海面上昇のコペルニクス的転回:地盤沈下という盲点
堅田 元喜
キヤノングローバル戦略研究所 主任研究員
海面上昇は,一般には「海面が上がる問題」として理解されてきた.しかしながら,沿岸で実際に問題となるのは海面そのものの上昇だけではなく,海面水位と地盤高の差,すなわち相対的な高さの変化である.地盤が沈下すれば浸水リスクは増大し,地域によってはその影響が無視できない規模に達する.このような意味で,海面上昇問題には一種のコペルニクス的転回が必要である.思考の中心に据えるべきなのは,地球全体の海面水位だけではなく,地域ごとに上下する地盤である.特に軟弱地盤や埋立地では,地盤沈下が海面上昇を上回り,沿岸施設から見た水位上昇の主因となる場合がある.この事実を見落とすと,将来の浸水の起こりやすさや規模,ひいては浸水リスクを大きく過小評価することになる.
ヴェネツィアの地盤は沈み続けている
世界各地の沿岸都市で観測が継続されている海面水位には,少なからず地盤沈下による沈み込みの影響が含まれている(Nicholls et al., 2021; 堅田,2021).「沈みゆく都市」として知られているイタリアのヴェネツィアにおける海面水位の上昇と浸水も,地球温暖化だけではなく,地盤沈下と海面水位の自然変動(風・気圧配置や大気・海洋循環に伴う数時間〜数日,あるいは季節〜数十年規模の海面水位の揺らぎ)が重なって生じる現象である.軟弱地盤上に都市・港湾・交通機能を成立させてきた東京湾・大阪湾のような大都市圏でも,同様の現象が見られる(堅田ほか,2024).地球温暖化による海面上昇だけで浸水リスクを説明・評価しようとすると,地盤が下がることによる相対的な水位上昇を見落とすことになる.
イタリアのヴェネツィア(図1)は,報道ではしばしば「地球温暖化による海面上昇で沈みつつある都市」と説明される.例えば,ヴェネツィアが海面上昇によって将来住民が移住を迫られるという可能性や,現在の防潮施設だけでは都市を守りきれないという可能性を強調する報道がみられる(Euronews, 2026; ScienceAlert, 2026; The Guardian, 2026).気候変動がヴェネツィアの浸水リスクを高めうるという観点では,この説明は確かに間違ってはいない.
図1(a)ゴンドラから見たヴェネツィア市街の運河沿いの景観(2026年5月,著者撮影)と,(b)1825年12月9日に浸水したサン・マルコ広場を描いたVincenzo Chiloneの絵画
(Wikimedia Commons; Chilone-San Marco Flooded.jpg, Public Domain).
しかしながら,ここには重要な事実が見落とされている.地下水のくみ上げや軟らかい地層の圧密によって地盤が下がれば,海面の絶対的な高さが同じでも,街から見た水位は高くなるという現象だ.このように,海面そのものの上昇と地盤沈下が合わさって沿岸の水位が上がることを,相対海面上昇と呼ぶ.ここでいう相対海面水位(RSL: Relative Sea Level)は,地面を基準にした相対的な海面水位を意味する.ヴェネツィアの浸水は,この地盤沈下によって地球温暖化が注目される以前にも頻発していた.例えば,1825年12月9日に浸水したサン・マルコ広場を描いた絵画にも,水に覆われた広場をゴンドラが行き交う様子が描かれている(図1b).
ヴェネツィアは,もともと安定した陸地の上に自然に発達した都市ではない.都市の基盤となったのは,6〜7千年前の海進によって形成された浅いラグーン(外海と水路でつながる水域)であり,干潟,塩性湿地,島,水路が入り組む低平な環境であった(Brambati et al., 2003; Madricardo and Donnici, 2014).このような場所が都市の起点となった背景には,外敵から身を守りやすい避難地としての性格に加え,水路を通じた交通・交易上の利点があった.もっとも,湾内の低湿地は,そのまま建築や居住に適した土地ではなかった.そのため,塩性湿地を囲い込み,土砂で埋めて小島を支えるなどの土地造成・補強が行われた(Madricardo and Donnici, 2014).さらに,歴史的建築物の多くは,軟弱なシルト質粘土を補強するため,木製板材や短く密に打ち込まれた木杭の基礎の上に築かれてきた(Ceccato et al., 2014).したがって,ヴェネツィアは,低湿地や湾を人間が居住可能な都市空間へ作り替え,「水に浮かぶ都市」として維持管理され続けてきた都市といえる(Shellenberger and Nordhaus, 2011).
