環境省「長期低炭素ビジョン」解題(4)


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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環境と経済の両立

 本委員会では、当初から「環境と経済の両立」を意識してか、温暖化対策を強化することで、経済成長の加速やその他日本の抱える様々な社会問題の同時解決を図る、という方向性が示されていた。環境問題だけを改善したとしても、それが経済の足を引っ張り国民生活に支障をもたらしたり、健康や福祉、高齢化といった他の問題に対処するための原資を奪うのでは、国民から温暖対策への継続的な支持を受けることが不可能なので、これは正しい方向性を示すものと言える。問題は、本当に温暖化対策の強化と経済・社会問題の改善が両立できるのか、言い換えればどうやって両者を両立させるのかということが、実は簡単ではないという所にある。
 もし温暖化対策を強化することで経済が発展し、社会問題が解決できるというのであれば、各国がこぞって自発的に対策の強化を打ち出し、国連の気候変動交渉が何十年にもわたって紛糾することはないだろう。両者の間に乗り越えがたいトレードオフ(相反)の関係があり、どうバランスをとって進めていくかに各国とも苦労しているというのが温暖化対策の現実である。その点、本「ビジョン」の最終案では両者があたかも容易に両立するかのような、「バラ色」のシナリオが楽観的に描かれており、筆者としては強い違和感を感じざるを得なかった。その点につき、最後に指摘させていただいた。

 「最後に、この報告書で、「気候変動問題への対処をきっかけとして、社会・経済問題の同時解決を図っていく」ということが記述されております注4)。これは、非常にすばらしい概念だと思いますし、現実に我が国が抱えている問題が多々ある中で、気候変動対策と同時にそれらの解決が図れれば理想的な姿だろうと思います。この点が強調されていることは非常に高く評価したいと思いますが、一方で温暖化対策という条件がなくても、こうした社会経済問題、少子高齢化、地方過疎化、経済の低迷といった問題は大きなチャレンジなわけでして、温暖化対策という複雑な課題をさらに上乗せして同時解決を図るというのは、極めて大きなチャレンジになるだろうと思います。場合によっては、これらの課題の間でトレードオフの関係が生じる懸念もありまして、例えばカーボンプライシングの強化が無理な温暖化対策の強化ということになってしまいますと、国民の生活コストが増し、失業を招き、経済再生の足を引っ張るだけではなくて、福祉財源も奪うといった懸念も出てきます。何よりも本「ビジョン(案)」が冒頭で述べている「将来世代を守る」注5)という点に関して、そもそもそうした過剰なストレスを掛けられた社会では、そもそも将来世代が生まれてこなくなるという悪循環に陥りかねないと思います。
 ここで提言されているように温暖化問題と日本の社会問題の同時解決を実現するためには、革新的な省エネ技術の開発・普及、あるいは化石燃料よりも安価で安定供給可能な低炭素エネルギー創生技術が必要になるわけですけれども、残念ながら我々はいまだそうした技術を持ち合わせてはいないと思います。現実に、低炭素エネルギーがいまだ高コストであるということは53ページ以後で、対策にはカーボンプライスが必要であるということが記述されていることからも、本「ビジョン(案)」の中で共有されていると思います。そういう意味で同時解決を可能とする革新的な創エネ・省エネ技術、あるいは社会運営や消費行動を含めたイノベーションを一刻も早く起こすことこそが大きな政策的な課題だと思います。いまだ高コストな技術を未熟な段階で無理に政策的に導入して社会に負担をかける、例えばFIT制度のように長期にわたって高コストを固定化、ロックインするといったカーボンプライス政策は、今後必要とされる企業の研究開発の原資を奪い、本来あるべき対策の遅滞を招きかねないので、採用するべきではないと思う次第でございます。
 そういう意味で、お示しいただいた概要版注6)のほうで5ページにわたってイノベーションに関わる紹介がなされているといことは、方向性としては非常に正しいと思っております。ただ、この概要版でも、カーボンプライシングが方向性として重要ということが書かれていますが、これについては有効性、必要性、あるいは限界的な効果に関して慎重に検討を進めるという記述にしていただくか、あるいは注記として「異論もある」ということも併記していただきたいと考える次第でございます。」

 筆者の以上の発言に対して、ある学識経験者の委員から「カーボンプライスがかかることで、企業の研究開発原資が奪われることを示す論文は見たことがない」との反論が示されたが、ここで本委員会では珍しく、筆者に「再反論」の機会が与えられた。本委員会では委員の人数が多い中、各委員会ら活発な発言がなされるため、時間制約もあって基本的に各委員の発言機会は1回しかなく、従って自分の発言順が先になってしまうと、後から発言機会の回って来た異なる意見を持つ委員によって反論や否定的見解が示されることで、自分の発言が上書きされてしまうという不満があったのだが、この最終とりまとめの第13回小委員会では、委員長の寛大な判断で、時間を延長して再度発言をする機会を与えていただいたので、再反論を含めて最後の発言をさせていただいた。

