第3話「原子力安全のための国際的なルール作り」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使

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原子力安全の国際ルールづくりに対する福島事故のインパクト

 福島事故は、原子力安全の国際ルールづくりにも様々なインパクトを与えた。
 一つは、冒頭でも紹介した、国際的な原子力損害賠償制度の構築の重要性に関心が高まったことである。何よりも、これまで原子力損害賠償制度について国内法制のみをベースとしてきた日本に対し、原発事故の国際的側面の重要性に目を向けさせ、CSC締結を後押しする原動力となったことがあげられる。国際的には、前述の通り、「ウィーン条約」、「パリ条約」、CSCの締約国が入り組んでいるのが現状であり、制度間の調和が引き続き課題である。また、今後原発の新増設が見込まれるアジア地域では中国、インド、韓国、東南アジア諸国など、こうした国際制度に未加入の国が多い。これらの国々を取り込み、真に国際的な原子力損害賠償制度を構築していくことが今後の重要課題である。

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出典:外務省資料。なお、CSC締約国については、本年4月15日の発効後に新たにモンテネグロが加わっている。

原子力安全条約の改正問題

 もう一つは、各国の原子力安全規制のあり方に対し、いかなる国際的な枠組みをつくるか、どの程度の法的拘束力をもたせるかという点に関心が高まったことである。これは、前述した原子力安全条約との関連で、最新の安全規制を既存原発に対しても適用することを締約国に義務づける、いわゆる「バックフィット」条項を盛り込む改正を行うか否かという形で国際的にクローズアップされた(なお、日本自身は、この「バックフィット」条項については、福島事故後の原子力安全規制強化の一環で、国内法制上既に手当てしている。)。
 この問題は、福島第一原発事故直後に開催された原子力安全条約の検討会合で取り上げられて以来、様々な検討作業が行われた。その後、スイスが正式にバックフィット条項を盛り込んだ条約改正案を提出したことを受け、その検討のための外交会議が本年2月9日にウィーンで開催された。
 この条約改正問題は、各国の原子力関係者の間で大きな議論を巻き起こした。福島事故の教訓を踏まえて原子力施設の安全性を一層高めるという、大きな目標は共有されていたものの、各国がとるべき措置にどこまで国際的な法的義務を課すか否かというアプローチを巡って議論は収斂しなかった。結局、外交会議では、条約改正ではなく現行条約の運用の強化というアプローチでの解決が図られ、既存原発の安全性に関する包括的、体系的な評価や、実行可能な安全性向上策の実施、各国の報告内容の拡充などを内容とする「ウィーン宣言(Vienna Declaration)」を全会一致で採択することで決着した。
 この原子力安全条約改正問題を巡る一連の議論は、かつて地球温暖化問題を巡る国際交渉に携わった筆者にとっては、ある種の既視感を感じさせるものがあった。国際ルールづくりの場では、法的拘束力をもつ(legally binding)ルールを目指すというアプローチは強い訴求力をもつ。問題は、いかなる要素に法的拘束力を持たせるかである。基本目的や一般原則を掲げること、目的達成のため各国がとる措置を報告し、互いにレビューし合うメカニズムを作ることまでは、比較的抵抗は少ない。原子力安全条約とほぼ同じ時期に作られた国連気候変動枠組条約も似たような仕組みを有している。そこから更に踏み込んで、各国がとる措置の具体的内容にまで法的拘束力をかけようとすると難度が格段に増す。地球温暖化対策において各国の温室効果ガスの排出削減目標水準にまで法的拘束力をかけることとした京都議定書及びその「延長」問題を巡る一連の交渉がその代表的なものである。ルールの受け入れを巡って各国の対応が分かれることで国際社会が分断され、ルールの包摂性、実効性が損なわれるリスクがある一方、国際社会の一体性を優先すると、ルールが十分に野心的で実効性のあるものにならないリスクもある。
 今回の外交会議で採択された「ウィーン宣言」は、この二つのリスクを踏まえた上で各国がギリギリの協議を行った結果、合意に達したものであり、国際ルールづくりの一つのやり方を示したものと言える。

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本年2月9日にウィーンで開催された原子力安全条約改正問題に関する外交会議。
(写真出展:IAEA/Calma)

原子力安全の強化は終わりなき課題

 原子力安全の強化は、国際ルールづくりだけではない。IAEAの役割も、今回紹介した国際ルールづくりに加え、各種ミッションの派遣による各国への助言や、途上国への技術支援など様々なものがある。また、原子力を活用しようとする各国自身の取り組みが何より欠かせない。
 福島事故の当事国である日本は、福島第一原発の廃炉処理や、今後も活用する他の原子力施設の安全確保はもちろんのこと、事故の教訓を活かし、IAEAや各国と連携しながら、国際的な原子力安全の強化に貢献していく責務がある。それは終わりなき課題と言える。

(*本文中意見にかかる部分は執筆者の個人的見解である。)

【参考資料】

“History of the International Atomic Energy Agency: the First Forty Years” (1997 David Fischer)
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub1032_web.pdf
International Conventions and Agreements (IAEA website)
https://www.iaea.org/publications/documents/treaties

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