温暖化だけでは説明がつかないヴェネツィアの浸水頻度
それでは,ヴェネツィアでのRSLの上昇量には地盤沈下の影響がどの程度含まれているのだろうか?
本稿では,ヴェネツィア中心部に位置するPunta della Salute検潮所の長期潮位データを用いて,1924〜2019年の各年について,日最大潮位が80cm以上となった日数を再集計した.1924〜1982年については,イタリア環境保護研究所(ISPRA)が公開する同検潮所の旧観測表に由来する高水位極大値を用いた(ISPRA Servizio Laguna di Veneziaウェブサイト).1983年以降については,ヴェネツィア市(Comune di Venezia)が公開する同検潮所の潮位の極大値・極小値一覧から,高水位側の極大値を抽出した(Comune di Venezia, 2024a; 2024b).1日に複数の高水位極大値がある場合には,その日の最大値を日最大潮位とした.さらに,Zanchettin et al. (2021) が推計した年別の累積地盤沈下量を日最大潮位から差し引いて補正を行い,同じ閾値を超える日数を計算した.なお,Punta della Saluteの潮位80cmは,ヴェネツィア市が大きな高水位イベント(aqua alta)を区分する際の目安として用いる水準であり(Lionello et al., 2021),本稿では80cm以上を低地部で浸水リスクが顕在化し始める目安として集計した.また,2020年以降は後述する防潮施設(モーゼ)の本格運用により,観測される高水位がその影響を受けるため,2019年までを解析対象とした.
1924〜2019年における80cm以上の日最大潮位の発生日数の計算結果を,図2の青線に示す.11年移動平均値で見ると,観測水位に基づく発生日数は長期的に大きく増えていた.しかし,オレンジ線のように地盤沈下分を差し引くと,増加幅は全体として小さくなった.特に,観測期間後半の約20年間では,地盤沈下分を差し引くことで,近年の発生日数の急増は大きく抑えられた.このことは,観測された高水位発生頻度の増加のかなりの部分が,地球温暖化による海面そのものの上昇や自然変動だけでは説明できず,地盤高の低下による相対的な水位上昇として現れていることを示している.
図2 1924~2019年におけるPunta della Salute検潮所の80cm以上の日最大潮位発生日数の経年変動.
青線:観測水位に基づく日数,オレンジ線:観測水位から地盤沈下分を差し引いた補正水位に基づく日数,薄線:年別値,太線:11年移動平均値.
図2の結果は,既存研究とも整合している.Camuffo et al. (2017) は,1871〜2014年のPunta della Salute検潮所記録に基づき,RSLの上昇率が2.5 ± 0.2mm/年であるのに対し,地盤沈下を除いた海面水位(ASL)は1.0 ± 0.3mm/年と整理している.別の研究でも,1872〜2019年の相対海面上昇は2.53 ± 0.14mm/年,地盤沈下を除いた後は1.23 ± 0.13mm/年とされ,地盤沈下が歴史的な相対海面上昇の少なくとも半分を占めることが示されている(Zanchettin et al., 2021).これらの結果は,ヴェネツィアで観測されてきた相対海面上昇の大きな部分が,海面そのものの上昇ではなく,地盤沈下によって生じてきたことを示している.さらに,地盤沈下を除いた後に残る海面水位の変化にも,地中海・アドリア海の自然変動や,気圧・風速の変化で生じる局所的な水位変動が含まれる(Fagherazzi et al., 2005; Tsimplis and Josey, 2001; Zanchettin et al., 2021).したがって,ヴェネツィアの浸水頻度の増加のすべてを「地球温暖化による海面上昇の結果」とみなして説明することは適切ではない.
過去約700年間で見ても,地盤沈下の寄与は大きい
ヴェネツィアの地盤沈下は,20世紀から始まった現象ではない.例えば,ヴェネツィアの歴史的中心部では,図2よりも数百年も前の相対海面水位(RSL)の経年変化が,運河に下りる階段(水階段),絵画,文書史料,潮位計記録などを用いて復元されている(Camuffo et al., 2017).
