MENUMENU

環境省「長期低炭素ビジョン」解題(4)


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)


印刷用ページ

※ 環境省「長期低炭素ビジョン」解題()、()、(

最後の論点

 以上の論点に加えて、最終ドラフトとして示された「長期低炭素ビジョン(案)」について、筆者からはあらためて「カーボンバジェット」、「カーボンプライス」、「炭素生産性」、「温暖化対策による社会・経済問題の同時解決」の4点について最終的な意見表明を行った。これらは既に過去の小委員会でも再三コメントさせていただいており、基本的に繰り返しになってしまうのだが、用意いただいた最終案でも随所にこれらの記載が残っていたこともあり、筆者として「ビジョン(案)」の記述に全面的に同意したわけではなく、遺憾の意を表明したという事実を議事録に残すためにも、再度意見表明をさせていただいたものである。

 「最初に、カーボンバジェットに関する議論ですが、これは気温上昇を2℃に抑えるために地球全体の累積排出量に何らかの上限があるということはそのとおりだと思います。ただそれが、1兆トンなのか、何トンなのかということに関しては、IPCCを含めて科学的なコンセンサスは存在していないというのが私の理解でございます。といいますのも、この1兆トンのカーボンバジェットの計算というのは、IPCCの第5次報告書の中で想定されている、気候感度の推計値に1.5℃~4.5℃という幅がある中で、最適推計値についてのコンセンサスが得られなかった結果、ひとつ前の第4次報告書で「気候感度が66%の確率で2.0~4.5℃の範囲に存在し、最適推計値は3℃」とされていることからやむを得ずこれを使って持ってきた数字だというふうに認識しております。
 そうしますと、実はこの気候感度をどう置くべきかということに関する、あるいはその確率分布がどうなっているかという点について、科学者の間で未だコンセンサスが得られていないわけですので、そこから推計されたカーボンバジェット1兆トンといった数字にこだわるということは適切ではないわけです。先ほど他の委員の方からも、絶対的な数値にはまだまだ不確実性があるとおっしゃっていましたけれども、そのとおりだと思います。
 そういう意味で、「ビジョン(案)」の記述の中で、「科学の要請に基づいて世界のカーボンバジェット1兆トン」とした上で、日本の対策水準を自己規定して、排出総量規制を設定した上で対策を強化していく、あるいはバックキャスト的に強化していくという考え方は、ちょっと行き過ぎではないかと思います。ここでは累積排出量に上限があるということを参考にしつつ、対策を強化していくということぐらいにとどめたほうが良いのではないかと思います。
 それから、それと関連してですが、P36にある「環境政策の予防原則」に関する記述ですが、ここでも1兆トンのカーボンバジェットを仮定して、これが66%の確率で2℃を達成するための限界であるということを前提に、我が国の温暖化対策を強化していくといった上でそれを、「国民の環境保全上の支障が未然に防がれる」ように対策するという原則と繋げようとすると、無理があるのではないのかと思います。といいますのも、仮に2℃目標を世界が共有したとしましても、各国がどういう対策を実施していくかということについては、政治的な不確実性がさらに上乗せされるわけでございまして、そういう観点で、我が国が対策を強化したとしても、それがどういう確率で「我が国国民の環境保全上の支障を未然に防ぐ」ことにつながるかということに関しては、非常に慎重な検討を要するのではないかと思います。
 一言で言いますと、温暖化対策はグローバルな課題でございますので、国内法の枠の中だけで、国民の「環境保全上の支障を未然に防ぐ」ことは難しいわけです。この「環境政策の予防原則」とあわせまして、国際的な協調と同調の中でバランスをとった国内対策の強化を図っていくということが必要だ、という観点に行き着くのではないかというふうに思います。」

 そして再びカーボンプライス導入の是非である。いままで筆者を含む産業界を代表した委員から、カーボンプライス制度の導入については、その意義や期待される効果、既存制度との関係などを精査する必要があり、慎重に検討すべきとの発言を繰り返してきたのだが、この最終案でも「できるだけ早期に導入することが期待される」と記載されてしまっている。繰り返しになるが、既に様々な明示的、暗黙的なカーボンプライシング制度が存在する中で、日本にこれから「追加的に」カーボンプライスを導入することの意味や是非について、あらためて筆者の考え方について発言させていただいた。

