やってはいけない原発ゼロ


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やってはいけない原発ゼロ

 手元に一冊の本がある。
 2019年の年末に出版されて以来、4年が経過したが重版されていない様子だ。
 タイトルは「やってはいけない原発ゼロ」1)
 昨夏に立ち上げた有志による@omfyのメンバーたちは原子力発電に対する専門知識や実働経験を持たないも、日本の最高学府にて修学し、製造業で長年の経験を持つ技術者たちで構成されている。活動目的として原子力発電の是非を問うことを第一に掲げているが2)、基本的には原発ゼロはあり得ないというスタンスを取っている。「やってはいけない原発ゼロ」は、タイトルからは@omfyの基本スタンスと合致しているように見える。内容次第では原発に対するオピニオン形成の文献として使えるかもしれない。そう考えて本書を論考した。
 筆者は元東工大の澤田哲生氏である。
 IEEIの山本所長のご紹介により澤田氏にインタビューする機会を得たので、本書の出版後のアップデート分についても意見交換することができた。
 その結果、本書は信用に値する文献のひとつになり得ると位置付けて、本書に記載された内容について更なる検証を加えていくことにした。
 本稿では、原発の安全性に焦点を当てて論考する。

原子力発電の安全性評について

 原発の安全性評価は確率論的リスク評価3)という手法で行われている。確率論は面白いことにサイコロ賭博のような賭け事の研究に端を発していて、偶然に起こりうる現象を解析するために数学的なモデルを使っている。つまり確率を使ったシミュレーションだ。
 確率論的リスク評価はロジックツリーという手法で行い、リスク発生の可能性を論理的かつ段階的に追いかけて、事故の発生確率を算出する。原発で言うと、発電所内施設や運転管理などに内在する原因、もしくは地震や火災等の外乱により発生する機器の故障、損傷、運転管理などのミスを起点として、次に何が起きるのかを段階的に想定してリスク評価するという流れで、リスク評価を行う。
 ただし、シミュレーション理論は完璧ではないから、原発の安全性に対するシミュレーション技術が不足しているという反論が出る。そうするとシミュレーションの改良と評価が行われる。しかしながら完璧な答えはないから、改良手法をもってしても安全性のシミュレーションは依然不足していると反論可能だ。ここに安全性を巡る「いたちごっこ」が存在する。
 では、安全性とは何か?
 安全性の定義は様々であるが、科学技術に関する安全性については国際標準4) が定められている。一言で表現するなら、安全とは「受容できないリスクがないこと」である。逆の言い方をすると「受容できるリスクがあった場合は安全である」となる。受容できる/できないの境界線は個々人の感性や感情で決めるものではなく、然るべき数値目標で決められるべきものである。この「然るべき」を合意することが難しい。
 米国では国際標準に則り原発の安全性目標が定められている。
 日本では明確な安全性目標は定められていないが、相当する定義は存在する。これらの安全性目標を参照しながら、日本で実用されている原発の安全性について見ていく。
 ただし、筆者としては「安全とはリスクを最小化すること」と定義したい。安全に関する国際標準を定めるにあたり、「絶対安全は存在しない」と宣言されている。それにもかかわらず21世紀を25年近く経過した現在の日本において、未だなお「絶対安全」なる概念が、一般消費者やメディアなどでまかり通っているように見える。原発の絶対安全を吹聴したことに罪はあるが、それを真実であるかのように報道したり、鵜呑みにしたりする方にも罪がなくはない。このような相互の誤解を最小化することが我々@omfyの活動意義である。
 リスクを最小化するとは、リスクを極限まで減らしていくプロセスであり、リスクゼロというゴールはない。言わば終わりのない旅だ。その時点の最新情報をもとに考え抜き、これでもかこれでもかと対策を立てて実行する。安心感は個人差があるから絶対的な安心感も存在しない。 つまり、リスクを最小化するとは、ここまでの安全対策を施しておけば、かなりの人が安心できるという妥協点を見出すプロセスになる。だから、その時点での最高レベルの知識や技術をもってしてリスクを最小化したと言っても、安心感を持てるかどうかはその人次第ということになる。原発に限らず物事の安全性を議論する際には、このような安全と安心の関係を理解する必要がある。

