書評:「小説 原子力規制の舞台裏」
― 官僚の限界、内部からの告発
石井 孝明
経済記者/情報サイト「withENERGY」(ウィズエナジー)を運営

・著者:東方 義博
・出版社:エネルギーフォーラム
・発売日:2026/09/08
・ISBN10:4885555485
・ISBN13:978-4-88555-548-0
匿名官僚の内部告発
日本の原子力規制政策は多くの問題を抱える。それを担当した経産省の元官僚、そして工学博士である匿名著者が「小説 原子力規制の舞台裏」(東方義博著 エネルギーフォーラム刊、本体2500円)を9月に出版した。
2011年に東京電力の福島第一原発事故が起きた。事故には原子力規制当局の責任も当然あり、社会から大変な批判を受けた。その後に規制行政の体制は解体、作り直しとなった。2012年に独立性の強い原子力規制委員会が設置され、その下で原子力規制庁が実務を行なっている。
新しい規制当局の活動による厳格な規制で安全性が高まったことは社会的に評価されている。一方で、審査の長期化、対策の費用や手間などの経済性の検証不足、事業者との対話不足など、問題が指摘される。
また規制委員会の判断の妥当性を検証する仕組みがない。日本原電敦賀原子力発電所2号機は、2024年原子炉の下に活断層が存在する可能性があると規制委員会が判定し、規制基準の適合性の申請を不許可として、再稼働ができなくなってしまった。原電が審査のやり直しを求めている。原子炉を今新たに建設すると推定で1兆円を超える建設費用がかかる。その判断が間違っていたら、企業と受益者の国民の負担の責任をどうするのか。
こうした問題を抱える原子力規制の政策の問題点を、この本は組織内側から指摘している。原子力問題を知っている人には、あの問題が起きた時に、官僚機構内部ではどのようなことが起こり、何を当事者たちが考えていたかがわかる。興味深い答え合わせができるだろう。
福島事故前に失敗の集積があった
官僚は一般的に誤りを認めない。しかしこの本を読むと、規制政策ではミスや失敗が、福島事故前に累積していた。原子力発電所での全電源の喪失、想定外の津波による福島のような旧型炉の事故の危険は事前に指摘されていた。また過去の記録から、東北沿岸での地震で巨大な津波が発生する可能性を規制当局の担当者は認識していた。またシビアアクシデント(過酷事故)対策も検討されていた。しかし、それが法律や規制で形にならなかった。
著者は、新しくできた規制庁の規制もおかしいという。原子力規制を知らない文系幹部、警察官僚出身者などに牛耳られ、「ヒアリングで事業者を叩けば評価される特異な文化」を作ってしまったと批判する。
著者は原子力規制を適正にする解決策として、米国式の原子力規制を導入することが必要だと主張する。著者は、経産省から米国の原子力規制委員会(NRC)に出向した。そこでは規制当局が事業者に命令する態度はなかった。双方が専門家として、安全を高めるために、そして経済合理性を維持するために何が必要かを語り合い規制を一緒に作る。「規制者と被規制者が、相互に信頼しあった上で、規制者は被規制者を信頼するが確認する」(本書)姿勢があるという。そして楽しく勤務できたという。
著者は、その米国流の手法を日本に導入しようとする。しかし、そのためか規制のメインストリームから外れてしまう。福島事故の後で、制度づくりに協力し、米国式の考えを取り入れようとする。しかし、それもうまくいかず、逆に古巣の経産省から批判されてしまう。その結末に「無念」と繰り返す。
解決策は米国式規制か?
なぜそうした原子力規制改革の取り組みが挫折したのか。この本では、もう少し深掘りが必要だし、自らの責任を含めた失敗についての反省もほしい。小説形式にしたのはさまざまな理由があったと推察するが、できれば実名と正確な情報を知りたい。内幕を知る本としては価値があるが、小説として面白さは今ひとつだ。そして、この本を読むには原子力問題や過去の経緯にについて、ある程度の知識が必要だ。
また米国式の原子力規制が、日本の政治、行政になじむのかという疑問もある。米国の規制制度にある「相互に尊重する」という仕組みは、おかしなことをしたら官民双方が相手を訴える訴訟文化が背景にあり、相手の暴走を抑制している面があると思う。官民双方に行政訴訟を、嫌がる雰囲気がある日本では機能するのだろうか。
中部電力は浜岡原子力発電所の審査で、偽装した情報を規制当局に渡す、長期間の不正を働いていたという。全容解明は2026年9月時点でまだ途上だが、相手をだまそうとする行為を防ぐ手立てはない。米国式の規制にしても、こうした嘘は防げないだろう。
規制をめぐる自由な議論で改革を
安全を完全に確保できる完璧な原子力規制制度を作ることは難しい。しかし、それを目指して関係者が国民の支持を受けながら改善を続ける不断の努力をすることが必要だ。このままの原子力規制政策ではいけないと、問題を知る人は、どの立場の人の誰もが考えている。それなのに現在の状況を見ると、規制当局と事業者、国民の対話は乏しい。残念ながら、福島事故の熱が冷め、原子力の規制問題は、今では国民や政治の関心を集めなくなってしまった。
この本を読むと、原子力政策、原子力規制政策のこれまで、そしてこれからの問題点が見えてくる。官僚機構特有の無責任さ、無謬性へのこだわりという組織の問題に加え、官僚個人の問題の自己保身のための考えが、合理的な政策の遂行を妨げている面がある。
この本で、主人公は福島事故の一報を受けて事故処理に協力するために、出向していた大学から役所に戻ろうとする。すると一緒に出向していた官僚が言う。「役所なんかにいたら責任を取らされるぞ。賢い役人はそんなことはしない。事が起こった時は、通り過ぎるまでじっと潜んでいるのが身のためだ」。こんな意識の人が原子力規制に関わっていたなら残念だ。
構成員の意識の問題、また組織に内在する病は、どのような組織にもある。これを是正するのが、外からの意見、自由な議論に基づく正当な批評であろう。この本で示される当事者ゆえに知る情報は、そうした議論の材料になる。
日本の原子力の未来を考えるために、読む価値のある本であると思う。