 「それから、53ページ~60ページに、カーボンプライスに関して、非常に多くのページを割いて論考を展開していただいておりますけども、この中で、59ページに、「できるだけ早期に効果あるカーボンプライスを導入することが期待される」と書かれております。一方で、54ページ辺りでは、暗示的な炭素価格の存在、あるいは実効炭素価格といった概念が紹介されているのですけども、現実に我が国には、既にエネルギー諸課税、あるいは省エネ法等のさまざまな暗示的な炭素価格制度が存在しているわけでして、その件についても一部には記述がなされております。また、税率が小さいとはいいましても、平成24年から、地球温暖化対策税も既に導入されているわけです。そうしますと早期に導入することを期待する以前に、まずは既にある明示的、暗示的炭素価格が、我が国の温室効果ガスの排出削減、あるいは省エネ投資、エネルギー効率化等に、どのような効果をもたらしてきているのか、あるいはもたらさなかったのかということを評価するのが先ではないかと思います。その上で今後カーボンプライスを上乗せ・強化するときに、どのような限界的な効果の上乗せにつながるのかについても分析が必要です。また、国際的な産業競争力を維持するためのイコールフッティング、あるいはレベルプレイングフィールドの確保が可能なのかといったことを定量的に分析・評価した上で、導入・強化の是非を慎重に議論するべきだと考えております。
 地球温暖化対策税の効果につきましては、参考資料注1)の151ページに書かれていますが、この費用対効果の数字に関しましては以前も指摘させていただきましたが、ここに書かれている数字と、資源エネルギー庁が省エネ小委員会で出された数字に大きな乖離がございまして、必ずしも政府の中できちんと統一された評価がなされているとは見受けられません。そういう意味で、きちんとカーボンプライスによる価格効果、財源効果を含めた定量的な評価を行うことが、拙速な導入議論よりも先に来るのが筋ではないかと思います。
 それから、カーボンプライスは、経済理論的には正しいと思いますが、あくまで世界全体で全てのセクターに共通に賦課され、市場内で自然調整が図られる場合に、有効に機能するわけです。また、交易のある経済圏全体で同水準のカーボンプライスが導入された場合に有効に機能する話だと思います。そういう意味で、EUのエミッション・トレーディング・スキームなどは、域内での交易が6割に達していますので、それなりに機能することが期待されると思いますけども、現実の世界では今申し上げたような条件が必ずしも満たされないために、期待された効果が発現しないケースが多いということが、IPCCの第5次報告書ワーキンググループ3の第15章で指摘されております。IPCCの科学の要請に従うということを原則としますと、こうした評価も真摯に受け止めて、慎重な検討をしていただくことを期待したいと思います。
 日本の交易はアジアと北米が7割を占めておりまして、仮にカーボンプライシングを導入、強化するということであれば、こうしたアジア、北米地域との公平な貿易・競争環境(レベル・プレイング・フィールド)を確保することを前提とした水準にするということでないと、我が国の産業競争力が失われるだけではなくて、カーボンリーケージが発生して、地球規模の排出増加を引き起こしかねず、「我が国国民の環境保全上の支障を未然に防ぐ」ことにつながらないのではないかと危惧いたします。」

 次に「炭素生産性」である。これは、1月19日の第11回小委員会で示された「基本的な考え方」を支える概念として唐突に紹介されたもので、その際には、国情やエネルギーの需給構造、技術の実情をふまえない単純な国際比較に基づいて、日本の炭素生産性の向上が停滞しているといった評価は適切でないとの旨を指摘してきたのだが、遺憾ながらこの最終案でも依然として我が国の炭素生産性が見劣ることが引き続き指摘されていた。これについても、繰り返しになるがデータの解釈に関する論点含めて、あらためて反論させていただいた。

