天災を疑似体験し、準備しよう
−東京の本所防災館を訪ねて−
石井 孝明
経済記者。情報サイト「&ENERGY」(アンドエナジー)を運営。
東京の墨田区にある、本所防災館(東京・墨田区)を訪ねた。地震の揺れ、火災での煙の危険を疑似体験できた。「天災は忘れたころにやって来る」という警句がある。エネルギーは、災害時二次災害を起こさないこと、そして災害後の供給の維持が求められる。体験や過去の経験を、災害への準備、そして起きた時の行動に繋げられないだろうか。
関東大震災100年、経験をどう活かすか
東京消防庁は、本所、池袋、立川で防災館を運営し、体感イベントを伴う講習を行う。それぞれの防災館では体験研修が組み立てられているが、内容は少しずつ違う。しかも原則無料だ。税金をこのような意味ある形で使うのは良いことだと思う。
私はこの本所で体験をした。まず見たのは「ノブさんからのメッセージ 手記に学ぶ関東大震災」という映像資料だった。
今年は関東大震災から100周年だ。当時29歳で、大工の夫、2人の子供と関東大震災を体験した本所に住んだ松本ノブという女性の体験手記の紹介をした映像だ。夫は一緒に逃げた後で、貴重品を取りに家に戻り、火災に巻き込まれ亡くなったという。
関東大震災は午前11時58分に発生した。当時は煮炊き、暖房、お風呂に使うため、石炭や木炭を燃料にそれぞれの家で火を使っていた。そのために大震災の直後に東京各所で火事が発生した。
人々は川、そして強風の中で風上に向かって逃げたが、大八車や馬車と避難民で道は混雑し、特に橋で動けなくなってしまった。ノブさんら母子3人は、本所にあった陸軍の倉庫前の広場に逃げた。そこで火災旋風に巻き込まれそうになった。これは風の強い日の火事だと、広場などで熱せられた空気が上昇して火を伴った旋風が発生してしまうことだ。これは今でも各国の災害で観察される。
なんとか生き延びたノブさんは、その後の国や、人々の支援、隣同士の共助に救われたという。その恩返しと教訓のために記録を残した。全く災害準備が無かったことの反省、そして共助の大切さを彼女は主張している。これは今の災害にも役立つ考えだろう。
これは内閣府防災情報による別資料だが、当時電力は東京市内(今の東京23区)に、工業向け、また家庭の電灯用に普及していた。9日までに供給範囲内全域に送電できるようになった。工業用では、5日からは急務であった精米用に限り動力用供給を開始し、29日に震災前の供給体制を回復した。 当時から、エネルギー産業は、インフラ維持のために頑張っていた。
関東大震災では約10万の死者のうち、9万人が火災によるものだった。時代は変わっても、今もエネルギー業界は火に係っている。日本各地の地震や災害で、火災による死者は減っている。それはエネルギー利用の近代化に加えて、業界の努力も一因であろう。一段と気を引き締めて安全を追求してほしい。
地震、火災、風水害、都市水害を体験
その後に私は、本所防災館で4つの体験学習をした。事前のビデオ学習のために、体験がより印象に残った。
第一の体験は地震だ。シミュレーターで関東大震災級の震度7、また2016年の熊本地震の震度6の直下型地震の揺れを体験できた。地震の揺れは数十秒だが、立っていられず、不安が沸き起こってしまった。しかし、どの揺れもその程度の長さで止まることを学んだ。
第二の体験は火災だ。水蒸気の煙を焚き込めた廊下で、いきなり暗くなった。そこから手探りで出口までたどりついた。暗闇の中で煙を吸わないように、身を屈めて地面近くの空気を吸いドアを探した。暗闇でも障害物にぶつからないように、手を前にかざし、壁をつたって逃げる方法を学んだ。
第三の体験は風水害だ。雨合羽と長靴を貸してもらい完全防水の上で、また風速30メートル、1日降水量50ミリの暴風雨を体験した。立っているのが難しく、隣の人と会話ができないほどだ。暴風雨で外に出るのは危険だと体験できた。
第四の体験は都市水害だ。水害で、冠水したとき、鉄の扉、車の扉を開ける場合に、どの程度の力が必要かを試した。10センチ、20センチ、30センチを体験したが、30センチになると、大人の男である私も開けることは難しかった。この際に、300キロ近い負荷が水によりかかってしまうという。
私は東日本大震災を東京で体験した。その後、東北などを何度も取材した。災害の恐怖は認識しているが、その記憶が近年薄れていた。改めて、天災の怖さを認識した。
都市災害を繰り返した本所の歴史
この防災館のある東京の本所、つまり墨田区の北部、隅田川の東岸地区は、江戸時代から都市型災害に襲われてきた。墨田区両国には、明暦の大火(1657年)の10万人の死者を弔う回向院がある。ここは本所回向院とも呼ばれた。頻繁に起こった江戸の大火では、この地区は何度も燃えた。
歴史小説の「鬼平犯科帳」で、江戸時代の武装警察である火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)の頭(かしら、長官)の旗本である長谷川平蔵(1745~1795)が活躍する。若い頃は「本所の鉄」という不良だったという。これは史実らしい。江戸時代は、凶暴な盗賊が火つけをして物を盗むことがあった。幕府は、この火盗改に、お裁き(裁判)なしで放火犯を切り捨てることを認めていた。それほど火事を警戒していた。
江戸が東京になっても1923年9月の関東大震災と、1945年3月の東京大空襲で、本所では多くの住民が亡くなった。木造住宅の密集地で火の回りが早く、道路が狭く、逃げ遅れたためだ。本所の陸軍の倉庫の広場に住民が集まった。そこで、火災旋風が被災者を襲い、大震災でも大空襲でも数万人規模の人が亡くなった。ここの一部は今、東京都慰霊堂(墨田区横綱)になっている。
このような場所にある本所防災館で、災害の疑似体験をしたことで、私はより印象に残った。学び続けるには、人を動かす材料が必要だ。過去の歴史、体験というのはそのきっかけになるだろう。
エネルギー関係者への呼びかけ
エネルギー産業は、どんな状況でも安定的に供給を続けることを求められる。エネルギー業界を取材して私が常に思うのは、電力、ガス、石油のいずれのビジネスでも、全社で、その使命を忘れずに努力をし続けている。とても真面目な産業だ。
その上で、さらに努力を重ねてほしい。各企業は、災害に備えて、シミュレーションや社員教育を行っていると聞く。だが、私は、疑似体験は非常に有効的な学習方法だと改めて認識した。そして、これは別産業のビジネスパーソンにも、私たち個人個人にも当てはまる。こうした機会をとらえて、災害について学び続けるべきだろう。
本所防災館では、各体験前には、以下の3つの丁寧な説明があった。
1.災害はどうして起きるの?
2.きたらどうなるの?(二次災害は?)
3.起きる前にするべきこと、起きたらするべきこと
これらを事前に知り、準備することで、災害への対応は違う結果になると思う。