この復元の前提となる絵画の具体例を図3に示す.CanalettoおよびBellottoの絵画には,運河沿いの建物に付着した藻類帯が描かれている.この藻類帯は当時の水位の目印になり,現在の藻類帯と比べることで,18世紀以降の相対水位変化を推定できる.この研究の重要な点は,観測されるRSLをそのまま海面そのものの上昇とは見なさず,地盤沈下分を差し引いて,絶対海面水位ASLを推定したことである.利用可能な絵画のうち,水際部分の建物が後世に大きく改変されていない11地点について,絵画中に描かれた藻類帯の位置と2002年時点の同一地点における藻類帯の位置を比較した結果,18世紀から現在までにおよそ60cm規模の相対的な水位上昇(沈み込み)があったことが示されている(Camuffo & Sturaro, 2003).
図3 CanalettoおよびBellottoの絵画に描かれたヴェネツィア運河の水階段に付着した藻類帯を用いた水位復元の例(Camuffo & Sturaro, 2003).
(a)絵画中の1741年における藻類帯の位置と(b)現在(2002年)の同地点における位置の差を比較することで,過去数世紀の間に起きた相対的な水位変化量を推定できる.
Camuffo & Sturaro (2003) は,CanalettoとBellottoの絵画に描かれた藻類帯を手がかりとして,18世紀以降のヴェネツィアにおける相対的な水位上昇を推定した研究である.これに対してCamuffo et al. (2017) は,この絵画プロキシに加えて,水階段,Veroneseの絵画,Zendriniの文書史料,および1871年以降の潮位計記録を組み合わせ,ヴェネツィアのRSLを1350年まで復元した.さらに,RSLから局所地盤沈下量(LLS: Local Land Subsidence)を差し引くことで,地盤沈下の影響を除いたASLに近い時系列を推定した.
1350年以降のRSLとASLの時系列を推定した結果を,図4に示す.1500〜1730年のRSL上昇量は15.1 ± 1.8cm/100年となり,後年に行われた文書史料に基づく推定値ともほぼ一致する(Camuffo, 2021).このうち,前近代の長期的な局所地盤沈下速度は11.5 ± 2cm/100年と推定されている(Camuffo et al., 2017).したがって,1500〜1730年に起こった相対水位上昇の約75%は,地盤の沈み込みによることになる.この結果は,計器観測以前についても地盤沈下の寄与が大きかったことを如実に示している.地盤沈下の原因には,ラグーンに堆積した軟弱地盤の自然圧密や長期的な自然沈降が古くから起こっていたことが考えられている(Camuffo et al., 2017).
図4 1350〜2014年ヴェネツィア中心部における海面水位変化の復元(Camuffo et al., 2017).
(a)水階段・絵画の藻類帯や潮位計記録などに基づく相対海面水位(RSL)の復元値と(b)そこから地盤沈下量を差し引いた絶対海面水位(ASL)の経年変化.黒丸:潮位計記録,青四角:Veroneseの絵画,桃色四角:CanalettoおよびBellottoの絵画,緑丸:Zendriniの文書史料,三角:水階段を用いた推定値.太い破線:二次式による近似曲線,太い実線は指数式による近似曲線,細線:それぞれの曲線に対する水階段1段分(約17.5cm)の範囲.
上述した地盤沈下を除くと海面上昇成分(25%程度)が残ることになるが,この原因には,気象条件による水位変動や海水量・海水体積の変化に伴う広域的な海面変化が考えられてはいる(Camuffo et al., 2017).しかしながら,水位の計測器がない時代については資料の不確実性が大きく,支配的なメカニズムは未だ不明である.いずれにしても,ヴェネツィアにおける水位上昇と浸水は,地球温暖化だけではなく地盤沈下と自然変動が重なって生じる現象として理解する必要がある.
高潮時の海水流入を止める対策はコストが大きい
海面上昇の大部分が地盤沈下によることを認識しているかどうかで,浸水対策の方向性は大きく変わる.ヴェネツィアでは,高潮時にアドリア海とラグーンをつなぐ入口を可動式の水門で閉じ,ラグーン内への海水流入を一時的に抑えるモーゼ(MOSE: Modulo Sperimentale Elettromeccanico)が整備された.MOSEは,ヴェネツィア沿岸の3つの開口部に設けられた可動式防潮施設であり(図5),高潮時にラグーンを外海から一時的に切り離すことで広域的に防御するための技術である(Consorzio Venezia Nuovaウェブサイト; Cavallaro et al., 2017; Umgiesser, 2020).
