新型コロナ対策を検証する
唐木 英明
東京大学名誉教授
はじめに
新型コロナウイルス感染症対策をめぐっては、数多くの対策が行われ、その必要性と効果について数々の主張が飛び交った。しかし、それから数年が経った今、その議論はほとんど忘れられている。そこで、過去の対策について検証する。
1.「接触8割削減」は正しかったか
流行初期、「人との接触を8割減らせばパンデミックは収束する」と信じられ、テレビは繁華街の人出を毎日報道して、「外出は悪」という雰囲気を作った。これは数理疫学者である西浦博氏らが、感染症の数理モデルから導いた数字で、考え方は単純である。
1人の感染者が平均何人にうつすかを示す数を「再生産数」と呼ぶ。欧州のデータからこれを2.5と見積もると、接触を8割減らせば残り2割でしか感染が起きないため、2.5×0.2=0.5となる。1人が0.5人にしかうつさなくなれば、約5日の感染世代ごとに感染者は半減し、1か月後には流行の波は下火になる。これがモデルの中身であった。
重要な点は、接触を元に戻せば再生産数も2.5に戻ることである。つまり接触削減は「一時的なブレーキ」であって「流行を終わらせる」のではない。世間で流布した「8割減らせば収束」という理解は、この区別を取り違えた誤解だった。
実際に、欧州の第1波(2020年春)では、ロックダウンで波が抑えられたが、制限を緩めると次の波が来襲した。中国はさらに極端で、「ほぼ全面封鎖」により、感染をほぼゼロにまで抑え込んだが、2022年末に政策を解除した途端、わずか数週間で人口の8割が感染し、推定100万人を超える死者を出したのである。
接触削減の本当の役割は、医療崩壊を防ぎ、ワクチンや治療法の登場を待つための「時間稼ぎ」であり、それまで継続する必要があった。モデルの計算は正しかったが、その長期実施は困難であり、その意味を社会に正しく説明しなかったのだ。
2.飛沫感染か、空気感染か
新型コロナがどのようにうつるのかは、対策を根本から左右する。一般に、感染経路は3つある。「飛沫感染」は、咳・くしゃみ・会話で飛ぶ比較的大きな飛沫が、近くの人の口や鼻・目に直接かかってうつるもの。「接触感染」は、飛沫が付いた物の表面を触った手で顔を触ってうつるもの。そして「空気感染(エアロゾル感染)」は、飛沫が乾いて微細な粒子となり、空気中を漂い、離れた場所や換気の悪い室内に滞留して、それを吸い込んでうつるものである。
パンデミック初期の2020年3月末に世界保健機関WHOは「新型コロナは空気感染しない」と明言した。この前提から導かれた対策が、手洗い、消毒、マスク、そして「2mの距離」である。大きな飛沫は2mも飛べば落ちる、という考え方だ。
しかし2020年7月、32か国239人の科学者が連名でWHOに公開書簡を送り、空気感染を正式に認めるよう求めた。実際、換気の悪い室内での集団感染、2mを超える距離での感染、無症状者からの感染といった事例は、飛沫説では説明しきれなかった。今日では、空気感染が主要な経路であることが広く受け入れられている。
この違いは対策を大きく変える。空気感染が主なら、換気と空気清浄、混雑した換気の悪い屋内を避けること、高性能マスクを着けること、屋内での滞在時間を減らすことが要になる。逆に、表面消毒や2mルールは効果が薄く、アクリル板は気流を妨げ、換気を悪化させて逆効果になりうる。
日本の対策は両方が混在した。表向きの措置は飛沫・接触の枠組みに沿った、アクリル板の設置、頻繁な表面消毒、手指消毒、検温という、いわゆる「衛生演劇」の色彩が濃い措置が行われた。ところが、これと別の系譜があった。クラスター対策班が2020年2月末に打ち出した「3密(密閉・密集・密接)」の概念で、「密閉=換気の悪い閉じた空間を避ける」という発想は、まさに空気感染防止の考え方である。
対策の評価は分かれる。3密回避、換気の重視は費用対効果が高い。他方、飛沫・接触の枠組みから受け継がれた部分、アクリル板、表面消毒、距離確保は、効果が薄いか、逆効果ですらあった。しかも空気感染が主流と判明した後も、そして現在もなお、これらの「演劇」が惰性で続いている。
3.なぜ流行を繰り返したのか