 「次に、54、56ページ辺りに、炭素生産性に関する分析、指摘がなされております。参考資料のほうにも幾つかグラフが紹介されていますけども、この参考資料の表現を引用しますと、「実効炭素価格が高い国は炭素生産性が高く、1人当たり排出量も少ない傾向にある」とされています注2)。ここでは、2012年度の単年度の各国の炭素価格と生産性の相関図を示して、こういう記述がなされていますが、この図からは相関関係があることは見えましても、必ずしも因果関係があるとは言えないと思われます。

(出典:環境省「長期低炭素ビジョン」参考資料集 P150)

(出典:環境省「長期低炭素ビジョン」参考資料集 P150)

 実際に因果関係があるかどうかということを見ようとしますと、炭素価格が導入された、あるいは強化された後の炭素生産性の改善率を各国で比較する必要があります。この資料等で優等生とされています北欧諸国等の炭素税が導入されたのは90年以降ですけども、90年~2014年までの実効炭素価格と炭素生産性の改善率の間には、全く相関が見られません。また、EUで排出権取引が導入された2005年以後、2014年までの炭素生産性の改善率を見ますと、これも実効炭素価格との間で相関は見られません注3)。つまり、こうした国々では炭素価格を導入したから炭素生産性が改善したのではなくて、何か別の理由でもって炭素生産性が改善したということが示唆されるわけでございます。

(出典:経済産業省「長期地球温暖化対策プラットフォーム報告書」P74)

(出典:経済産業省「長期地球温暖化対策プラットフォーム報告書」P74)

 そうしますと、日本が今後大幅に炭素生産性を上げていかなければならないということは事実だと思いますけども、こういった国々で(炭素価格以外の)どういった要因で改善がなされてきたのかということを、精査・分析することが非常に重要なテーマであり、これもカーボンプライス導入に検討に当たり慎重な検討が必要なテーマの一つかと思います。」

注1)
http://www.env.go.jp/council/06earth/y0618-13/mat04.pdf
注2)
「長期低炭素ビジョン(案)参考資料集」P142(2017年3月1日 第13回長期低炭素ビジョン小委員会配布資料)
注3)
「長期地球温暖化対策プラットフォーム報告書」平成29年4月7日経済産業省P73~4 「明示的カーボンプライシング導入による「炭素生産性」の変化」参照
次のページ:環境と経済の両立

環境と経済の両立

 本委員会では、当初から「環境と経済の両立」を意識してか、温暖化対策を強化することで、経済成長の加速やその他日本の抱える様々な社会問題の同時解決を図る、という方向性が示されていた。環境問題だけを改善したとしても、それが経済の足を引っ張り国民生活に支障をもたらしたり、健康や福祉、高齢化といった他の問題に対処するための原資を奪うのでは、国民から温暖対策への継続的な支持を受けることが不可能なので、これは正しい方向性を示すものと言える。問題は、本当に温暖化対策の強化と経済・社会問題の改善が両立できるのか、言い換えればどうやって両者を両立させるのかということが、実は簡単ではないという所にある。
 もし温暖化対策を強化することで経済が発展し、社会問題が解決できるというのであれば、各国がこぞって自発的に対策の強化を打ち出し、国連の気候変動交渉が何十年にもわたって紛糾することはないだろう。両者の間に乗り越えがたいトレードオフ(相反)の関係があり、どうバランスをとって進めていくかに各国とも苦労しているというのが温暖化対策の現実である。その点、本「ビジョン」の最終案では両者があたかも容易に両立するかのような、「バラ色」のシナリオが楽観的に描かれており、筆者としては強い違和感を感じざるを得なかった。その点につき、最後に指摘させていただいた。

