環境・エネルギー問題、経済と両立させながら解決を
ネットを通じて開かれた政策論議をアシスト
小谷 勝彦
国際環境経済研究所理事長
(「月刊ビジネスアイ エネコ」2016年6月号からの転載)
地球温暖化などの環境問題やエネルギー問題について、経済と両立させながら解決するための情報発信をしているのがNPO法人「国際環境経済研究所」だ。活動の中心的存在だった澤昭裕前所長が今年1月、病に倒れて他界。同研究所のかじ取りを託されたのが、2月に就任した小谷勝彦理事長(64)である。エネルギー・環境政策に影響力を持つ同研究所をどう運営していくのか。小谷氏に聞いた。
(本誌編集長 本田賢一)
小谷 勝彦(こたに・かつひこ)
1952 年1月25 日生まれ。74年3月に東大法学部を卒業後、新日本製鐵(現・新日鐵住金)入社。84 年米コーネル大経営大学院修士(MBA)取得。2001年4 月同社環境部長、05 年4月中国総代表・北京事務所長、現在、日鐵住金建材専務(09 年6月から)。11年1月からNPO 法人・国際環境経済研究所副理事長、16 年2 月から現職。また、あしなが育英会監事、東京商工会議所のエネルギー・環境委員会委員も務める。
――研究所を設立したきっかけは?
「私は2005~09年まで新日鐵(現・新日鐵住金)の中国総代表・北京事務所長を務めました。帰国すると、旧知の仲だった澤(昭裕)さんが東京・門前仲町で歓迎会を開いてくれました。その際、環境政策を議論する環境省の中央環境審議会(中環審)で学識経験者の発言力が強いため、議論が閉ざされないようにする方策はないだろうか。産業界や研究機関、行政、NPO(特定非営利法人)、メディアなどの環境に精通した有識者に発言の場を提供することはできないだろうか、という話になりました。仲間を募って2011年1月に国際環境経済研究所を立ち上げ、主にインターネットを通じて有識者の発言を情報発信しています。人気映画『スター・ウォーズ』に例えるなら、当研究所は強大な“環境帝国軍”と戦う“共和国連合軍”みたいなものです(笑)」
「特に、企業などさまざまな現場の第一線で環境対策に取り組んでいるビジネスマンに発言してほしいと考えています。科学や技術の豊富な知識を持ち、『なぜ、こんな環境規制になってしまったのか』と悩みながら環境対策に取り組んでいるビジネスマンには積極的に発言してほしいと思っています」
――環境問題や環境政策の議論はもっと広角に行うべきだと
「とくに温暖化問題は、科学・技術、外交・政治、経済・社会と多くの分野がまたがる“総合科学”の問題だと思っています。温暖化対策を進めるには、技術開発を進めてエネルギー効率を向上させる必要があります。また、パリ協定といった世界的な温暖化対策の枠組みをつくる作業は、各国の利害がぶつかりますのでまさに外交の問題です。さらに、温室効果ガス排出量の削減には、エネルギーを消費する産業の活動がかかわってきますし、家庭の省エネを進めようとすると、人間一人ひとりの生き方もかかわってきます。ところが現実は、環境面だけが突出して議論される傾向にあります。環境政策を有識者が議論し、国に提言する中環審ではとくに、環境に関する学識経験者の発言力が大きい。多岐の分野にまたがる温暖化問題は、特定の専門家が縦社会的に議論するのではなく、横断的に議論すべきだと考えます。もちろん、温暖化以外の環境問題やエネルギー問題についても幅広い議論が必要です」
――研究所を澤さんと2人で立ち上げた。澤さんとの出会いは?
「私が2001年から4年間、新日鐵の環境部長を務めていたとき、経済産業省の環境政策課長だった澤さんと知り合いました。強く印象に残っているのは、環境省が2003年に非常に厳しい亜鉛の水質環境基準案※を出してきたときのことです。澤さんが務めていた環境政策課長の仕事は温暖化対策がメインで、それ以外の環境規制については伝統的に“領空侵犯”をしない(環境省の領域に首を突っ込まない)。ところが、亜鉛の環境基準案がこのまま通ると、亜鉛を使用する鉄鋼、鉱山、化学、電力、下水道など幅広い業界に大きな影響が出るため、澤さんに『これは産業政策に関係してくる話ですので、ここは産業界のためひと肌脱いでほしい』とお願いしたら、環境省の課長さんに話をしてくれました。なかなか得がたい、気骨を持った方でした」
※ 2003年、水生生物を保全するための水質環境基準設定の議論が行われた際、環境省は亜鉛について、1ℓ当たり10~30μgという非常に厳しい環境基準案を出してきた。排水基準は、環境基準の10 倍に設定されるケースが多く、この案が通ると、排水基準は100 ~ 300μgに設定される可能性があった。当時の亜鉛の排水基準は5000μg。排水規制が1ケタ以上も厳しくなる可能性もあり、当時、環境省と経団連が激しく対立した。
――理事長として白羽の矢が立った経緯は?
「研究所の所長だった澤昭裕さんが昨年(2015年)9月ごろに体調不良を訴え、今年1月にがんで亡くなりました。昨年12月ごろ、澤さんから後(理事長)を頼むよと言われました。当時理事長だった桝本晃章さん(元東京電力副社長)が77歳で辞意を示されていたこともあり、副理事長だった私が依頼されました。澤さんの後任の所長には、元住友商事地球環境部長で常葉大学教授の山本隆三さんが就任しました」