オバマ政権の環境・エネルギー政策(その16)

下院では環境保護急進派ワックスマンとマーキーが法案提出 2020年17%削減公約へ


環境政策アナリスト

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 オバマ氏が次期大統領に決まった2008年11月、下院議会では実力者であったエネルギー・商業委員会のディンゲル委員長、下院エネルギー・環境小委員会のバウチャー委員長が更迭され、それぞれワックスマン氏、マーキー氏に交代した。ワックスマン氏もマーキー氏も環境保護急進派に分類される。前章でも触れたこの交代劇は、下院の民主党の勢力図を塗り替える事件だった。
 ディンゲル前委員長は1926年生まれでミシガン州デトロイトを選挙基盤とし、自動車産業と緊密につながった長老議員である。一方、ワックスマン新委員長は1936年生まれでカリフォルニア州ロサンゼルスを基盤におき、長く医療保険改革と環境問題に熱心に取り組んできた民主党内左派である。
 この権力闘争は2007年、ペロシ議長が下院にエネルギー・環境特別委員会を設立させたことから始まる。ペロシ議長は、エネルギーを扱うエネルギー・商業委員会に対し、気候変動を中心に扱う特別委員会(セレクト・コミッティー)を設け、マーキー議員を委員長に当てた。これは穏健派長老ディンゲル議員と彼が率いるエネルギー商業委員会を無力化し、特別委員会で気候変動立法を促進しようとする試みだったのではないかとみられる。実力者のディンゲル議員は、2006年の中間選挙のあと下院議長になったばかりのペロシ氏にとっては目の上の瘤でもあった。
 しかしディンゲル議員が巻き返し、立法権限は引き続きエネルギー・商業委員会にあるとし、特別委員会は気候変動立法のための調査・研究に専念させることで合意を得た。このため、このときの政争にはディンゲル議員が勝ったとみられていた。
 下院のエネルギー・商業委員会はその後、精力的に気候変動対策手法、キャップ&トレード、炭素税などの調査を行った。エネルギー商業委員会で長らくディンゲル委員長を支えてきたスタッフによれば、多くの証言を聞いているうちに、ディンゲル議員自身が気候変動問題への取り組みの必要性を強く認識し、キャップ&トレードの導入に前向きになっていったと自ら語り、ディンゲル委員長は実際に炭素税導入の私案なども発表している。しかしそのディンゲル委員長が委員長ポストを巡ってワックスマン議員に挑戦を受け敗北した。
 こうした中で、2009年4月、ワックスマン・マーキー法案が下院に提示された。この法案は5月にエネルギー商業委員会を通過。6月に下院を219対212(棄権3)の僅差で可決した。民主主導の下院で、過半数の218票を1票しか上回ることのできない薄氷の可決だった。これは地元産業への負担増や雇用への悪影響を懸念し、民主党の下院議員44人が造反したためだ。エネルギー商業委員長は急進派に変わったものの、民主党ではやはり産業界寄り、製造業中心の地元出身議員らが依然力があることを示してみせた。
 ワックスマン・マーキー法案の内容を見てみよう。目標は2005年比で2020年20%、2050年83%の温室効果ガス排出量削減。キャップ&トレードの対象は温室効果ガス排出量全体の85%であり、その削減目標は2020年で17%、2050年83%としている。このマイナス17%という目標は、オバマ大統領が予算教書で示したマイナス14%よりも踏み込んだ数字だ。この17%は義務的達成目標であるが、20%についてはその意味にさまざまな解釈があり、義務的であるとする見方と、必ずしも義務を伴わないが、より踏み込んだ目標であるとする見方と2通りある。
 排出量枠についてはこう規定する。当初案にはオークションにするのか無償割当にするのか、明示されていなかったが、最終案では85%のキャップ&トレード対象分全部を無償割当てとし、その後、無償割当分を漸減していき、2030年には100%オークションにする。電力については総排出枠の43.75%が割り振られた。ここで興味深いのは、電力会社に対する再生可能エネルギー導入義務(RPS)と同時にエネルギー効率改善義務も盛り込まれたことだ。RPS目標達成のためにエネルギー効率改善のクレジットを使うことを認め、両方を合算して義務を満たすことを求めていている(合算値で2012年6%、2020年20%、2025年25%)。即ち2025年において、仮に目標が達成されそうもなくRPSが12%となりそうな場合は、エネルギー効率改善目標を8%に引き上げればよいというものである。米国の電気事業者協会「エジソン電気協会」(EEI)はエネルギー効率改善目標が需要家の努力に属するものであるとして「RPSは仕方がないもののエネルギー効率改善義務はなんとか阻止したい」と反対していたが、法案はこれに対して双方の目標を結合させることで、エネルギー効率改善義務を盛り込んでおり、その点が巧みなところだ。