図5 モーゼ(MOSE)の可動式防潮施設の概念図(Fabris and Monego, 2024を一部改変,CC BY 4.0).
黄色の金属製可動ゲート(Floodgate)は,通常時には海底のコンクリートケーソン内に格納され,高潮時に立ち上がりアドリア海からラグーンへの海水流入を抑える仕組み.
モーゼの仕組みは,「海から陸地に入ってくる水」を事前に堰き止めるというものであるが,そのコストは非常に高い.約62億ユーロが投じられた大規模な可動式防潮施設であり,維持管理費は年間千万ユーロ規模とされている(Alberti et al., 2023).また,海面上昇が進むほど閉鎖回数や閉鎖時間は増加し,ラグーンと外海の水交換が減少するため,環境面の影響も大きくなる(Umgiesser, 2020; Giupponi et al., 2024).さらに,閉鎖時には船舶交通や港湾活動にも待機時間などの直接費用が生じる(Vergano et al., 2010).このように,MOSEは広域防御策として有効であるが,運用頻度が増えるほど,環境・航行・維持管理上の負担も大きくなるのである.
さらに,浸水は運河や岸壁を越えて水が入る場合のみに生じるわけではない.地盤沈下によって街そのものが低くなれば,同じ水位でも道路,広場,建物の床,岸壁に水が浸入しやすくなってしまう.つまり,相対海面上昇の問題は,海側だけでなく土地側の高さの問題でもある.サン・マルコ広場周辺では,MOSEによってラグーン全体の水位を抑えても,広場の低い地盤高,排水路からの逆流,地下からの浸透,岸壁を越える波の越波が浸水経路となりうることが指摘されている(Ruol et al., 2020).また,MOSEの閉鎖はサン・マルコ広場前面の波浪条件にも影響するため,局所的な波浪・水理条件を考慮する必要がある(Favaretto et al., 2022).したがって,同地域では,広域防御に加えて,舗装のかさ上げ,排水系の逆流防止,地下浸透対策,一時的なバリアや波浪低減策などの局所対策も重要である(Ruol et al., 2020).
前節で述べたように,ヴェネツィアの水位上昇と浸水は,海面そのものの上昇,地盤沈下,高潮,大気循環,内部の水理過程が重なって生じている.ここで重要なのは,MOSEのような広域防御施設が不要だということではない.高潮時に外海からラグーンへ流入する水を遮断することは,短期的な浸水防御として有効なのは確かである.しかしながら,地盤沈下によって都市そのものの高さが低下している場合,外海からの流入を一時的に遮断しても,沈下した道路,広場,岸壁,建物の地盤高や恒常的な余裕高そのものが戻るわけではないのである.したがって,相対海面上昇の主因が地盤沈下にあるならば,対策の焦点は「海から入る水を止める」ことだけでなく,「低くなった都市をどう維持・更新するか」に置かれなければならない.
日本の沿岸施設の地盤も沈み続けている
「陸地が沈めば浸水リスクは増大する」という考え方は,日本の東京湾・大阪湾などの湾岸施設を考えるうえでも重要である.前述したようにヴェネツィアでは,中世以降の河川付け替え,19世紀以降のラグーン入口改変や航路浚渫,20世紀の工業・都市用地化などによって,ラグーンの地形や水理環境が大きく改変されてきた(Brambati et al., 2003; Madricardo and Donnici, 2014).水域や低湿地を都市空間として利用する場合,問題は海面の高さだけでなく,土地側の高さ,排水,護岸,地盤の長期安定性にも及ぶ.日本の湾岸埋立地は,ヴェネツィアと成り立ちも歴史も異なるが,軟弱地盤上に都市・港湾・交通機能を成立させ,その後の沈下や相対的な水位上昇への対応を迫られてきた(堅田ほか,2024)という点では共通している.
日本では,地下水くみ上げによる地盤沈下は公害・地盤災害として調査がなされ,地下水揚水規制などの対策が行われてきた(環境庁水質保全局企画課,1990;環境省,2026;堅田,2022).また,地球温暖化に伴う海面上昇も,気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による過去の報告書(Masson-Delmotte et al., 2021)や日本の気候変動影響評価(国土交通省,2002;三村・横木,2005;鈴木,2014;気象庁,2020;大場ほか,2021)を通じて認識が進んでいる.ところが,海面が上がることと地面が下がることを同時に扱い,「都市や施設から見た水位がどれだけ上がるか」を評価する研究となると,日本では極めて限られている.