図1 安全対策とリスクの大きさの関係 (イメージ)

原子力発電のリスク最小化に向けた安全目標案

 米国の安全目標は確率論的リスク評価に基づき1986年に定義され、定性的目標と定量的目標が2つずつ定められている。
 定性的目標は、原発が及ぼす個人の生命と健康に対する保護と、他の発電方式と社会的リスクを同等以下にするという基本方針である。定量的目標は事故によるリスクの確率を定めたもので、急性死亡リスクを0.1%未満にすること、直接間接の両方を含むがん死亡リスクを0.1%未満にすることと定義された。その上で、原発が満たすべき性能として、重大な炉心損傷事故の発生頻度と、多量の放射性物質放出を伴う原子炉事故の発生頻度について目標値が定められた。
 米国の定性的目標や性能目標については一定の評価を得て、国際原子力機関(IAEA)などで採用されている。
 日本はどうかというと、2003年に定性的目標、定量的目標、性能目標の3つを揃えた安全目標案が提案されたものの、決定に至らぬまま東日本大震災を迎えることになった。福島第一原発の事故を経て原子力規制委員会は2003年の安全目標案に加えて、2013年に新たな安全目標案として2つの指標を策定した5)

事故の際の放射性物質セシウム137の放出量は100テラベクレル以下
100テラベクレルとは福島第一原発の事故時事の100分の1程度の放出量に相当
事故の発生頻度は、1年間原子炉を稼働し続けた時に100万年に1回以下

 新旧の安全目標案をまとめると下記になる6)

図2 新旧の安全目標案の整理 (イメージ)

日本の原発のリスクはどの程度か?

 「やってはいけない原発ゼロ」の第3章は「安全性は格段に向上したのか?」というタイトルが付いている。結論から言うと答えはYESだ。
 第3章の前半では福島第一原発の事故原因は地震ではなく津波による発電機の停電であることを念のために明記した上で、事故後に打ち出された深層防護の考え方と追加的な多重の安全対策が解説されている。
 このような追加的安全対策を講じた結果については澤田氏が公表データを駆使して一覧表に整理した(本書p83, 表3-1)。一覧表には、国内の加圧型軽水炉と沸騰水型軽水炉の原発10数基に関する炉心損傷頻度と格納容器破損頻度が記載されているが、総じて炉心損傷頻度が1万年回に1回、格納容器破損頻度が10万年回に1回をほぼクリアしていることが分かる。安全目標案に対する最初のハードルをクリアしているということだ。
 では、新基準についてはどうだろうか?
 本書では加圧型軽水炉のうち稼働している川内1、2号炉を例に、セシウム137の放出量が目標の100テラベクレルの18分の1のレベルまで抑制されていると説明されている。川内1、2号炉は1984年~85年にかけて稼働開始した。本書出版後のデータ6) も加えてアップデートして川内1、2号炉の安全性を再考してみた。
 その結果、2021年までにSA対策つまり重大事故への対策や、特重対策つまりテロなどへの対策がなされており、炉心損傷、格納容器破損の頻度は100万年に1回であること、事故の際のセシウム137の放出量はSA対策で0.32テラベクレルと、安全目標案の300分の1、福島第一原発の事故時事の3万分の1程度の放出量に相当する量まで低減していることを公開資料から確認することができた(本稿表1)7)
 安全目標案のセシウム137の放出量100テラベクレルという値は、その値以下であれば原発から5キロメートル圏書きで住民が過大な被ばくを受けなくて済むことを意味している。川内1、2号炉ではさらに300分の1の被ばく量になるから、第二世代の原発始まって以来のリスク最小化に成功していることになる。つまり、第二世代の川内1、2号炉は第三世代のウェスティングハウス(WH)社の加圧水型原子炉AP-1000 に匹敵する安全性を持つ実用軽水炉であり、世界トップレベルの安全性を誇るということだ。
 もちろん、確率論的な手法でシミュレーションしている限り予断を許さない面はあるが、ここまでの努力と資料開示を含めて真摯な取り組みをしている九電と鹿児島県に対して敬意を表したい。
 一方で、本書p83の表3-1に記載されている加圧型軽水炉7基(高浜1~4号炉、大飯1、4号炉、伊方3号炉)と、沸騰水型軽水炉5基(柏崎刈羽6、7号炉、女川2号炉、浜岡4号炉、島根2号炉)については、川内1、2号炉のような新基準に対応した確率論評価に関して整理されたデータを抽出することができなかった。筆者の調査能力に起因する点もあるため今後の検討課題にするが、分かりやすい資料開示をしてもらいたいものである。

