カーボンプライシングをめぐる議論の行方
大規模導入は雇用・経済の基盤を揺るがす恐れも
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
(「「月刊ビジネスアイ エネコ」2018年5月号からの転載)
環境省の「カーボンプライシングのあり方に関する検討会」が取りまとめた報告書では、排出される炭素に対しトン当たりの価格を明示的に付す明示的カーボンプライシングを、わが国の温室効果ガスの長期大幅削減の切り札と位置づけている。しかし、カーボンプライシングの導入は、結果としてエネルギー(電力)価格の上昇を招き、産業競争力が失われ、雇用・経済の基盤を揺るがす事態を招きかねない。検討にあたっては、世界的な視点に立ち、どのような水準の施策が公平で有効・適切か、慎重に考えていく必要がある。
環境省検討会取りまとめ
環境省は2017年度、有識者からなる「カーボンプライシングのあり方に関する検討会」を立ち上げ、今年3月に取りまとめを発表した。その結言では以下のように記述されている。
「カーボンプライシングにより共通の方向性を示していくことによって、社会を脱炭素化に向けて円滑に誘導して行くことができる。…これを気候変動対策の文脈で考えた時、『価格』という、企業や家計が経済活動を営む際の共通の価値尺度によって広範囲にメッセージを送る『カーボンプライシング』に、一つの可能性を見出すことができる注1)」
全部で59ページに及ぶ同報告書では、先行するいくつかの国や地域の例から、カーボンプライシングが温暖化対策として有効に機能していることを強調している。また、導入に関する様々な批判や懸念についても、払拭するための方策はあり、マイナスの影響は抑えられるとの論が展開されている。石油石炭税など、既存のエネルギー諸課税を「暗示的炭素価格」とみなすことについては、課税ベースが炭素含有量に必ずしも比例しないため、温室効果ガス削減の効果は限定的であるとし、「明示的」なカーボンプライシングを、わが国の温室効果ガスの長期大幅削減の切り札と位置づけている。
果たしてこの論は的を射ているのだろうか?もし2050年までにわが国の温室効果ガスの排出量を何がなんでも80%削減する必要があり、そのための確実な政策が必要になるとしたら、明示的炭素価格により化石燃料の使用を抑制するよりも、そのほとんどを海外に頼る化石燃料の輸入を禁止する方が手っ取り早い。そもそも、どれほどの炭素価格を導入すれば大幅削減は実現するのだろうか?
地球温暖化対策税の効果
実は環境省のホームページを検索すると、総合環境政策の紹介の中で「地球温暖化対策のための税の導入」という項目があり、そこでは2012年から導入されている地球温暖化対策税の概要と家計負担、CO2削減効果などについて解説されている注2)。
ちなみに地球温暖化対策税は、既存の石油石炭税に上乗せする形で課税されており、現行(2014年度以降)の税率はCO2排出量1トン当たり289円と、炭素排出比例となっていて、「明示的」な炭素価格が課されている。この解説によると、2014年度以降の税収はおよそ年間2600億~2800億円にのぼり、一般的な世帯当たり同1228円を負担することになると試算されている。
では、この税によるCO2削減効果はどうなっているのか?解説では、温暖化対策税の主な効果は、①価格効果(CO2に価格づけすることで化石燃料の使用抑制が図られる効果)、②財源効果(税収を温暖化対策に使うことで削減が進む効果)が期待されるとされ、2020年に1990年比0.5~2.2%(600万~2400万トン)のCO2排出削減効果を見込んでいる。
このうち価格効果による削減は0.2%(180万トン弱)で、財源効果の0.4~2.1%と比べて非常に小さい。わが国のエネルギーの長期価格弾性値は、様々な研究で-0.2~-0.6程度(価格が10%上がると需要量が2~6%程度減少)と非常に小さいことが確認されており注3)、温暖化対策税(炭素価格)の価格効果は小さい。つまり、カーボンプライシングの「価格メッセージ」効果は小さいということを環境省も認めているのである注4)。
明示的炭素価格を課すことで、エネルギー供給の9割を占める化石燃料の使用を大幅に抑制しようとすれば、現行の地球温暖化対策税と比べてケタ違いに高率の炭素課税が必要になる。その場合、現状で一次エネルギー供給の1割に満たないゼロエミッションエネルギー(原子力、再生可能エネルギー)で化石燃料を代替できなければ、エネルギーの供給不足を招く。
仮に物理的に代替ができたとしても、エネルギーコストの上昇は避けられないだろう。これだけの大量のエネルギー代替を安定的に実現するには、巨額の費用をかけて原子力の大量新増設を行うか、再エネ大量導入が必要になる。後者の場合、蓄電池などによる安定供給対策や周波数安定化対策、送電網増強など、莫大な追加費用負担が生じることになる。
電力価格上昇の影響
カーボンプライシングの導入が、環境省の報告書が推すように、相対的に安価な化石燃料にコストペナルティを課して社会にメッセージを送り、需要構造の転換を迫るものであるとすると、その結果としてエネルギー(電力)価格が上昇するのは自明である。電力価格が上昇すると何がおきるのか。具体的な例で見ていきたい。
2010年以降の日本の電気料金は約3割も上昇している。東日本大震災による原発停止に伴う燃料コスト上昇による値上げに加えて、再エネの固定価格買い取り制度による賦課金単価が、2.64円/kWhと、6年間で12倍に膨らんだことが要因である。
一方、工業統計で震災前後の製造品出荷額と購入電力使用額を比較すると(図1)、製造業全体では、出荷額が4%増加した一方、購入電力使用額が34%も増加している。その内訳を見ると、電力多消費産業の典型である「製鋼・製鋼圧延業(電炉業)」では出荷額4%増加に対して、購入電力使用額は52%増加と、製造業全体と比べてもその上昇が顕著である。同じく電力多消費産業である「銑鉄鋳物製造業」でも、購入電力使用額は52%増加している。つまり、電気料金上昇によって製造コストは上がったが、それを価格転嫁するのは難しく、特に電力多消費産業ではその傾向が強いという実態が読み取れる。
- 注1)
- 環境省「カーボンプライシングのあり方に関する検討会」とりまとめ(平成30年3月)P56
- 注2)
- https://www.env.go.jp/policy/tax/about.html
- 注3)
- 例えば天野明弘「我が国におけるエネルギー需要の価格弾力性再推定結果について」(2008)中央環境審議会・総合政策・地球環境合同部会・グリーン税制とその経済分析等に関する専門委員会・会議、第3 回資料1
- 注4)
- 温対税の税収が年間2600億円として、価格効果によるCO2削減量が180万トンと見積もられているので、CO2トン当たりの削減費用は144,000円に上り、国際的に見ても非常に高い炭素価格になっている。