放射線とがん教育(その1)
越智 小枝
相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師
放射線教育におけるがんの知識の必要性
原発事故の後、福島では放射線に関する説明会が盛んに開催されています。原子力全般に興味を持っていただくよい機会ではあるのですが、実際のところ住民の方の心配は放射線とがんに集中することが多いと思います。
しかし、実際の現場で、がんとは何か、ということや、放射線がどのようにしてがんを引き起こすのか、ということについてはあまり詳しく説明されていないように思います。放射能とがんをセットで説明することで、放射能に対する恐怖心が増してしまう、という懸念のせいかもしれません。
しかし、日本人の3人に1人ががんでなくなる昨今、がんの知識を持つことは、放射線の知識を持つことと同じかそれ以上に大切だと思います。また、もし放射線に対しての正しい知識があっても、がんに対する過剰な恐怖心があった場合には、癌のリスクを少しでも上げる放射能はやっぱり怖い、という事になってしまうかもしれません。
放射能もがんも、間違った安心感を持ってはいけないものです。しかしどちらも「ゼロリスク」はあり得ないという点で共通しています。そのような意味で、医療者としては、放射能とがんは是非セットで議論していただきたい問題だと考えています。
そこで本稿では、がんについて説明した後、放射線によるがん化のメカニズム、放射線以外のがんのリスクについても述べてみようと思います。
がんとは何か
少し初歩的な所ですが、がんとは何か、という事を説明したいと思います。人間の体にある細胞には1つ1つ役割があります。例えば皮膚の細胞は皮膚の形、骨の細胞は骨の形に成長(分化)します。組織の形を作る上で必要なことは、細胞が必要以上に増えないことです。例えばイボは、役割もないのに無意味に増えて皮膚から飛び出してしまった細胞の塊です。このような細胞は「腫瘍」「ポリープ」などと呼ばれます。これらの腫瘍の中でも、ただその場で増えるのではなく、周りの組織に浸潤したり、血液やリンパの流れに乗って全く違う場所で増えてしまうものが「悪性腫瘍」、すなわち「がん」と呼ばれます。
つまりがんとは、「機能もせずどんどん増え続け、周りの組織に迷惑をかける細胞」の総称と言えます。がんはできる部位によって「胃癌」「大腸癌」と呼ばれたり、元々の細胞の種類によって「癌」「肉腫」「白血病」「リンパ腫」に分類されたりします。
がん化のメカニズム
時折みられる誤解ですが、細胞のDNAが障害されたら全てがんになる訳ではありません。通常は壊れた細胞は増殖する能力も失い、そのまま死んでしまうからです。また自然に死ななかった細胞でも、変形した細胞のほとんどは、体の免疫系に攻撃され、破壊されます。細胞ががん化するためには「がん抑制遺伝子」が破壊されて細胞ががん化する、多くの場合はこれが複数回繰り返す必要があるのです。
放射能(γ線)が癌を引き起こすメカニズムにつき、図に示しました。体内の細胞にγ線が到達すると、このγ線は細胞質内の生体物質をイオン化し、「フリーラジカル」と呼ばれる物質を生じさせます。このフリーラジカルが更に細胞内のDNAに作用し、DNAの損傷を引き起こします。繰り返すフリーラジカルへの暴露によりがん関連遺伝子が損傷され、免疫に対しても抵抗を持った細胞が癌になります。
先日物理の専門家の方から、
「γ線は全部同じのように説明しているけれども、波長が全然違うのだから十把一からげにしてよいのか」
という質問をいただきました。急性放射線障害以外の障害については、γ線が直接にDNAにぶつかるのではなく、フリーラジカルの産生が増加するという間接作用です。そう考えると、物理学的には重要なこの波長の差も生体内という個体差の非常に大きな世界では微々たる差となってしまうのだと考えています。