 「最後に、この報告書で、「気候変動問題への対処をきっかけとして、社会・経済問題の同時解決を図っていく」ということが記述されております注4)。これは、非常にすばらしい概念だと思いますし、現実に我が国が抱えている問題が多々ある中で、気候変動対策と同時にそれらの解決が図れれば理想的な姿だろうと思います。この点が強調されていることは非常に高く評価したいと思いますが、一方で温暖化対策という条件がなくても、こうした社会経済問題、少子高齢化、地方過疎化、経済の低迷といった問題は大きなチャレンジなわけでして、温暖化対策という複雑な課題をさらに上乗せして同時解決を図るというのは、極めて大きなチャレンジになるだろうと思います。場合によっては、これらの課題の間でトレードオフの関係が生じる懸念もありまして、例えばカーボンプライシングの強化が無理な温暖化対策の強化ということになってしまいますと、国民の生活コストが増し、失業を招き、経済再生の足を引っ張るだけではなくて、福祉財源も奪うといった懸念も出てきます。何よりも本「ビジョン(案)」が冒頭で述べている「将来世代を守る」注5)という点に関して、そもそもそうした過剰なストレスを掛けられた社会では、そもそも将来世代が生まれてこなくなるという悪循環に陥りかねないと思います。
 ここで提言されているように温暖化問題と日本の社会問題の同時解決を実現するためには、革新的な省エネ技術の開発・普及、あるいは化石燃料よりも安価で安定供給可能な低炭素エネルギー創生技術が必要になるわけですけれども、残念ながら我々はいまだそうした技術を持ち合わせてはいないと思います。現実に、低炭素エネルギーがいまだ高コストであるということは53ページ以後で、対策にはカーボンプライスが必要であるということが記述されていることからも、本「ビジョン(案)」の中で共有されていると思います。そういう意味で同時解決を可能とする革新的な創エネ・省エネ技術、あるいは社会運営や消費行動を含めたイノベーションを一刻も早く起こすことこそが大きな政策的な課題だと思います。いまだ高コストな技術を未熟な段階で無理に政策的に導入して社会に負担をかける、例えばFIT制度のように長期にわたって高コストを固定化、ロックインするといったカーボンプライス政策は、今後必要とされる企業の研究開発の原資を奪い、本来あるべき対策の遅滞を招きかねないので、採用するべきではないと思う次第でございます。
 そういう意味で、お示しいただいた概要版注6)のほうで5ページにわたってイノベーションに関わる紹介がなされているといことは、方向性としては非常に正しいと思っております。ただ、この概要版でも、カーボンプライシングが方向性として重要ということが書かれていますが、これについては有効性、必要性、あるいは限界的な効果に関して慎重に検討を進めるという記述にしていただくか、あるいは注記として「異論もある」ということも併記していただきたいと考える次第でございます。」

 筆者の以上の発言に対して、ある学識経験者の委員から「カーボンプライスがかかることで、企業の研究開発原資が奪われることを示す論文は見たことがない」との反論が示されたが、ここで本委員会では珍しく、筆者に「再反論」の機会が与えられた。本委員会では委員の人数が多い中、各委員会ら活発な発言がなされるため、時間制約もあって基本的に各委員の発言機会は1回しかなく、従って自分の発言順が先になってしまうと、後から発言機会の回って来た異なる意見を持つ委員によって反論や否定的見解が示されることで、自分の発言が上書きされてしまうという不満があったのだが、この最終とりまとめの第13回小委員会では、委員長の寛大な判断で、時間を延長して再度発言をする機会を与えていただいたので、再反論を含めて最後の発言をさせていただいた。

