第12話「IAEA総会:60年の節目」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使

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1.IAEA in Africa

 8月下旬になると、ウィーンも夏休みシーズンから徐々に通常モードに戻り、一年の国際会議シーズンの幕開けとなる。
 国際原子力機関(IAEA)においても、一年で最大の行事である9月のIAEA総会に向けた準備が本格化する。もっとも、今年は例年と異なり、IAEAの活動はアフリカの地で幕を開けることとなった。
 日本のアフリカ外交の柱である第6回アフリカ開発会議(TICADⅥ)は、8月27~28日にケニアのナイロビで開催されたが、これに天野之弥IAEA事務局長も参加した。「核の番人」であるIAEAのトップが開発課題を扱うフォーラムであるTICADに参加するのは初めてである。
 TICADの保健セッションや夫人プログラムに参加した天野事務局長は、放射線を活用したガンの診断・治療や、同位体(アイソトープ)を活用した栄養対策、アフリカのエボラ出血熱や中南米のジカ熱などの感染症対策における原子力技術の活用など、IAEAによる近年の具体的取組事例を紹介し、開発課題に原子力技術が独自の貢献を行えることを訴えた。
 日本政府もIAEAの取組を後押しするため、今回のTICADの機会にあわせ、アフリカにおける原子力技術を活用した家畜疾病診断を行う域内研究所(ラボ)の能力強化のため、IAEAの関連プロジェクトへの追加支援を表明した。
 今回のTICADは、天野事務局長が提唱する「平和と開発のための原子力」(“Atoms for Peace and Development”)をアピールし、IAEAがアフリカにおいて他の開発パートナーとの連携を深める上で重要な機会となったといえる。

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TICAD行事でスピーチする天野事務局長(左)とケニヤッタ・ケニア大統領夫人と会談する天野事務局長(右)
(写真出典:IAEA(左)、ケニア大統領夫人Facebook(右))

2.第60回IAEA総会

 本年は1956年(10月23日)にIAEA憲章が採択されてから60年になる(憲章発効は1957年7月29日)。本年9月26日から30日まで開催されたIAEA総会は、今回で60回目である。
 IAEAは今次総会から1年間を60周年の節目と位置づけている。総会の初日の晩は例年、天野事務局長主催のレセプションがウィーン国際センター(VIC: Vienna International Centre)で開催されるが、今回は特別に、かつてIAEA総会が開かれていた王宮(ホーフブルク)で記念レセプションが開催された。

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IAEA総会初日に王宮(ホーフブルク)で開催されたレセプション(写真出典:IAEA)

 総会初日(9月26日)の演説で、天野事務局長は、過去60年にわたるIAEAの実績を強調した。
 すなわち、①2005年のノーベル平和賞授与に代表されるように、IAEAが各国との保障措置協定・追加議定書の枠組みを通じて行ってきた査察活動や、イラク、イラン、北朝鮮の核問題への対処を通じて国際の平和と安全に多大な貢献をしてきたこと、②原子力の平和的利用において、長年にわたる原子力分野の人材育成や、昨今のエボラ出血熱やジカ熱などの感染症やがん治療対策等を通じ、人々の福利向上と繁栄を支えてきたこと、さらに、③チェルノブイリ原発や福島第一原発の事故を受けて、国際的な原子力安全の強化にイニシアティブを発揮してきたこと、等である。そして、イランの核問題に関する包括合意の履行検証や、北朝鮮の核問題への対応、国連の持続可能な開発目標への貢献など、今後IAEAが直面する課題に取り組む決意を新たにしている。
 一本の演説でIAEAの60年の歴史を語り尽くすことは至難の技だが、IAEAの来し方行く末をよく見通した演説であったと言える。

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第60回IAEA総会(上)と1957年の第1回IAEA総会(左下)、及び2005年12月10日のノーベル平和賞授与式における
エル・バラダイIAEA事務局長と天野之弥IAEA理事会議長(肩書きは当時)(右下)(写真出典:IAEA)

