原子力損害賠償制度の課題と考察


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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「エネルギーレビュー」2014年4月号からの転載)

1.原子力損害賠償制度を巡る現状

 わが国の原子力事業はバックエンドも含めて主に民間事業者が担ってきた。しかし、原子力事業は立地の困難さもさることながら、核物質管理やエネルギー安全保障など、国家レベルでの政策全体の中で考えなければならない複雑さを有しているため、事業の推進には政府の指導・支援、規制が必要と考えられてきた。
 政府の支援を受けながら民間企業が効率性や機動力のある事業展開を行うというスキームは、平時においては多くのメリットをもたらしたが、今次の東京電力福島第一原子力発電所事故(以下、東電福島原発事故)によって、官民のリスク・責任分担の曖昧さという大きなデメリットを内包していることが明らかになった。
 特に、原子力事故の被害者に対する賠償制度を定めた「原子力損害の賠償に関する法律(以下、原賠法)」は、民間の原子力事業者が無限の責任を負い、政府がそれを支援するとしている。東京電力は一義的にすべての責任を負うとされ、原子力損害賠償支援機構法(以下、機構法)」や「平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法(以下、放射性物質汚染対処特措法)」のもと、被災者への賠償業務、事故を起こした発電所の廃炉作業や除染の費用負担を背負いつつ、顧客への電力供給を行っている。
 機構法によるスキームが確立されて電力供給や賠償等の事故処理における安定性は一定程度確保されているようにも見え、また、廃炉や汚染水の処理など国が積極的に事業に関わる場面も見られるようになってはいるが、国が行う資金的援助については、将来東京電力から支援機構を通じて返済されることを原則としている。
 つまり、この資金的援助は、東京電力の公的資金による救済というよりも、緊急時の「つなぎ融資」としての意味合いが強いと言える。これが原子力事業を推進してきた国が行う「支援」として十分なものであるのか。また、事故から3年以上が経過しても多くの被災者の生活再建が果たせていない。地域コミュニティを破壊してしまう原子力災害において、東京電力が被災者個人に賠償するスキームだけでは限界があるのではないか。
 さらに、原子力事業の展望を不透明にしているのは、合理的とは言い難い規制活動と、現在検討が進められている電力システム改革の議論である。前者について一例を指摘するなら、原子炉等規制法の改正により原発の運転期間は原則として40年で制限、しかし「その満了に際し、原子力規制委員会の認可を受けて、一回に限り延長する」ことができるとされた。しかし延長が認められるかどうかは、40年期限の直前まで分からないため、計画的に安全対策投資の回収見込みが立てられない。後者については、原子力のような大規模・長期投資を必要とする電源を自由競争下に置けば、国のエネルギー安定供給上必要とされる比率を維持できないことは欧米諸国の先行事例が示すとおりである。
 英国では自由化以降、原子力発電所の新設がなく、温暖化対策による石炭火力の早期閉鎖政策とも相まって電源不足の懸念が表面化したため、2013年、原子力の電気を低炭素電源と位置づけ政府が固定の価格で買い取ることを保証する制度を導入し、25年ぶりの原発新設が動き出した。現在の市場価格のほぼ倍の値段で、発電開始から35年にわたり買取を保証するという。
 しかしわが国はこうした先例に学ばず電力システム改革と原子力の事業環境を一体的に議論していない。原子力事業についてのリスク評価をしづらくなっている。

2.原子力損害賠償制度の基本構造とわが国の特色

 わが国を含む多くの国の原子力損害賠償制度において、「被害者保護」及び「原子力事業の健全な発達」の二つが目的として掲げられている。原子力災害による被害は地理的にも時間的にも広範かつ長期になる可能性があるため、このような場合でも十分な損害賠償が可能であるようにする必要がある。被害者保護の要請の一方で、事業者の負うべき経済的負担の一定範囲を保険に転嫁し、一定の事由の場合、あるいは一定額を超える過大な負担が生じる場合には国が関与することで、原子力事業の経営に予見可能性と安定性を与えて参入を促し、これを育成することを目的とすることが基本的な構成である。
 わが国の原子力損害賠償制度の最も大きな特色は、事業者に無限の賠償責任を負わせていることにある。賠償措置額を超過する被害が生じた場合、あくまでも賠償責任を負うのは原子力事業者であり、国はその事業者に対して援助を行うという間接的な地位にとどまるという構造が原賠法一六条に明示されている。


 この「援助」の内容や具体的な基準については原賠法及びその下位法令には規定がなく、援助がなされるか否かは、政府が「必要があると認めるとき」という不明確な条件が置かれるのみである。政府の恣意的な解釈によって判断されることがあるため、ファイナンスする方からみれば非常に大きいリスクを包含していると考えることもできる。実際1999年に発生したJCO事故においては、JCOに対する国の援助はなされておらず、原賠法第一六条の内容は、東電福島原発事故後制定された機構法によって初めて具体化されたといえる。

