原発事故の健康影響(その3)

1次産業と労災


相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師


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(前回は、「原発事故の健康影響(その2)」をご覧ください)

 昨年の9月、相馬市で試験操業中の漁船から人が転落され、行方不明となる事故がありました。転落されたのは64歳の男性。目撃者はいないものの、状況からは網に足を取られ転落したのではないか、と言われています。

 原発事故後の地道な活動が功を奏し、福島の食に対する風評被害が少しずつ下火になっています。しかし、1次産業が再開されると共に、長期間仕事から離れたことによる「勘」の衰え、筋力の低下に伴う労働災害のリスクが懸念されています。

 日本の食を支える福島の1次産業が本当に復興するためには、産業に関わる人々の命と健康を守る、という観点から、よりよい1次産業へと生まれ変わる必要があると思います。

1次産業と労災

 元々1次産業は他の産業より労災率が高いことが知られています。例えば漁業では、漁船による海難の数は毎年600件以上、海中転落者は年間90名前後、死者は60名前後もおり、漁業における1,000人当たりの労災の発症率は14.9人で建設業の3倍以上、全産業の労災率の7倍にものぼります注1)。林業の労災率は漁業よりも更に高く、年間1,000人当たり30件弱、農業はそれより低いものの、全産業平均よりは4倍も高い8件前後になります。

 それだけでなく、1次産業の高齢化もまた労災リスクを上昇させています。たとえば東北地方では、農業従事者のうち65歳以上の占める割合は、1990年の20%から2012年には60%まで跳ね上がっています注2)。この報告によれば、農業においては死亡事故の70%以上を65歳以上の高齢者が占めます注2)図3-1-32。また他の産業全体をみても、労災の発症件数のピークは60歳前後で注3)、転倒事故の年齢の中間値は55歳となっています。高齢化に伴い、1次産業の安全確保は喫緊の課題なのです。

原発事故後の労災リスク増加

 原発事故による1次産業の休止、および長期の避難生活は、従事者の体力の衰えに拍車をかけました。2012年に相馬市で行われた仮設住宅健診のデータでは、仮設住宅に避難された高齢者の60%以上は、開眼片足立ちテストという下肢のバランス感覚のスコアが低下したという報告があります注4)

 その後の解析で、仮設住宅の方々は避難されていない方に比べ、このスコアの低下リスクが5倍以上であったことが分かっています注5)。当然のことながらこのような方々が突然漁業を再開されることには、大変な危険を伴います。

 風評被害の払拭による農業・漁業の再開は浜通りの方々からするととても喜ばしいニュースです。しかし震災から4年以上が経ち、復興と同時に高齢化も進む中、漁業が再開されたときに生じ得る健康リスクやリハビリテーションの必要性については議論がなされていません。

他者の目の入りにくい安全管理

 1次産業における労災の多さの原因には、もちろん職業特性もあると思います。自然を相手にする産業というだけでなく、大型の機械や刃物を頻繁に使う職業では、どんなに経験を積んでも危険は0%にはなりません。しかしそれだけでなく、1次産業従事者には自営業の方が多い、ということも大きな要因になっていると思われます。

 産業医がつき、従業員の安全管理義務が課せられている企業と異なり、1次産業に従事する方々には産業医の目が入りません。事故が起きても個人の責任となってしまうため、社会的にこのような方々の健康を守るシステムが整備されにくいのです。

 たとえばですが、ライフジャケットが安全のためにとても重要だったとします。しかしそれを着けると熱いし動きにくく、またお金もかかるため、嫌がる方も多いでしょう。会社であれば面倒臭くても義務化されてしまう事もあるのですが、自営業の方にはその着用を義務付けられるシステムはありません。結果として、産業医のような専門家の関心自体も自然と薄くなってしまいます。

 今年、南相馬市では除染作業員の蜂刺されが問題となりました注6)
「屋外作業における虫防護のための服はないのですか?」
 防護服を専門とされる産業医の先生にお尋ねしたところ、その先生はうーん、と考え込まれてしまいました。
「そういうのは、林業の専門だから…自営業が多くて、あまり産業医が関わらないので、あまり分からないですね。」

 もちろん農協・漁協・林協といった組織はあります。しかしこの組合の活動は、産業保護・環境保護や労働災害補償には強く働く一方、産業医のような安全管理の専門家の介入は難しいのが現状です。

国全体での支援を

 相馬市では震災後、浜辺に共同の漁具倉庫を建設しました注7)。これは、津波の危険のある浜辺に漁師が住まなくてはいけないのは、網などの持ち運びが大変なことにある、と考えたためです。これにより漁業を営む方も住居を高台へ移転することが容易になりました。これは船の上での安全を保障するものではありませんが、特定の産業に関わる人々の安全を守るために地方自治体が介入した、画期的な一例だと思います。

 TPPによる1次産業への影響が懸念されているようですが、医師という立場からみれば、それ以前に彼らの健康を保障しない限り、産業としての1次産業は廃れてしまうのではないか、そう感じます。産業・国益・経済…本来守るべきはそのような大きなものではなく、まずは産業に関わる人々の命と健康なのではないでしょうか。

 災害復興のあり方を示す単語に、Build Back Better(BBB:発展的復興)という言葉があります。今回の災害の後に問題となってきたこの1次産業の労災問題は、日本の1次産業にとって、BBBの大きなチャンスです。長期に農林水産業から遠ざかっていた方々の安全対策を積極的に支援すること。1次産業従事者の安全管理は、今回の災害を機に見直すべき地域を創生の芽なのではないかと思います。

注1)
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h25_h/trend/1/t1_2_3_1_04.html
注2)
http://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/h24_h/trend/part1/chap3/c3_1_02.html
注3)
https://www.jniosh.go.jp/publication/mail_mag/2015/78-column-1.html
注4)
https://www.city.soma.fukushima.jp/housyasen/kenkou_taisaku/kenkou_tyousa/PDF/kenkousindan_20120904.pdf
注5)
Ishii T, et al. Physical performance deterioration of temporary housing residents after the Great East Japan Earthquake. Preventive Medicine Reports 2015;2:916-919.
注6)
http://medg.jp/mt/?p=6051
注7)
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/06/post_7533.html

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