表1 川内原発1、2号炉の確率論的リスク評価
※AM策:アクシデントマネジメント策、SA策:シビアアクシデント
特重対策:特定重大事故等対策(例えば、原子炉建屋への故意による大型飛行機の衝突その他テロリズムへの対処)

結論と今後の課題

 「やってはいけない原発ゼロ」の第3章「安全性は格段に向上したのか?」の中で、澤田氏の手による原発の安全性に関するデータ収集と掲載、それに基づく考察については信頼に足るものと結論づけたい。
 一方で、安全性に関するデータ開示には大きな課題があると考える。
 まず、筆者を含む一般市民が探せない。関連データに行き当たったとしても部分的な開示のみであり、全体俯瞰ができない。川内1、2号炉については、確率論的リスク評価に結果が開示されていて、その開示姿勢を高く評価するが、総括するような形で開示されていないため、深い階層に検索をしていかないとたどり着きにくい。その他の原発はそれ以前に資料に行き当たらない。そもそも原子力に関する技術は専門用語からして取っ付きにくい上に、データが散逸している。資料は膨大なページ数で結論が分かりづらい。こういう状態である。
 原発については国の強いリーディングがなくてはならないが、政府が主導するためにも国民の理解がなくては足元がおぼつかない。国民が理解する上で原子力発電はあまりも難しく、平易に説明もされていない。
 澤田氏は「やってはいけない原発ゼロ」において、課題に対して真摯に向き合いつつ、安全性以外の箇所もかなり平易に記載されている。その点を評価するが、一方で第3章をしっかりと読み解くには時間がかかった。
 何故か?
 ひとつには専門家による記述ゆえ、素人の痒い所に手が届くような説明をするにはどうしても限界があると思うからである。ここは@omfyが専門家と一般市民をつなぐ架け橋=翻訳者として努力したい。
 もうひとつは日本の安全目標と評価が分かりにくいからである。
 川内1、2号炉のような分かりやすい事例を限度見本として確率論的リスク評価の手法を標準化して、国内の原発に適用してみてはどうだろう?
 このような具体的一歩を進めてみたいと思う。
 世界の原発は米欧露に続き中国が第三世代の原発を実装している。昨年末に、ウクライナがフメルニツキー5号機用のAP1000機器を購入することをWH社と契約するなど8) 原発の世界標準は第三世代に移っている。国際的な動きを見た際に第二世代の再稼働すら遅々として進まない日本の軽水炉原発は競争力を失ってしまう。
 日本の原発の安全性評価を標準化し分かりやすくすること、これが喫緊の課題である。

参考文献

1)
「やってはいけない原発ゼロ」 著:澤田哲生、出版社:エネルギーフォーラム
発売日:2019/12/3  ISBN-13:978-4885555060
2)
「希望を灯すエネルギーを求めて」
https://ieei.or.jp/2023/09/digiana_20230913/
3)
“Reactor safety study. An assessment of accident risks in U. S. commercial nuclear power plants”
https://doi.org/10.2172/7134133
4)
ISO/IEC GUIDE 51:1990
5)
日経新聞「分かりにくい原発の安全目標~背景にゼロリスク文化」
https://www.nikkei.com/article/DGXNASGG24021_V20C13A4000000
6)
原子力規制委員会資料6-2, 2013.3.6
7)
https://www.pref.kagoshima.jp/aj02/documents/56880_20170207131536-1.pdf
https://www.pref.kagoshima.jp/aj02/documents/68495_20181031153925-1.pdf
https://www.pref.kagoshima.jp/aj02/documents/88697_20210810111517-1.pdf
8)
https://www.jaif.or.jp/journal/oversea/21064.html