感染がいったん収まり、また次の波が来る。この繰り返しは、規制の強弱のせいなのか、それとも変異株のせいなのか。結論から言えば、波を生み出すのは「免疫の減衰」である。
2020年から2021年初めには、規制を強化すれば感染者は減少し、緩めれば増加するという相関があった。しかしこれは順番が逆で、感染が増え始めると規制し、下がり始めると解除するという政策の結果に過ぎない。
次に、アルファ、デルタ、オミクロンといった変異株は、それぞれ感染力の上昇や免疫のすり抜け(免疫回避)によって、規制とは無関係に新しい波を次々と引き起こした。特にオミクロンは、ワクチン接種や過去の感染が進んだ集団でさえ大波を起こし、免疫回避が波の引き金になることを示した。ただし変異株は決まった周期で現れるわけではないので、「年に何度も波が来る」というリズムそのものは説明できない。
そこで登場するのが、免疫の減衰である。感染やワクチンで得た抗体は数か月で低下し、「感染しうる人」が絶えず補充されていく。そして免疫が薄れれば再び流行が起こる。こうして、繰り返しの律動が生まれるのだ。
この可能性を裏づけるのが、2022年以降の、世界的な規制撤廃である。もし規制の強弱が繰り返しの原因なら、規制がなくなった時点で波は止まるはずだが、波は今なお繰り返している。繰り返しは、免疫が持続しないというウイルスの性質にあるのだ。
では、季節性は認められるのか。流行の急性期には年3回の波があり、明瞭な季節性は見えにくかった。はっきり見えてきたのは、流行が落ち着いて常在化した後である。それは、インフルエンザのような「冬だけの1峰性」ではなく、新型コロナに特有の「冬と夏の年2回」のパターンであった。
気候だけが要因なら、波は冬1回になるはずである。6か月という周期は、免疫が数か月で薄れる速さと、ウイルスの変異が入れ替わる周期とが噛み合って生じている。季節性は「波を生み出すエンジン」ではなく、「その律動の時期と大きさを整える伴奏」と位置づけるのが正確である。
4.感染防止か経済か
コロナ対策は、感染防止を最優先する立場と、経済への打撃を懸念する立場の対立として語られてきた。しかしこの「命か経済か」という前提自体が、事後のデータでは支持されない。
OECD加盟45か国のデータでは、ウイルスを早く封じ込めた国はむしろ経済的打撃も小さい傾向にあり、感染を抑えることと経済を守ることは対立していなかった。理由は単純である。感染が拡大すれば、人々は自発的に外出や消費を控え、労働者は病欠し、供給網が乱れるからである。つまり「命か経済か」は偽の二者択一であった。
ただし2つの留保がある。第1に、中国のゼロコロナのように極端な措置を年単位で続ければ、本物のトレードオフが生じる。第2に、感染と規制の負担は不平等に表れた。対面・接客業の比較的低所得とされる労働者が、感染リスクと経済的打撃の両方を最も強く被ったのである。
では、どのような対策が「良い」対策だったのか。費用対効果で並べると、おおむね次のように整理できる。
高い効果・低い費用:早い初動、感染検査・追跡・隔離、良質なマスク、換気・室内空気の改善、高齢者施設など弱い立場の人への集中的な防御、医療体制の保護、正直で明確な情報発信。そして何より、ワクチンの迅速な開発と、弱い立場の人への優先接種。
費用に見合わなかった対策:長期の休校、感染が定着した後の水際封鎖、テーブル表面の消毒などの「衛生演劇」、ワクチン普及後も続けた極端な措置。
要するに、事後から見た最善は、状況に応じて柔軟に強度を変える中道であった。
5.マスクの効果
日本では第一波から規制解除まで、ほぼ全員がマスクを着用し、着けなければ村八分に近い扱いを受けた。「マスクのおかげで初期の波が小さかった」という議論もある。だが、もしそうなら、パンデミック後期に、着用率の低い欧米より大きな波が来たことは矛盾する。しかも日本のマスクは高性能品がほとんどなく、鼻だしや隙間だらけの着け方も多かった。結局、マスクはどれだけ効いたのか。この問いは、感染対策の中で最も評価が割れる領域である。
