防災地下神殿・首都圏外郭放水路の効果
~降雨の激甚化にあって、マルチパーパスな施設を紐解く~
平井 秀輝
中央大学研究開発機構客員教授 電源開発株式会社 顧問 (一社)日本大ダム会議 会長
すっかり地下のパルテノン神殿で有名になった埼玉県春日部市に位置する首都圏外郭放水路(埼玉県春日部市国道16号の地下約50mに位置する延長約6.3km、内径10.3mの地下放水路)であるが、本編では、その本業たる治水効果について紹介したい。効果の説明の前に、首都圏外郭放水路の位置する中川(埼玉東部を流下し、東京都江戸川区で東京湾に注ぐ、流路延長約81kmの一級河川)流域の特殊性や首都圏外郭放水路の唯一無二の設計思想から説明したい。
1 中川流域の特殊性
1-1 首都圏で突出する水害常襲流域。そして争いも。
中川流域は度重なる浸水被害に見舞われてきた。しかし、この地区の「度重なる」とは、半端ではない。昭和33年9月以降、平成5年8月までの間、中川流域では実に8回も、1万戸をも超える浸水被害が発生していた。3.5年に1回。オリンピックより短いインターバルで浸水していたということになる。首都圏で、それも高度経済成長時代をまたいで、平成の初期まで浸水を繰り返していたのだ。
地域の声を紹介すれば、春日部市農業委員会市川大倫会長曰く、「台風の降雨時には、決まって倉松川(中川の支流)の水位が上がり、堤防を越えるようになります。そのたびに、土嚢積みの役務が地元の人々の日常となっていました。土地改良後も状況は変わりませんでした。さらに、土地改良後の区域内の排水についても、排水を巡る争いは絶えることがありませんでした。倉松川右岸の水田の排水は、旧倉松川に設置された伏せ越しで左岸側の水路に流すこととしていますが、この出口のゲートを左岸側の人々は全開させません。また、土嚢は水路の堤防だけでなく、道路にも積まれ、低い田への流入を防ぎます。そうすると、流れが滞る側の人々が『何をやっているのだ』と、木刀を持って現場に現れ、土嚢を蹴飛ばすなどの争いが絶えませんでした。」。
また、春日部市白子高史副市長曰く、「首都圏外郭放水路ができる以前は、台風などで大雨が降ると各河川の水位が上がり、市内のあちこちで道路冠水が頻発し、浸水被害を受けていました。当時は、市が管理する河川が溢れそうになると、職員が総出で現地に向かい、地域の方々と土嚢を何百袋も積み、長い時は3日間泊まり込みで対応していました。」。
1-2 何故、中川流域がいとも簡単に浸水するのか。そのメカニズムと中川流域治水の基本原則
これほどまでに中川流域が浸水する理由は、江戸川と荒川という大河川に囲まれた「お盆の底のような地形」だからである(図表-1,2)。水が溜まりやすく、はけにくい。加えて、流域内の河川は、主に小さな水路を網目のようにはりめぐらされた農業用水路として整備されてきた歴史を持つため、今なお、河川としての流下能力は十分ではない。その結果、流域内で降った雨は、低い土地に溜まりやすく、水路を伝わって河川に流れ込んでも、再び河川から溢れ出す。そのため水害常襲地帯となっていたのである。
わずかな雨でも、内水氾濫して、すぐに浸水が始まる。やがて河川からの外水氾濫を引き起こし、一帯が巨大な湖のようになる。このため、中川流域では、①内水対策では「貯める」こと、②外水対策では流域外に洪水を「流す」ことの同時対策が不可避なのである。
2 首都圏外郭放水路は他に類を見ない施設
首都圏外郭放水路と同じような構造の地下トンネル施設は他にもある。例えば、現在、環状七号線の杉並、練馬区あたりで盛んに工事をしている環七地下調整池や横浜市の今井川地下調節池などであるが、これらは洪水を「貯める」ことを目的とした施設である。一方、放水路とは、一般的に河川の途中で洪水を別の河川や海に「流す」ための水路やトンネルのことで、大河津分水路(信濃川の放水路)や太田川放水路(太田川の放水路)が代表例である。すなわち、環七地下調節池などは、あくまで「貯める」機能が中心で、放水路としての「流す」機能は持ってない。
