弱者救済から投機へ・米国の集団訴訟の変貌の歴史


東京大学名誉教授

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はじめに

米国における集団不法行為訴訟が、高度に組織化された収益性の高い産業へと変貌を遂げていることはすでに書いた(米国の集団不法行為訴訟の産業化 – NPO法人 国際環境経済研究所|International Environment and Economy Institute)。その歴史をたどってみると、1960年代に確立された不法行為法理を起点として、米国の法律事務所は、製造物責任の厳格化、懲罰的賠償制度、および陪審員制度という米国特有の法的土壌を最大限に活用し、企業に対する強力な交渉力を構築してきた。1980年代は「身体傷害の集団訴訟」の時代になり、何十万人もの原告が、有害物質や欠陥製品による被害を主張して巨大企業を提訴する潮流が定着した。この時期以降、訴訟は単なる個別紛争の解決手段から、少数の「エリート法律事務所」が数千、数万の案件を統括し、多額の投資を回収する「高度に金融化されたビジネス」へとパラダイムシフトを遂げている。

1 不法行為法理の形成と集団救済の夜明け

1.1 厳格責任の採用と手続的基盤の整備(1960年代)

米国における集団訴訟の歴史的転換点は、1960年代の法理の変革にある。1963年、カリフォルニア州最高裁判所は Greenman v. Yuba Power Products 事件において、原告がメーカーの過失を証明せずとも、製品の欠陥と損害の因果関係のみで賠償を認めうる「厳格製品責任」を確立した。この法理は1965年に不法行為法に採用され、大規模な製造物責任訴訟の障壁が劇的に低下した。

並行して、1966年の連邦民事訴訟規則の改正は、共通の法的・事実的問題を有する多数の被害者を一括して扱う「集団訴訟」の道を切り開いた。この改正により、個々の損害額が小さく、個別提訴が経済的に不合理な場合でも、集団として提訴することで企業に巨額の賠償を求めることが可能となったのである。

1.2 多地区訴訟と集約化の進展

1980年代以降、訴訟の効率化を求めて、共通の事実問題を含む複数の個別訴訟を一つの裁判所に集約して公判前手続を行う「多地区訴訟」制度が活用されるようになった。これは、集団訴訟のような厳格な共通性の要件を緩和しつつ、数万件の個別訴訟を一括管理し、被告企業に巨大な和解圧力をかけるために、法律事務所が活用するようになった。

制度・法理 確立時期 主な役割・影響
厳格製品責任 1963年 過失の証明を不要としてメーカーの責任追及を容易に
連邦規則改正 1966年 金銭的損害を目的とする集団訴訟を可能に
多地区訴訟 1968年 全米に散らばる同様の訴訟を一つの裁判所に集約
弁護士広告の解禁 1977年 法律事務所による大規模な原告募集の開始

2 アスベスト訴訟:集団不法行為ビジネスの始まり

2.1 歴史上最大かつ最長の紛争

アスベスト訴訟は、「史上最大、最長、かつ最もコストのかかる集団不法行為」とされている。その端緒は、1973年に裁判所が、メーカーがアスベストの危険性を労働者に警告しなかったことに対して責任を負うと判断したことだ。この判決を契機に、その後数十年にわたり何十万人もの労働者や家族が提訴を行い、120社を超える企業が不法行為責任を理由に破産した。

法律事務所にとって、アスベスト訴訟は「集団訴訟ビジネス化」の極致であった。上位の法律事務所が膨大な数の案件を独占的に扱い、数千の被告企業を網羅的に提訴する戦略が定着したのだ。2024年のデータによれば、上位5つの原告側法律事務所が全訴訟の51%を提起しており、一つの訴状に平均75社、時には400社以上の被告が名を連ねる「過剰な数の被告」が常態化している。

2.2 破産信託と定型的処理

アスベスト訴訟の長期化に伴い、破産した企業が将来の被害者への補償を行うための「補償基金(信託)」制度が確立された。米国破産法に基づき、企業は現金や保険金、自社株などを拠出して信託を設立し、これと引き換えに将来の不法行為責任からの免責を得る。現在60以上の信託が存在し、300億ドル以上が確保されている。法律事務所は、裁判所を介さず信託に対して「定型的な請求」を行うことで迅速な資金回収を行う、極めて便利なビジネスモデルを構築した。このシステムは、救済機能を果たしつつも、透明性の欠如が指摘されている。2017年の「アスベスト請求透明性向上法」は、複数の信託に対する二重・三重の請求を防止するための報告義務を課すなど、制度の悪用を防ぐための改革が進められている。