原理としては、マスクは呼吸器の粒子の放出と吸入を減らす。ただし効果は「素材」と「フィット」で桁違いに変わる。スパコン「富岳」のシミュレーションによれば、不織布(サージカル)マスクは顔に密着させれば放出飛沫の85%を捕えるが、ルーズに着けると69%まで落ちる。布やポリエステルは繊維の隙間が大きく、小さな飛沫は最大4割が透過する。ウレタンマスクはフィルター性能がさらに低い。要するに、当時の日本で大半を占めた「ルーズフィット・鼻だし・低性能素材」の着用は、理想値よりかなり低い効果しかなかった可能性が高い。
さらに、マスクが最も苦手とするのは、空気中を漂うエアロゾルである。大きな飛沫は布マスクでも8割方止まるが、感染の主経路であるエアロゾルは、隙間から漏れ、また低性能素材を透過する。つまり日本の現実の着用は、支配的な経路に対しては穴が多かった。
バングラデシュの研究では、マスク着用を促した地域で感染が1割減ったが、布マスクには効果がなかった。デンマークの試験は着用者本人の感染を18%下げたが統計的に有意ではなかった。2023年の医学論文のシステマティック・レビューを行なう国際的団体コクランのレビューは「マスク着用は感染の結果にほとんど差を生まない」と結論した。ただし、対象の試験の多くは着用の遵守率が低く、しかも着用を自己申告に頼っており、「マスクの着用を推奨・義務づけても効果はなかった」というのが正確な結論である。
以上を踏まえると、高性能マスクを正しく着用すれば、マスクは有効だが、それは医療現場での状況である。市中での「ほぼ全員が着けるが、大半が低性能でルーズ」という状況では、マスクは小さな便益しか生まない。波の大きさは「マスクの効果 × 変異株の感染力 × 免疫の状態 × 感受性者の量」で決まる。マスクの1接触あたりの削減率がほぼ一定でも、相手の感染力が上がれば、結果は変わる。1接触あたり2〜3割しか減らさないマスクは、再生産数が1.2なら流行を1未満に押し下げうるが、オミクロンのように再生産数が5〜10にもなる免疫回避株の前では、焼け石に水である。
実際の着用状況ではマスクは小さな便益しか生まないにもかかわらず、着用しない者を村八分にするなどの強い社会的強制が行われたことは正当化できない。マスクが疫学的な効果を超えて道徳の象徴になった点は、リスクコミュニケーション上の問題として記録されるべきである。
6.ワクチンは何を成し遂げたのか
パンデミックの出口として最も期待されたのがワクチンだった。約1年という異例の速さで開発・実用化されたmRNAワクチンは、感染症対策の歴史的な成果である。だが、当初抱かれた「ワクチンで集団免疫に達し、流行を止め、パンデミックを終わらせる」という期待は実現しなかった。それではワクチンの効果とは何だったのだろう。
ワクチンは重症化と死亡を劇的に減らした。これがワクチンの最大かつ最も確実な効果である。国際的なモデル研究(ランセット感染症誌)は、接種開始からの最初の1年間(2020年12月〜2021年12月)だけで、世界185か国で約1,440万人(公式のコロナ死者ベース)から約1,980万人(超過死亡ベース)の死を防いだと推計している。日本でも、8割という高い接種率が、オミクロンの巨大な波を比較的低い死亡で乗り切れた主因と言われる。なお、死亡回避数の推計には幅があるが、重症化・死亡を減らしたという結論は揺るがない。
ワクチンの作用を考える時、「重症化を防ぐ力」と「感染・伝播を防ぐ力」を分ける必要がある。感染を防ぐ効果は、当初こそ高かったものの数か月で急速に減衰し、とりわけ免疫回避性の高いオミクロンに対して大きく低下した。一方、重症化・入院・死亡を防ぐ効果ははるかに高く、長持ちした。抗体が減っても、細胞性免疫が重症化への進行を食い止めるためである。
ワクチンは総じて稀な有害事象が実在する。mRNAワクチンでは心筋炎・心膜炎が、とりわけ若い男性の2回目接種後にわずかに増え、多くは軽症で数日のうちに回復する。アデノウイルスベクター型(アストラゼネカ等)では、稀だが重篤な血栓症が問題となり、多くの国で使用が制限あるいは中止された。全体として、重症化・死亡という便益は、稀な有害事象という危険を大きく上回り、高齢者や基礎疾患のある人では接種が圧倒的に有利である。ただし、リスクの低い若年男性、とりわけ追加接種については、便益と危険が接近し、専門家の間でも評価が割れる。
