イラン戦争とエネルギー政策のコモンセンス
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院客員教授
(「産業環境管理協会「環境管理」2026年7月号 vol.62 No.7」より転載)
イラン戦争とホルムズ海峡情勢を契機に、エネルギー政策における「コモンセンス」を再度、考える櫃要がある。戦争を理由に直ちに脱化石燃料を加速すべきとする議論があるが、それは論理の飛躍であり、備蓄強化、供給源多角化、国内生産拡大、原子力・再エネ活用を含む現実的なエネルギーミックスこそがエネルギー政策の要諦・コモンセンスである。エネルギー安全保障を重視する「エネルギーサークル」と、脱炭素を最優先する「COP サークル」の間の認識の断絶が広まっているが、世界のエネルギー・温暖化政策の政治的・社会的・経済的持続可能性を確保するためには両者の収斂が必要である。
不透明さが続くホルムズ海峡
イラン戦争がどのように推移するかは予見困難である。本稿執筆時点(5月14日)でWTIは101ドル程度である。イランはホルムズ海峡を全面封鎖せず、中国・アジア向けを中心に選別的通航を容認する一方、通航管理を政治・経済カード化している。これに対し米国はイラン関連船舶への臨検・阻止や護衛作戦を展開し、「自由航行維持」と「対イラン封鎖」を並行実施している。結果として海峡は「完全閉鎖」ではなく、高リスク・低流量状態となり、原油価格や海上保険料の高騰を通じ世界経済に影響を与えている。
ホルムズ海峡閉鎖 → 脱化石燃料という論理飛躍
イラン戦争はエネルギー政策の優先順位を改めて明確化している。予想されたことであるが、環境関係者の間では「今こそ中東の石油、ガスへの依存のリスクから脱却するため、脱化石燃料をすすめるべきだ」との声があがっている。例えば自然エネルギー財団は4月17日に「今こそ化石燃料からの転換加速を:日本を守り強くするエネルギー政策の提案1)」を発表した。自然エネルギーを強く推奨する朝日新聞も4月16日、「脱化石燃料、二つの戦争の教訓―価格急騰リスク―再エネ・電化推進を」という記事2)でドイツ前政権で経済・気候保護省次官であったパトリック・グライヒェン氏のコメントを紹介している。省エネ、再エネ、電化を推進し、化石燃料の役割を否定するという点で両者の主張は見事に一致している。
4月24〜29日にはコロンビアのサンタマルタでコロンビア、オランダ共催による「脱化石燃料に関する国際会議」が開催された。「化石燃料廃止ロードマップ」の策定に賛同する欧州、島嶼国を中心に50カ国以上が参加し、イラン戦争を根拠に脱化石燃料こそがエネルギー安全保障に貢献するとの議論が唱道された。例によって朝日新聞はこの会議の意義を特筆大書して報道した3)。他方、米国、中国、インド、ロシア、産油国からの政府レベルでの参加はなく、日本も参加していない。この会議に参加しない国々が世界の化石燃料消費に占めるシェアは7割近くになる。脱化石燃料国際会議がゲームチェンジャーになるというのはナイーブに過ぎるだろう。
確かに国産エネルギー源である再エネを導入すれば化石燃料の輸入依存が低下する。しかし化石燃料の供給元は中東だけではない。中東でリスクがあるから脱化石燃料というのは論理の飛躍であり、まずは代替調達先を探すというのが筋だろう。更に変動性再エネを電力システムに導入すれば、需給バランスのための追加的なコストがかかること、中国製のクリーンエネルギー技術や中国が圧倒的支配力を有する重要鉱物への依存拡大は経済安全保障上のリスクをもたらすこと等の再エネ拡大の負の側面も忘れてはならない。完全なエネルギー源がないからこそ、各国の実情に応じてベストミックスを追求することになる。しかし彼らの主張の根底にあるのは、脱炭素、再エネ促進が最優先であり、輸入化石燃料への依存低下、エネルギー安全保障への貢献はコベネフィットでしかない。