著者らは最近,この問題を東京湾と大阪湾のケーススタディとして正面から取り上げた(堅田ほか,2024).同論文は地盤工学分野の査読誌『地盤工学ジャーナル』に掲載された和文論文であるが,J-STAGE利用統計提供値では,公開後約1年半のアクセス数が約4,000件,公開後1年のPDFダウンロード数が約1,300件に達した.和文の専門誌論文としては高い閲覧実績であり,海面上昇と地盤沈下を同時に扱う沿岸浸水評価に対して,実務・研究の双方から強い関心が寄せられていることを示している.
同研究の特徴は,多くの研究に使われてきた海面水位データに加えて,自治体や事業者が蓄積してきた沈下モニタリングデータを用い,埋立地と内陸地点を比較しながら相対的海面上昇を評価したことにある.具体的には,「海面上昇量と地盤沈下量の和(相対的海面上昇量)が海面上昇量に対して何倍になるか」を示す相対的海面上昇率という指標を新たに提案した.対象は東京湾岸の埋立地5地点と内陸4地点,大阪湾岸の関西国際空港2地点と内陸4地点の計15地点である.東京湾岸の沈下量は,東京都港湾局・東京都建設局の資料,大阪湾岸については,関西国際空港および大阪市のモニタリングデータを利用した(東京都港湾局,2022,2023;東京都建設局,2026;関西国際空港ウェブサイト;大阪市,2024).これらの過去の沈下量データに複数の事後沈下予測法(Asaoka, 1978など)を適用し,観測値との適合性を比較したうえで最良の予測式を選定した.さらに,IPCCによる海面上昇の将来予測シナリオの下で,2020〜2150年の沈下量と相対的海面上昇率も試算している.
図6は,1980~2020年の東京湾と大阪湾における相対的海面上昇率の現状評価である.東京湾では,2015〜2020年の海面水位の平均上昇量が9.7cmであったのに対し,相対的海面上昇率は内陸4地点で1.6倍,大井その2を除く埋立地4地点で2.7倍,最も沈下が進んでいた大井その2では21.4倍に達した.大阪湾でも,2010〜2020年の相対的海面上昇率は内陸4地点で1.8倍であったのに対し,関西国際空港1期島では117.4倍,2期島では170.9倍に達した.これは,地盤沈下が海面上昇に対する小さな補正項ではなく,場所によっては相対的な水位上昇を支配する要因であることを示している.なお,地点ごとの沈下量のばらつきは,軟弱層の厚さ,埋立時期,施工条件,一次圧密・二次圧密などが複合して生じていると考えられる(小荒井・中埜,2013).
図6(a)1980~2020年における東京湾の内陸4地点・埋立地4地点・大井その2と(b-c)関西空港における相対的海面上昇率の現状評価(堅田ほか,2024).
正の青線:海面上昇量,負の値:沈下量.図中の倍率は,東京湾では2015〜2020年,大阪湾では2010〜2020年を対象に計算した相対海面上昇率を示す.
将来予測の結果でも,地盤沈下を考慮することの重要性は変わらない.堅田ほか(2024)では,2020〜2150年を対象に,将来の海面上昇量だけでなく,埋立地で継続しうる地盤沈下量を加えた相対的海面上昇量も試算した(図略).その結果,SSP2-4.5シナリオでは,2150年時点の相対的海面上昇率は,大井その2で1.4倍,関西国際空港1期島で2.1倍,2期島で7.6倍に達した.さらに,海面上昇量がより小さいSSP1-1.9シナリオでは,それぞれ1.9倍,2.8倍,12.0倍となった.すなわち,温暖化対策によって海面上昇を抑えたとしても,地盤沈下を放置すれば,沿岸施設から見た相対的な水位上昇は依然として大きくなりうる.むしろ海面上昇が小さく見積もられるシナリオほど,地盤沈下の寄与は相対的に大きくなる.
この結果が重要なのは,日本の浸水規模評価において見るべき量が,海面そのものの上昇量だけではないという実態を明らかにしたからである.護岸,空港,港湾施設,排水施設,地下空間などにとって問題になるのは,海面がどれだけ上がるかだけでなく,その場所の地盤がどれだけ下がるかを含めた「相対的な水位変化」である.したがって,東京湾・大阪湾のような大都市湾岸では,将来の海面上昇予測では不十分であり,将来の地盤沈下を含めて,浸水の起こりやすさや規模を評価する必要がある(堅田ほか,2024).
