第3話「原子力安全のための国際的なルール作り」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使

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「スリーマイル」と「チェルノブイリ」:原子力事故関連2条約の策定

 原子力安全強化の取り組みが飛躍的に進むにあたっては、1979年3月の米国スリーマイル島原発の事故、そして1986年4月のソ連(当時)のチェルノブイリ原発事故が契機となった。冷戦期、軍事、民生の両分野での原子力の活用で他を圧倒していた両超大国において、相次いで重大な原子力事故が起きたのは皮肉なことではあった。
 スリーマイル事故、チェルノブイリ事故当時のIAEA事務局長はそれぞれ第二代のシグヴァード・エクルンド(Sigvard Eklund)、第三代のハンス・ブリクス(Hans Blix)である。いずれも、発生直後から原子力安全強化のためのIAEAの貢献として、様々なイニシアティブを打ち出したが、そのうちの一つが事故発生後の迅速な関連情報の共有と相互援助を促す国際ルールづくりである。これは、原子力事故関連2条約といわれる「原子力事故の早期通報に関する条約(Convention on Early Notification of a Nuclear Accident)」(1986年採択・発効)、及び「原子力事故又は放射線緊急事態の場合における援助に関する条約(Convention on Assistance in the case of a Nuclear Accident or Radiological Emergency)」(1986年採択、1987年発効)に結実した。

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第2代、第3代IAEA事務局長を務めた、シグヴァード・エクルンド氏(左)と
ハンス・ブリクス氏(右)(写真出典:IAEA)

IAEA原子力安全基準、原子力安全条約、放射性廃棄物等安全条約

 IAEAの原子力安全関連の役割の増大にともない、原子力施設や廃棄物管理などの分野において、IAEAが策定する原子力安全基準の体系化も進められた。これは現在、Safety Standards Seriesとよばれる、①Safety Fundamentals(安全基準の基本目的・原則を規定)、②Safety Requirements(具体的な要件を規定。IAEAの活動に対する法的拘束力があり、各国の活動との関連では推奨的性格をもつ)、③Safety Guides(各国への推奨措置を規定)という、三層構造からなる基準体系になっている。この原子力安全基準は随時改訂されており、本年3月のIAEA理事会でも、福島第一原発事故の教訓を踏まえ、原子力発電所の安全評価や緊急事態に対する準備と対応に係る要件等の6つの分野での安全基準(Safety Requirements)の改訂が承認された。
 更に、それまで各国の責任とされてきた原子力安全の分野において、国際的に法的拘束力をもつルールを作るべきとの声も強くなってきた。1991年にIAEAが開催した原子力安全に関する国際会議を受けて、同年のIAEA総会で原子力安全に関する国際条約の策定を進めることが決定され、1994年に「原子力安全条約(Convention on Nuclear Safety)」が採択された(1996年発効)。
 この条約以前にも、原子力施設の安全性については、上述のSafety Fundamentalsという形でIAEAの安全基準が作られていた。この原子力安全条約では、それを更に進め、締約国が、原子力安全規制の整備や独立の規制当局の設置、原子力施設の立地、設計、建設、運営面での技術的措置、自国がとった措置についての定期的な検討会合における報告といったことを、国際的な法的義務として負うこととなったのである(この原子力安全条約の改正問題については後述する)。
 また、同じ1994年のIAEA総会では、廃棄物管理のための国際条約策定作業を進めることが承認され、これは、いわゆる放射性廃棄物等安全条約とよばれる、「使用済燃料管理及び放射性廃棄物管理の安全に関する条約(Joint Convention on the Safety of Spent Fuel Management and on the Safety of Radioactive Waste Management)」として1997年に採択されている(2001年発効)。この条約の下でも、締約国が自国の措置を定期的に報告し合う検討会合が設置されており、本年5月にはウィーンで第5回検討会合が行われ、福島事故後の日本の廃棄物管理政策について各国から高い関心が寄せられた。
 ちなみに、上記の原子力安全条約策定を巡る動きとIAEAの取り組みは、1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)でも報告されている。地球サミットは地球温暖化対策の国際ルールである国連気候変動枠組条約が採択された会議として知られる。東西冷戦が終結し、様々なグローバル課題への国際的関心が呼び起こされた時代背景を思わせるものであり、興味深い。

原子力損害賠償制度に関する諸条約

 原子力損害賠償制度については、1960年代より、OECDが作成し主に西欧諸国が加入する「パリ条約(Paris Convention on Third Party Liability in the Field of Nuclear Energy)」と、IAEAが作成した加盟国を対象とする「ウィーン条約(Vienna Convention on Civil Liability for Nuclear Damage)」の2つの体系が並存し、両者は原発事故における事業者の無過失責任や事業者への責任集中といった基本原則で共通するものの、それぞれ別個に運用されてきた。チェルノブイリ事故の後、この状況を是正するため、1988年に両者をつなぐ合同議定書(Joint Protocol)が採択された。
 また、1997年にウィーンのIAEA本部で開催された外交会議では、冒頭で紹介した「原子力損害の補完的な補償に関する条約(CSC)」が採択された。このCSCは、既存のウィーン条約やパリ条約と同様の基本原則に立ちつつ、裁判管轄権を事故発生国に集中させ、締約国の拠出による補完的補償スキームを設置することを主な内容としている。これらは、原子力事故における被害者の迅速かつ公平な救済、賠償の充実、法的予見性の向上を図るためのものであり、グローバルな原子力損害賠償制度の構築を目指すものである。