World Energy Outlook 2022 概要と分析(その4)

ー IEAのメッセージ ー


J-POWER 執行役員、京都大学経営管理大学院 特命教授

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前回:World Energy Outlook 2022 概要と分析(その3)

 連載初回から前回まで、WEO2022の概要と分析として、本文中の図を引用することなく、WEO2022の付属データ(AnnexA)分析によるWEO2022のシナリオ比較を示してきた。というのも、WEO2022本文には主要なエネルギー指標(CO2排出量を除く)を定量的かつ客観的にシナリオ比較した記載が少なく、むしろナラティブな(ストーリー性のある)表現による主観的な記載が散見される。そういった「IEAが伝えたいメッセージ」が読み取れるものの中から、筆者が気になったものを抜粋して紹介したい。

WEO2022のメッセージ

 以下は、「NZEの電力部門における燃料別の排出と主要なマイルストーン」として示されている図である。


図1 NZEの電力部門における燃料別の排出と主要なマイルストーン

 この図が示す多くのマイルストーンの中で、最初のものは2022年に「削減対策なしの石炭火力の新設認可を世界中で禁止」というものである。実は、2021年5月にIEAが発刊した”Net Zero by 2050”(2050年ネットゼロ報告書)には、同様の図に2021年のマイルストーンとして「削減対策なしの石炭火力の開発を禁止」と書かれていた。しかし実際には、その後のG20およびCOPにおいても、未だ「削減対策なしの石炭火力の開発を禁止」の合意には至っていない。もしかしたら、IEAは、WEO2022発刊時(2022年10月)には「削減対策なしの石炭火力の新設認可を世界中で禁止」は必ずG20またはCOP28で国際的に合意することを期待して、これをNZE達成の最初のマイルストーンとしてWEO2022に記載したのかもしれない。しかし、その期待は外れてしまったので、恐らくIEAは次のWEOでもNZEの最初のマイルストーンを後ろ倒しにすることが想像され、むしろNZE達成の難しさを示しているようにも思える。

 以下は、NZEにおける2030年のクリーンエネルギー投資とその資金源を示した図である。


図2 NZEの2030年のクリーンエネルギー投資とその資金源

 左側のグラフはクリーンエネルギーの投資先を示しており、NZEに必要な投資の半分以上は新興国・途上国(図中のEMDE)に対する投資であるとしている。再エネ導入ポテンシャルが豊富で、導入コストの安価な途上国に投資するのが経済効率的であることから、最適化の結果としてこのような比率になるのはもっともで、理解しやすい。
 一方で、右側のグラフは資金源を示し、全体資金の2/3以上を供給するのは途上国と想定し、最も多いのは新興国・途上国の公的資金、次いで新興国・途上国の民間資金としており、先進国の公的資金は非常に少ない。このような資金の出し手をどのように算定したのかという説明も根拠も記載されておらず、それを推定することも難しい(少なくとも筆者には想像できない)。現実には、COPでの新興国・途上国は常にCBDR原則を根拠として常に先進国からの支援を要求しており、COP27でもロス・ダメ基金の設立を主張して勝ち取った。その新興国・途上国が「途上国がメインの資金供給源」というNZEの想定(計算結果だとしても)を、根拠も示されないまますんなり受け入れるとは考え難い。IEAは、この図で途上国の当事者としての自覚と積極的な資金貢献を呼びかけたかったのかもしれないが、それにしては説得力に欠けている。
 以下の図は、次のように説明されている。

 かつてエネルギー多消費型産業は立地の決断に際し、「消費者への近さ、原材料や熟練労働力へのアクセス、税金やその他の金銭的インセンティブなど」を重視していた。この判断基準は依然として活用されるが、新たに「炭素と持続性」という要素が加わった。過去の決断に基づく産業別の立地点を「系統電力の排出係数、再エネ電源のポテンシャル、CO2貯留地への近さ」という観点で分類すると以下の図の通りであり、「炭素と持続性」という視点が過去の立地の決断では考慮されていなかったことが分かる。


図3 現状のエネルギー集約産業の系統電力の排出係数、再エネポテンシャル、CO2貯留地への近さ別の分布

 エネルギー危機以降高騰するエネルギー価格とこれから導入される炭素税、国境調整税により、今後の立地に際し「炭素と持続性」が考慮されることになる。低炭素電源、グリーン水素のような低炭素燃料、CO2貯留へのアクセスという手段を通し、大幅削減を実現することがエネルギー多消費型産業にとっては重要になるとIEAはしている。
 再エネ導入の可能性、あるいはCO2貯留の可能性は、多かれ少なかれ地域により条件が固定されているように思われるが、必ずしもそうではないとIEAはし、各国が制度などを工夫することにより脱炭素を実現することが、大規模産業投資を招く重点戦略になると思われるとしている。
 簡単に「脱炭素という新しい基準」で立地点を選べるのだろうか?IEAのメッセージは。これら産業の当事者には現実味を感じられないのではないか。

エネルギーセキュリティーにフォーカス?