関西国際空港のような人工島の沈下は,建設当初から予測されていたもので,護岸の嵩上げやジャッキアップなどの管理を前提とされていた(中瀬,1992;古土井・小林,2009;関西国際空港ウェブサイト).このような軟弱地盤上の沿岸都市は全国に存在する可能性が高く,将来数十年にわたって海面上昇よりも速い速度で地盤沈下の相対水位が大きく上昇しうる可能性を念頭に置くべきである.
「動かない地盤」という前提の再考が必要
以上述べてきたように,ヴェネツィアの事例は,海面上昇に対する沿岸都市の適応が,単なる防潮施設建設にとどまらないことを示唆している.Shellenberger and Nordhaus (2011)は,モーゼをめぐる論争を出発点に,ヴェネツィアが木杭による軟弱地盤の補強,低湿地の埋立,水路や護岸の整備を通じて維持されてきた都市であることを論じた.すなわち,ヴェネツィアとは「自然のまま残された都市」ではなく,低湿地を居住可能な都市空間へと作り替え,その過程で生じる沈下や浸水リスクに対応しながら維持されてきた都市である.この事例が示す重要性は,大規模な防潮施設を造るか否かという一点にあるのではない.沈下を例外ではなく前提として捉え,地盤高を継続的に把握し,舗装,排水,護岸,建物基礎などの都市基盤を必要に応じて補修・更新していくという適応の発想にある.
日本の沿岸都市にも,「沈みゆく都市」であるヴェネツィアと共通するリスクが存在する.すなわち,地球温暖化などによる海面上昇のみを意識していると,地盤高が低下することによる浸水リスクを見落とす可能性があるということだ.図6で示したように,日本の東京湾・大阪湾でも,地盤沈下を含めるかどうかによって,沿岸施設から見た相対的な水位上昇量の評価は大きく変わる.このような地盤沈下地帯では,海面上昇の将来予測結果のみに基づいた沿岸防災では不十分である(堅田,2023).
地盤沈下を考慮した日本の沿岸防災に向けては,まず,国や全国の自治体,民間企業が蓄積・保存している地盤沈下量のモニタリングデータを収集・整理するべきである(堅田ほか,2024).さらに,リモートセンシング技術を活用した面的な地盤沈下把握と,沈下予測手法の改良も重要である(例えば,Shirzaei et al., 2021; Ohenhen et al., 2024; Ao et al., 2024).そして,これらのモニタリング結果と予測を解析し,都市基盤や防潮施設の設計・維持管理に反映する必要がある.海面水位の上昇と地盤高の低下を同時に扱うことで初めて,沿岸都市で起こりうる浸水の起こりやすさや規模を適切に評価できるのである.
参考文献
- 大阪市(2024)地盤環境.https://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/page/0000064234.html
- 大場真裕子ほか(2021)日本沿岸域を対象とした海面上昇による浸水予測と最新の社会経済シナリオ(SSP)を用いた経済評価,土木学会論文集G,77,I_243–I_249.https://doi.org/10.2208/jscejer.77.5_I_243
- 堅田元喜(2021)地盤沈下を対策すれば海面上昇への適応につながる.https://agora-web.jp/archives/2051883.html
- 堅田元喜(2022)地盤沈下対策で海面上昇へのレジリエンスを高める,環境管理,58,13–19.https://cigs.canon/uploads/2022/03/JEMAI_Katata_202202.pdf
- 堅田元喜(2023)地球温暖化に伴う海面上昇に匹敵しうる東京の地盤沈下.https://ieei.or.jp/2023/01/expl230112/
- 堅田元喜ほか(2024)相対的海面上昇率を用いた海面上昇と地盤沈下による沿岸域の浸水ハザード評価:東京湾と大阪湾のケーススタディ,地盤工学ジャーナル,19,387–397.https://doi.org/10.3208/jgs.19.387
- 環境省(2026)全国の地盤沈下地域の概況.https://www.env.go.jp/water/jiban/chinka.html
- 環境庁水質保全局企画課(1990)地盤沈下とその対策,白亜書房,319 pp.
