環境省「長期低炭素ビジョン」解題(4)


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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※ 環境省「長期低炭素ビジョン」解題()、()、(

最後の論点

 以上の論点に加えて、最終ドラフトとして示された「長期低炭素ビジョン(案)」について、筆者からはあらためて「カーボンバジェット」、「カーボンプライス」、「炭素生産性」、「温暖化対策による社会・経済問題の同時解決」の4点について最終的な意見表明を行った。これらは既に過去の小委員会でも再三コメントさせていただいており、基本的に繰り返しになってしまうのだが、用意いただいた最終案でも随所にこれらの記載が残っていたこともあり、筆者として「ビジョン(案)」の記述に全面的に同意したわけではなく、遺憾の意を表明したという事実を議事録に残すためにも、再度意見表明をさせていただいたものである。

 「最初に、カーボンバジェットに関する議論ですが、これは気温上昇を2℃に抑えるために地球全体の累積排出量に何らかの上限があるということはそのとおりだと思います。ただそれが、1兆トンなのか、何トンなのかということに関しては、IPCCを含めて科学的なコンセンサスは存在していないというのが私の理解でございます。といいますのも、この1兆トンのカーボンバジェットの計算というのは、IPCCの第5次報告書の中で想定されている、気候感度の推計値に1.5℃~4.5℃という幅がある中で、最適推計値についてのコンセンサスが得られなかった結果、ひとつ前の第4次報告書で「気候感度が66%の確率で2.0~4.5℃の範囲に存在し、最適推計値は3℃」とされていることからやむを得ずこれを使って持ってきた数字だというふうに認識しております。
 そうしますと、実はこの気候感度をどう置くべきかということに関する、あるいはその確率分布がどうなっているかという点について、科学者の間で未だコンセンサスが得られていないわけですので、そこから推計されたカーボンバジェット1兆トンといった数字にこだわるということは適切ではないわけです。先ほど他の委員の方からも、絶対的な数値にはまだまだ不確実性があるとおっしゃっていましたけれども、そのとおりだと思います。
 そういう意味で、「ビジョン(案)」の記述の中で、「科学の要請に基づいて世界のカーボンバジェット1兆トン」とした上で、日本の対策水準を自己規定して、排出総量規制を設定した上で対策を強化していく、あるいはバックキャスト的に強化していくという考え方は、ちょっと行き過ぎではないかと思います。ここでは累積排出量に上限があるということを参考にしつつ、対策を強化していくということぐらいにとどめたほうが良いのではないかと思います。
 それから、それと関連してですが、P36にある「環境政策の予防原則」に関する記述ですが、ここでも1兆トンのカーボンバジェットを仮定して、これが66%の確率で2℃を達成するための限界であるということを前提に、我が国の温暖化対策を強化していくといった上でそれを、「国民の環境保全上の支障が未然に防がれる」ように対策するという原則と繋げようとすると、無理があるのではないのかと思います。といいますのも、仮に2℃目標を世界が共有したとしましても、各国がどういう対策を実施していくかということについては、政治的な不確実性がさらに上乗せされるわけでございまして、そういう観点で、我が国が対策を強化したとしても、それがどういう確率で「我が国国民の環境保全上の支障を未然に防ぐ」ことにつながるかということに関しては、非常に慎重な検討を要するのではないかと思います。
 一言で言いますと、温暖化対策はグローバルな課題でございますので、国内法の枠の中だけで、国民の「環境保全上の支障を未然に防ぐ」ことは難しいわけです。この「環境政策の予防原則」とあわせまして、国際的な協調と同調の中でバランスをとった国内対策の強化を図っていくということが必要だ、という観点に行き着くのではないかというふうに思います。」

 そして再びカーボンプライス導入の是非である。いままで筆者を含む産業界を代表した委員から、カーボンプライス制度の導入については、その意義や期待される効果、既存制度との関係などを精査する必要があり、慎重に検討すべきとの発言を繰り返してきたのだが、この最終案でも「できるだけ早期に導入することが期待される」と記載されてしまっている。繰り返しになるが、既に様々な明示的、暗黙的なカーボンプライシング制度が存在する中で、日本にこれから「追加的に」カーボンプライスを導入することの意味や是非について、あらためて筆者の考え方について発言させていただいた。

