政府は投資先など知らない―問題は「選択」の先にある
野村 浩二
慶應義塾大学産業研究所 所長・教授
経済成長の測定と生産性分析の礎を築いた故デール・W・ジョルゲンソン教授(米ハーバード大学)は、長年にわたり日本経済にも興味を抱かれ、毎年のように来日された。そうした機会には、定宿の帝国ホテルのロビーにお呼びいただき、日本経済の測定課題、実証分析、そして政策について、午後まるごと議論することが常であった。一貫した思考をされる教授との議論に臨むには数日の準備を要したが、私としてはその日に向けて数か月間分析していたというほうが正確かもしれない。2013年ころ、日本産業の生産性を議論していた際、アベノミクスの第3の矢(成長戦略)を私が批判すると、米国には「成長戦略」などと呼ぶものはないからねと教授は微笑んだ。そのことは、日本で10年近くその用語を浴びていた私にとって、印象深い記憶として残っている。
私がその言葉から受け取った意味は、米国では少なくとも、日本のように政府が一枚の「成長戦略」を掲げる発想を伝統的に採らないということである。それは、経済成長における政府の役割を過小評価するという意味ではない。教授にとって、「経済を成長させる政策」と「政府が成長分野を選ぶ戦略」はまるで別なのである。日本では、この二つがしばしば同じものとして語られる。むろん高い経済成長率を願わない政府などまずない。しかし、それを目指そうとも、政府が投資先など知るはずもない。なぜなら、企業や投資家も含め、だれもそれを知らないからである。
1945年9月、フリードリヒ・ハイエクは、論文「社会における知識の利用」において、経済計算の出発点となるデータは社会全体について一つの頭脳に与えられることはないとした*1。それは政府や企業の能力不足を指摘したものではなく、そもそも正しい答えを計算するための情報が、一揃いの形でどこかに存在しているわけではないことを意味している。
20世紀後半からの情報通信技術や現在のAI(人工知能)の利用も、ハイエクによる「知識の問題」の根本を崩すものではない。情報の収集や分析の費用が劇的に低下しようとも、必要な知識には「特定の時と場所の事情に関する知識」(the knowledge of the particular circumstances of time and place)が含まれ、それはその場にいる個々人の手元にあり刻々と変わるからである*2。その技術は本当に量産可能なのか、その生産は採算が取れるのか、顧客は真にそれを望み、いくらなら支払う意思があるのか、競合する代替技術はどこまで来ているのか、そして今は投資すべき時機なのか。それらは研究開発者、エンジニア、セールス、マネジメントなど、それぞれの業務に分散した固有の知識である。
投資の問題はそれにとどまらない。未来の需要や技術については、まだ誰の手元にも存在していない知識があるからである。意思決定をする各主体は、その内部の組織や個人に分散した知識を完全には集められず、ましてや未来を知ることはできない。ゆえに必要なのは、誤りを避けることではなく、誤りを修正できる仕組みである。
市場経済は、計画経済と対比されるが、誰も計画しない経済ではない。むしろそれは、無数の企業や個人がそれぞれ違う見通しを持って、分散的に計画する経済である*3。市場の役割は、異なる計画を競わせてその誤りを顕在化させ、誤った事業を縮小・退出させることにある。そうした役割の発揮には、参加する各主体の予測誤差が同じ方向に揃わないことが重要である。未来の消費者は、真に電気自動車(BEV)を選択するのか、エンジン車の技術革新は続くのか、ハイブリッド車はどこまで支持されるのか。その見通しに応じて、企業はさまざまな経営戦略を立てうる。そして政策による保護がなければ、戦略の誤りは市場にさらされる。経済主体には間違える自由がなければならない。市場は、未来を知るためではなく、未来を知らないことに耐えうる仕組みである。
市場でも予測が同じ方向へ偏ることはある。しかし政府が特定の技術や投資先を選択し、その選択を制度化すれば、その偏りは社会全体へと増幅される。政府が「選択」すると、その分野への民間投資を促すために「予見可能性を高める」として、予算、規制、補助金、認証制度、広報や調査研究、政治的説明を集中させ、設備投資、生産・研究開発、人材育成における企業判断を同じ方向へと揃えてしまう。グリーンスチール需要が想定ほど立ち上がらないなど、後に選択の妥当性を疑わせる情報が出てこようとも、個別企業はその事業から退出しにくい。多くの企業の投資判断が同じ方向へ揃うなかでは、政府には公共調達による需要創出などの追加的な支援を講じる誘因が生じる。こうして政策はロックインされ、社会的負担を拡大させながら、将来の撤退費用も膨らませていく。政府の「選択」に固有のリスクは、その予測能力が低いことよりも、本来は分散しうる民間の予測誤差を集中させることにある。誤った選択をしたときの損失を大きくしながら、その誤りを修正する能力まで弱めてしまうのである。