 初日以降のIAEA総会期間中における、IAEAが主催する行事では、本年は特に原子力の平和的利用における役割を強調するものが多かった。
 その最たるものは、総会3日から4日(9月28日~29日)にかけて開催された科学フォーラム(Scientific Forum)である。これは、毎年特定のテーマを決めて、世界各国の科学技術の専門家を招いて行う行事である。今年のテーマは“Nuclear Technology for the Sustainable Development Goals”であり、昨年国連で採択された「持続可能な開発目標」(SDGs: Sustainable Development Goals)達成への原子力技術の貢献について真正面から取り上げるものとなった。

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 オープニング・セッションにおいて天野事務局長は、SDGs採択にあたり開発課題解決における科学技術の役割が認知されたことの意義を強調した。また、基調講演者の一人であるモナコ公国のアルベール2世公殿下は、持続可能な開発のための原子力技術の推進において、全てのステークホルダーによる国際科学協力が極めて重要であると訴えた。モナコには福島第一原発事故後に海洋モニタリングを行なっているIAEAの研究所がある。
 その後、保健医療、食糧農業・栄養、エネルギー、水資源管理等のテーマ毎に専門家によるパネル・ディスカッションが行われた。保健医療セッションでは、昨年、日本代表部が開催した国際保健ワークショップ(第8話参照)で講演を行った渋谷健司東京大学教授がパネリストとして参加した。

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科学フォーラムで基調講演を行うモナコのアルベール2世公殿下(左)と
サイバースドルフ研究所改修プロジェクト(ReNuAL)関連イベント(右)(写真出典:IAEA)

 この科学フォーラムのほか、現在工事が進行中のサイバースドルフのIAEA研究所改修プロジェクト(ReNuAL: Renovation of the Nuclear Applications Laboratories)や、ガン治療行動計画(PACT: Programme of Action for Cancer Therapy)、アジア、アフリカ、中南米、中東各地域における地域協力の関連会合など、原子力の平和的利用に関する行事が連日開催された。「平和と開発のための原子力」を提唱する天野事務局長の下ならではの特色といえよう。
 IAEAの役割に対する途上国の期待・ニーズと、限られたリソースをいかにバランスさせるかが今後の課題である。

3.日本の対外発信

 総会初日の昼には、昨年に引き続き、日本政府代表を務める石原宏高内閣府副大臣と北野充ウィーン代表部大使によるレセプションが開催された。来訪者にお寿司や日本酒を堪能してもらいながら、日本の原子力政策の現状を知ってもらうこのイベントは、IAEA総会初日の定番として定着した感がある。
 本年は、日本にとっては、福島第一原発事故から5年目の節目の年でもある。
昨年のIAEA総会で、同事故に関する報告書が公表され、事故後に策定されたIAEA原子力行動計画も昨年で終了したことから、福島第一原発事故そのものがIAEA総会の場で注目を集めることはなくなっている。
 しかしながら、いまだ各国に残る福島県産の食品に対する輸入規制措置の是正を求める上でも、福島第一原発における事故処理の現状についての地道な情報発信は欠かせない。加えて、事故の当事国として、その教訓を踏まえて世界の原子力安全の向上に貢献するのは日本の責務と言える。そうした日本の基本姿勢をアピールする場として、世界各国の原子力の専門家が集まるIAEA総会は絶好の機会である。各国政府代表や天野事務局長をはじめとするIAEA幹部職員、メディア関係者など約150名が出席したこのレセプションで、石原副大臣は、こうした日本の立場を改めて強調した。

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日本主催レセプションで挨拶する石原内閣府副大臣(左)とレセプションの模様(中・右)
(写真出典:在ウィーン国際機関日本政府代表部)

 今回の総会では、日本の政府・関係機関が原子力に関わる様々なテーマでイニシアティブを発揮し、関連行事を主催する局面が例年以上に多かった。
 政府レベルでは、昨年日本が締結したことで発効した「原子力損害の補完的な補償に関する条約」(CSC: Convention on Supplementary Compensation for Nuclear Damage)(第3話参照)の理解増進を目的としたサイドイベントを日本とアメリカの共同で開催した。また、経済産業省と原子力国際協力センターが原子力分野での知識管理・人材育成についてのサイドイベントを開催し、日本の取り組みについてアピールを行ったところである。
 関係機関レベルでは、昨年同様、“Life, Safety and Prosperity” の統一テーマの下、日本原子力産業協会、日本原子力研究開発機構(JAEA)、放射線医学総合研究所の三団体及び民間企業が連携してブースを設置し、日本のプレゼンスをアピールした。また、原子力損害賠償・廃炉等支援機構(NDF: Nuclear Damage Compensation and Decommissioning Facilitation Corporation)が米英仏の関係機関とともに廃炉・除染に関する各国の先進事例・経験を共有、情報交換するイベントを昨年に引き続いて開催した。廃炉・除染は各国の関心が高い分野であり、福島第一原発事故の当事国である日本の関係機関が自らの経験を各国と共有しながら、積極的に国際連携を進めていることは高く評価されるべきと言える。