首都圏外郭放水路は、地下トンネル施設として、「貯める」ことを目的としつつ、地下に貯めた洪水をトンネル最後の巨大なポンプ施設(庄和排水機場)により、最終的に江戸川へと強制的に「流す」施設でもある。この大規模な地下トンネルとポンプ施設を一体化した施設は、国内では『ここだけ』で、他に類を見ない。すなわち、域外への排水能力を持たない従来の地下調整池、地下トンネルとは一線を画す施設なのである。
3 首都圏外郭放水路が完成して
3-1 際立って高い稼働頻度
図表-3は、平成14年に部分通水が始まって以降、2026(令和8)年6月末時点までの24年間の首都圏外郭放水路の稼働状況を示している。この間、154回流入しており、多い年で年12回、少ない年で2回、年平均で約7回の稼働状況となっている。同様の機能を持つ遊水地などが通常数年に1回程度の稼働であることを考えれば、その稼働頻度の高さは際立っている。因みに、154回の流入に対し、内水対策として「貯める」機能の発揮が70回で、洪水規模がより大きくなった外水対策として、ポンプを稼働して洪水を江戸川へ「流す」放水路として全機能発揮が84回と、実に5割を越えている。
なお、施設内への一豪雨での最大の総流入量は、2015(平成27)年9月関東・東北豪雨の際の約1,900万m3(東京ドーム15杯分)である(図表-4)。
3-2 令和元年東日本台風に際しては
首都圏外郭放水路の効果事例として、東日本一帯に大被害をもたらした2019(令和元)年10月の台風第19号(令和元年東日本台風、死者行方不明者100名超え)をあげたい。中川流域の流域平均雨量は216.4mm/48hrとなり、中川でも「氾濫危険水位」を超えた。中川流域では、外水氾濫防止のため、首都圏外郭放水路(庄和排水機場)のほか、流域外への排水として、江戸川への排水の役割を担う三郷排水機場と八潮排水機場、荒川への排水の役割を担う綾瀬排水機場を稼働させ、中川流域に降った雨の約3割を強制的に江戸川と荒川に排水し、河川水位の低減、浸水被害の軽減を図った(図表-5)。1982(昭和57)年9月の台風第18号と比較すると、降水量が約1.1倍だったにもかかわらず、浸水戸数は約9割も軽減した(図表-6)。当時と比べ、排水機場の合計の排水能力は6倍(100m3/s→600m3/s、このうち外郭放水路は200m3/s)となっており、3つの施設の連携により浸水被害の軽減に実に大きな効果を上げた(図表-6)。また、首都圏外郭放水路では、稼働歴代3位となる約1,220万m3(東京ドーム10杯分)の洪水の排水及び貯留量であった(図表-4)。
3-3 建設費用に迫る被害軽減額
首都圏外郭放水路の運用により軽減された被害額を試算してみると、被害軽減効果額が最大の豪雨は平成27年9月関東・東北豪雨にて約373億円、令和元年台風19号では264億円であった。2002(平成14)年6月の部分通水(2006年全区間供用)から首都圏外郭放水路の浸水被害軽減効果を積算したところ、2023(令和5)年6月までの21年間で、既に約1,626億円の効果があると算出された(図表-7)。建設費が約2300億円であることから、投資が回収される日も近い。
図表-7 首都圏外郭放水路浸水被害軽減効果
※浸水被害軽減額は、外郭放水路が洪水調節効果を発揮した洪水のうち、下流の水位が上昇し沿川に被害をもたらしたと想定される規模の洪水を対象に、はん濫(内水被害も算出)解析シミュレーションによって、施設の有り無しによる被害額を試算したもの。