- 関西国際空港ウェブサイト,関西国際空港沈下の状況.http://www.kansai-airports.co.jp/efforts/our-tech/kix/sink/sink3.html
- 気象庁(2020)日本の気候変動2020 大気と陸・海洋に関する観測・予測評価報告書.https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ccj/2020/pdf/cc2020_honpen.pdf
- 小荒井衛・中埜貴元(2013)面積調でみる東京湾の埋め立ての変遷と埋立地の問題点,国土地理院時報,124,105–115.https://www.gsi.go.jp/common/000085175.pdf
- 国土交通省(2002)地球温暖化に伴う海面上昇に対する国土保全研究会報告書.https://www.mlit.go.jp/kisha/kisha02/05/050502/050502_02.pdf
- 古土井光昭・小林正樹(2009)関西国際空港建設に関わる地盤工学的問題と対応―沈下の予測と実際―,土木学会論文集,65,998–1017.https://doi.org/10.2208/jscejc.65.998
- 鈴木武(2014)GHG濃度経路に基づく気候変動予測を受けた高潮被害の予測,土木学会論文集B3,70,I_1194–I_1199.https://doi.org/10.2208/jscejoe.70.I_1194
- 東京都建設局(2026年閲覧)地盤沈下調査報告.https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jigyo/tech/start/03-jyouhou/chinka/chinka.html
- 東京都港湾局(2022)令和3年度東京港地盤沈下観測・データ整理委託報告書,273 pp.東京都公文書情報提供サービスを通じて入手.
- 東京都港湾局(2023)令和3年 東京港地盤沈下及び地下水位観測調査結果,13 pp.https://www.kouwan.metro.tokyo.lg.jp/business/R3jibantinkakansokunenpou.pdf
- 中瀬明男(1992)関西国際空港の沈下問題,土木学会論文集,454,1–9.https://doi.org/10.2208/jscej.1992.454_1
- 三村信男・横木裕宗(2005)海面上昇が沿岸域の環境と生態系に及ぼす影響の予測と対策,沿岸海洋研究,42,119–124.https://doi.org/10.32142/engankaiyo.42.2_119
- Alberti, T. et al. (2023) Dynamical diagnostic of extreme events in Venice lagoon and their mitigation with the MoSE, Scientific Reports, 13, 10475. https://doi.org/10.1038/s41598-023-36816-8
- Ao, Z. et al. (2024) A national-scale assessment of land subsidence in China’s major cities, Science, 384, 301–306. https://doi.org/10.1126/science.adl4366
- Asaoka, A. (1978) Observational procedure of settlement prediction, Soils and Foundations, 18, 87–101. https://doi.org/10.3208/sandf1972.18.4_87
- Brambati, A. et al. (2003) The Lagoon of Venice: geological setting, evolution and land subsidence, Episodes, 26, 264–268. https://doi.org/10.18814/epiiugs/2003/v26i3/020
- Camuffo, D. (2021) Four centuries of documentary sources concerning the sea level rise in Venice, Climatic Change, 167, 54. https://doi.org/10.1007/s10584-021-03196-9
- Camuffo, D. and Sturaro, G. (2003) Sixty-cm submersion of Venice discovered thanks to Canaletto’s paintings, Climatic Change, 58, 333–343. https://doi.org/10.1023/A:1023902120717
- Camuffo, D. et al. (2017) A novel proxy and the sea level rise in Venice, Italy, from 1350 to 2014, Climatic Change, 143, 73–86. https://doi.org/10.1007/s10584-017-1991-3
- Cavallaro, L. et al. (2017) Effect of partial use of Venice flood barriers, Journal of Marine Science and Engineering, 5, 58. https://doi.org/10.3390/jmse5040058
- Ceccato, F. et al. (2014) FE Analysis of degradation effect on the wooden foundations in Venice, Rivista Italiana di Geotecnica, 48, 27–37. https://associazionegeotecnica.it/articoli_rig/fe-analysis-of-deagradation-effects-on-the-wooden-foundations-in-venice/
- Consorzio Venezia Nuovaウェブサイト,MOSE, the mobile barriers system. https://www.veniceproject.com/index.php/en/environmental-protection/water/high-tides/28-mose-the-mobile-barriers-system
- Comune di Venezia (2024a) Archivio storico: livello di marea a Venezia. https://www.comune.venezia.it/it/content/archivio-storico-livello-marea-venezia-1
- Comune di Venezia (2024b) Grafici e statistiche. https://www.comune.venezia.it/it/content/grafici-e-statistiche
- Euronews (2026) Venice is threatened by rising sea levels. Will the city be forced to relocate? https://www.euronews.com/2026/04/17/venice-is-threatened-by-rising-sea-levels-will-the-city-be-forced-to-relocate
