“美しきスローガン”の先に待ち受けるディストピア!


科学ジャーナリスト/メディアチェック集団「食品安全情報ネットワーク」共同代表

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 いつの世も、美しく理想的に聞こえるスローガンや宣言、熱狂的な言葉が飛び交う。そのスローガン自体には何の瑕疵もないため、一時的に世間の喝采を浴びるが、あとで振り返ると壮大な失敗だったということが歴史では何度も起きている。平等という壮大な理想を掲げた社会主義(共産主義)の悲惨な失敗はその最たるものだ。ここ最近、どんなスローガンが人々の心をとらえているのだろうか。シリーズで考えてみる。


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DA4554/Ⓒ iStock

 今年5月21日の朝日新聞(デジタル)に「『気候非常事態宣言』相次ぐ 自治体や企業など90近く」という記事が載った。気候危機を感じる自治体や企業が次々に非常事態を宣言しているという内容だ。それによると、長野県は2019年12月に県としては全国で初めて宣言し、20050年に二酸化炭素排出の実質ゼロを目指すという。具体的には太陽光発電をはじめとする再生可能エネルギーを大幅に増やす計画なのだという。
 私が驚愕したのは、信州(長野県)のすべての屋根にソーラーパネルを敷けば、350万キロワットの発電設備容量が見込めるという青写真だ。私はかつて北アルプス山麓の大町市と松本市に計10年住んでいた。もし、すべての屋根に無味乾燥のぴかぴかしたパネルが設置されれば、私の大好きな安曇野の原風景は、見るも無残な光景に変わる。本当にこんな愚かな策を実施するのかと想像するとゾッとする。
 この悲惨な光景も、太陽光が頭抜けてコストが安ければ、我慢もできよう。しかし、実際は全く逆である。誰もがご存じのように、太陽光は晴れた日しか働かない。年間の稼働率はよくて20%程度だ。太陽光が働かない間は、火力発電や原子力発電などによるバックアップ電源で支えねばならない。このバックアップ電源は、太陽光発電が増えるほど必要になり、トータルの電源コストは高くなる。全くの二重投資だ。信州の電気代は間違いなく上がるだろう。
 経済産業省が8月3日に公表した2030年時点の太陽光発電の実質的なコストは、原子力よりも高い1キロワットあたり18.9円(原子力は14.4円)なのを信州の人はご存じだろうか。実際に稼働すれば、送電網の接続増強費などがかかり、太陽光のコストはさらに上がると経産省は話している。
 太陽光の問題はこれだけではない。反原発路線で再生可能エネルギーの拡大に肯定的な毎日新聞ですら、景観破壊や土砂災害のほかに「太陽光発電が設置されても、固定資産税以外の税収は見込めない。原発や火力発電所のように雇用を生み出すこともほとんどない」(2021年6月28日付)と太陽光発電公害論を報じ始めている。
 ガソリン車に代って、電気自動車を導入する動きも出てくるだろうが、高価で使い勝手の悪い電気自動車が、信州の生活に不可欠の軽自動車(安いので1人1台の家庭も多いはず)にとって代わると、信州の人たちは本当に考えているのだろうか。再生可能エネルギーの拡大で長野県は間違いなく産業的には不利になるだろう。
 さらに言えば、そもそも気候危機が本当にやってくるかどうかも不確かだ。二酸化炭素を減らしたら、地球の気温が本当に下がるのか、懐疑的な科学者も少数派ながらいる。そんな不確かな未来のために信州のすばらしき自然財産をつぶすほうがよほど愚策だと思うが、何かに夢中になっている人には、その冷静さが通じない。
 長野県のような熱狂状態はもはや流行になっている。環境省によると、2021年7月30日時点で432自治体(40都道府県、256市、106町、20村、10特別区)が「二酸化炭素排出実質ゼロ」を表明した。このような動きをみていると、いまでは、「ストップ気候危機」「ゼロカーボン」(二酸化炭素排出実質ゼロ)「太陽光発電の拡大」「地域分散型エネルギー」が美しきスローガンとなっていることが分かる。言葉が純粋なだけに、だれも疑いをもてない輝けるスローガンばかりである。

ダイオキシン騒動に似た構図になるのか

 しかし、どの自治体も次々にドミノ倒しのごとく気候危機を宣言していくところを見ると、まるで25年前のダイオキシン騒動を髣髴とさせる。
 当時、私は毎日新聞の記者をしていた。ダイオキシンが健康被害をもたらすとの大合唱のもと、お寺に集まるたいまつや学校のごみの焼却まで禁止になった。当時は、子供たちが「キレる」という現象もよく話題になり、ダイオキシンがその犯人だという説もメディアに見られた。
 ダイオキシンが含まれるという理由で母乳を飲ませない親も出現した、すべてはメディアが煽ったせいだ。恥ずかしながら、当時の私は、ダイオキシンなど環境ホルモン(内分泌かく乱物質)の危険性を煽る側にいた。環境ホルモンで男性の精子が減ったり、男性が女性化するのでは、といったニュースが大まじめに報じられていた時代だ。テレビで女性アナウンサーが「ワニが哺乳瓶の粉ミルクを飲み、ペニスが小さくなった」(当時、ワニのペニスが環境ホルモンで小さくなるという研究があったため)といった、いまでは考えられないナレーションもあった。
 環境ホルモンの危険性について、科学的な研究論文を紹介する形で私が書いた本のタイトルは「環境ホルモンと日本の危機」だった。あのころは、環境ホルモンで日本が危機的な状況にあると言いたかった心境なのだろう。いまになって冷静に振り返ると、「子供の命を守りたい」「人類の危機を救いたい」という美しきスローガンに共鳴していたことを思い出す。危険性を訴える当時の私は、市民団体から「よい記者」だと思われていた。
 熱狂から覚めたいまは、当時を振り返ると、なんであんなことを書いていたのだろうと冷汗がにじむ。そういう流行的なスローガンに浸っていると、内側の世界しか見えず、外から冷静に見る目が失われてしまう。その時はその異常さに気づかないのだ。
 「あばたもえくぼ」とは言い得て妙だ。一時的な熱病はこれに似ている。相手の短所も長所に見えてしまうのだ。美しきスローガンに潜む短所を冷静に見抜く心がいまこそ必要なのではないか。(つづく)