年、アップルのマックが世の中に出たのは84年、つまり、こういったそれまで全くなかったものが初めて出てきて、今日のスマホ、インターネットの世界になっているということで、35年後の世界の技術を現時点から想定するのは非常に難しいということをまず理解する必要があるかと思います。また、81年というのは、実はレーガン大統領が就任した年でございまして、その後、84年にゴルバチョフ大統領が就任し、89年にベルリンの壁が崩壊するということで、この35年間で劇的に世界が変わったわけです。誰も35年後に東欧社会がEUの一員になっていて、中国が世界第2位のGDPの国になるということを想定した人は当時いなかったでしょう。そういうことを念頭に入れた上でこれから35年後の姿を考えていくという必要が、この委員会で求められているということだと思います。
 一方、エネルギー需要のほうで申し上げますと、実はウオッシュレットが発売されたのが80年、全自動の洗濯乾燥機が導入されたのが87年でございます。つまり家庭部門のエネルギー消費が劇的に伸びてきた背景には、このような便利な機器が消費者に対して新たな便益やサービスの提供をするようになったという事情があるわけです。こういうものも今後新たどんどん出てくる可能性がございます。家庭用のエアコンの普及率は81年43%、1世帯当たり1.4台でした。それが2016年の今日、普及率92.5%、1世帯当たり3.1台ですから、82年にインバータエアコンが初めて導入されて個々の機器のエネルギー効率は劇的に改善しましたけれども、数量は数倍に増えていますので、それを上回る電力需要増、エネルギー需要増が起きているわけです。
 今後、温暖化が進みますと、熱波が増えていくというようなことが事務局の用意された資料にございましたけれども、温暖化への適応の関係で申しますと、こういうエアコンのようなエネルギー多消費型のインフラというものが恐らく社会全体でますます求められてくる可能性がございます。例えば、温暖化に対応した食料生産の高度化にはより多くのエネルギーが必要になることが考えられますし、あるいは異常気象に対応した国土強靭化という面では、海面上昇といったものに対応するインフラをさらに強化していくための投資も行わなければいけない。35年先の世界を考える場合、こういうものも当然エネルギーの消費を増やしていくということで、排出削減とトレードオフの関係があるということも考慮する必要があるかと思います。
 次に、技術開発の促進ということですけれども、経済が低成長になるとエネルギーの消費が増えないというのは一つのメリットなのかもしれませんが、一方で、研究開発が停滞するというデメリットもございます。企業は将来の経済が成長し、マーケットが伸びるということを前提にしないと、研究開発投資を行わなくなります。そういう意味で、経済が成長していくということが基本的に技術開発を促進する大前提であるということを留意していただく必要があろうかと思います。
 さらに、開発するだけではなくて、そうして開発された新技術を社会に広く普及させなければ80%削減というような数字は実現しません。今日の社会ストックは、過去50年あまりにわたって莫大な化石エネルギーを使って投資されてきたビルであるとか、交通インフラであるとか、社会インフラであるとか、都市であるとかいったものの上に成り立っています。これを今後更新していく際に、最も新しい技術に入れ替えるということが必要となるというのは、先ほどの資料にもあったかと思うのですけれども、それをやっていくためには、莫大な投資資金が必要になります。つまり経済が停滞している社会の中では社会資本のストックの入れ替えというのは起きてきませんので、実は最新技術が普及するということも起き得ません。
 したがいまして80%削減ということを実現しようと思ったら、大前提として持続的かつ継続的な経済成長というものがないといけないということになるわけです。先ほどGDPが伸びているということと排出削減が進んでいるということの間に相関があるという資料のご紹介がありましたが、これは温暖化対策が進むからGDPが伸びているのではなくて、GDPが伸びて社会資本ストックの更新が進んでいる、つまり最新の技術への投資が起きているから削減が進んでいるというふうに私は解釈しております。そういう意味で、まず、一番先に持続的な経済成長をいかにして確保していくかということが、大幅削減の実現には極めて重要だというふうに思っております。」