 「先ほど、日本の企業が炭素価格、カーボンプライシングを課されることで研究開発の原資を奪われていることを示す論文は1本もないというお話がありましたが、これは多分、研究対象としてあまり面白くないので、そういうことを最近研究発表されている先生がおられないのではないかと思いますが、私の知っている事実を申し上げます。記憶にある数字だけなので正確な数字ではないかもしれませんが、例えば日本鉄鋼連盟の会員会社は、京都議定書の第一約束期間の間に、その目標達成のために、海外の京都クレジット1,000億円以上を購入しております注7)。最終的には、リーマンショック等で生産量が落ちたというようなこともあって、そうした排出権は必要なくなったのですけども、この1,000億円というのは、現在、我々が毎年省エネのために投資している総投資額に匹敵する規模の金額注8)だと思われますので、そういう制約がなければ、別な投資に使われていた可能性はあったのだろうと思います。
 最後に、あまり暗い話ばっかりしていても恐縮なので、温暖化対策の現実を少しご紹介したいと思います。先週私は、日本、インドの鉄鋼関係の技術協力の会議注9)でインドに行っていたのですが、インドの鉄鋼省の局長さんから、インドは2025年までの発展計画の中で、太陽光パネルを大量に入れる方針ということを伺う一方で、高炉法による粗鋼生産量を今の年間1億トンから3億トンに伸ばすということも国家目標として掲げているということを伺いました。高炉法により粗鋼生産が2億トン増えるということは、CO2排出量で言うと約4億トン増える、つまり日本の総排出量の40%ぐらいが新規にインドの鉄鋼業からだけで毎年新たに排出されることが、インドの国家目標に入っているわけです。そうした現実の中で我々ができることは何かということを模索しているわけですけども、国内での対策として今、鉄鋼連盟が掲げています削減目標は、2030年までにBAU排出量から900万トン下げるということになっています。この数字は今ある最新の環境技術に加えて、今後開発を目指す革新的技術を最大限導入して初めて達成できる目標としてお示ししているのですけども、今後インドで増えるCO2排出量4億トンを日本の省エネ技術で10%改善するだけで4,000万トンも減るわけです。この点こそが我々のなすべきことだと考えて、過去6年間、私がたまたま座長をやっている日印鉄鋼官民協力会合の場を通じて、インドの鉄鋼業に対して、どうやったらその10%の省エネができるか、CO2排出削減ができるかという、さまざまな技術のメニューを提示して、彼らも納得した上で、ぜひそういうものを導入していこうという話までこぎつけているわけです。こういうことを積み上げていくことこそが、地球温暖化問題を抑止していく上で我々のできる一番大きな貢献ではないかと考えております。そういう意味で、この「長期低炭素ビジョン」の中で、技術のイノベーション、あるいは技術普及、それも国内だけではなく世界への普及ということを書かれているのは、我々としては非常に心強く思いますし、ぜひそういう活動について、今後とも日本政府に支援していただきたいと考えておる次第でございます。」

 以上が「長期低炭素ビジョン」小委員会に委員として参加してきた筆者から見た「ビジョン」とりまとめに向けたプロセスの記録である。この「ビジョン」の完成版は本年3月に環境省のホームページに掲載され、本文、参考資料編、概要編ともダウンロードできるようになっている。カーボンプライス、カーボンバジェット、炭素生産性、環境と経済の同時解決といった筆者から問題点を指摘させていただいた様々な論点については、残念ながら本文にほぼそのまま残ってしまっているが、一方で様々な異論があったことについては脚注に縷々記載されており、一応発言は両論併記という形で「汲み取っていただけた」ようである。

注4)
「長期低炭素ビジョン(案)」P27 (1)気候変動対策をきっかけとした経済・社会的諸課題の「同時解決」
注5)
「長期低炭素ビジョン(案)」P3 はじめに 冒頭
注6)
http://www.env.go.jp/council/06earth/y0618-13/mat03.pdf
注7)
日本の鉄鋼業全体で京都議定書第一約束期間へ対応するために購入したCDM排出権は約5900万トン。取得価格を15ユーロとした場合8.8億ユーロで1000億円を超える。(日本鉄鋼連盟調べ)
注8)
日本の鉄鋼業が2005年から2015年に行った省エネ、合理化投資は累計で1.4兆円であり、年平均1400億円となる。(平成28年産業構造審議会鉄鋼ワーキンググループ報告資料)
注9)
第7回日印鉄鋼官民合同協力会合

