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私の提言 ―総集編―


国際環境経済研究所前所長


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これまでこのブログも含めて、さまざまな場で日本のエネルギー政策に対して私見を述べ続けてきた。積み重ねてきた提言すべてを読んでいただければ、筆者が描いていた一筋の細い道をご理解いただけるかもしれないが、それも難しいであろう。そのためここで改めて、筆者がどのような視点でその時々のテーマを選定し、提言を行ってきたかについて、全体像を整理してお伝えしたいと思う。

 筆者のエネルギー政策への思考回路の原点にあるのは、エネルギー安定供給の重要性である。筆者が通商産業省に入省したのが1981年。第二次オイルショックの余波冷めやらぬ頃であり、国の隅々まで必要十分なエネルギーを供給することは、政府が果たさなければならない重要な国民に対する責務であることを叩き込まれたのである。当時は石油依存度を低減させるため「脱石油・脱中東」がキーワードとされ、LNG火力や原子力などが積極的に推進されていた。再生可能エネルギーや省エネの研究開発にも、この当時から巨額の国費が費やされていたのである。その後、1990年代に入ると地球温暖化問題がクローズアップされ、わが国がホストしたCOP3において京都議定書が採択された。京都議定書の採択、そしてわが国の批准の過程を見るに、環境保護の重要性を道義的な視点から説く偏った議論に覆われていることに危機感を抱いた。現実主義的政治の本質を踏まえず、技術の観点が抜け落ちた枠組みでは、地球温暖化問題の真の解決は望めない。あるべき枠組みを提言しようと、多様な著者の協力を得て「地球温暖化問題の再検証」をまとめるに至った。ここで提唱したプレッジ&レビュー方式に基礎を置くパリ合意が、2015年12月のCOP21においてまとまったことは、筆者にとっては感慨ひとしおであった。なお、プレッジ&レビュー方式の国際枠組みを前提としたときに、わが国の国内対策をどう構築すべきかについては、昨夏、有馬・手塚・竹内3名の主席研究員と共にまとめた「緊急提言―COP21 国際交渉・国内対策はどうあるべきか」に詳しい。COP21を終え、議論は既に今後我が国がどういった対策をとるかに移っている。ぜひ今後の議論の参照にしていただきたい。
 京都議定書の批准・発効を経て温暖化問題への注目度は高まっていき、それに呼応して当時の日本のエネルギー政策は、3Eのなかの「環境性」に軸足が偏りすぎていた。それに警鐘を鳴らしたのが、「エコ亡国論」(新潮新書)である。COP15が惨憺たる結果に終わったことを受けて(何がひどいと言ってデンマーク政府のロジスティクスのひどさは今でも忘れがたい)著した本であり、温暖化国際交渉の本質論、そして、「エコ」という美しい理念で政策を語ることの危うさを指摘した点において、今でも十分に読者の皆様の参考にしていただけると思っている。
 