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日本ブースを視察する石原内閣府副大臣(写真出典:内閣府)

 さらに、原子力技術応用の分野では、IAEA事務局が開催したホウ素中性子捕捉療法(BNCT: Boron Neutron Capture Therapy 粒子線によるガン治療法の一種)に関するサイドイベントに岡山大学が全面的に協力し、この分野における最近の進展を日本の研究者が報告するなど、日本の研究機関の存在感を大いに示したところである。
 なお、ウィーンをベースに行われている、放射性物質の輸送に関する沿岸国と輸送国の非公式対話は昨年9月から1年間、日本が議長国を務めてきたが、今次IAEA総会の機会に次期議長国のポルトガルとともに年次会合を開催した。放射性物質の輸送においては、輸送国と沿岸国の間の信頼醸成、理解増進が不可欠であり、この対話の枠組みは非常に重要な役割を果たしている。今回の年次会合では、本年7月の英国の放射性物質の輸送船訪問など1年間の活動が報告され、机上訓練の実施など次の1年の活動指針が合意された。

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ホウ素中性子捕捉療法に関するサイドイベント(左)と放射性物質の輸送に関する沿岸国と輸送国の非公式対話年次会合(右)
(写真出典:岡山大学ホームページ(左)、在ウィーン国際機関日本政府代表部(右))

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4.総会決議

 今年の総会でも、例年通り、地域情勢(中東、北朝鮮)や、保障措置、核セキュリティ、原子力安全、技術協力、原子力技術の応用など、様々な分野におけるIAEAの今後の活動の指針となる決議が審議、採択された。
 今年の総会で注目された点の一つは、例年紛糾の的となる中東における核問題に関する議論が比較的平穏に進んだことである。例年、アラブ連盟諸国が「イスラエル核能力(Israeli Nuclear Capabilities)」決議案という、IAEAにイスラエルの核能力の検証を求める極めて政治色の強い提案を行い、これに反対する米欧イスラエルとの間で、同決議案の採否をめぐり加盟国を分断する動きが見られるのが常であるが、今回アラブ諸国は決議案の提案を見送った。
 もう一つの核をめぐる地域情勢問題である北朝鮮についても、本年に入り北朝鮮が2回にわたる核実験を強行したことに対し、国際社会として強いメッセージを出す必要があるとの基本認識は加盟国に共有されていた。北朝鮮の核兵器保有に対する断固とした反対を改めて表明し,北朝鮮に対し核戦力・核計画の放棄を強く要求する決議が過去最高となる70カ国の共同提案国を得てコンセンサス採択された。

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IAEA総会最終日の模様(写真出典:IAEA)

 その他の様々な分野でのIAEAの活動に関する決議については、最終的にはいずれもコンセンサス採択された。特に、決議の一部を巡って例年投票にかけられていたIAEAの査察(保障措置)に関する決議と、核軍縮関連の表現を巡って昨年分割投票にかけられた核セキュリティ決議が、いずれもコンセンサス採択されたことは特筆すべき点といえる。また、原子力安全に関する決議では、昨年の動き(IAEA福島報告書の公表、IAEA原子力行動計画の終了、原子力安全条約に関するウィーン宣言採択)を受けた原子力安全強化のためのアプローチを巡って各国の違いが見られたが、最終的にはコンセンサス採択された。途上国への技術協力に関する決議でも、SDGsへの貢献の文脈で、関連予算をめぐる先進国と途上国の間で綱引きが見られたが、これもコンセンサス採択された。
 今回の一連の総会決議の結果について、各国代表団の一部からは、コンセンサスを重視する「ウィーン精神(Vienna Spirit)」が復活したとの声も聞かれたほどである。昨年のIAEA総会が、成果文書不採択に終わったNPT運用検討会議後の険悪な雰囲気を引きずる中で開催されたのに比べれば、そうした見方も当たっていなくはない。もっとも、中東の核問題にせよ、IAEAの場での核軍縮の扱いにせよ、各国の対立構図は変わっていない。原子力安全におけるアプローチについても、各国の間には、対立構図とまで言わないまでも相当な温度差がある。今回の総会は、ウィーン精神の復活というよりは、いわば、「嵐の前の凪」の時期にたまたま当たった面もあるのではないか。いずれにせよ、ウィーンにとどまらない、軍縮・不拡散・原子力の平和的利用をめぐる様々な国際的な動きを見ていく必要があろう。   