注1)
本年6月に米国は「パリ協定からの離脱」を表明した。世界第二の温室効果ガス排出国であり、約2割の排出シェアを占める米国が離脱したパリ協定が「すべての主要国が参加する公平かつ実効性ある国際枠組み」に該当するかどうかについては議論の余地があろう。
注2)
http://www.env.go.jp/press/103822.html

長期大幅削減の考え方

 この第一回の後、「ビジョン小委員会」では内外の有識者からのヒアリングを約半年間にわたって計9回行った。招聘された有識者からは、80%削減目標がいかに必要であり、またそれが技術的に可能であるとか、あるいは温暖化対策を進めることで経済が成長し、雇用も拡大して、日本社会の抱える様々な課題が同時に解決できる、といったバラ色のシナリオの紹介があり、さらに再生可能エネルギーのコストが劇的に下がってきている中、低炭素社会は今や手の届くところに来ているとの楽観論と、一方で温暖化という外部不経済をもたらす炭素排出にはきちんと価格付けをして化石燃料の使用を制限するために、カーボンプライスの導入・強化が必要だという、実は相矛盾した論点が様々紹介された。それらのヒアリングの詳細は環境省のホームページに紹介されているので、関心がおありの向きは参照いただきたい注3)
 一連のヒアリングが終わった12月13日に行われた第10回の小委員会では、これらのヒアリングを通じた論点のとりまとめが行われ、長期大幅削減の可能性や長期戦略の意味づけについて議論が行われた。あたかも80%削減が容易に実現可能であるかのような議論や、それにはカーボンプライスの導入が必要であるとの内外の論者の矛盾したプレゼンテーションに違和感を覚えた筆者としては、大きな視点から以下のような反論を述べさせていただいた。