 そして2011年3月に起きた福島原子力発電所事故によって、我が国のエネルギー政策は根底から覆された。政府が設定した避難指示区域等からの避難者数が、事故後2年経過した2013年3月時点でも10万人を超すなど注1) 未曽有の原子力災害を目の当たりにし、筆者がまず問題意識を持ったのは原子力損害賠償法であった。
 わが国の原子力損害賠償法の最大の問題点は、民間事業者たる電力会社に無限責任を課していることであろう。無限の賠償責任を果たしうる主体などあるはずがない。政府及び国会の「良識」に運用が委ねられ、事業者に政府の支援に対する「暗黙の期待」を抱かせる構造となっていたのである。無限責任を課すことで被害者保護に厚いようでいて、大きな事故が発生すれば経営基盤が根本から損なわれてしまいかねない民間の事業者のみが賠償責任主体である構造は、実は不十分なのではないか。事業者が政府の支援に「暗黙の期待」を抱くような構造は、政策決定や安全規制など原子力事業に関するあらゆる場面で感じる責任者不在、あるいは馴れ合いと言われる文化の産物ではないか、という問題意識が湧いた。さらに、地域コミュニティの破壊という特殊な被害をもたらす原子力災害は、事業者による個々の被害者に対する補償では回復しえない。また、限定できないリスクを負う事業に投資が起きることはあり得ない。被害者救済のあり方および原子力事業の維持という、両方の観点から賠償法の見直しは避けて通れないと認識したのである。
 我が国が、原子力事業に関わるリスク分担について正面から議論せずにその技術を利用してきてしまったことの象徴とも言える、原子力損害賠償法の見直しを提言すべく、21世紀政策研究所において「原子力事業体制・原賠法検討委員会」を組織し、森嶌昭夫名古屋大学名誉教授を主査に、当研究所の主席研究員も務める竹内純子氏に副主査をお願いし、「新たな原子力損害賠償制度の構築に向けて」注2) を取りまとめたのである。
 なお、賠償だけでなく、除染や広域復興のあり方も含めて、震災から5年経とうとする今、福島の復興に向けて最も重要なのはタブーを恐れず政策の見直しを議論すべきことではないか。この問題意識は「福島復興のタブーに挑む」注3) としてまとめたので、ぜひご一読いただきたい。

 賠償制度に対する問題意識が深まる中で、同時に、原子力事業の環境・体制整備の必要性を強く認識するに至った。
 原子力事業(発電事業及びバックエンド事業)を巡る環境は、福島原子力事故によって大きく変化した。あるいはその変化の一部は事故前から既に進んでいたが、それが事故によって一気に顕在化したとも言えるであろう。
 第一に政治的なサポートが失われたこと。原子力発電導入時は「国策民営」であったが、時代を下るにつれて商用のものがほとんどとなり、純粋な民営に近くなっていた。そのため、政治的サポートをあまり必要としなくなっていたとも言えるが、オイルショックの記憶の風化や複数のトラブルなどが相まって、原子力事業に対する世論および政治的サポートは徐々に失われていった。それが福島原子力事故により、規制者も事業者も国民の信頼を完全に失い、原子力事業に反対する世論が長期化・定着化してしまった。原子力事業に対する政治的サポートは大きく損なわれてしまったのである。
 第二に電力システム改革の進展があげられる。法的分離と総括原価方式による料金規制の変更は、投資回収リスクを高めることとなる。さらに、一般担保の廃止も加わり、新規投資に必要な資金調達が困難になる。原子力に係るファイナンス・リスクを限定するためには、公的な支援策も含めた検討が必要になるため、電力システム改革議論と一体となって原子力事業環境整備のための施策を議論しなければならない。
 第三に、安全規制の変化がある。いわゆるバックフィット制度は、設置許可を得た当初とは異なるルールや基準が事後的に適用されるものであり、それまでの投資が無に帰すことが懸念されるケースも生じる。事業者にとっては安全規制の変更は大きなリスク要因である。

注1)
環境白書 平成25年版
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h25/html/hj13010101.html
注2)
21世紀政策研究所「新たな原子力損害賠償制度の構築に向けて」
http://www.21ppi.org/pdf/thesis/131114_01.pdf
注3)
福島のタブーに挑むその1 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5790
福島のタブーに挑むその2  http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5794
福島のタブーに挑むその3  http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5795