エピローグ:スティグリッツ教授のメッセージ

 環境省はこの「長期低炭素ビジョン」最終版を取りまとめて発表した後、今年度に入って議論を継続する方針を示し、あらためて「長期低炭素ビジョン小委員会」を再開し、引き続き有識者ヒアリングを行っていく方針を示した。またその一方で、カーボンプライスに関しては、学識経験者のみから成る「カーボンプライシングのあり方に関する検討会」を新規に立ち上げている注10)。その設置の主旨を示した『「カーボンプライシングのあり方に関する検討会」の設置について』(平成29年6月29日第一回検討会 資料2)の中では、
 「3 月に中央環境審議会地球環境部会においてまとめられた「長期低炭素ビジョン」でも、「長期大幅削減に向けたイノベーションを生み出す国内での取組を加速化する上でいかなる制度の在り方が我が国にとって適しているか、具体的な検討を深める時期に来ている。」とされたところである。」
とした上で、
 「有識者から構成される「カーボンプライシングのあり方に関する検討会」を設置し、有識者、経済界等からの意見も聴取しつつ、長期大幅削減と経済・社会的課題の同時解決に資するような我が国のカーボンプライシングの活用のあり方について、大局的な見地から論点を整理し、様々な方向性について検討を加える。」
としている。あくまでカーボンプライシングを今後日本で導入していくことを目指して、検討準備を続けていくということのようである。
 実は昨年度の「長期低炭素ビジョン小委員会」では、「ビジョン」の最終とりまとめを行った第13回小委員会の後、追加的に3月16日に第14回小委員会が開催された。そこではノーベル経済学賞を受賞し、世界的に高名な経済学者であるジョセフ・スティグリッツ コロンビア大学教授をゲストに招き、ご講演をいただいた。同教授は持論として、気候変動問題への対処のためには、世界的にCO2排出トン当たり50~100ドル程度のカーボンプライスの導入が有効であるとの主張をされており、同様の考えをもつ学識経験者があつまって、国際的な検討が進められている注11)。当日の講話の中でも同教授は、そうしたカーボンプライスを歳入・支出中立の形で導入することで、つまり税収を所得税減税の形で全額社会に還元することで、社会全体で環境投資が喚起されて、企業投資が低迷する日本経済にとってもプラスになるだろうという論を展開された。
 この講話に関して小委員会の場で、筆者とスティグリッツ教授の間で交わされた質疑応答について、最後に紹介させていただく。

 筆者「先生がおっしゃっているこのカーボンプライシングの有効性については、そのとおりだろうと思います。逆に言いますと、実は日本は、このカーボンプライシングを過去40年にわたって非常にうまく使って今日に至っている国じゃないかと思っています。といいますのは、日本の場合、化石燃料への上流課税として石油・石炭税というのを1978年から導入しておりまして、現在、年間の税収が5,000億円超の規模になっています。これが毎年税収として入ってきて、その半分を省エネ対策、研究開発補助金等に使っております。それゆえ、産業ベースで比較したとき、日本企業の総合的なエネルギー効率は世界トップクラスになっており、日本の自動車の燃費も世界でトップクラスを達成しているのではないかと思うわけです。そういう意味で、日本は既にカーボンプライシングが有効に機能している国なのではないかと思います。
 問題は現状でこのエネルギー諸税に加えてさまざまな税金あり、エネルギーにかかっている税金は日本全体で4.8兆円になっています。これを日本のエネルギー起源のCO2排出量の11億トンで割り戻しますと、CO2トン当たり4,000円のカーボンプライスが、既に日本社会にはかかっています。先生のおっしゃっているカーボンプライシングですが、これをどこまで上げることによって、どれだけの限界的なリターンがあるというふうにお考えでしょうか?つまり、日本はかなりの省エネを既にやってきてしまっている中で、限界的にどういうリターンを求めることができると思われるかということについて、ご見解を教えていただきたいと思います。」

