IEA World Energy Outlook 2021の読み方(その1)
中山 寿美枝
J-POWER 執行役員、京都大学経営管理大学院 特命教授
はじめに
驚いたことに国際エネルギー機関(IEA)は、World Energy Outlook (WEO)2021を昨年10月無料でリリースした注1)。世界中で読まれているWEOは、これまでは毎年250~400ユーロの価格で販売され、IEAの出版物の中では間違いなく稼ぎ頭であるはずが、である。IEAはプレスリリースで、本書は11月にグラスゴーで開催されるCOP26のハンドブックとしてデザインしたものであり、無料で利用可能とした、と述べている。無料のWEO2021を一読すると、需給および燃料価格の見通しなどの前提条件に基づきシミュレーションした将来展望を示すことより、将来を「2050年CO2排出ネットゼロ」に固定して、それと整合するエネルギー需給の在り方とそのために必要な変化を示すことに重きを置いており、アウトルックというよりガイドブックと呼ぶのが相応しく思える。このWEO2021について、データ分析による側面を筆者の視点で紹介することとしたい。
1.WEO2021の構成とシナリオ
WEO2021の構成は以下の通りである。(青字は筆者の注釈)
1章 概観 (54頁)
2章 現状・・新型コロナの影響、現状のエネルギー需給、シナリオの説明(32頁)
3章 1.5℃への野心のギャップ・・2030年までのNZEとAPSの比較(58頁)
4章 複数の将来の探索:需要と電力・・NZE、APS、STEPSの比較(46頁)
5章 複数の将来の探索:燃料・・NZE、APS、STEPSの比較(36頁)
6章 確実な移行・・変動性再エネ増加の影響、重要な鉱物、エネルギー安全保障(42頁)
NZE、APS、STEPSというのは、「WEO2021では3つのメインシナリオを評価している」と記載されている以下のシナリオで、CO2排出量と2100年の温度上昇の中央値注2)はFigure3.7に示されている通りである。
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- NZE(Net Zero Emissions by 2050):2050年ネットゼロ達成、2100年の温度上昇1.5℃
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- APS(Announced Pledges Scenario);ネットゼロ宣言国は全て達成、2100年の温度上昇2.1℃
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- STEPS(Stated Policies Scenario): 2021年6月時点のNDCと整合、2100年の温度上昇2.6℃
この3つのシナリオの他に、これまでレギュラーシナリオだったSDS(Sustainable Development Scenario)というシナリオが4章にのみ登場する。WEO2021(有料のAnnex A含む)における4つのシナリオについての扱いを整理してみると下表のようになる。シナリオについて規範的(normative)、探索的(explorative)という分類をしているのもWEO2021の特徴の一つである。
NZEはメインのシナリオの中でも、本文中の記載回数が断トツで多く、全体構成から見てもWEO2021の主役である。従来のWEOは、需要予測と燃料価格予測に基づくシナリオ(探索的シナリオと分類したSTEPS)を中心としていたが、今回は明らかにその位置づけが変化している。
その主役のNZEが、圧倒的にデータに乏しいのである。このことは無料のWEO2021を見ているだけではわからない。従来の有料のWEOには巻末の付表(各種エネルギー関連指標の数値を表形式で記載)に主要な国・地域の数値データが5年刻みで記載されており、購入者はそのエクセルを入手できた。今回の無料WEO2021の付表には、上表の4つのシナリオのエネルギー関連指標の世界合計値のみが記載されているだけで、IEAは別に有料で「詳細データを掲載」と謳ったデータを販売している。この有料のデータを購入したところ、APS、STEPS、SDSについては国・地域別の数値データが記載されているが、NZEのデータは全世界合計値しか記載されていなかったのである。
以下に、WEO2021に掲載されているシナリオ比較の主要な表とグラフを示す。下表(Table2.2、Table B.2)はそれぞれ、シナリオ別の燃料価格想定とカーボン価格想定である。最上段の石油価格想定に注目すると、NZEでは石油価格は2050年には24ドル/バレルと現状から大きく下落するのに対して、他のシナリオでは今後上昇、STEPSでは倍増と、想定が大きく異なる。ガス、石炭も概ね同じ傾向である。
この理由は、下図(Figure 4.1)が説明している。STEPS、APSでは化石燃料の需要は今後緩やかに低下するのに対して、NZEでは化石燃料の需要が大幅に低下するため、需給が緩和されて価格が低下するというロジックである。
上図から、NZEでは石炭が大きく減少し、2050年にはほぼゼロになっていることがわかる。石炭は発電用燃料としての需要が大きく、現状でも世界の発電電力量において石炭が最大の電源である。シナリオ別の電力需要とその電源構成は下図(Figure 4.20)の通りである。左の図は、電力需要はNZE>APS>STEPSであり、脱炭素が進むほど電力需要が大きくなることを示している。右図の電源構成からは、現状では6割を超えている火力発電(石炭+ガス+石油)が2050年にはSTEPSで半減、APSでは1/3に減少、NZEではほぼゼロになっていて、その減少分は太陽光と風力が増加して補っている。
前掲の燃料価格の表によれば、NZEで石炭価格は2050年に半額程度になる。それでは何故、発電用燃料として利用されなくなるのか、というとその理由は炭素価格である。下表(TableB.2)のように、NZEでは2050年に先進国で250ドル/t-CO2、主な途上国でも200ドル/t-CO2の高い価格が想定されており、経済性が失われているのである。
2.有料データの分析
APSに注目