- Fabris, M. and Monego, M. (2024) A drone-based structure from motion survey, topographic data, and terrestrial laser scanning acquisitions for the floodgate gaps deformation monitoring of the Modulo Sperimentale Elettromeccanico system (Venice, Italy), Drones, 8, 598. https://doi.org/10.3390/drones8100598
- Fagherazzi, S. et al. (2005) Climatic oscillations influence the flooding of Venice, Geophysical Research Letters, 32, L19710. https://doi.org/10.1029/2005GL023758
- Favaretto, C. et al. (2022) Effect of Mo.S.E. closures on wind waves in the Venetian Lagoon, Water, 14, 2579. https://doi.org/10.3390/w14162579
- Giupponi, C. et al. (2024) Boon and burden: economic performance and future perspectives of the Venice flood protection system, Regional Environmental Change, 24, 44. https://doi.org/10.1007/s10113-024-02193-9
- ISPRA Servizio Laguna di Veneziaウェブサイト,Servizio Laguna di Venezia: Tide gauge station of Punta della Salute. https://www.venezia.isprambiente.it/index.php?folder_id=11&lang_id=2
- Lionello, P. et al. (2021) Extreme floods of Venice: characteristics, dynamics, past and future evolution, Natural Hazards and Earth System Sciences, 21, 2705–2731. https://doi.org/10.5194/nhess-21-2705-2021
- Madricardo, F. and Donnici, S. (2014) Mapping past and recent landscape modifications in the Lagoon of Venice through geophysical surveys and historical maps, Anthropocene, 6, 86–96. https://doi.org/10.1016/j.ancene.2014.11.001
- Masson-Delmotte, V. et al. (eds.) (2021) Climate Change 2021: The Physical Science Basis. IPCC Sixth Assessment Report. Cambridge University Press. https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg1/
- Nicholls, R.J. et al. (2021) A global analysis of subsidence, relative sea-level change and coastal flood exposure, Nature Climate Change, 11, 338–342. https://doi.org/10.1038/s41558-021-00993-z
- Ohenhen, L.O. et al. (2024) Disappearing cities on US coasts, Nature, 627, 108–115. https://doi.org/10.1038/s41586-024-07038-3
- Ruol, P. et al. (2020) Flooding of Piazza San Marco (Venice): Physical model tests to evaluate the overtopping discharge, Water, 12, 427. https://doi.org/10.3390/w12020427
- ScienceAlert (2026) Scientists reveal 4 stark options for saving Venice from rising seas. https://www.sciencealert.com/scientists-reveal-4-stark-options-for-saving-venice-from-rising-seas
- Shellenberger, M. and Nordhaus, T. (2011) Evolve, Orion Magazine. https://orionmagazine.org/article/evolve/
- Shirzaei, M. et al. (2021) Measuring, modelling and projecting coastal land subsidence, Nature Reviews Earth & Environment, 2, 40–58. https://doi.org/10.1038/s43017-020-00115-x
- The Guardian (2026) “We can’t wait”: Venice already seeking floods plan B five years after barriers’ launch. https://www.theguardian.com/world/2026/apr/18/venice-flood-barrier-plan-b-rising-sea-level
- Tsimplis, M.N. and Josey, S.A. (2001) Forcing of the Mediterranean Sea by atmospheric oscillations over the North Atlantic, Geophysical Research Letters, 28, 803–806. https://doi.org/10.1029/2000GL012098
- Umgiesser, G. (2020) The impact of operating the mobile barriers in Venice (MOSE) under climate change, Journal for Nature Conservation, 54, 125783. https://doi.org/10.1016/j.jnc.2019.125783
- Vergano, L. et al. (2010) An economic assessment of the impacts of the MOSE barriers on Venice port activities, Transportation Research Part D: Transport and Environment, 15, 343–349. https://doi.org/10.1016/j.trd.2010.04.001
- Zanchettin, D. et al. (2021) Sea-level rise in Venice: historic and future trends, Natural Hazards and Earth System Sciences, 21, 2643–2678. https://doi.org/10.5194/nhess-21-2643-2021











