病院と原発事故(その1)


相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師

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 原発事故に伴って起きた健康被害につき、前稿[原発事故の健康影響(その1)、(その2)]にまとめました。今後、福島で起こったような健康被害を二度と起こさないよう、という思いは、誰でも共通の願いです。そしてそのためには、地域の健康を支える医療施設の協力は欠かせません。

 では、原発事故の後、医療施設はどのような困難と立ち向かわなくてはならなかったのでしょうか。ここでは災害時の病院の重要性に加え、実際に福島で起こった医療現場の困難な現状を述べてみたいと思います。

災害時の病院とは

 災害直後より組織の機能を回復させるための対策に、Business Continuity Plan (BCP:事業継続計画)といものがあります。しかし、災害時の病院という組織は、その特殊性から、従来のBCPに則った計画を策定することは難しいのではないか。以下にと思われます。
 第1に、病院は災害直後にその需要(顧客)と責任が急増する、という特性があります。災害直後は怪我人が増加するだけでなく、薬をなくした人々、精神的・身体的ストレスにより慢性疾患が増悪する人などにより、医療の需要は増加します。そのような点で災害後の病院機能を縮小することは難しいのです。
 第2に、病院の主機能を別会社や別の場所に移転させることが難しい、という点があります。当たり前のことですが、医療は災害の起きた現場で提供されることにこそ意味があるからです。
 第3に、BCP策定に必要な中核事業の同定が難しい、という点があります。中核事業とは、「会社の存続に関わる最も重要性(または緊急性)の高い事業」と定義されます。大病院や急性期病院であれば、救急外来・手術室・ICUなどが優先されるべきかもしれません。しかし地域の病院にとっては、入院中の高齢者、精神疾患などの慢性疾患のケア、在宅診療などは、同じくらい継続を優先されるべきものともいえます。いずれの診療も個々人の命を預かるという特性から、「優先順位づけ」というのは病院の中で最も難しい選択肢のひとつです。
 第4に、病院は複雑なシステムを内包する多機能複合体であるという点です。病院は決して地域社会のインフラから独立した機関ではありません。つまり、病院は医療スタッフだけでなく、厨房・清掃・サービス・流通などと密接に結び付いており、どの機能が欠けても患者さんに多大な影響を及ぼし得るのです。

医療者の人権

 この選択をさらに困難にさせるものは、雇用者の人権よりも顧客(患者)への責任を優先させる傾向にある、という病院固有の文化にあると思います。これを端的にあらわす事例が、災害直後に「患者置き去り事件」として取り上げられた双葉病院の問題です。

 この事件は、自衛隊と医療スタッフの認識の齟齬により、医療スタッフが患者の避難に付き添い、その後残された患者の救助のために戻ることを許されなかった、というものです。結果として「医療スタッフが患者を置き去りにして逃げた」という報道がなされ、物議を醸しました。

 死者が出た以上、サービス主である病院や医療スタッフにある程度の責任を負わせる報道はいたしかたないのかもしれません。しかし、この事件に対し、「不可抗力であった」という後追い報道はなされたものの、
「もし本当に医療スタッフが患者の命よりも自分の命を優先させていたとして、それは許されない行為であるのか」
という議論は、現在にいたるまでほとんどなされていません。これは医療従事者の人権にもかかわる重大な問題だと思います。

 災害医療の原則は、医療者自身の安全確保を最優先させることです。医療提供者が自身の安全を守れなければ、その後の医療を提供する者が居なくなってしまう。実は目の前の患者よりも明日以降何週間、何か月にもわたって患者の健康を守るためには、スタッフが自分の身を守ることは最優先事項なのです。

 被災直後には多くの医療従事者がこのような自分自身の人権と患者の人権との狭間で葛藤を抱え、心の傷を負いました。現在に至るまで、その爪痕は被災地に残っており、それが長期的な医療崩壊へともつながっているようにみられます。このような病院の実態につき、残念ながら災害後4年経った今でも十分議論がなされていないように感じます。

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