改めてエネルギー・電力と経済の関係を問う

国の革新力と私たちの暮らしを支えるエネルギーと電気


国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授

印刷用ページ

 2月14日バレンタインデーは日曜日だった。出勤がないため、オフィスで義理チョコを貰い損ねた方もおられたのではないだろうか。なかには、チョコはお金で買えるが、お金では買えない愛が欲しいという方もいたかもしれない。お金で買えないものが、より大切との意見を新聞などで時々見かける。健康、愛情などお金で買えないものは確かに大切だが、お金も勿論大切だ。私たちの給与が減少を続けているが、給与額の決定にはエネルギー・電気が関係していることを再度考えたい。

 私たちの生活にはエネルギーは当たり前だが欠かせない。しかし、十分なエネルギー・電力供給があれば良いということではない。安定的かつ安価なエネルギー・電力供給が必要だ。エネルギー価格が安ければ安いほど生活が楽になる側面もあるが、さらに安価なエネルギーが大切な理由は、エネルギー・電力価格により産業の競争力と雇用が影響を受け、その結果、私たちの給与の伸びが左右されるからだ。
 私たち、勤労者の平均給与は1997年の年間467万円をピークに波を打ちながら減少し、2014年には415万円になった。物価の下落率以上の給与の減少は、多くの働く人たちの生活を苦しくすることになった。図-1の平均給与と生活実感の推移のグラフが示す通りだ。「生活が大変苦しい」という人たちの比率が27.7%、「やや苦しい」という人たちの比率が32.2%に達している。6割の人たちが「生活が苦しい」と感じている国を、先進国と呼べるのだろうか。かつての1億総中流と呼ばれた生活実感はもはやなくなっている。

図1

 そんななかで、依然「GDP(国内総生産額)では測れない価値がある」と主張するマスコミもある。バレンタインデー当日の朝日新聞は、羊羹で有名な虎屋がお正月休みを一日増やしたケースを取り上げ、さらに米国の60年代のロバートケネディーの演説にも触れ、GDPには含まれない価値があると主張していた。

 しかし、国民の60%が「生活が苦しい」という国で、お金以外の価値があると主張することは空しく響かないのだろうか。朝日新聞は、時々子供の貧困問題も取り上げ、3食を十分に取ることができない母子家庭の話なども書いている。最低限の生活ができない家庭の方にとっては、お金がまず大切であり、60年代の米国の例を出されてもピンとこないだろう。新聞を読むような人はある程度生活に余裕があるから「GDP」で測れない価値の話にも賛意が得られると朝日の記者は考えているのだろうか。
 いま、私たちに大切なことは、生活が苦しいと感じている人を減らすることであり、そのためには給与の上昇を実現することだ。給与額は1人当たりのGDP額とほぼ比例する関係にある。GDPは付加価値額であり、私たちの給与は付加価値額の中に含まれているから1人当たりのGDPが増えなければ、給与は増えない。GDPに含まれない価値はあるが、まずGDPが上昇しなければ給与は増えず、生活は楽にはならず、多くの人はGDPに含まれない価値に思いをはせる余裕はない。

 私たちの平均給与が波を打ち下落を続けているのは、働く人が製造業、建設業から医療・福祉分野に移っているからだ。この10年間で300万人の人が1人当たり付加価値額、給与が高い製造業、建設業から1人当たり付加価値額、給与が相対的に低い医療・福祉分野に移動した。主な業種の1人当たり売上高と付加価値額は図-2に示されている。

図2

次のページ:デフレ脱却戦略

 製造業が雇用を失ったのは、デフレの時代に借金返済を優先し、設備投資を行わなかったからだ。この十数年間で、製造業の長期・短期の借入金は150兆円から120兆円に30兆円減少したが、その返済原資の大半は設備投資の減価償却費から調達されたものだった。本来設備投資を行うべき資金を返済に回したわけだ。その結果、日本の製造業は競争力、革新力を失ってしまった。図-3に国の革新力が示されている。革新力がなくなった日本企業はドイツ、米国などの企業との競争に勝てなくなってしまった。

図3

 今のデフレ脱却戦略は、製造業の設備、研究開発投資を促すことになるが、製造業が競争力を付けるために必要な条件がもう一つある。エネルギー・電力コストだ。最新の法人企業統計と工業統計のデータを見ると、製造業の2013年度の営業利益額は16兆1000億円だった。一方、電気料金は4兆円だ。震災以降、製造業の電気料金は1兆円以上増えている。電気料金上昇の大きな理由は原子力発電所の停止だった。営業利益額と比較すれば1兆円のインパクトの大きさが理解できるし、1兆円を人件費に充当していれば、3%の賃上げが可能だった。研究開発投資に回していたとしても、その効果は大きかっただろう。
 原子力発電所の操業には事故というリスクがある。しかし、停止により私たちは電気料金上昇、産業の革新力低下という別のリスクを抱えることになる。どちらのリスクが大きいのか、よく考え、議論すべきだ。