治水の原則

- 1cmでも10cmでも低く -


認定NPO法人 日本水フォーラム 代表理事

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 令和元年10月12日、巨大台風19号が静岡、首都圏そして東北を襲った。本稿を記述している今も被災者捜索や被災地の状況把握作業が継続されていて、最終の被害確定には時間がかかると思われる。


洪水を貯めて東京を守った荒川の遊水池

治水の原則

 洪水は自然現象である。自然現象は整然としていない。大きく人間の予測を超えて暴れまくる。その洪水に対峙するとき、人間は洪水の気ままさに振り回されてしまう。振り回されているうちに、議論は拡散し、洪水対策の原則を見失いがちとなる。
 気ままで狂暴な洪水に向かう際、不動の原則を持つことが重要である。そして、その原則は簡潔で、明瞭でなければならない。
 「治水の原則」は「洪水の水位を下げる」この1点である。
 洪水の水位を10cm、いや2cmでも1cmでも下げる。それが治水の原則である。
 この治水の原則は、簡単で、ぶれがない。簡単でぶれないからこそ、この原則から多様な治水の手法が生まれていく。
 ただし、多様な治水の手法には厄介な問題が内在している。
 全ての治水の手法は、長所と短所を持っている。絶対的に正しい治水の手法などない。
 それぞれの河川で、それぞれの時代で、治水の原則に立ち、より良い治水の法を選ぶしかない。

洪水をある場所で溢れさせ、川の水位を下げる

 最も原始的な手法は、ある場所で溢れさせることである。ある場所で洪水が溢れれば、そこから下流の洪水位は下がる。
 この治水効果は絶大である。古い時代から、世界中で用いられていた。日本でもこの手法は多用された。
 21世紀の今でも、中国の推河(ワイガ)ではこの手法を使っている。2003年の洪水時、堤防を爆薬で爆破した。土地利用の低い地域を洪水で溢れさせ、土地利用の高い下流地域を守った。
 この手法は簡単で、効果は絶大である。しかし、決定的な欠点を持っている。
 社会的強者のために社会的弱者が犠牲になる点である。現代の日本社会で、この手法は合意を得られない。

洪水を他へ誘導して、水位を下げる

 河川の切り替えと呼ばれたり、放水路と呼ばれたりする手法である。
 河川を切り替えて、洪水を他へ誘導してしまう。そして、川の水位を下げて沿川の土地を守る。大都市の東京や大阪も、川を切り替えることによって守られている。
 この手法の効果も絶大で、河川の水位は低くなり、安全性は一気に高まる。しかし、これも重大な欠点を持っている。
 河川の流れを向けられた地域は、洪水の脅威に曝されてしまう。
 江戸時代の利根川の切り替えで首都圏域は守られたが、利根川下流の茨城、千葉は何度も繰り返し洪水被害を受けることとなった。
 そのため21世紀の今も、利根川の下流部を守るため3カ所の国直轄の河川事務所が治水事業を継続している。

川幅を広げて、水位を下げる

 川幅を広げれば、洪水の水位は下がる。
 川幅の拡幅は、地先の水位を下げるだけではない。上流一帯の水はけを良くする効果がある。
 しかし、この治水手法にも難題がある。河川拡幅には、川沿いの土地を必要とする。日本各地のどの川沿いの土地も、何百年もかけて血と汗で開発してきた貴重な土地である。
 河川拡幅ではその貴重な土地を潰さざるを得ない。潰される土地の所有者の合意を得ることは至難の業となる。
 この手法は、貴重な土地を守るために、その貴重な土地自身を潰すという自家撞着に陥ってしまう。

川底を掘って、水位を下げる

 この手法は説明する必要がないほど簡単だ。川底を掘れば水位は下がる。当たり前だ。
 この川底を掘る工事は、川の中で行われる。放水路や川幅拡幅のように新たな用地を必要としない。近代の日本社会で、用地の心配がない公共事業はこの浚渫ぐらいだ。
 浚渫は洪水の水位を確実に下げ、かつ、用地の心配はない。これは美味しい話だ。
 しかし、美味しい話ほど、危ない落とし穴が待ち構えている。治水事業でも同じだ。日本の河川行政は、この浚渫で重大な失敗を犯した。
 昭和24年、キャサリン台風が関東を襲い、利根川が栗橋で決壊した。濁流は東京まで襲い、未曾有の大災害となった。その後、国は利根川の下流部で大規模な川底の浚渫を行った。
 利根川下流部の大浚渫が完了した直後の昭和33年、利根川の上流奥深い50kmまで海の塩水が逆流した。利根川沿いの千葉、茨城一帯の農作物は壊滅的被害を受け、飲料水も使用不可能となった。流域の人々は「潮止め堰を造れ」と叫んだ。
 国は後追いで、潮止め堰の利根川河口堰を建設することにした。この痛い失敗の末、下流部の大規模浚渫では必ず河口で塩水を止める、という教訓を得た。
 長良川河口堰建設事業もその一環であった。長良川河口から15km地点の大きな砂州を浚渫し、洪水の水位を下げる。その浚渫に伴い発生する塩水の逆流を防止する潮止め堰が必要であった。
 下流部の大規模浚渫は、潮止めの河口堰という河川横断工作物を必要とする宿命を持っている。

ダム・遊水地で洪水を貯め、川の水位を下げる

 ダムや遊水地は、洪水を一時的に貯め、全川の水位を下げる。極めて効率的な手法である。
 しかし、この手法には克服すべき困難な壁がある。
 この手法は広大な用地を必要とする。用地を必要とするだけでない。用地を提供する地先にはなんらメリットがない。メリットを享受するのは、遠く離れた下流都市である。ダムや遊水池の用地を提供する人々は、一方的な犠牲者となる。
 特に、ダム事業においては、山間部の村落をそっくり水没させる。生まれた家、学校、森や小川、田植えや稲刈りのお祭りの思い出を根こそぎ消してしまう。
 家や田畑はどうにか金銭で補償できる。しかし、水没者たちの思い出は補償できない。ダム事業とは、水没者たちの思い出を犠牲にする厄介な事業なのだ。

 「治水の原則」それは「洪水の水位を下げる」こと。
 そのための様々な手法がある。どの手法も水位を下げる。しかし、どの手法もそれぞれ欠点を抱えている。
 それら手法の長所と短所を明確に示し、流域の人々の意見を聞き、流域の人々の思いに共感を示し、最後に国が責任を持って「ある手法」を選択しなければならない。
 その選択で絶対的な正解などない。より良い選択でしかない。そのより良い選択のために、情報公開と選択のプロセスの公開が必要となる。