3 たばこ訴訟の戦略的転換と法律事務所の「サクセスストーリー」

3.1 内部文書の暴露と「欺瞞」の立証

たばこ産業に対する訴訟は、1950年代の第1波以来、法律事務所の敗北の歴史だった。業界側は「喫煙は個人の選択であり、リスクは周知されている」という論法で、因果関係や中毒性を否定することに成功していた。しかし、1990年代の「第3波訴訟」において、法律事務所は戦略を根本から転換した。ターゲットを賠償能力のある大手企業に絞り、証拠開示手続によって「たばこ産業が数十年前からニコチンの中毒性と健康被害を認識しながら、それを意図的に隠蔽し、若年層にマーケティングを行っていた」ことを示す内部文書を公開させたのである。この「企業の欺瞞」に対する陪審員の怒りは、天文学的な賠償評決へと結びついた。

3.2 1998年包括和解と巨額の弁護士報酬

1998年、全米46州の州司法長官と主要たばこ4社は、公的医療費の補填として2,060億ドル以上を支払う「包括和解協定」を締結した。この和解により、州政府を支援した民間の法律事務所は、和解金の30%から40%という巨額の成功報酬を獲得したとされる。この莫大な資金力は、後の法律事務所がさらに大規模な集団訴訟を仕掛けるための「戦時資金」となり、訴訟のビジネス化を決定づけた。個別訴訟においても、法律事務所は「懲罰的賠償」という米国特有の制度を活用し、社会的な正義を旗印に巨大な評決を勝ち取ってきた。

4 ラウンドアップ訴訟:ハザードの政治化と「リスク創出」戦略

4.1 ポルティエとIARCの裏側

除草剤「ラウンドアップ」を巡る訴訟は、法律事務所が科学的評価に介入し、意図的に「リスクを創出」した典型例とされる。その中心には、環境保健の専門家であるクリストファー・ポルティエの存在がある。ポルティエは、2015年に国際がん研究機関(IARC)がグリホサートを「グループ2A(おそらく発がん性がある)」に分類した際、招待専門家として会議に参加し、大きな影響を与えていた。そして、後の証言録取において、ポルティエがIARCの分類決定のわずか19日後に、モンサントを提訴しようとしていた米国の法律事務所とコンサルティング契約を結び、多額の報酬を受け取っていたことが判明した。

4.2 科学的コンセンサスと法廷の解離

IARCが「ハザード(潜在的な発がん性)」を評価したのに対し、米国のEPA(環境保護庁)、欧州のEFSA(欧州食品安全機関)、Health Canada、食品安全委員会などの世界中の規制当局は、実際の曝露条件下ではグリホサートにリスクはないと一貫して判断してきた。しかし、法律事務所はIARCの分類を「決定的な科学的証拠」として提示し、企業の隠蔽工作を示唆する「モンサント・ペーパー」と組み合わせることで、陪審員から巨額の賠償評決を勝ち取った。こうして法律事務所がIARCを乗っ取ることで科学的プロセスそのものを「武器化」し、規制当局の基準を上書きして巨額の和解金(バイエルによる100億ドル規模の和解)を引き出す手法を確立した。

5 化学物質訴訟のフロンティア:PFAS、タルク、アスパルテーム

5.1 PFAS:健康被害の「計算違い」

「永遠の化学物質」と呼ばれるPFAS訴訟は、デュポン社によるテフロン製造工程での環境汚染をロブ・ビロット弁護士が告発したことを契機に拡大した。しかし、PFASは「次のアスベスト」として期待されながらも、法律事務所にとっては「計算違い」が生じている。自治体や水道局が環境・水質汚染の浄化費用を求める訴訟では、3Mやデュポンが総計100億ドルを超える和解金を支払うなど、大きな成果を上げている。他方、PFASは「沈黙の化学物質」ともいうべき性質を持ち、汚染が始まってから半世紀以上の間、何の健康被害も報告されなかった。ビロット弁護士の告発により汚染が見つかった時には、それは全世界に広がり、全人類の血液中から検出されるほどであった。そして、世界の多くの人ががんを発症しているが、PFASの汚染との「一般的因果関係」の証明はなく、ましてや特定の個人のがん発症が特定の企業の排出によるものであるという「個別的因果関係」の立証はほぼ不可能である。このため、大規模な集団不法行為として賠償を要求する仕組みの構築には至っていない。