 「膨大な資料なので、3点だけ集約してお話しします。80%削減の意味、カーボンプライス、それからヒアリング全体に対するコメントです。
 まず80%削減についてですけども、ここでいろいろな専門家の方からお話を伺っていると、日本にとって80%削減というのは、現実に実現可能な数字であるかのような、非常にポジティブなお話しがたくさん展開されていたと思いますが、現実問題、向こう35年間で現状の排出量約14億トンを10億トン以上も削減するというのは、非常に難しいというか、非現実的な話じゃないかと思う訳です。
 これができるということをお話しされている方は、いろいろな前提とか仮説を持たれて話されているのだと思います。例えば新しい技術が実用化されて普及するであるとか、あるいは国民生活が今とはまるで違ったものに変わっていくといったことを前提とされていると思うのですけども、必ずしもそういう前提条件がこの場で共有化された上で、「出来る」という話になっていなかったのが気になります。そうしたメリットが実現する裏には必ず、それに伴うコストあるいは課題といったことも出てくるわけですから、そういう議論がなされないで聞いていると聞きっ放し、あるいはお話しされているほうは言いっ放しになってしまうということが気になります。
 例えば、「技術的に可能である」ということと、「社会的にそれが実装されていく」ということとは必ずしも同じではありません。例えば月に人類が行くということだけであれば、1969年のアポロ11号から技術的には可能なのですけども、誰も新婚旅行で月に行こうと思わないですね。それはコストとベネフィットの帳尻が合わないからなわけです。
 日本の排出量の9割以上がエネルギー起源ですから、35年間でこれを8割以上削減するということは、エネルギー関連のインフラ、これは供給側だけじゃなくて需要側も、総入れ替えに近いことをやらなきゃいけないわけですけども、これを現実を踏まえてどうやって実現していくのか、あるいはそのときに使われなくなるインフラや設備をどうやって除却したり損切りしたりするか、そのための原資をどこから持ってくるかといった点を含めて、社会全体の帳尻の総合的な議論をちゃんとしないと、夢が夢で終わってしまうリスクがあるのではないかという気がいたします。
 2番目にカーボンプライスについてですけども、これも非常に勇気づけられるお話を何度も伺いました。再エネは既に化石エネルギー並みにコストが下がっている、あるいはこれからも大幅にコストダウンするというお話がありましたけども、もし再エネが化石燃料よりも低コストになってきているというのが現実であれば、その際にカーボンプライスは要らないわけです。一方でカーボンプライスが必要だという議論をされた方というのは、恐らく再エネはまだ石炭を初めとする化石燃料よりも高コストだから、下駄をはかせないと普及しないということをお話しされていたのかと思います。
 石炭よりも安価なエネルギーが本当に技術的に実現すると、これは自動的に普及するわけです。例えばアメリカではシェールガス革命が起きまして、実際に石炭よりも安くてクリーンな国産天然ガスエネルギーが手に入るようになりました。したがって2005年以後10%超の排出削減が炭素価格制度のような強制的な措置を使わずに実現しているわけです。
 一方で環境税とかETSとかFITなど、さまざまな炭素価格政策を導入しているドイツでは、11月2日のヒアリングにありましたけども、石炭火力の比率が高止まりしていて、2005年以後の排出は横ばい、ないしは微増という皮肉な現象が起きているわけです。ETSの排出権が安いので米国で余った安価な石炭を輸入して排出権を付けて燃やしても採算があってしまうという皮肉です。ということで、温暖化対策に絶対的に足りないのは安価なクリーンエネルギー技術だろうと思われます。
 そういう意味で、安価なクリーンエネルギー技術がまだ存在していない、これを開発しなければいけないという危機感をきちんとここで共有しないと、この先の議論を誤るのではないかと懸念いたします。日本が今後、高額の炭素価格を国内で導入して、無理やり高コストな再生可能エネルギーを導入するという形で政策を進めていきますと、日本だけで人為的にオイルショックを引き起こすということをやってしまうようなもので、これは日本社会全体が抱えているさまざまな構造的問題に対処するための原資を奪う、あるいは低炭素社会の実現に向けた投資の原資を奪うという、かえって逆の結果を招く懸念がございます。そういう意味でカーボンプライスに関しては慎重に検討していかなければいけない。特に温室効果ガス排出の削減というのは、メリットが日本だけでなく世界全体で共有される、つまりフリーライダーの構造がある問題でございますので、日本だけでこれを行うということの環境政策的な合理性はほとんどないわけです。カーボンプライスという政策は、世界全体で同水準のカーボンプライスをかけていくという意味での、グローバルな課題として位置づけるべきだと思います。
 3番目の点で、今回のヒアリングについてですけども、皆さんおっしゃっているとおり、私もここで海外を含めていろいろな有識者のお話を伺って大変勉強になりました。ただ、今申し上げたように再エネのコスト、あるいは欧州の政策に関しては、実はうまくいっている面もあればそうでない面もあるということで、多様な意見や評価があるかと思います。この場では比較的ポジティブな意見のご紹介が多かったと思いますけども、そうではない視点や見解を持たれている方からのヒアリングも、特にメリット、デメリットを対比するような議論を紹介していただきたかったと思います。つまり今後の我が国の政策の参考にするという意味では、いい話だけを聞いているというのでは、ちょっと片手落ちかなと思います。
 具体的に申し上げますと、日本では生産ベースの排出が減っていないというお話がありますけれども、例えば日本ではエコカーのような低炭素製品を非常に多くつくっているわけです。そうした低炭素製品は国内外で使用される際に、排出削減に大きく貢献しているわけですが、一方でそうした低炭素の製品をつくろうとすればするほど高付加価値、高品質、高機能の素材なり部品なりを集約していかなければいけならず、そうした高機能製品の生産に要するエネルギーは相対的に大きくなるわけでして、国内での生産ベースの排出は増えてしまうという皮肉が起きるわけです。つまりライフサイクル全体、あるいはバリューチェーン全体で見たときに、長期的に見て何が本当に地球規模の排出削減になるかといった観点は、今回のヒアリングでは少し欠けていたのではないかとの懸念を持ちます。こういった視点も入れて、今後世界全体で大幅な低炭素社会を実現するために、日本が低炭素技術でどういう貢献ができるかというような議論に展開していただければと思います。」

注3)
ヒアリングの内容については以下の環境省ホームページのうち第2回~第10回小委員会の配布資料を照会されたい:
http://www.env.go.jp/council/06earth/yoshi06-18.html

次回:「環境省「長期低炭素ビジョン」解題(2)」へ続く