ダニエル・ヤーギンは「混迷するエネルギートランジション―現実的な前進への道をどう見いだすか」(2025年4月)4)において、AI、データセンター、電化、新興国・途上国の人口・経済成長により世界のエネルギー需要は増加を続けており、再エネが化石燃料を置き換えるのではなく、再エネも化石燃料需要も増えていること、特にアジア諸国においては安定供給、既存インフラの観点で化石燃料依存が続くと見込まれること、100兆ドル規模の世界経済は、依然としてエネルギー供給の80%以上を炭化水素に依存しており、セメント、鉄鋼、プラスチック、アンモニア(肥料)など、現代文明に不可欠な素材は、依然として既存のエネルギーシステムに大きく依存していることを指摘している。こうした現実を無視した理念先行の脱化石燃料議論はスローガンでしかない。
強靱なエネルギー供給体制こそが基本
イラン戦争によって各国、特にホルムズ海峡依存の強いアジア諸国はエネルギー安全保障の危機に直面している。その際、「化石燃料からの脱却」ではなく以下の①〜④を通じて「中東で有事が発生しても安価で安定的なエネルギー供給を維持できる強靭なエネルギー供給体制の確保」を目指すのが、エネルギー政策の要諦であろう。
① 備蓄を中核とした緊急時対応体制の強化
② (資源国においては)国内化石燃料生産の拡大
③ 中東への過度の依存を避け、エネルギー調達源、調達ルートを多角化
④ 石油、天然ガスから他の燃料への転換
緊急時対応に関し、わが国を含むIEA加盟国は備蓄の存在によって直ちに物理的途絶には直面していないが、急速な経済成長、エネルギー需要の拡大に呼応した備蓄体制が整っていなかったASEAN諸国は直撃を受けることになった。今回のエネルギー危機を契機に国内備蓄体制や域内共同備蓄、ASEAN石油セキュリティ合意(APSA)の実効性確保を含め、緊急時体制を抜本的に見直すことになるだろう。
エネルギー危機に対応して資源国は国内生産を拡大している。中国では石油、石炭生産が、インドでは石炭生産が拡大し、米国ではシェールの増産と輸出拡大を図っている。東南アジアにおいてもインドネシア、マレーシア、ブルネイ等はガスの増産を図っている。
中東の過剰依存低下については、ブラジル、ガイアナ、米国、西アフリカ等からの石油調達、米国からのLNG調達が考えられる。石油危機時の石油価格上昇が石油供給における非OPEC諸国のシェア拡大に繋がったのと同様である。とはいえ中東地域の原油生産コスト10~30ドル/バレルは他地域に比して圧倒的に安い(シェールは45~70ドル、ブラジル等の深海油田が40~60ドル)。中東依存の引き下げにも限界があるだろう。
同時に発電部門において石油価格とリンクしたLNGへの依存が電力価格の上昇を招くならば、再エネ、原子力の導入により、LNG需要を抑制することが必要になる。日本の場合、停止している原発の再稼働が最優先課題となるだろう。日本政府が2030年に向けて稼働率を引き下げていくとされていた非効率石炭火力の稼働率の引き上げを決定したのも緊急措置として当然のことだ。ましてや電力需要が急増しているアジア諸国においては、これまでの石炭からガスへの転換を見直し、域内に潤沢に存在する石炭火力への回帰が起きる可能性は極めて高い。もちろん太陽光発電、風力も拡大するだろうがそれでは増大する電力需要を賄えない。これまでのように脱炭素の視点のみに立って石炭火力を排除するのではなく、緊急時の備えとしての位置付けを与えることが必要だろう。
他方、運輸部門においてはガソリン価格の高騰が電気自動車の普及に追い風になる可能性がある。特に欧米市場へのアクセスを制限され、過剰生産気味になっている中国製EVが東南アジアをはじめとするグローバルサウス市場に投げ売りされることも考えられる。ただ一般的に消費者が内燃機関自動車から電気自動車へのシフトを決断するためにはガソリン価格の高騰、不安定さが1年から3年程度続くことが必要だと言われている。イラン戦争の収束状況とその後のエネルギー市場の状況によっては電気自動車の普及が大きく進むことにはならない可能性もある。
