内閣府は国際的な大災害・大事故・パンデミック対応の経験を収集し・訓練せよ


東京大学名誉教授、前・内閣府原子力委員会委員長

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東電福島事故では、政府の対応が混乱し国民に的確な情報が伝わらなかった。これは事故の最大の教訓の一つだが、対策されていない。原子力防災は原子力規制委員会・原子力規制庁の担当で、他の防災とは別枠になっている。防災庁が設置されようとしている。大災害対応の司令塔とのことだが、日本特有の行政構造と、それに伴う縦割りの専門分野内の知見の利用では、カバーできない重要点があり、対策が必要である。本稿で述べることは、防災庁設置後の運用でも対応できると思われるので提案する。

1.東電福島事故時の日米英政府の対応

日本では、当時の民主党政権(菅直人首相)が、原子力災害対策本部を設置したものの、東電や経済産業省原子力安全保安院から正確な情報が届かず、不信感を募らせ、その結果、官邸による政治主導の介入が強まり、現場の指揮系統の混乱を招いた。原子力安全委員会は、官邸から距離を置かれたり、放射能影響の計算結果の活用・公表を遅らせたりし、専門的知見が政治判断にタイムリーにかつ効果的に統合されず、科学的助言の仕組みが、組織の縦割りの中で機能不全に陥った。菅直人首相は最悪シナリオの検討を指示し、使用済み燃料プールが干上がって、燃料が溶融し、半径250kmからの避難が必要になるとした最悪シナリオの計算結果を得たが、実際の条件と違うことが首相には理解されず、国民に伝わった。半径250kmの避難は過大評価だった。

米国は米軍による測定や米国原子力規制委員会(NRC)を活用し、専門家チームを日本に派遣するとともに、独自に炉心の状況や使用済み燃料プールのリスクを評価した。NRCは4号機の使用済み燃料プールには水がないと評価し、これを最悪のシナリオの根拠として、米国政府は原発から80km圏内からの退避勧告を出した。実際は、自衛隊のヘリコプターに乗っていた東電の社員が、水はあることを確認していたが、これが官邸や米国政府に伝わらなかった。使用済み燃料は冷却ポンプの電源が失われても、プール水の自然対流と蒸発で冷却できる。(使用済み燃料の発熱は指数関数的に減衰するので、プールの水がなくなっても停止後3,4か月経過すれば空気の自然対流で冷却できる)。80km圏内の退避勧告は過大評価だった
添付資料1.東電福島事故時の政府の対応・科学的助言に関するGEMINI3への質問と回答)。

これらに対し、英国の対応は優れていた。英国にはSAGE(Scientific Advisory Group for Emergencies)と呼ぶ緊急時科学的助言グループがある。1990年ごろの狂牛病に対する英国政府対応の失敗の教訓で作られた。2009年のインフルエンザ流行。2010年のアイスランド火山噴火で活動していた。2011年の東電福島事故の際にSAGEが立ち上がり活動した。情報を集め、評価し、事象進展に応じた解釈をして、放射性物質は福島県にとどまると予測し、首相と内閣府広報担当に助言した(注1参照)。東京にいる英国人に対するリスクは小さく、避難の必要はないと動画で配信した。被ばく以外のリスクも認識していた。SAGEはサイエンス・メディアセンター等を通じて情報を提供した。主席科学顧問が発言し、科学者が独立に意見を述べ、国民の政府の決定への信頼を助けた。主席科学顧問は英国大使館員や日本在住の英国民と4回電話会議で話し、質疑応答し、その様子を英国大使館がHPで公開した。これで事故の影響が理解された(参考資料1)。