5.IAEA事務局長選挙

 今回の総会において正式な議題ではなかったものの、最大のhidden agendaだったのが、IAEA事務局長選挙である。
 現在2期目を務める天野事務局長の任期は来年2017年の11月までである。従来からの手続きに従えば、本年の総会後から立候補の受付手続きを開始し、年末までに締め切り、来年の遅くとも6月までに理事会で事務局長を任命し、9月の第61回総会で承認される必要がある。
 今回の総会初日の演説の最後において、天野事務局長はこの点に触れ、加盟国の信任が得られるのであれば、次の任期も務める用意があることを表明した。日本政府代表の石原内閣府副大臣も演説において、天野事務局長のこれまでの実績を高く評価した上で、同事務局長の再選支持を表明し、各国に支持を呼びかけた。総会では、約30ヶ国の代表から天野事務局長の続投支持が表明された。
 60年のIAEAの歴史において、歴代事務局長は5人しかいない(70年の歴史を持つ国連事務総長はパンキムン現事務総長を含め8人)。利害の異なる各国のバランスをとりつつ、核不拡散と原子力の平和的利用というIAEAの2つの難しい任務をこなすためには、事務局長による継続的なリーダーシップが不可欠であり、自ずと長期政権になる傾向があることを示しているとも言える。

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10月3日のIAEA理事会の模様。中央は新理事会議長のセオコロ南アフリカ大使(写真出典:IAEA)

 今回の総会終了後、週が明けた10月3日、新たな理事会メンバーによる理事会が開催され、理事会議長がブラジルのヴィンハス大使から南アフリカのセオコロ大使に交替した。この理事会では、次の任期の事務局長の任命が議題として取り上げられ、従来どおり本年末を立候補受付の締切りとする手続きが承認された。これにより、「核の番人」のトップを選出するプロセスが正式にスタートすることになった。

(※本文中意見に係る部分は執筆者の個人的見解である。)

【参考資料】

日本政府関係
第6回アフリカ開発会議(TICAD Ⅵ)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/afr/af2/page3_001556.html(外務省ウェブサイト)
国際原子力機関(IAEA)第60回総会の概要
http://www.mofa.go.jp/mofaj/dns/n_s_ne/page24_000797.html(同上)
日本政府代表演説
http://www.vie-mission.emb-japan.go.jp/itpr_ja/ministerstatement26.09JA_ja.html(在ウィーン国際機関日本政府代表部ウェブサイト)
日本政府主催レセプション
http://www.vie-mission.emb-japan.go.jp/itpr_ja/gcrcp26.09ja_ja.html(同上)
放射性物質の輸送に関する沿岸国・輸送国の非公式対話年次会合
http://www.vie-mission.emb-japan.go.jp/itpr_ja/29.09ja_ja.html(同上)
IAEA関係
天野事務局長演説
https://www.iaea.org/newscenter/statements/statement-to-sixtieth-regular-session-of-iaea-general-conference-2016(IAEAウェブサイト)
IAEA60年記念写真展
https://www.iaea.org/newscenter/multimedia/photoessays/60-years-60-pictures-an-overview-of-the-iaeas-work(同上)
その他
ホウ素中性子捕捉療法関連
http://www.okayama-u.ac.jp/tp/news/news_id6103.html(岡山大学ウェブサイト)
https://www.iaea.org/newscenter/news/boron-neutron-capture-therapy-back-in-limelight-after-successful-trials(IAEAウェブサイト)

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