 エネルギー効率改善目標について付言すると、このアイデアも、すでに紹介したアメリカ進歩センターが2007年11月に発表した報告書「エネルギーチャンスをとらえて-低炭素経済の創造」に由来しており、「国家エネルギー効率資源基準」として盛り込まれていた。ここでは2020年までに電気・ガスの使用量を10%削減するとしていた。ワックスマン・マーキー法案では削減量は標準5%、RPSとの組み合わせで20%としている。エネルギー効率改善目標は自然体ケース(business as usual)からの削減としており、電力会社に大きな役割が求められるとされている。ただし、自然体ケースをどう決めるかは今後の連邦エネルギー規制委員会にゆだねられることに成っており、結果的に詳細はつまびらかにはならなかった。エネルギー効率目標を達成するためには、省エネ努力による以外、1キロワット時あたり1.5セントを支払うか、再生可能エネルギークレジットを調達するかを選択できる。しかし、達成ができない場合は、1キロワット時あたり5セントの支払いを含む厳しい措置が待っている。電力会社そのものに省エネを義務付けようとしたことがどこまで有効なのか(需要家に直接的な需要抑制の働きかけを想定しているのか、電力会社自身が行うのか)、「自然体ケース」をどのように定義するのか、多くの疑問が残った。
 新設石炭火力については、CCS技術導入を前提とした原単位規制、エネルギー原単位2030年まで年率2.5%以上改善を盛り込んでいる。
 海外オフセットとしては、年間オフセット利用可能量20億トンのうち海外オフセットを10億トン、(もし国内の農業関連オフセットに限界があると認められた場合)最大15億トンを認めている。これは日本の年間排出量の約13億トン(2007年)を超える大きな量だ。森林減少・森林劣化の防止による排出削減(REDDと呼称)、セクター・ベイスト・クレジット(セクター単位でベースラインからの絶対量での削減量に基づくクレジット。欧州ではセクトラル・クレディティング・メカニズムと呼称)、プロジェクトベース(京都議定書ベースで行われているクリーンデベロップメントメカニズム)のオフセットメカニズムが認められている。このように種々のオフセットメカニズムが用意されているのにはいくつかの理由が挙げられる。米国と均等ではない制度または同様の負担を伴わない国からのオフセットは2018年以降、20%のクレジット価値の減価を行うとしている。逆に米国と均質で同様の負担を伴う制度を有する国からのオフセットは一対一とされている。オフセットを通じて市場と市場のドッキングを誘導しようと企図していたと言ってもよい。
 価格安定化措置として、将来の排出枠へのバンキング(繰越)およびボローイング(前借り)がある。バンキングは無制限であるが、ボローイングについては一部金利付きで規定している。さらに価格が一定程度高騰した場合(3年間平均の1.6倍)、将来分の排出枠を使ったオークションが認められている。最低価格は当初28ドル(その後引き上げられる)が使用され、取引が過熱した場合の市場安定化効果が期待されている。これは「戦略備蓄排出枠」と呼ばれており、非常事態に適用されるとしている。
 米国と同様に厳しいキャップ&トレードを有している国についてはオフセットが等価で無制限に認められる。
 国際競争力維持の観点から、削減目標を持たない国から米国に輸入しようとする場合、当該輸入品にかかわるクレジットを要求することとしている。これは「国境調整条項」と呼ばれており、リーバーマン・ウォーナー法案でも盛り込まれていた考え方だ。しかし、すでにカナダなど一部近隣諸国や、インドなど主要途上国はこれに懸念を表明していた。今後法制化が再開される場合には、世界貿易機関(WTO)と法律のどちらの規制に委ねるのか、米国保護政策との批判に米国政権がどのように対処するのかという点が、大いに注目されることになろう。

