国の原子力広報がおかしい?

ー 能登半島地震の反省を ー


経済記者。情報サイト「&ENERGY」(アンドエナジー)を運営。

印刷用ページ

政策は「原子力の活用」なのに、政府は動かず

 「原子力の活用」。これが日本の原子力政策の方針だ。岸田文雄政権によって2023年2月10日にそのことを記した「GX実現に向けた基本方針」が閣議決定された。そこにしっかり書かれている。東京電力の福島第一原発事故から、原子力をめぐる国の政策は混乱した。この決定でそれが是正されると私を含めて、多くのエネルギー関係者が期待した。

 ところが、効果的な広報活動が政府によって行われていない。その基本方針は国民に知られていないし、福島事故でできてしまった原子力の悪いイメージを払拭するための活動も、積極的に行われていない。批判を恐れるためだろうか。政府の姿勢は前述の基本方針では「活用」と言っているのに、具体的には実行された事が少ないおかしな状況になっている。

 そして今年1月に発生した能登半島地震では、国がするべきときに適切な情報を公開していないため、原子力への不信が高まる状況になっている。特に、原子力規制委員会、原子力規制庁の広報体制は不適切と私は思う。それを検証してみよう。

安全を強調しない、おかしな広報

 2月27日の衆議院予算委員会分科会では、能登半島地震の政府の対応について議論を行った。元経産官僚の福島伸享議員(ふくしま・のぶゆき、有志の会、茨城)は、原子力規制委員会の初動のあり方について質問をした(エネルギーフォーラム「福島伸享・永田町だより」4月12日)。

 今年1月1日の午後4時10分に能登半島地震が発生した。規制庁では9分後には警戒本部が立ち上がっていた。大みそかから2人の同庁の職員が宿直しており、15分後には宿直者も含めて4人の職員が出勤していた。志賀原発でも、地震発生の10分後に現地に駐在する職員がオフサイトセンターに参集している。この速さは、ほとんど報道されていない。年末年始にこうした対応をできる点は、即応体制の面で規制庁は適切に動いている。福島議員もその点は評価した。


北陸電力志賀原子力発電所、石井撮影、2016年

 しかし規制委・規制庁の広報はおかしかった。規制庁はモニタリングポストの値に異常がなかったことを確認して同日に警戒体制を解いてしまう。震源地近くの北陸電力志賀原発、少し離れているが福井に多数ある原子力施設にも新潟の東京電力柏崎刈羽原発にも危険はなかった。1日の午後6時半と午後8時半に2回の記者ブリーフィングが行われた。その点は仕方ないだろう。しかしそれ以降は規制委・規制庁からは志賀原発の状況についての発信が積極的になされなかった。

リスク評価や説明なく 広報に国民感覚とのズレ

 志賀原発では1月2日以降、変圧器からの油漏れや使用済燃料プールの水の溢れ、敷地内でのひび割れなどが、北陸電力から広報された。そうした事象は、原子炉の安全に何にも関係がなかった。そもそも志賀原発は長期停止中で、燃料さえ装填されていない。

 それなのに、それらの情報を勝手に危険と解釈してネット上ではさまざまなデマが飛び交った。一部メディア、そして反原発活動家は、大事故があったかのように SNSで騒いだ。

 当事者の北陸電力、電気事業連合会は、強く反論した。ここで政府が、安全であると事実を示せば、騒ぎの落ち着きに一定の効果があっただろう。しかし、それを担うべき規制委・規制委は、積極的にデマを止めなかった。騒ぎは2月ごろまで長引いた。

 「情報発信を一元化」「初期段階でデマをただす」「正しい情報を繰り返し、発信する」「この事象は『安全である』など、リスク判定をした情報を積極的に流す」。これらが災害での広報で必要と、どのような専門家も語るし、私も正しいと思う。東日本大震災での福島第一原発事故は、それができなかったゆえに混乱が長引いてしまった。志賀原発についても、これを行うべきだった。

 規制委の会合が開かれたのは1月10日だった。規制委・規制庁は、志賀原発をめぐる情報をまとめたが、この内部資料をそのまま公開しただけだ(1月10日 原子力規制委員会資料)。

 情報は、受け手が分かりやすいように編集し、手に入りやすい状況にしなければならない。そうしなければ、人々に情報は届かない。また原子力規制委員会は「安全である」という判断を示すべきなのに、そこから逃げている。この文書は情報を羅列しただけだ。これは不適切な広報活動だ。

 福島議員はこうした規制委・規制庁の対応を批判している。私も同感だ。規制委の災害時の広報体制は、国民感覚からずれ、おかしいと思う。

原子力規制広報、失敗の理由

 原子力規制委員会、そして原子力規制庁は独立行政委員会として、行政機関として独立性が強いものになっているが、唯我独尊の気配がある。これは2012年の発足当初からそうだ。

 当時から現在に至るまで、原子力を推進する人にも、止めたい人にも、規制委・規制庁は批判をされ続けてきた。そのために自らが批判されないように、「守り」「言い訳」が目立つ。広報活動でも、情報を国民に提供し、世論を作ることに熱心ではなく、保身に配慮しているように見受けられる。

 原子力規制政策の強化で安全性が高まった。規制委の活動にはそうしたプラス面がある。しかし国民は前向きの情報をよく知らない。規制委・規制庁が積極的に広報をしないことも一因だ。原子力を所管する経済産業省・資源エネルギー庁は、原子力の安全については担当でないので、積極的に広報できない。

分かりやすく、当事者に届く原子力広報に進化を

 アジア・太平洋戦争で日本は米国に負けた。敵の司令官だった米陸軍のマッカーサー元帥の「大戦回顧録」(中公文庫)を読んだことがある。「日本軍は、あらかじめ計画している時は攻撃も防御も強い。そのために私は奇襲や撹乱など、計画外の攻撃を仕掛けた」「非常に官僚主義的で、高級将校は軍事的合理性よりも、自らの保身や対面にこだわった」「新技術を使いこなせない、柔軟に組織が変化できない」などの趣旨の記述があった。

 マッカーサーの指摘を、私は原子力規制政策でも思い出す。日本の行政の体質は変わらない。前述の宿直の例の通り、日本の行政組織はあらかじめ計画やマニュアルで決めていることは忠実に、適切に実行する。ところが突発事項に弱い。そして官僚は保身に走る。広報という、現代的な取り組みも下手だ。

 東日本大震災の時に、福島の原発事故という想定外のことが発生した。いろいろな問題が起きたが、原子力をめぐる広報も失敗した。東電、原子力保安院(当時)、官邸、それぞれで分散して広報が行われた。当事者ごとに間違いも多く、デマと混乱が広がった。恐怖に騒ぐ人、混乱を利用して自らの影響力を広げようとする政治勢力がいてデマを流した。その対抗策も不十分だった。その結果、福島の混乱の悪影響は今も続いている。

 今回の能登半島地震では、実際に事故は起きていないために混乱は一時的だった。しかし同じような失敗を繰り返してしまった。

 災害時にどのように国民に情報を伝えるのか。特に原子力発電所についてどうするべきか。「原子力を活用する」という国策があるのに国全体の広報が足りない。そして、原子力規制委員会、規制庁の広報体制は問題があるように思う。

 規制委は独立行政委員会として独立性が他の国家機関に対して高い。しかし政治家、そして管轄する環境省が積極的に、国民のために問題点を指摘してほしい。このままでは次の災害で、過度に危険な印象を原子力発電がまた受ける失敗を繰り返してしまうだろう。