 こうした環境変化に対応して原子力事業を国内に維持するには、個別施策の積み重ねではなく、総合的なパッケージとなる解決策を示す必要がある。その解決策として出した提案の柱の第一は、民間主導でのリプレースが行われることであり、そのための資金調達が可能となる事業環境整備である。原子力技術を維持し、これを効率的・安全に使うという観点から主体を考えると、民間事業者によるリプレースを可能にすることが制度設計の出発点となった。あわせて第二に、使用済み燃料の処理や廃炉以降最終処分に至る、いわゆるバックエンドは、国主導の体制に移行させていくべきであると考えた。基本的にバックエンド事業は収益を生む構造になく、また、相当長い期間安定的に事業を担いうる主体が行う必要があるためだ。第三に、原子力の安全規制を合理的なものにしていかねばならない。国民負担による大きな投資を行った経済的資産である原子力発電設備を安全に運転し、豊富低廉な電力供給を可能にするためには、合理的な安全規制の制度設計が必要となる。そのうえで、賠償制度の見直し、地域コミュニティ崩壊という特殊な被害に対応する、賠償制度とは別の施策の構築など、事故リスクの対策が必要となる。
 これら原子力事業に関する課題の総合的な解決フレームとして原子力事業環境整備法案を提示したのが、「原子力事業環境・体制整備に向けて」注4) である。原子力技術を日本に維持するための必要条件の整理と、そのためにはどこまで目配りをすればよいかを書いたこの政策提言は、不透明性に覆われ立ちすくんでいた原子力事業を、我が国において維持することを提示するための総合的な解を示したものであり、今後の羅針盤となりうるものと自負している。

 次に我が国の原子力政策の最大のボトルネックと言っても過言ではない、核燃料サイクル政策の改革に向けての提言を示した。この提言は、時間的にある程度余裕のある最終処分についてではなく、廃炉や中間貯蔵、再処理、プルトニウム利用問題などより喫緊に検討が必要な課題に焦点を当てたものである。国策としてこれまで我が国が推し進めてきた核燃料サイクル政策は、あまりに大きく、そしてそれぞれの施策が密接に関わりあっており、一つの施策の成功が他の施策の前提になっていることも多くある。そのため、その一部でも見直そうとすれば大きなきしみが生じるため、これまでいくつものほころびがあったものの、全体としての見直しが議論されることなく既定路線を継続するという判断が繰り返されてきた。
 しかしここに前述したような原子力事業を取り巻く環境の大きな変化が起これば、それでなくとも行き詰っていた政策が破たんに至ることは明らかであると言えよう。改革に向けての必要な視点として①政策責任の所在の明確化、②原子力事業の外部不経済性を正当に評価し、それを内部化するための政策措置、③国際的な説明責任が果たせること、④これまでの歴史的経緯を十分に踏まえること、しかし必要があれば方針を変更せざるを得ない局面を覚悟し、地元自治体や住民と真摯に向き合うこと、⑤技術の継承といった5つのポイントを整理し、実現すべき政策目標、現実的な制約要因と解決すべき課題など、今後描くべき設計図に必要なものをすべて洗い出したつもりである。原子力発電はトイレ無きマンション、などと言ってため息をついているだけでは、わが国がこれまで享受してきた豊富低廉な電力の結果生まれた放射性廃棄物の問題は解決しない。現世代の責任として核燃料サイクル政策を改革する道筋を本気で考える必要があり、その議論に必要な視点はすべてここに集約したつもりである。

 最後に取り組んだのが安全規制の改革である。事業環境の整備がよしんばうまくいったとしても、原子力技術に対する国民の信頼が回復されなければ、その利用は叶わない。事故によって失われた信頼回復を急ぐあまりにであろうか、規制者も事業者も共に態度が硬直化しているように見えた。まずは事故後導入された新たな規制活動の問題点を整理したうえで、規制者、事業者それぞれに求められる取り組みについて明らかにしようと考えたのである。安全規制を語るうえで最も重要な「予見可能性」を確保するためには、法的にこれを明確化する必要がある。そのため、具体的に原子炉等規制法の改正条文案まで含めた「原子力安全規制の最適化に向けてー炉規制法改正を視野にー」注5) を発表した。安全規制は何のために行われるかと言えば、原子力を安全に稼働させるためである。原子力を停止させるためではなく、当然のことながら原子力技術の安全性向上に寄与しなければならない。安全性向上にゴールは無いという認識を関係者が共有したうえで、向上させ続ける仕組みを具体的に提案したつもりである。
 しかし、安全規制に最も重要な哲学を語るという点において、この時の報告書では十分にできたとは言いがたい。もう二度と福島原子力事故のような事態が引き起こされることがないよう、安全規制に魂を込める必要性がある。そのため、この続編として「続・原子力安全規制の最適化に向けてー原子力安全への信頼回復に向けてー」を発表したのである。ここにおいては、規制哲学の確立と共有に向けて必要なエッセンスを8つ指摘している。事業者や規制委員会・規制庁、政府・国会関係者やその他原子力の安全性向上について関心と熱意を持つ方々と共有したい危機感、本質的な問題点について指摘したものである。この報告書が各関係者の共通理解の醸成と原子力安全の向上につながることを切に願っている。