 「それから、53ページ~60ページに、カーボンプライスに関して、非常に多くのページを割いて論考を展開していただいておりますけども、この中で、59ページに、「できるだけ早期に効果あるカーボンプライスを導入することが期待される」と書かれております。一方で、54ページ辺りでは、暗示的な炭素価格の存在、あるいは実効炭素価格といった概念が紹介されているのですけども、現実に我が国には、既にエネルギー諸課税、あるいは省エネ法等のさまざまな暗示的な炭素価格制度が存在しているわけでして、その件についても一部には記述がなされております。また、税率が小さいとはいいましても、平成24年から、地球温暖化対策税も既に導入されているわけです。そうしますと早期に導入することを期待する以前に、まずは既にある明示的、暗示的炭素価格が、我が国の温室効果ガスの排出削減、あるいは省エネ投資、エネルギー効率化等に、どのような効果をもたらしてきているのか、あるいはもたらさなかったのかということを評価するのが先ではないかと思います。その上で今後カーボンプライスを上乗せ・強化するときに、どのような限界的な効果の上乗せにつながるのかについても分析が必要です。また、国際的な産業競争力を維持するためのイコールフッティング、あるいはレベルプレイングフィールドの確保が可能なのかといったことを定量的に分析・評価した上で、導入・強化の是非を慎重に議論するべきだと考えております。
 地球温暖化対策税の効果につきましては、参考資料注1)の151ページに書かれていますが、この費用対効果の数字に関しましては以前も指摘させていただきましたが、ここに書かれている数字と、資源エネルギー庁が省エネ小委員会で出された数字に大きな乖離がございまして、必ずしも政府の中できちんと統一された評価がなされているとは見受けられません。そういう意味で、きちんとカーボンプライスによる価格効果、財源効果を含めた定量的な評価を行うことが、拙速な導入議論よりも先に来るのが筋ではないかと思います。
 それから、カーボンプライスは、経済理論的には正しいと思いますが、あくまで世界全体で全てのセクターに共通に賦課され、市場内で自然調整が図られる場合に、有効に機能するわけです。また、交易のある経済圏全体で同水準のカーボンプライスが導入された場合に有効に機能する話だと思います。そういう意味で、EUのエミッション・トレーディング・スキームなどは、域内での交易が6割に達していますので、それなりに機能することが期待されると思いますけども、現実の世界では今申し上げたような条件が必ずしも満たされないために、期待された効果が発現しないケースが多いということが、IPCCの第5次報告書ワーキンググループ3の第15章で指摘されております。IPCCの科学の要請に従うということを原則としますと、こうした評価も真摯に受け止めて、慎重な検討をしていただくことを期待したいと思います。
 日本の交易はアジアと北米が7割を占めておりまして、仮にカーボンプライシングを導入、強化するということであれば、こうしたアジア、北米地域との公平な貿易・競争環境(レベル・プレイング・フィールド)を確保することを前提とした水準にするということでないと、我が国の産業競争力が失われるだけではなくて、カーボンリーケージが発生して、地球規模の排出増加を引き起こしかねず、「我が国国民の環境保全上の支障を未然に防ぐ」ことにつながらないのではないかと危惧いたします。」

 次に「炭素生産性」である。これは、1月19日の第11回小委員会で示された「基本的な考え方」を支える概念として唐突に紹介されたもので、その際には、国情やエネルギーの需給構造、技術の実情をふまえない単純な国際比較に基づいて、日本の炭素生産性の向上が停滞しているといった評価は適切でないとの旨を指摘してきたのだが、遺憾ながらこの最終案でも依然として我が国の炭素生産性が見劣ることが引き続き指摘されていた。これについても、繰り返しになるがデータの解釈に関する論点含めて、あらためて反論させていただいた。

 「次に、54、56ページ辺りに、炭素生産性に関する分析、指摘がなされております。参考資料のほうにも幾つかグラフが紹介されていますけども、この参考資料の表現を引用しますと、「実効炭素価格が高い国は炭素生産性が高く、1人当たり排出量も少ない傾向にある」とされています注2)。ここでは、2012年度の単年度の各国の炭素価格と生産性の相関図を示して、こういう記述がなされていますが、この図からは相関関係があることは見えましても、必ずしも因果関係があるとは言えないと思われます。

(出典:環境省「長期低炭素ビジョン」参考資料集 P150)

(出典:環境省「長期低炭素ビジョン」参考資料集 P150)

 実際に因果関係があるかどうかということを見ようとしますと、炭素価格が導入された、あるいは強化された後の炭素生産性の改善率を各国で比較する必要があります。この資料等で優等生とされています北欧諸国等の炭素税が導入されたのは90年以降ですけども、90年~2014年までの実効炭素価格と炭素生産性の改善率の間には、全く相関が見られません。また、EUで排出権取引が導入された2005年以後、2014年までの炭素生産性の改善率を見ますと、これも実効炭素価格との間で相関は見られません注3)。つまり、こうした国々では炭素価格を導入したから炭素生産性が改善したのではなくて、何か別の理由でもって炭素生産性が改善したということが示唆されるわけでございます。

(出典:経済産業省「長期地球温暖化対策プラットフォーム報告書」P74)

(出典:経済産業省「長期地球温暖化対策プラットフォーム報告書」P74)

 そうしますと、日本が今後大幅に炭素生産性を上げていかなければならないということは事実だと思いますけども、こういった国々で(炭素価格以外の)どういった要因で改善がなされてきたのかということを、精査・分析することが非常に重要なテーマであり、これもカーボンプライス導入に検討に当たり慎重な検討が必要なテーマの一つかと思います。」

注1)
http://www.env.go.jp/council/06earth/y0618-13/mat04.pdf
注2)
「長期低炭素ビジョン(案)参考資料集」P142(2017年3月1日 第13回長期低炭素ビジョン小委員会配布資料)
注3)
「長期地球温暖化対策プラットフォーム報告書」平成29年4月7日経済産業省P73~4 「明示的カーボンプライシング導入による「炭素生産性」の変化」参照
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