最後に、リスクコミュニケーションの失敗にも触れねばならない。当初、一部の当局や専門家は「接種すれば感染も伝播も防げる」と踏み込んで語った。しかし、この過大な約束は現実と衝突し、信頼を損なった。感染を持続的に止められないにもかかわらず、接種証明や事実上の強制を課したことの正当性も問われる。誤りはワクチンにあったのではなく、その能力を超えた期待と、その幻の能力を前提に強制を組み立てた点にあった。
7.なぜアジアは少なかったのか
流行初期、日本を含むアジア諸国の感染者・死者は欧米に比べて際立って少なかった。これを「体質(ファクターX)」に求める見方がある。そして、それらの国でも中期以降に感染が激増した。この現象をどのように説明できるだろうか。
まず「体質」説には、実証の裏づけがある。日本人の6割がもつ白血球の型では、風邪を起こす別のコロナウイルスに反応する免疫細胞が新型コロナにも反応するという「交差免疫」の可能性が、細胞実験で示された。また、東アジア人の祖先が2万5千年前からコロナウイルスに関わる遺伝子に強い自然選択を受けてきたという研究もある。肥満率の低さなど、集団の健康状態の違いも重症化を抑えた可能性がある。
しかし、この生物学的証拠の多くは「感染しにくさ」ではなく「重症化しにくさ」を説明するものであることと、その多くは仮説や細胞レベルの話で、集団規模の地域差を説明できると実証されたわけではない。
だだし、対策の程度が異なるアジアの国々で初期の感染者が少なかったことは、体質以外での説明は困難である。問題は、もしアジア人が遺伝的に「感染しにくい」体質なら、2022年に世界有数の感染率を記録するはずがないという反論である。初期のウイルスには感染しにくかったが、変異株の感染には対応できない体質だったという可能性もあるが、証拠はない。結局、体質の関与はよく分かっていない。
8.リスクコミュニケーションは適切だったか
日本では、専門家が連日テレビに登場して新型コロナの恐ろしさを語り、ニュースは冒頭で最新の感染者数を報じて恐怖感を煽った。これは、恐怖と社会的圧力で、法的強制力のない「自粛要請」への協力を促そうとするものであった。この手法はリスクコミュニケーションとして正しかったのだろうか。
心理学の研究では、恐怖に訴えるメッセージは態度や行動を変える効果がある。ただし決定的な条件が2つある。第1に、効果が高まるのは、恐怖と同時に「何をすれば・どれだけ守られるのか、自分にそれができるのか」という「対応の情報」が伴うときである。恐怖だけを煽り、対応策を与えなければ、人は前向きな行動ではなく、麻痺・否認・反発に向かう。第2に、恐怖が有効なのは「1回きりの行動」であって、数年に及ぶ持続的な行動を要する場面では、慣れと疲労で効果が薄れていく。
この物差しで見ると、日本の手法にはいくつかの弱点があった。専門家が語る「恐怖情報」と「感染者数」だけを毎日流す手法は、うまく設計された恐怖喚起というより、脅威だけを慢性的に供給する形だった。これらは危険の感覚を歪め、慢性的な不安を持続させる。しかも数年にわたり恐怖を反復したことで、疲労と反発を招いた。緊急事態宣言を重ねるほど効きが悪くなったのは、その表れである。
その最大の代償は、相互監視(いわゆる自粛警察)や、感染者・医療従事者への偏見・差別・排除が広がったこと、そして精神的健康への打撃である。自殺率が流行初期に一度低下した後、2020年後半に上昇に転じ、特に女性と子ども・若者で増加が大きかった。原因は経済・孤立・DVなど複合的だが、コロナへの恐怖、コロナ関連の偏見や差別、そして著名人自殺報道の影響といった、まさに情報環境に由来するものが含まれている。
海外と比べると、教訓は鮮明になる。英国も恐怖を意図的な行動誘導の道具として用いたのだが、その助言に関わった行動科学者自身が「恐怖を統制の手段に使うのは倫理的でない」「恐怖の兵器化だ」と反省の弁を語った。一方で、より望ましいモデルもあった。ニュージーランドは共感と明確さと透明な説明で高い信頼を築き、ドイツは指導者が落ち着いて科学を国民に説明して対等な理性的主体として遇し、スウェーデンは「数年維持できる、扇情的でない」情報発信を設計原理とした。これらに共通するのは、恐怖ではなく信頼と主体性の付与を自発的協力の原動力とした点である。