USCAPによるキャップ&トレードの概念設計

 キャップ&トレードについては、「米国気候変動行動パートーナーシップ」(長い名前なので以下は単にUSCAP)というNGOがその概念設計をまとめている。USCAPは米国内の自動車、電力、化学など26の大企業と、環境系シンクタンクなど5団体で組織する産業と環境NGOの連合体で、2009年1月15日、「気候変動法制化のための青写真(Blueprint for Legislative Action)」を発表し、これが、ワックスマン・マーキー法案のベースとなった。
 ここでは、連邦レベルのキャップ&トレードを導入すると同時に、費用抑制措置、技術開発、クリーンコール・テクノロジー、それから低炭素の輸送手段などを進展させることを提言している。USCAPは、キャップ&トレードは最も安いコストで二酸化炭素(CO2)を減らす方法であるとし、2020年には2005年の80~86%まで、2050年には2005年レベルで20%まで削減すると提案している。
 同時に炭素価格の安定化に十分な配慮をしようと、さまざまな提案を行っている。オフセットについては、20億トンから始まり30億トンまで認める一方で、国内、国際的なオフセットについては、それぞれ15億トンを超えないとしている。最後に排出枠備蓄プール(allowance reserve pool)を提案して、一定期間での繰り越し、前借り(borrowing)を可能にすると提案している。
 同時に、上限価格(ceiling price)と下限価格(floor price)を提案している。このふたつを一緒にしてプライス・カラー(襟)とも呼ぶが、これは上限価格と下限価格に一定の限度を設けて、炭素価格が上限価格を超えた場合には、政府が所有しているCO2排出枠を放出し、一定の価格で収まるようにし、かつ下限価格を下回る場合には政府がこれを買い支えることで、一定の枠の中で炭素価格が収まるよう考えられている。これにより、政府の売り買いはバランスするとともに参加する企業に価格の大幅な変動から守ろうとするものである。なお、上限だけを定めたものをセイフティーバルブと呼んでおり、こちらのアイデアの方が先に登場している。しかし、このアイデアは米国でも欧州でも、形を変えた炭素税につながると批判を受けて十分議論が展開しないままだった。
 セイフティーバルブまたはプライス・カラーは通常時の価格安定措置である一方、排出枠備蓄プールは緊急時のための措置と理解されている。

USCAPのオフセットの考え方
上限、下限を設定し、そこを超えた場合は政府が買い支えることを提言している

 さらにこの提言では、オフセットへの依存を否定しないとした上で、オフセットにおいては森林の減少・劣化の防止による排出削減(REDD)に大きく依存すると述べている。REDDは森林破壊を行わない見返りをクレジットとし、オフセットするもので、価格はかなり安いことが想定される。今後の国連気候変動枠組条約における国際交渉においてもREDDの議論は加速されると思われる。
 この提言に主要産業界が参加していた理由は、これまで大気汚染浄化法に基づいた規制の度重なる変更に曝され、環境に対応するための長期的視野からの一貫的な経営ができなかったことによる。環境対応のための設備形成には長期の時間がかかるが、定義の不明瞭な用語が使われる規制のために対応ができない、または経営への影響が捕捉できないという過去の経験から、なるべく一貫性のある環境規制を求めたいと要望が米国企業には強い。そのためには積極的に仕組み作りに参加していこうというのが、USCAPに参加した企業の思惑である。もちろん、キャップ&トレードではなく環境税の方が望ましいとする企業もある。エクソン・モービルのレックス・ティラーソン会長は2009年1月、「キャップ&トレードよりも環境税の方が優れている」として容認する見解を発表し、注目を集めた。
 上記の通り、産業界も参加するUSCAPの提言は、ワックスマン・マーキー法案にほぼ含まれた内容と同じであった。ワックスマン・マーキー法案は、この提案による世論をみた上で議会に提案したものと考えられなくはない。

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