 パズルはこれで終わりではない。この安全規制の哲学が関係者だけでなく、広く一般国民にも理解される必要がある。安全規制の哲学とはすなわちリスクというものに対する考え方そのものであるからだ。一般国民、特に立地地域における原子力技術に対する合意形成のプロセスやリスクコミュニケーションについて今後も研究を深めたいと思っており、竹内研究員が現在取り組んでいる川内原子力発電所再稼働プロセスを例にとった研究も踏まえてさらに進化させたい。原子力事業の再編も課題だ。
 考えなければならない課題は山積している。

 今後への見通しを少し述べておけば、政府は規制委員会の安全審査に合格した原子力発電所の再稼働は進めていくことを明言しているものの、そこには地元合意を得ることが必要となる。すべての原子力発電所立地地域に対して政府が事故時のリスク(賠償、事故対応)に対してこれまでよりも積極的な役割を果たすことを丁寧に説明していく必要がある。再稼働を待つ原子力発電所の中でも最も厳しいハードルを越えなければならないのは、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所であろう。事故を起こした東京電力がどこまでその安全に対する取り組みを向上させる仕組みを構築し、地域から理解を得る努力をどこまで進められるか。全国知事会危機管理・防災特別委員長を務める新潟県泉田知事から了解を得ることができれば、その後の再稼働プロセスの大きな参考となるだろう。東京電力には必死の努力を期待したい。
 また、電力システム改革を契機に、ぜひ電力会社には民間事業者としての野性味を取り戻してもらいたい。安定供給に対する矜持に安住することなく、民間の活力を電力事業者が取り戻すことができなければ、システム改革という外科手術をする意味がそもそも無に帰すことを、心に刻んでもらいたい。

 エネルギー問題は公益の最たるものである。筆者がしばしば「インフラ中のインフラ」という言葉を使って表現してきた通り、国民生活や産業の基盤であり、極めて現実的に議論されねばならない。すでに公僕たる立場を離れて長い筆者ではあるが、公益に尽くす情熱は捨てがたく、混乱するエネルギー政策を立て直す議論に貢献すべく心血を注いできたつもりである。理想論や対症療法の積み重ねでなく、わが国のエネルギー政策が広い視野に基づく新たな思想理念を構築することに今後も微力ながら尽くしていきたいと考えている。
 しかしながら、自身の健康管理不行き届きにより、しばらくこうした提言活動から身を引き、療養に専念せざるを得ない状態となってしまった。今回のブログは、これまで描いてきた構想の整理をして皆様にお伝えしたいと考えたものである。

 しばらくこのブログの更新が滞ってしまうであろうことをお詫びするとともに、その間も変わらずこの国際環境経済研究所へのご支援をお願い申し上げます。皆様も健康第一でお過ごしください。皆様にとって2016年が良き年となりますように。

注4)
21世紀政策研究所 原子力事業環境・体制整備に向けて
http://www.21ppi.org/pdf/thesis/131114_02.pdf
注5)
21世紀政策研究所「原子力安全規制の最適化に向けてー炉規制法改正を視野にー」
http://www.21ppi.org/pdf/thesis/140829.pdf


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