このように、日本の手法は、危機の情報発信として望ましいものではなかった。危険と不確実性を正直に伝え、脅威を必ず「対応策」と対にし、一貫性と透明性で信頼を保つ。要請ベースを採った日本にこそ、本来はこのような信頼型の発信が最も適合したはずである。
9.対策の採点
これまで見てきた費用対効果の物差しで、日本の主な対策を採点する。
一斉休校は、最も評価の低い措置である。休校した市区町村としなかった市区町村を比べても新規感染者数に差はなく、感染を減らす効果はほぼ確認されなかった。にもかかわらず、学習の遅れ、子どもの心身の健康悪化、保護者、特に母親の就労中断の害は大きかった。しかもこの決定は、担当閣僚が反対するなか首相が押し切ったもので、専門家の助言を経ていなかった。低リスクの子どもに、効果のない措置を大きな害を伴って課した、費用倒れの典型である。
緊急事態宣言(初回、2020年春)の評価は、見る角度によって変わる。その当時は、ワクチンも治療法もなく、免疫を持たない集団、恐れられた高い致死率、そしてイタリアやニューヨークの医療崩壊が目前という状況で、小さくとも指数関数的に増えうる波に対し、医療崩壊を避けるために低コストの要請ベースでブレーキをかけたのは、予防的な判断として理に適っていた。しかし、現時点から振り返ると、宣言は流行の山が過ぎてから発出され、自発的な外出自粛が減少の相当部分を担っていたと考えられ、評価は低くなる。
緊急事態宣言(後続)は、回を重ねるごとに効果が薄れた。人々の「疲労」が進み、来店客数は自粛期間が長引くほど戻り、宣言を重ねるほど効きが悪くなった。一方で費用は累積し、飲食・観光などに集中した。
まん延防止等重点措置は、「宣言より軽く・地域限定で」という設計思想は正しかったが、中身は主に飲食店の時短に帰着し、効果の裏づけは乏しかった。
水際対策は二重に失敗した。2020年前半は、第一波の流入を止められるほど早くも堅くもなかった。逆に2021〜2022年は、感染が国内に定着し水際が役に立たなくなった後も、差別的で長期にわたる入国制限を続け、留学生・研究者・ビジネス・家族分断という大きな損失があった。
マスク着用(推奨・社会的普及)の効果についてはすでに述べたが、問題はその運用にあった。すなわち、着けない者を村八分に近い扱いにする過剰な社会的強制は、小さく不確実な便益に対して不釣り合いであり、マスクを疫学的な効果を超えた道徳の象徴にしてしまった。
アベノマスク(布マスク全戸配布)は、首相の意向で2020年4月に決定された、全戸に布マスク2枚を配る施策である。市販マスクが払底し価格が高騰した深刻な品薄の最中であり、洗って再使用できる布マスクを全戸に配ることで品薄を緩和し、貴重な不織布マスクを医療用に回す、という意図自体は不合理ではなかった。しかし、素材の選択・サイズ・時機・品質管理・調達過程のいずれもが拙劣で、結果は税金の無駄遣いに終わった。
10.次のパンデミックに向けて
検証は、現時点から過去を眺めることだが、パンデミック発生当時は霧の中を手探りで進むような状況だった。だから、検証の結果をそのまま過去の批判につなげることは間違いであり、そこから将来への教訓を見つけ出すことが目的である。
重要な事実は、病原体によって「最善の対策」は変わることである。 新型コロナの「急な年齢勾配」と「1年でワクチンが登場した」という条件が、最適解の形を決めた。もし致死率がずっと高く、子どもを多く死なせる病原体、あるいはワクチンの見込みが立たない病原体であれば、対策は変わる。したがって次への備えの核心は、特定の方針にあらかじめ縛られることではなく、病原体の性質を素早く見きわめ、それに応じて対応を柔軟に仕立てる力を平時から養っておくことにある。
コロナ禍が最も強く突きつけた教訓は、状況の変化に応じて対策を更新し続けることの大切さであった。次のパンデミックにおいて、私たちがこの教訓を思い出せるかどうかが、問われている。