経済成長に向けた政策で重要なのは、技術や企業を選ぶことではなく、市場の競争による選抜が機能する条件を整えることである。政府の役割は、基礎研究や共通インフラを支え、多数の企業が試行錯誤できる土俵をつくることにある。それでも特定の技術や分野を政策的に支援するならば、その支援にはあらかじめ出口を組み込んでおかなければならない。2010年3月、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の初代暫定事務局長だったエレーヌ・ペロス氏は、来日時のインタビューにおいて「普及を促す買い取り価格を適切に設定し、買い取りのための補助金給付はできるだけ早くやめる仕組み作りが重要」と語った*4。それは東日本大震災の1年前、日本でFIT(再エネ固定価格買取制度)が導入される2年以上前のことである。彼女が指摘したのは、何を支援するかだけではなく、いつ、どの条件で支援を終えるかという出口まで、入口において設計しておくことの重要性である。その警告は制度設計において十分に考慮されたとは言えない。再エネの年間買取費用は現在、当初想定の10倍近くにまで拡大している*5。
政府は今また、17分野・62の「主要な製品・技術等」について、2040年度までに370兆円超の官民投資を想定している。内閣官房参与の細川昌彦氏は、GX(グリーントランスフォーメーション)を「選択と集中」による成長戦略の先行モデルと位置付けている*6。問うべきは、その投資規模の大きさや個々の投資の効率性だけではない。政府による「選択」は、企業の判断を同じ方向へと揃え、多様な試行錯誤の余地を狭める。そして選んだ方向性が期待に応えなかったとき、誰が、どの条件で、支援を止めることができるのか。政府の「選択」がもたらす多様性と可逆性の喪失は、日本経済の大きなリスクとなっている。
脚注
- *1:
- Hayek, F.A. (1945) “The Use of Knowledge in Society,” American Economic Review, 35(4), 519–530, p.519。なお同論文は、ジョルゲンソン教授の論文「資本理論と投資行動」(1963年)とともに、同誌の創刊100年を記念して選ばれたトップ20論文に含まれている(Arrow et al. 2011)。
- *2:
- ハイエクは、科学的知識が知識のすべてではなく、特定の時と場所に固有の知識が重要であり、そうした知識については各個人が固有の情報を有すると論じている(前掲論文、p.521)。そのうえで、経済の問題は主に特定の時と場所の事情の変化にすばやく適応することにあり、判断はその事情をよく知る「現場の人」(the man on the spot)に委ねられなければならないとしている(同、p.524)。
- *3:
- ハイエクは、資源配分に関する相互に関連した意思決定という広い意味では、あらゆる経済活動は計画であるとしたうえで、争点は計画の有無ではなく、一つの権威が集中的に計画するか、多数の個人に分散させるかにあると論じている(前掲論文、p.520)。
- *4:
- 「再生可能エネルギー 普及と成長 両立できる」(日本経済新聞 2010年3月3日)。そこでは「あらゆる国は経済成長を目指すべきであり、それを抑える意図は全くない。あくまで成長と両立した普及拡大のために、技術や金融面での知見を提供する」としている。
- *5:
- 2010年3月の経済産業省「再生可能エネルギーの全量買取制度に関するプロジェクトチーム」の試算では、制度開始から10年後の年間買取費用は4,622–6,292億円と見込まれていた。この試算は震災前の制度検討段階のものであり、2012年に導入されたFITでは、制度開始から3年間、集中的な導入拡大を図るため、買取価格の算定において特に利潤に配慮するとされた。実際、FIT導入から約10年後の2022年度には、買取費用は4.2兆円となり、当初試算の7–9倍に達した。2026年度の買取費用等は4.9兆円と見込まれており、8–10倍となる。
- *6:
- 細川昌彦「GXは成長戦略の先行モデル 総花的でなく『選択と集中』へ」(多事争論「高市政権の日本成長戦略 エネルギー・GXの見方」、『月刊エネルギーフォーラム』2026年8月号、pp.111–112)。同号には拙稿「無視できない産業空洞化 コストの現実直視を」(pp.112–113)も掲載されている。