5.2 タルク:アスベストと製品責任

ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)のベビーパウダーなどを標的としたタルク訴訟は、アスベスト訴訟のノウハウを転用した成功例である。IARCが「アスベストを含むタルク」をグループ1(発がん性あり)に分類したことを受け、法律事務所は卵巣がんや中皮腫との関連を主張して数万件の訴訟を提起した。企業側は「アスベストは検出されていない」と反論したが、陪審員は数千億円規模の賠償を命じる評決を連発し、J&Jは数十億ドルの和解資金を計上せざるを得なくなった。

5.3 アスパルテーム:規制の壁と拡大の限界

2023年、IARCがアスパルテームを「グループ2B(発がん性の可能性あり)」に分類した際、次なる集団訴訟のターゲットになると注目された。しかし、これまでのところ、アスパルテーム訴訟は大規模なうねりを見せていない。その理由は、FDA(米食品医薬品局)が「通常の摂取量では安全である」という評価を崩しておらず、科学的な因果関係の立証が極めて困難なためである。米国の裁判所は、専門家証言の信頼性を評価する「ドバート基準」に基づき、不確実な科学的主張を排除する傾向を強めており、アスパルテームのような案件では法律事務所の「リスク創出」が容易ではないことが示されている。

5.4 タイレノール:裁判所の壁

2022年、妊娠中のアセトアミノフェン(商品名タイレノール)の使用が自閉症や注意欠陥多動性障害を引き起こすとして、メーカーを相手取った多地区訴訟がニューヨーク連邦地裁に集約された。原告は600名を超え、次の巨大な集団不法行為として大きな関心を集めた。しかし、この訴訟は科学的証拠の信頼性を審査する「ドバート基準」という大きな壁に直面した。デニス・コート判事は、原告側の5人の科学者の証言を、自分たちの理論に都合の良いデータのみを「チェリーピッキング(つまみ食い)」して、因果関係を否定する国立衛生研究所の調査結果などを不当に軽視していると指摘し、告訴を棄却した。これは法律事務所による「科学者の利用」戦略が裁判所の「ゲートキーパー機能(不適切な専門家証言の排除)」によって阻止された象徴的な事例である。これは、PFASやアスパルテームと同様、法律事務所が巨額の資金を投じても、科学的因果関係の壁を突破できなければ「ビジネス」として成立しないことを示している。

6 訴訟の金融化:第三者訴訟ファイナンスの衝撃

6.1 投資対象としての民事訴訟

集団訴訟における最もドラスティックな変化は、訴訟が「権利の救済」から「金融投資商品」へと変貌したことにある。ヘッジファンドや機関投資家が、将来の和解金の一部の分配を条件に、訴訟費用を前貸しする「第三者訴訟ファイナンス」は、いまや数十億ドル規模の産業となっている。第三者訴訟ファイナンスの台頭により、法律事務所は自己資金の制約を受けることなく、莫大な広告費を投じて数万件の原告を集めることが可能となった。2023年のデータでは、ポートフォリオへの投資額は平均1,000万ドルに達し、法律事務所の中には2億5,000万ドルもの資金提供を受けている例もある。

6.2 第三者訴訟ファイナンスの問題点

訴訟に投資家が参入したことは、訴訟を正義の追求から「投資回収」の場へと変質させている。投資回収を急ぐファンドの圧力により、科学的根拠が希薄な「投機的」な請求であっても大量の原告を集める傾向が強まっている。これは「強請り(シェイクダウン)」的な訴訟を増加させ、被告企業に多額の防御費用を強いる。

本来、和解の是非は依頼人(原告)が決めるべきだが、一部の投資契約ではファンドが和解金額に実質的な「拒否権」を持つ場合がある。また、25%を超える高金利の複利設定により、和解金の50%以上が弁護士費用と投資家への返済に消え、原告の手元に残る額が極端に減少する事例も報告されている。

年間24億ドルに達する弁護士広告の多くがTPLF(第三者訴訟資金提供)によって支えられている。資金を投じて「恐怖の物語」を拡散し、膨大な数の原告を瞬時に集めることで、被告企業に対して圧倒的な和解圧力を形成する仕組みが確立されている。TPLFによる訴訟コストの増大は、年間358億ドルの直接的な損失をもたらし、最終的には一世帯あたり約607ドルの「消費者コスト」として、商品の価格に転嫁されている。

敵対的な外国勢力が、法律事務所を介して匿名で訴訟に投資し、米国の防衛産業やハイテク企業を法的に攻撃することでその活動を麻痺させるリスクも指摘されている。

7 メディア利用と「陪審員の心理学」

7.1 1.2億ドルのテレビ広告と「恐怖」の動員

法律事務所の集団訴訟ビジネスを支えるエンジンは、大規模なメディア利用である。1977年の最高裁判決による広告解禁後、米国のテレビや道路沿いの看板は、「健康被害を取り扱う弁護士」の広告で埋め尽くされた。現在、法的広告への支出は年間12億ドルに達し、2017年から2021年の累積では68億ドルに及ぶ。