※浸水被害軽減額の評価単価は、R5時点評価単価を採用。
3-4 完成を契機に企業進出
首都圏外郭放水路が完成し、春日部市では、「水害に強い都市基盤“首都圏外郭放水路”を持つ地域」と広報展開してきた結果、2002(平成14)年以降、市が指定した産業指定区域に、物流倉庫やショッピングセンターなどの多数の企業が進出し、新たな雇用も創出されている。進出企業からは「世界最大級の地下放水路である首都圏外郭放水路により、水害による倉庫の浸水を防ぎ、万全の状態で管理体制を築ける」などの施設効果を実感する声が寄せられている。
3-5 完成後の地域の声
首都圏外郭放水路稼働後の状況について、改めて先の二人のコメントを紹介すると、市川大倫会長曰く、「おかげさまで、台風などの降雨時でも倉松川の水位が堤防の天端に迫ることがなくなって、状況は一変しました。土嚢積みのわずらわしさ、何にもまして、地域内での争いの解消です。すなわち倉松川の水位に翻弄される暮らしは、いわば、地域の宿命のようなものでしたが、この宿命から解放されて、安心して取り組める営農活動や道路冠水による生活の不便は激減し、やっと普通の地域へと変貌した思いです。そして毎日の心配事を気にしないで、明るい未来をみんなで語り合える地域になったことだと思います。」。
白子高史副市長曰く、「首都圏外郭放水路が稼働している現在は、降雨量や雨の頻度はおそらく1割から2割は増加しているものと思われますが、冠水の範囲や冠水時間、いわゆる冠水が引く時間は格段に短くなっているものと実感しています。首都圏外郭放水路稼働前は、市内各所で長時間、地域の方々と協力しながら冠水の対応をしていたことを記憶しています。首都圏外郭放水路の完成により、地域の方々からの安心した生活を送れているという声も多数頂けるようになり、安心、安全面で格段に良くなっていると実感しています。」。
最後に、春日部市長の岩谷一弘様からは、「首都圏外郭放水路から20年が経過しましたが、春日部市は一番恩恵を受けたといっても過言ではないと感じています。統計的にも冠水、浸水が依然に比べ9割以上減となり、格段に治水効果が上がったということです。この首都圏外郭放水路の完成によって、市民の皆様の多くが水害を受けない生活を手に入れることができました。今や首都圏外郭放水路は防災の要であると同時に、春日部の代表的な観光スポットであり、市民の誇りとなる資産でもあります。このように首都圏外郭放水路は春日部市に大きな恩恵を与えて頂いております。本市はこれからも国土交通省と共同し首都圏外郭放水路を中心とした治水面、観光面をはじめとした街づくりの発展に努めていきたいと考えています。」。
4 終わりに
この驚異の施設を次の世代へ引き継ぐため、建設当初から未来を見据えた周到な備えを実施していることを最後に付言したい。①心臓部である4基の巨大ポンプには、将来の更新を見越し、常に1基を予備として整備している。②見えない地底においても、施設の健全性を維持するための徹底的なメンテナンスを怠らない。③年1回のトンネルと構造物の精密な点検、そして機械設備の日々の細部にわたる監視を続けている。④迅速な点検・補修ができるよう排水、洗浄、換気、昇降といった各種設備を備えている。
かくて、計画に携わった一人として、今後とも首都圏外郭放水路が中川流域の安全・安心を確保し、地域に喜ばれる施設であり続けられるよう適切な維持管理を続けていくことはもちろん、日本が世界に誇る防災技術を結集して建設された世界最大級の地下放水路を見学会参加者、メディア、SNS等を通して全世界に発信し、防災意識の啓発や地域振興・地域活性化につながっていくことを祈念したい。