間違いなく言えることは、各国は今回のエネルギー危機により、エネルギーの低廉で安定的な供給の死活的重要性を再確認し、短期、中長期ともにそれを最優先にするだろうということだ。対応策の中には再エネ、原子力の導入拡大、電気自動車の普及など、脱炭素にもコベネフィットがあるものもあれば、国内化石燃料生産の拡大、天然ガスから石炭への回帰などのように脱炭素に逆行するものも含まれる。脱炭素、再エネ導入を最優先とし、その中でエネルギー安全保障のコベネフィットを追求する自然エネルギー財団やグライヒェン氏とは考える順番が根本的に異なる。
プラグマティズムが主流のエネルギーサークル
筆者は2026年3月後半に米国ヒューストンで開催されていたCERAウィークに参加した。これはS&Pグローバルが主催するエネルギー業界向けの年次国際会議(1983年より開催)で「エネルギー界のダボス会議」や「エネルギー界のスーパーボウル」とも呼ばれている。アジェンダは先出のダニエル・ヤーギンが策定しており、政府高官(閣僚や国家元首)、石油・ガス・電力・再生可能エネルギー企業のCEO、テクノロジー企業(AI、半導体など)、金融機関や投資家が一堂に会し、「政治+市場+技術」という視点からエネルギーの未来について議論するフォーラムである。
イラン戦争勃発後、1カ月近く経っていたこともあり、様々なセッションでそれが話題になったが、しばしば聞かれたキーワードは「プラグマティズム」、「リアリズム」、「コモンセンス」であった。それを象徴するようなパネルがバイデン政権時に気候特使を務めたジョン・ケリー氏とスコット・ティンカー(テキサス大オースティン校教授)のやり取りであった。
このパネルでジョン・ケリー元特使は「気候変動の科学は明白であり、2+2=4でしかない。再生可能エネルギー分野における中国の優位性はあるが、市場原理と価格がエネルギー転換を牽引している」として再エネ中心のエネルギー転換を主張した。これに対し、ティンカー教授は現実主義の立場から「過去の気候変動やESGへの取り組みは行き過ぎであった。世界のエネルギー需要急増に対応し、人々を貧困から脱却させるには、不安定な再生可能エネルギーだけでなく、石油やガスといった高密度なエネルギー源が必要。政策は貧困、教育、安全保障といった複雑な変数のバランスを取らなければならない」と指摘した。
COPの場であればジョン・ケリー氏のような議論が歓迎されるのだろうが、「エネルギーのダボス」ともいわれるCERAウィークでは明らかに聴衆の雰囲気はティンカー教授寄りであることが見て取れた。これがエネルギーサークルのコモンセンスである。
自然エネルギー財団に代表されるようなCOP・脱炭素サークルの議論とエネルギーサークルの議論の間の断絶は深い。エネルギーサークルは再エネの貢献を決して否定しないが、COP・脱炭素サークルは化石燃料の役割を否定しがちである(中には原子力の役割を否定する人々もいる)。これが高じると再エネそのものよりも再エネ以外を認めない教条的な人々へのリベンジとして、トランプ政権のように再エネプロジェクトを軒並みキャンセルするような混乱が起きる。脱炭素イデオロギーも脱・脱炭素イデオロギーも困りものだ。
イラン戦争が我々に突きつけているのは、我々の日常生活、産業活動の血液であるエネルギーの安定供給確保がエネルギー政策の一丁目一番地であるという当たり前の事実である。この認識がエネルギーサークルのみならず、COPをはじめとする温暖化サークルにおいても共有されることを望む。エネルギーサークルと温暖化サークルの認識の断絶は世界のエネルギー温暖化政策の政治的、経済的、社会的持続可能性を損なうことになるからだ。
参考文献