英国の科学的考察が優れているのは、東電福島事故は原子炉建屋の水素爆発なので、原子炉心が核暴走で爆発したチェルノブイリ事故と異なり、放射性のプルーム(雲)は、せいぜい500mの高さにしか達せず、放出放射性物質は原子炉近傍にとどまるとした点である。チェルノブイリ事故は原子炉自身が核暴走で爆発し、原子炉材料として大量に使われていた黒煙の火災によって、放射性物質が成層圏(高度1万メートル)に達し、それが長期間続いた。「東電福島事故では退避区域を半径20km、屋内退避区域はその外側の10kmとすることで、放射線による直接の健康影響を防げる」と、事故後5日後の時点で英国政府が発表している。なお原子炉建屋の爆発は事故発生から1-3日後である(添付資料2 英国の緊急時科学的助言組織についてGEMINI3への質問と回答、8頁)。英国は1980年代から王立協会が科学コミュニケーションを推進し、コミュニケーションのインフラと経験があったことも危機管理に役立ったと考えられる。

英国は危機管理では「合理的な最悪シナリオ」をもとに対応を考えることにしている。これは米国や日本が、単なる「最悪シナリオ」を考えたのとは対照的である。なお、今後の避難を伴う原子力事故の対策では、東電福島事故で避難解除が遅れ(10年間なされず)、2300人の災害関連死者が発生したことを考慮する必要がある(参考資料2)。このことは、当時は知られていなかったので、この点について当時の日本政府の対応に瑕疵はないが、今後は、放射線被ばくだけではなく、対策に伴うリスク・便益のバランスを考慮する必要がある。このことは原子力防災指針に具体的に記載し、研修・教育資料も作る必要がある。

2.危機管理には、科学的知見だけではなくリスク心理の理解、クライシスコミュニケ―ションなどの経験が必要

危機管理においては、科学的知見に基づく考察が重要だが、それだけでは、国民相手には機能しない。国民のリスク心理の理解、クライシスコミュニケーションの経験、メデイア対応の経験、科学コミュニケーションの経験などが必要である。メデイアは必ずしも発信側の意図を理解し伝えてくれるとは限らない。東電福島事故の時も、放射線被ばく専門家の伝えたかったことが、会見の一部が切り取られて、意図とは逆の形で伝わった。危険やリスクに関する情報は伝わりやすい。自分でも、安全の情報を伝えようとしたら、中継を切断したメデイア・レポータを経験した。最初の情報発信に失敗すると、国民に広まった情報は訂正されずに、いつまでもくすぶり続ける。これは山火事が大規模に広まると、火元がいろいろなところにできて、容易に消火できない状況に似ている。危機管理において、事故や災害に関する的確な科学的知見は必須だが、それだけでは失敗する。初期対応が特に重要で、日本の省庁縦割りの体制には弱点がある。

原子力災害の場合、原子力規制委員会・原子力規制庁は科学的知見のよりどころだが、彼らはリスク心理やコミュニケーションの専門家ではなく経験も有していない。行政官は手続きの専門家だが、法令上の手続きの知識や省庁の役割分担だけでは危機管理はできない。大学教員もこれらの経験を有していない。

大災害や大事故は一国では頻度は少ないが、世界では頻繁に生じている。英国の経験のみならず、国際機関において大災害・大事故対応にあたった人材の情報とその経験を、内閣府の防災担当が平時から収集し、日本の緊急時科学的助言と危機管理に取り入れるべきである。コロナパンデミックの時の日本政府の対応は比較的良かった。これは菅義偉内閣の力量もあったが、国際機関でパンデミック対応に当たった日本人人材の経験を生かしたためではなかろうか。

リスク情報の心理的側面やクライシスコミュニケーションの経験は、災害共通である。様々な災害対応・事故対応の経験を、分野を超えて収集・継承し、研修資料を作り、訓練する必要がある。収集・継承のみならず研修や訓練が重要である。これらは内閣府の防災担当で行える。

英国は1990年頃の狂牛病の政府対応の失敗を教訓に、緊急時科学的助言組織を立ち上げて運用し、東電福島事故に見事に対応した。日本は東電福島事故時の政府対応の失敗に学んで、緊急時科学的助言を機能させるべきである。