 「先ほど、日本の企業が炭素価格、カーボンプライシングを課されることで研究開発の原資を奪われていることを示す論文は1本もないというお話がありましたが、これは多分、研究対象としてあまり面白くないので、そういうことを最近研究発表されている先生がおられないのではないかと思いますが、私の知っている事実を申し上げます。記憶にある数字だけなので正確な数字ではないかもしれませんが、例えば日本鉄鋼連盟の会員会社は、京都議定書の第一約束期間の間に、その目標達成のために、海外の京都クレジット1,000億円以上を購入しております注7)。最終的には、リーマンショック等で生産量が落ちたというようなこともあって、そうした排出権は必要なくなったのですけども、この1,000億円というのは、現在、我々が毎年省エネのために投資している総投資額に匹敵する規模の金額注8)だと思われますので、そういう制約がなければ、別な投資に使われていた可能性はあったのだろうと思います。
 最後に、あまり暗い話ばっかりしていても恐縮なので、温暖化対策の現実を少しご紹介したいと思います。先週私は、日本、インドの鉄鋼関係の技術協力の会議注9)でインドに行っていたのですが、インドの鉄鋼省の局長さんから、インドは2025年までの発展計画の中で、太陽光パネルを大量に入れる方針ということを伺う一方で、高炉法による粗鋼生産量を今の年間1億トンから3億トンに伸ばすということも国家目標として掲げているということを伺いました。高炉法により粗鋼生産が2億トン増えるということは、CO2排出量で言うと約4億トン増える、つまり日本の総排出量の40%ぐらいが新規にインドの鉄鋼業からだけで毎年新たに排出されることが、インドの国家目標に入っているわけです。そうした現実の中で我々ができることは何かということを模索しているわけですけども、国内での対策として今、鉄鋼連盟が掲げています削減目標は、2030年までにBAU排出量から900万トン下げるということになっています。この数字は今ある最新の環境技術に加えて、今後開発を目指す革新的技術を最大限導入して初めて達成できる目標としてお示ししているのですけども、今後インドで増えるCO2排出量4億トンを日本の省エネ技術で10%改善するだけで4,000万トンも減るわけです。この点こそが我々のなすべきことだと考えて、過去6年間、私がたまたま座長をやっている日印鉄鋼官民協力会合の場を通じて、インドの鉄鋼業に対して、どうやったらその10%の省エネができるか、CO2排出削減ができるかという、さまざまな技術のメニューを提示して、彼らも納得した上で、ぜひそういうものを導入していこうという話までこぎつけているわけです。こういうことを積み上げていくことこそが、地球温暖化問題を抑止していく上で我々のできる一番大きな貢献ではないかと考えております。そういう意味で、この「長期低炭素ビジョン」の中で、技術のイノベーション、あるいは技術普及、それも国内だけではなく世界への普及ということを書かれているのは、我々としては非常に心強く思いますし、ぜひそういう活動について、今後とも日本政府に支援していただきたいと考えておる次第でございます。」

 以上が「長期低炭素ビジョン」小委員会に委員として参加してきた筆者から見た「ビジョン」とりまとめに向けたプロセスの記録である。この「ビジョン」の完成版は本年3月に環境省のホームページに掲載され、本文、参考資料編、概要編ともダウンロードできるようになっている。カーボンプライス、カーボンバジェット、炭素生産性、環境と経済の同時解決といった筆者から問題点を指摘させていただいた様々な論点については、残念ながら本文にほぼそのまま残ってしまっているが、一方で様々な異論があったことについては脚注に縷々記載されており、一応発言は両論併記という形で「汲み取っていただけた」ようである。

注4)
「長期低炭素ビジョン(案)」P27 (1)気候変動対策をきっかけとした経済・社会的諸課題の「同時解決」
注5)
「長期低炭素ビジョン(案)」P3 はじめに 冒頭
注6)
http://www.env.go.jp/council/06earth/y0618-13/mat03.pdf
注7)
日本の鉄鋼業全体で京都議定書第一約束期間へ対応するために購入したCDM排出権は約5900万トン。取得価格を15ユーロとした場合8.8億ユーロで1000億円を超える。(日本鉄鋼連盟調べ)
注8)
日本の鉄鋼業が2005年から2015年に行った省エネ、合理化投資は累計で1.4兆円であり、年平均1400億円となる。(平成28年産業構造審議会鉄鋼ワーキンググループ報告資料)
注9)
第7回日印鉄鋼官民合同協力会合