NZEのデータが皆無の有料データには分析の意味がないとしばらく悲嘆にくれていたが、よく考えてみると2050年ネットゼロ宣言をしている国と地域ではAPSとNZEが近い注4) はずである。それらの国の2030年断面、2050年断面の詳細を知ることができる、ということに気が付いた。それによって、本文中のグラフからは読み取れない数値分析ならではの示唆が得られるのではないか、と思い直して有料データの分析を行った。
WEO2021本文からは、APSは2021年半ばにおけるカーボンニュートラル国・地域を対象として「これらの国々が目標達成と仮定」と記載されているが、「50を超える」国という記載に留まり、具体的には国名を示していない。そこで、有料データで個別データが示されている国、地域(表1参照)のAPSの2050年CO2排出量注5) を、①2020年のCO2排出量と②STEPSの2050年CO2排出量と、それぞれ比較してみた。
2050年APS排出量が2020年排出量比でゼロに近い国、つまり米国(3%)、日本(2%)は2050年ネットゼロ宣言が反映されていること、ブラジル(45%)と中国(15%)は大きく減少しているので2060年ネットゼロ宣言が考慮されているが進捗度の想定が大きく異なることがわかる。一方で、ロシア(101%)とインド(160%)は2020年比で増加しており、2050年STEPSの排出量と同じ(100%)であることから、非ネットゼロ宣言国の扱いであることが確認できた。同様の比較から地域別には、EU(5%)のみがAPSで2050年ネットゼロ宣言地域であり、中東、ユーラシア、ASEANは非ネットゼロ宣言の扱いであることがわかる。なお、日本と米国の2050年APS排出量が2050STEPSCO2排出量比で4%と非常に小さいことは、実現の難しさを表しているとも言える。
APSの2050年までの世界のCO2排出量を、ネットゼロ宣言が反映されている5カ国と反映されていないインド、ロシアの内訳を示すと下図のようになる。米国、EU、日本は2050年ネットゼロ、中国も2060年ネットゼロに向かって排出量が減少している。一方で、インドは増加、ロシアとその他はほぼ変わらず、2050年にも20Gt-CO2以上のCO2排出量が残り、現状からの半減にも届かないのである。
STEPSの世界のCO2排出量からAPSのCO2排出量までの削減を、ネットゼロ宣言が反映されている5つの国と地域による削減量を区分して図示すると下図のようになる注6) 。世界全体のSTEPSからAPSへの必要削減量の約半分が中国による削減であり、次いで米国の貢献が大きい。残念ながら日本の削減はほとんど目に見えない。
日本のAPS2030年と第6次エネルギー基本計画の比較
有料データにおける日本の2030年のAPSを、第6次エネルギー基本計画と比較してみた。まず、一次エネルギー需要とその燃料構成は以下の通りであり、総需要は若干エネ基が大きいが、再エネはエネ基の方がWEO2021に比べて3割大きく、逆に原子力はエネ基の方がWEO2021に比べて3割以上小さい。
最終エネルギー消費に関しては、消費合計はエネ基の方がWEO2021に比べて大きく、電化率はエネ基の方がWEO2021に比べて小さい。部門別では、民生の消費量がエネ基はWEO2021に比べて15%小さいが、産業、運輸はほぼ同じである。
発電電力量とその構成に関しては、総発電量に若干の差はあるが、その電源構成はほぼ一致していることが確認された。
以上から、第6次エネルギー基本計画とWEO2021の日本のAPS2030年はほぼ一致していることが確認できた。ということは、日本のAPSを詳細に見ることで、日本の2050年ネットゼロ実現の一つの道筋をIEAがどう想定しているのか理解することができる。それが唯一の解ということでは決してないが、何等かのインプリケーションが得られるのではないか。また、旧NDCと整合を取っているSTEPS注7) との比較により、日本の2030年目標引き上げの影響を定量的に示すことができる。次回は、日本のAPSの詳細分析の結果を示していきたい。
- 注1)
- 従来のWEOでは、巻末のAnnex Aに主要な国・地域別に将来展望の数値が表形式で記載されており、購入者にエクセルを提供していたが、今回の無料版のAnnex Aには世界合計値しか記載されておらず、詳細データを記載したAnnexAのエクセルは有料で販売している。
- 注2)
- 正確には、2100年における産業革命以前からの温度上昇の各種文献の中央値。中央値で示すのは、Figure 3.7右図のように、炭素バジェットの不確実性と達成確率により幅があるため。
- 注3)
- WEO2010にNPSというシナリオ名で登場、WEO2019からSTEPSに名称変更された。STEPSとSDSは従来のWEOでレギュラーシナリオとして扱われてきたもので、STEPSはシミュレーションによるシナリオ、SDSは2100年の気温上昇を2℃以下に抑制したバックキャスティング型のシナリオであることは説明されていたが、規範的、探索的という言葉で説明しているのはWEO2021が初めて。
- 注4)
- IEAのNZEでは、先進国は2045年にネットゼロ達成して2050年にはネットマイナス(それで途上国の排出をオフセット)という想定であることから、ネットゼロがAPSに反映されている国でもAPS=NZEとは限らない。
- 注5)
- WEO2021では、エネルギー起源CO2排出量のみならず産業プロセスのCO2排出量が対象となっていることからデータの連続性が失われ、従来のWEOのCO2排出量との単純な比較が困難になっている。
- 注6)
- なお、WEO2020では「世界のCO2排出量は今後STEPSでも2019年(36.0Gt-CO2)を上回ることはない」と断言していたが、WEO2021ではSTEPSのピークは2030年(36.2Gt-CO2)になっており、IEAが方向修正していることが確認できた。
- 注7)
- 日本が2030年のGHG排出量の削減を2013年比46%と変更したことに対応するNDCを提出したのは2021年10月であり、一方でWEO2021のSTEPSは2021年6月末時点のNDCと整合しているため、日本のSTEPSは旧NDCが反映されている。