 ジョセフ・スティグリッツ教授「はい、いい質問ですね。今おっしゃったところは、幾つかのポイントを強調していらっしゃると思うからです。
 今おっしゃったように、エネルギーに高い価格を、例えば石油に対しては高い価格を設定してきたということ、これに対してその影響があったということで、炭素価格は機能したということです。ただこれは、全ての経済のセクターに満遍なく適用されるべきものなわけです。それがまず第1点ですね、この炭素価格というのは。
 それから、炭素価格の一部(註:ガソリン税)は、道路への投資と結びつけられてきました。つまり公共輸送機関にではなくて、道路建設に紐づけられていたりしました。エネルギーを削減するための公共輸送機関にはならなかったということです。そして、そのインフラの部分が必ずしもそれに対応するものでなかったということです。ですから紐づけをやめて、より均一に、全体に影響が行くようにしなければなりません。そして価格としてはもっと高くしなければいけないと思っています。この点については、まだ(国際検討)委員会のほうでも合意を見ていませんけれども、コンセンサスとしては大体CO2 1トン当たり50から100ドルという数字です。まあ、日本の現状よりも少し高い数字でしょうか。
 それがもう一つの点につながるのですけれども、日本が本当の意味での炭素価格の制度を入れるとなりますと、既にここまでなさっている、多分7割~8割ぐらいまではもうやっていらっしゃるわけですから、ほかの国に比べたら、それほどやりにくい、苦しいことでもないかもしれないということです。もしかしたらほかの国にとって、(日本は)模範になれるかもしれないと思います。
 それからこの非明示的な価格というのも全体のストーリーの中で重要な部分を果たしていると思います。やはり化石燃料の使用を何とか減らしたいというのが我々の目的ですから。それは日本では非常に高いですよね、輸入しなければならないわけですから。それからまた規制もあります。また、暗示的な価格といったものもあったりします。よく議論するのが、例えば街の設計もこの暗示的な形で炭素価格を使っていると言えるかもしれません。というのも、街づくりということによって例えば人口密度が高くなったりということになります。それから公共輸送機関、これも公共投資なわけですが、考えてみると結局人々が個人の車ではなくて公共輸送機関を使うようにと促進をすることは、炭素の排出が減るわけです。
 その費用便益の比較をしますと、公共輸送機関のほうがいいということです。つまり、非明示的なやり方ではありますけれども、これでも結局はやりたいことにつながるわけですから、目的に近づくわけですからいいことです。よりグリーンな経済へのビジョンを達成するために、非明示的な形であってもいいと思います。というのも、民間の人々の振る舞いにそれが影響を及ぼすわけですから。ですからそういった全体のバランスといったものを見失わないことが重要だと考えます。

 つまりスティグリッツ教授は、日本のカーボンプライシングについては、世界に先駆けて既に「必要と思われる水準の7~8割まで」実施されており、「他国の模範になれる」と発言されているわけである。ただ、日本だけがこの高い水準のカーボンプライスを交易相手国に先駆けて一方的にかけ続け、ましてや今後その引上げを図ろうとすれば、当然国際競争力の低下という懸念が生じることになる。同教授が推奨しているのは、「世界全体で」共通に50~100ドル/CO2-t のカーボンプライスをかけていくということなので、先行している日本のなすべきことは、既に7~8割の水準を達成している国内でさらに税率を引き上げるということよりも前に、周辺諸国や交易相手国に対して、まずは日本と同水準のカーボンプライシングを導入するように促していくことだろう。
 他国に対して相対的に高コストの輸入エネルギーを使わざるを得ない上に、そうしたエネルギー使用に対して高率のエネルギー税が既に課されているという現実の中でも、省エネルギーによってそのコストハンデを緩和して、様々な優れた工業製品を国際社会に輸出し続ける競争力を維持している日本の産業構造とそれを支える技術は、今後近代化、工業化を進めていくことを目指すインドや東南アジアの新興国にとって、「環境と経済を両立」させた発展を実現するためのモデルを示しているということができる。まさにスティグリッツ教授がおっしゃる通り、日本はそうした国々に対して「模範になれるのかもしれない」のである。われわれは先ずこのことをきちんと認識し、正しい国際的な立ち位置を確認した上で、地球環境と経済の両立という、全ての国が希求する問題に対して、日本としていかに貢献できるか、そのような模範を示せるかについて自問自答する必要がある。その上で日本として、地球規模での温暖化問題の解決に向けて、国内対策に焦点を当てた「長期低炭素ビジョン」を超えて、どのような国際的な「長期ビジョン」を世界に対して提唱していくことができるか、ということこそが問われることになるのである。

注10)
http://www.env.go.jp/earth/ondanka/cp/arikata/index.html
注11)
“Report of the High-Level Commission on Carbon Pricing”(May 29, 2017, Carbon Pricing Leadership Coalition)
https://static1.squarespace.com/static/54ff9c5ce4b0a53decccfb4c/t/59244eed17bffc0ac256cf16/1495551740633/CarbonPricing_Final_May29.pdf