これらの広告は、単に原告を募集するだけでなく、洗練された「恐怖の物語」を用いる。例えば、特定の医薬品や化学物質を「死に至る毒」として描写し、視聴者に不安を植え付けることで、実際には被害を受けていない人々までをも訴訟の網へと引き込む効果を持っている。

7.2 陪審員制度という「ブラックボックス」

米国の民事訴訟は、専門家ではない一般市民から選ばれた陪審員が、事実認定と賠償額の決定を担う。法律事務所はこの制度の特性を熟知しており、法廷を「科学的な議論の場」ではなく「善悪のドラマの場」へと変貌させる。

陪審員は「more likely than not(50%を超える蓋然性)」という低い証明基準で被告の責任を認めることができ、さらに企業の不誠実さが認められれば、実際の損害額を遥かに上回る懲罰的賠償を課すことができる。法律事務所は、ポルティエ氏のような専門家を「中立的な科学者」として登壇させ、複雑な統計学を「企業による組織的な殺人」という分かりやすい物語に翻訳することで、陪審員の共感と義憤を勝ち取るのである。

8 日本で「米国型集団訴訟」が定着しない背景

米国で展開されているような、巨大な賠償額を伴う「集団訴訟ビジネス」は、日本では起こりにくい環境にある。これは、単なる文化の差だけでなく、法的・制度的な構造の違いが大きく影響している。

8.1 懲罰的賠償の否定

米国訴訟の最大の推進力である「懲罰的賠償」は、日本では認められていない。日本法は損害賠償について、あくまで実際に生じた損失を埋め合わせる「損害填補」を主目的としており、制裁や抑止を司法判断に委ねることは適切でないと考えられている。最高裁判所も、外国の懲罰的賠償判決の執行を「公序良俗に反する」として認めていない。このため、被害額を遥かに上回る巨額の賠償金(ウィンドフォール:棚ぼた的利益)を狙った訴訟動機が働きにくい構造となっている。

8.2 証拠開示と陪審員制度の不在

日本には米国のような広範な「証拠開示」制度が存在しない。企業の内部不正や危険性の認識を証明するための証拠を入手するハードルが非常に高く、提訴前に十分な証拠を揃える必要がある。また、日本の裁判員制度は殺人など重大刑事事件に限定され、「民事」には適用されない。従って、民事訴訟は専門家である裁判官のみで行われる。裁判官は過去の判例や相場を重視し、感情的な訴えに基づく予測不可能な高額評決を下す可能性が極めて低いため、法律事務所が「一か八か」の賭けに出るメリットが少ない。

8.3 集団的救済制度の設計

米国の集団訴訟が、除外を申し出ない限り全員が原告となる「オプトアウト方式」であるのに対し、日本の伝統的な集団訴訟は参加を希望する人のみが提訴する「オプトイン」に近い形式が主である。また、2016年に導入された「特定適格消費者団体」による消費者被害回復制度も、対象が財産的な損害などに限定されており、健康被害を直接扱う仕組みとしては機能していない。

8.4 紛争解決の文化と行政の役割

日本は伝統的に「和」を重んじる非紛争的な社会であり、対立的な裁判よりも調停や示談による円満な解決を好む傾向がある。また、自動車事故や公害など、米国では訴訟となる事案も、日本では行政による救済制度や公的な紛争解決センターが整備されており、予測可能で中程度の補償が迅速に支払われる「効率的なシステム」が存在していることも、訴訟件数が少ない一因とされる。

おわりに

米国の集団訴訟の歴史は、弱者の救済という崇高な理念から出発しながらも、現在では「洗練された投資事業」へとその性格を変容させてきた。アスベスト訴訟で培われた請求処理の自動化、たばこ訴訟で証明された巨額賠償の可能性、そしてラウンドアップ訴訟で示された「科学と国際機関の利用」という要素が「集団訴訟ビジネスモデル」を支えている。それは、今後も化学物質やデジタル技術(AI、個人情報保護など)を対象とした巨大訴訟を生み出し続けるだろう。その一方で、科学的根拠を欠いた「投機的訴訟」の増加や、訴訟コストの社会的転嫁といった副作用も顕在化している。法律事務所は常に新たなターゲットを求め、「リスク」を探し続けるが、その活動が真の救済をもたらすのか、それとも単なる資産運用の手段に堕するのか、米国の司法システムはその真価を問われ続けている。