3.日本の有事法制の有無について

なお、「日本には有事の法制がない」と言われることがあるが、法律レベルでは有事法制は存在する。日本国憲法には緊急事態条項(国家緊急権)がない。欧米諸国の多くは憲法の中に「国家存亡の危機には、国会の議論をスキップして内閣が法律並みの命令を出せる、国民の私有財産や移動の自由を強制的に制限できる」という例外的な権限集中ルールがある。日本は過去の歴史の経験から、現行憲法は「いかなる危機でも国会(立法府)を最高機関とし、基本的人権を尊重する」というスタンスをとっている。日本の司令塔は内閣官房(首相官邸)である。日本は危機の種類によって、担当省庁が使い分けられる。その中心的組織は、①大規模災害(地震・台風など)は内閣府(防災担当)、②パンデミック(感染症)は内閣感染症危機管理統括庁 と 厚生労働省、③国家有事(武力攻撃・テロなど)は内閣官房(事態対処等有事事態等への対応) と 防衛省で、防衛相・自衛隊が防衛作戦を、国民の避難や救護は総務省(消防)や警察庁、地方自治体が対応する(添付資料3 日米英の危機管理体制についてのGEMINI3への質問と回答)。

添付資料1 東電福島事故時の政府の対応・科学的助言に関するGEMINI3への質問と回答
添付資料2 英国の緊急時科学的助言組織についてGEMINI3への質問と回答
添付資料3 日米英の危機管理体制についてのGEMINI3への質問と回答
参考資料1.Robin W. Grimes, Yuki Chamberlain, and Atsushi Oku, “The UK Response to Fukushima and Anglo-Japanese Relations” Science and Diplomacy, June 2014
参考資料2.Yoshiaki Oka, “Risks and benefits of evacuation in TEPCO’s Fukushima Daiichi nuclear power station accident”, Progress in Nuclear Energy, volume 148, June 2022

注:東電福島事故時の英国の的確な緊急時科学的助言の根拠

英国政府は、添付資料2の8頁に「東電福島事故のプルーム(放射性の雲)は(建屋の水素爆発で放出されたため)500m程度の高さにしか達しない、放射性の雲は原子炉の近傍にとどまる。これは放射性の雲が9000メートルに達し、それが長期間継続した(炉心が核暴走で爆発し原子炉材料の黒煙が火災になった)チェルノブイリ事故とは異なる。」と述べている。英国では、事故から5日後の時点で、事故影響の的確な理解がなされていたことがわかる。この事故影響の理解は、英国の緊急時科学的助言のもとになっていることに注目すべきである。

避難指示が長期化した福島県の11市町村の放射線量を付表1に示す。これは文部科学省が発表した走行サーベイで測定された放射線量率と、事故後の放射能の(風雨効果も含む)減衰率から求めたものである。最初の年である2011年の平均放射線量は、発電所の立地市町村でも、発電所から5km以遠では100ミリシーベルトより低い。年100ミリシーベルトの被ばくは、発がんの影響が放射線以外の原因による発がんと区別がつかなくなる線量である。約半数の市町村の最初の年の放射線量は20ミリシーベルトで、病気の診断に用いられている放射線のコンピュータ断層撮影(CT検査)での被ばく量と同程度である。放射線の影響が発電所の周辺にとどまるとの、事故発生から5日後の英国政府の科学的知見が正しかったことを裏付けている(建屋が爆発したのは、事故発生から1日後と3日後の2011年3月12日と3月14日である。添付資料2で紹介した英国政府の発表は3月16日である)。

付表1.避難命令の出た市町村の測定値から推定した平均集積線量と最高集積量
最初の1年間の集積線量 100mSv以下の市町村が多い
大部分の市町村は、早期に避難解除できたはず
出典:岡 芳明 原子力発電と社会 AMAZON 2024年 表2.3