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「気候関連財務ディスクロージャー」の課題(1)


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール技術企画部理事 地球環境グループリーダー


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気候関連財務ディスクロージャーへの懸念点

 以上紹介してきたTCFDの動きを受け、本稿では以下、「気候関連財務ディスクロージャー」の制度化の動きに関する、筆者の考える懸念点や課題について指摘していきたい。

1. 気候変動リスクには大きな不確実性を伴う
 昨年12月のCOP21で合意されたパリ協定では、世界の平均気温の上昇を、工業化以前の水準と比較して「2℃を十分に下回る水準」に抑え、また「1.5℃以内に止めるように努力する」ことが合意された。IPCCの第5次報告書(2014年)では、こうした温暖化が人為的な活動=温室効果ガスの排出 によって引き起こされていることは疑う余地はないとしていて、気候変動に関する懐疑論や不確実性については否定的な立場を鮮明にしている。温暖化は世界が直面する「現実の危機」であり、従ってそれに伴うリスクについても現実のものと受け止めて経済活動に反映されるべきだし、金融や投資活動についても、低炭素社会への移行を促進するものとしていく必要があるとの認識が高まっている。
 確かにCO2の大気中濃度が現実に400ppmを超え注4)、世界中で異常気象による災害が頻発する中、温暖化問題は不確実な問題ではなく、そこに迫る「現実の問題」として認識されるようになってきている。しかしIPCCの報告書を少し詳細に見ると、実は気候変動問題に関する不確実性は依然として大きく、むしろ知見が蓄積するほど不確実性が拡大してきているという現実も見えてくる。IPCC第5次報告書によれば、温室効果ガス(GHG)の濃度が産業革命以前に比べて2倍に増えて安定化したとき(550ppmCO2eq)、地球の温度が平衡状態で何℃上昇するかという目安を示す、「平衡気候感度」の推定値には1.5~4.5℃と3倍もの開きがある(正確に言えば、66%の確率で気候感度がこの範囲に収まるとされている)。
 これはIPCC第4次報告書(2007年)で報告された気候感度の推定値2.0~4.5℃と比較してみても、不確実性の幅がより広がっており、また第4次報告書では最良推定値が3.0℃とされていたが、これが2℃目標達成に必要とされる対策水準(CO2濃度の抑制水準)を想定する根拠となってきたのだが(2℃目標=450ppmとされた)、第5次報告書では、気候感度の推計値の不確実性の幅が下方に広がったことを受けて、最良推定値を2.5℃に引き下げるべきかどうかについて、科学者の間で合意ができず発表されていない。(従って第5次報告書で、気候変動対策について扱った第3作業部会では、第4次報告書に記載された最良推定値3℃を「暫定的」に使用して検討されたということだが、そうした経緯については政策立案者向け要約では説明されていない注5)。気候感度を大きく仮定すれば、温度上昇を抑えるための濃度水準は低くなり、より大きな対策が必要となる。
 パリ協定における2℃目標については、その政治的意味合いは重要だが、上記の気候感度に関する科学的知見の残る不確実性を考えると、それを達成するために必要なGHG濃度水準は、一般的に認識されているように450ppm以下に抑えることが絶対的な指標ではないことが理解されよう。実際IPCC第5次報告書の本文を詳細に見れば、GHG濃度が430~530ppmという広い範囲で、温度上昇を2℃以内に抑えられる可能性があるとされている(図1)。つまり、どこまでGHG排出を抑制すれば、気温上昇を2℃に抑えられるかについては、今でも非常に大きな不確実性が存在している。既にハワイや日本で観測された直近の大気中二酸化炭素濃度は400ppmを超えており、それが毎年平均2ppm程度増え続けているとされている。これにCO2以外の温室効果ガス濃度を加えると、現状でもGHG濃度は420ppm程度とされており、もし430ppmが2℃目標の閾値であるとすると、わずか5年で到達する計算になり、2030年までの対策ではもはや手遅れなのかもしれなり。一方530ppmが閾値であるとすれば、現状レベルの排出増が続いても、それに到達するまでに50年の猶予があり、拙速な脱炭素化や化石燃料規制をコストを度外視して無理やり行わなくても、時間をかけて技術革新戦略を追求して次世代のクリーンエネルギー技術開発に注力し、その実用化を待つ余裕が生まれることになる。

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 一方、IPCC第5次報告書では、温暖化がもたらす社会リスクや被害に関しては、影響が連続的、確率分布的に生じるとされており、1.9℃なら安全で2.1℃で破滅的な事象が起きるというわけではなく、ここにも大きな不確実性が介在している。地球温暖化により「○○年までに○○億ドルの被害」が発生するといった定量的なリスク評価は、上記の「GHG濃度と温度上昇の関係」と、「温度上昇に伴う環境影響リスク」の両者に付随する大きな不確実性に対して、何らかの割り切りや単純化をした仮定の下で算出されたものである。
 こうした現実を踏まえた上で、個々の企業の事業や特定資産の負っている気候変動リスクについて、金融の視点からそれを定量的に評価しようとすると、それは事象発生の確率や発生時の定量的な損失額について、大胆に単純化した前提を置いて、割り切って算定しないとできない性格のものである。気候変動リスクの評価・報告に当たっては、報告者も評価を行う金融機関側も、このことを十分に認識した上で行っていく必要がある。またそうした、単純化された前提をもとに算定された個々の企業のリスクについては、将来の科学的知見の深化、多様化や現実に起きた環境変化等によって、算定の前提とした条件が変わってきた場合、大幅な見直しや再評価を余儀なくされることもありうるということを十分に認識した上で取り扱われるべきである。さらにあえて言えば、将来のリスクについては、社会や政治の注意を喚起するために最大限のリスクを見積もるべく、「最悪の事態」を想定した前提条件や仮定を置いて見積もることが安全サイドの判断という合理性があるが、一方で、そうして恣意的にリスク方向に偏った前提をおいて企業の抱えるリスクについて過大な評価が行われ、結果としてリスクが誇張されていたことが明らかになったような場合、個々の企業やその株主が過大なリスク評価にさらされた結果蒙る経済的な実害に関して、何らかの補償措置も考えていかなければいけなくなるのかもしれない。

注4)
日本の気象庁は5月28日、国内3か所の観測地点で大気中のCO2濃度の年平均が過去最高を更新し、うち2か所では初めて400ppmを超えたと発表した。
注5)
IPCCの報告書は「科学の要請」として引用されることが多く、世界中の科学者のコンセンサスであるかのように思われているが、実際にはIPCCは「気候変動に関する政府間パネル」であり、その編集作業には科学者だけではなく各国政府の関係者も参画しており、特にその政策立案者向け要約(SPM: Summary for Policymakers)のとりまとめに際しては、強い主張を持つ政府の意向が色濃く反映されている。この政治的なプロセスについては、IPCC第三作業部会の統括執筆者を務めるハーバード大学のスタヴァンス教授が「SPMは実際にはSummery by Policymakersになっている」と公に批判している。

「気候関連財務ディスクロージャー」の課題(2)へつづく

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Challenges for "Climate Related Finance Disclosure"