ドイツ「褐炭・石炭火力全廃」答申の矛盾

低効率発電所が当面使用され、温暖化対策として疑問符も


国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授

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(「月刊ビジネスアイ エネコ」2019年4月号からの転載)

 ドイツ・ベルリンにある環境省を訪問したことがある。驚いたのは、同省の廊下の壁に時として過激な直接行動を行うことで知られる国際環境NGOグリーンピースのポスターが貼ってあったことだ。石炭火力発電所の今後を議論するため、独政府が昨年6月に設立した成長・構造変革・雇用委員会(通称・石炭委員会)のメンバーにもグリーンピース代表が含まれている。
 欧州では、石炭火力から排出される硫黄酸化物と窒素酸化物が大気汚染と健康被害を引き起こしているとして問題になっている。日本の石炭火力では低硫黄分、低窒素分の石炭を購入し、さらに脱硫、脱硝装置、電気集じん機を通して排気を排出しているので、大気汚染はまずない。しかし、欧州では、品位があまり良くない石炭を使用し、公害防止設備を付けていない発電所も多い。大気汚染に加えて、温暖化問題に取り組む必要があることも、独政府が同委員会を設立した理由だ。
 同委員会は、ドイツの電力供給の4割弱を担っている石炭、褐炭火力発電所をいつまでに廃止するかを議論する場である。石炭産業、環境NGO、経済団体、労働組合代表など28人の委員が当初、昨年末までに具体案を答申する予定だったが、結局、今年1月下旬までずれ込み、2038年までに石炭、褐炭火力を全廃との内容を政府に答申した。今後、答申内容が法案となり、国会で審議されることになる。
 英国の研究者と答申内容を議論したところ、独政府の実行力をかなり疑問視するコメントを寄せていた。彼によると、ドイツの本音は経済第一であり、コスト競争力のある石炭火力の全廃は電気料金の上昇を招くことから、2038年が近づけば全廃期限の延長を持ち出すことになるとみたほうがいいとのことだった。
 彼の主張には、根拠がないわけではない。ドイツは昨年初め、2020年の温室効果ガス排出削減目標をいとも簡単に放棄してしまった。2030年目標は達成するとしているが、10年以上先のことだから言っているだけで、期限が近づけばどうなるか分からないというのが彼の見立てだ。
 この答申には矛盾もある。効率の悪い既存の火力発電設備を当面残す一方で、着工している高効率の新設石炭火力は運転を行うことなく廃止することになるからだ。

追い込まれる独石炭産業

 かつて英国の産業革命を支えたのは、豊富に賦存した石炭だった。木材より高い発熱量を持つ石炭を利用することにより、蒸気機関が多くの場で実用化された。英国の石炭生産量は20世紀初頭には年産3億トン近くに達し、第二次世界大戦直後でも同2億トンを超えていた。
 しかし、石油の利用が進むに連れ、坑内掘り中心の英国炭は急速に競争力を失った。石油危機後の石炭復権では、競争力のある輸入炭が拡大したものの、国内炭は縮小が続いた。さらに北海での天然ガス生産が増え、英国の坑内掘り炭鉱は全て閉山された。
 いま、英国の全発電量に占める石炭火力の割合は5%しかない。温暖化対策に熱心な英政府は、2025年までに石炭火力を全廃する方針だ。
 中東欧では、ポーランドを中心に依然、石炭火力への依存度が高く、西欧ではドイツの依存度の高さが目立つ。2018年時点で、ドイツの全発電量に占める石炭火力の割合は13.4%、褐炭火力が24.1%(図1)。1990年の57%から大幅に減っているものの、4割近くを占める。


図1 ドイツの電源別発電量(2018年)
出所:Fraunhofer

 ドイツは、フランス国境に近いルール地方を中心に可採埋蔵量360億トンとされる大きな炭田を保有している。採炭コストは輸入炭価格の約2倍だが、補助金により採炭を続けてきた。補助金は2007年以降、徐々に減額され、2018年の補助金打ち切りと同時に最後の2炭鉱が閉鎖された。ドイツの石炭火力はいま、ロシア、米国、豪州などからの輸入炭で操業を続けている。
 ドイツは、品位が劣る褐炭も大きな埋蔵量を持つ。石炭とは異なり、露天での採掘のため十分競争力があり、褐炭火力の発電コストは石炭、天然ガス火力よりも低い。ドイツ統合直前には、旧東ドイツを中心に褐炭生産量は年4億トンを超え、いまも2億トン近い。温暖化対策のためには、二酸化炭素排出量が大きい褐炭火力の閉鎖が必要になるが、電気料金の値上げと炭鉱が存在する地域の経済・雇用に影響が生じることになる。さらに、2022年には脱原発が予定されていることから、電力供給への影響も考える必要がある。悩んだ独政府は石炭委員会を設立し、議論してもらうことにした。

閉鎖は決めたが

 同委員会では、輸入炭を利用する石炭火力と、国内炭を利用する褐炭火力は今後、図2のように徐々に削減されることを想定している。この案について、同委員会内部では、グリーンピースの委員を除き、NGO代表も評価していると伝えられている。全廃案は2032年に見直され、2035年全廃に早まることもあるとされている。しかし、炭鉱の操業を行っている独エネルギー会社RWEは、見直しの結果、期限が延長されることもあるとしている。


図2 ドイツの脱石炭計画
出所:ドイツの成長・構造変革・雇用委員会

 案では、建設中の石炭、褐炭火力は操業を行わないことになっており、その対象となる発電所が1カ所だけある。ユニパー(旧イーオン)が現在、建設中のダッテルン石炭火力(105万kW)だ。2007年に着工し、2020年夏に運開予定となっている。建設費は15億ユーロ(約1900億円)。現場の写真をみる限り、ほとんど工事は完了しているようだが、現状の答申案に従うと運開することなく廃止になる。同社は当然、期待利益を含めた補償を要求することになり、その額は数十億ユーロになるとみられている。
 発電効率45%の最新鋭の石炭火力が使われないまま廃止されてしまう可能性がある一方、運開後何十年も経ち、発電効率が40%にも届かない既存の石炭火力が運転を続けることになる。温暖化対策としてはなんとも矛盾した話だ。
 独政府は、2030年に電力供給の65%を再生可能エネルギーで行う方針だ。残りは、天然ガス火力になるのだろうが、これも問題がありそうだ。1つは、天然ガスを供給するロシアへの依存度が上昇することだ。もう1つは、電気料金の上昇懸念だ。天然ガス火力のコストはいまでも相対的に高い。再エネ比率が上昇すれば、さらに稼働率が下がり、コストアップの可能性がある。今後、蓄電池の価格が大きく下落すれば、天然ガス火力にそれほど頼らなくてもよいかもしれないが、そうなったらなったで、電気料金は大きく上昇することになる。
 ひょっとすると、ドイツの政策を疑いの目でみていた英国研究者の見立てが案外当たり、答申案がひっくり返されることもあるかもしれない。