 1970年代の石油危機をきっかけに、OECD加盟国のエネルギー安定供給を守るために創設され、かつては「エネルギーの番人」と呼ばれたIEAであるが、近年のWEOにおいては気候変動側面に焦点が当てられ、エネルギーセキュリティーが忘れ去られた感があった。WEO2022では第4章は「エネルギー移行期におけるエネルギーセキュリティー」というタイトルで、久しぶりにエネルギーセキュリティーに焦点を当てているのかと期待して読んだが、そういうシンプルな話ではなかった。第4章に記載されている「エネルギー移行を確保する 10 の要素」のヘッドラインは以下の通りである。

4.1
さまざまなクリーン エネルギー技術の拡大と化石燃料の縮小をシンクロさせる
4.2
需要サイドに取り組み、エネルギー効率を優先する
4.3
エネルギー貧困への転落を反転させて、貧しいコミュニティを新しいエネルギー経済へと導く
4.4
新興市場国と発展途上国の資本費を引き下げるために協力する
4.5
既存のインフラの一部はネットゼロ排出への確実な道のりに不可欠、その廃止と再利用を慎重に管理する
4.6
化石燃料産出国経済が直面する特定のリスクに取り組む
4.7
柔軟性に投資する – 電力セキュリティの新しい合言葉
4.8
多様で回復力のあるクリーン エネルギー サプライ チェーンを確保する
4.9
エネルギーインフラの気候レジリエンスを促進する
4.10
戦略的な方向性を示し、市場の失敗に対処するが、市場を解体しない

 非常にわかりにくいが、つまりは、IEAがsecuresすべきとしているのはエネルギー安定供給ではなく、エネルギーの脱炭素への移行であることが読み取れる。エネルギーの番人の復活を期待したのは、筆者の過ちだった。

歴代WEOのシナリオの変化

 では、いつからWEOはエネルギーの番人から気候変動対策のリーダーに変化したのか。そのシナリオの変遷を見ればわかるのではないかと考えて、WEO2006からWEO2022までのシナリオをプロットしてみたのが以下の図である。WEO2010から中心シナリオ、BAUシナリオ、2℃シナリオという3つのシナリオの組み合わせが10年間続いたが、WEO2020で1.5℃シナリオがBAUシナリオに取って代わり、WEO2021でAPS(カーボンニュートラル宣言している国は全て達成すると想定したシナリオ)が加わる、WEO2022で2℃シナリオが消え、WEO2022のシナリオはSTEPS、APS、NZEの3つになっている。


図4 歴代WEOのシナリオの変遷

 シナリオのアプローチとして、STEPSを含む一連の中心シナリオの(今は亡き)BAUシナリオはforecast型の将来予測シミュレーションであるが、2℃シナリオ、1.5℃シナリオは将来のCO2排出量を固定して目標達成の手段を決定するbackcast型である。新入りシナリオのAPSは、カーボンニュートラル宣言している国はbackcast型、その他の国はforecast型でアプローチしたハイブリッド型のシナリオであると言える。

 上図に示す通り、WEO2019まではforecast型シナリオが2つ、backcast型シナリオが一つという組み合わせであり、予測重視であったと言える。しかし、 WEO2020以降はforecast型シナリオはSTEPSの1つだけになり、backcast型シナリオとハイブリッドが同等またはそれ以上に扱われていて、目標重視にシフトしていると言える。言い換えると、WEOの焦点は、エネルギーの将来を展望することから、2℃目標そして今や1.5℃目標達成のための手法を示すことへ変化した、ということになる。なおかつ、パリ協定の長期目標”well below 2 degrees”と整合するSDSが消滅したことで、努力目標である1.5℃と整合するNZEのみがパリ協定と整合するシナリオ、ということになり、1.5℃目標のみを「パリ協定と整合する科学的根拠」とするSBT(Science Based Targets)などに迎合しているかのように思える。

 かつてはエネルギー分析に携わる研究者、企業、政策担当者にとってバイブルであったWEOであるが、今はカーボンニュートラル必達が最優先でエネルギーセキュリティーは二の次、という環境原理主義的な人達のバイブルになってしまっているのは、前者に属する筆者にとっては残念なことである。