3.今後の改正に向けた論点整理

 改めて原子力損害賠償制度の目的に立ち返り、被害者の救済を十分に図りつつ原子力事業にまつわるリスクや不確実性を軽減し、事業を継続していくために必要な制度改革の論点について3つのカテゴリーに整理して抽出する。

(1) リスクの限定と分担のあり方
1 事業者の有責性を巡る混乱について

 事故直後、原賠法第三条第一項ただし書きによって事業者が免責されるか否かで大きな議論となった。事業者の免責が認められた場合でも、被害者が補償を受けられないという事態は認められないため国家補償の制度が確立されていなければならないが、わが国原賠法は国の関与が不明確であることもあって、事業者を免責しにくい構造であることも指摘されている[1]

2 事業者が無限責任を負うことによる問題点
 事業者が無限責任を負うことは、原賠法の法目的(原子力事業の健全な発達)との不整合、電気料金上昇を通じた国民負担の増大や電力安定供給への懸念、他の電力事業者の資金調達や株式市場等への悪影響など様々な懸念がある。そのため諸外国では、事業者の賠償負担額は一定程度で制限しそれ以上は国家補償を求めるのが一般的であるが、しかし近代民法の原則から言えば、企業が引き起こした損害は企業が負担すべきである。
 国家補償を認める法的正当性をどこに求めるかという理論的問題も含めて、事業者の賠償責任額を制限するのであれば下記の事項の検討が必要となる。

a)
被害者の財産権侵害との抵触
b)
事業者の安全に対するモラル・ハザード
c)
賠償金の配分計画
d)
事業再生について
e)
原子力事業に対する外国資本進出抑制効果について

 特に事業再生については、東電を破綻処理すべきとの意見がいまも根強く聞かれる。
 ステークホルダー(利害関係者)の責任明確化を求め資本主義の根本原則を守るべきとする主張にも一定程度の合理性はあるものの、①被害者の損害賠償請求権が社債関連の先取特権及び更生担保権に劣後する存在となってしまうこと、②賠償や廃炉に関わる費用がどれほどまでに膨らむか事故当初見通すことは不可能であること、③賠償責任を負う主体の確保、④国が既に東京電力に出資した1兆円の毀損を含む数兆円規模の国民負担、⑤電力供給や事故処理対応に必要な資金手当に支障を来す可能性、⑥他原子力事業者の信用力が低下することによる資金調達コストの上昇、⑦電力供給や廃炉事業などの現場士気への影響など、あまりにも多くの問題が生じ現実的ではない。
 機構法の枠組みは東京電力ほどの大規模事業者でなければ、国からの「つなぎ融資」としての支援を返済するのに現実的でないほど長期を要することから原子力損害賠償制度として汎用性がなく(2013 年10月16日発表された会計検査院の試算によれば、交付金が5兆円だった場合、東京電力から全額を回収し終えるのにかかる期間は最長で31年後になる)他の選択肢を模索する必要はあるが、会社更生手続きを選択するには相当の課題があることを指摘したい。

3 事業者への責任集中に関する問題点の指摘
 原子力損害賠償制度は海外諸国においても事業者への責任集中を前提にしている。しかし、原子力事業が高度に国の規制によって管理されてきたことを考えれば、国家賠償法の適用の可能性は検討されるべきであろう。
 今に至るまで東京電力が国の定める規制・基準に違反していたという事実は見出されておらず、また、事故発生後、原子力災害対策本部他様々な政府機関が地域住民の避難指示や食品安全基準、出荷制限などの責務を担ってきたことを考えれば、国家賠償請求の適用も検討されてしかるべきである。原賠法第四条第一項に定める責任集中原則は、国が賠償責任を負うことも排除するか否かについては、排除されないとする解釈が一般的とされている。
 なお、メーカー(サプライヤー)に損害賠償責任まで課すことは現実的ではないものの、一方で機器や現場に精通するメーカー(サプライヤー)に事故対応における協力義務、情報提供義務などを求める余地はあろう。

4 「原子力損害」の定義が不明確であることによる問題点
 これまでの不法行為理論において基本的には認められてこなかった純粋経済損失(風評被害)、環境損害(除染)が東京電力の賠償責任の対象となり、その負担を大きく膨らませている。これらの損害の救済について否定するものではないが、不法行為法を基本とする原子力損害賠償制度とは別のスキームで救済を図ることを検討すべきであろう。

5 賠償措置額の引き上げについての検討
 東電福島原発事故により、現在の賠償措置額1,200億円では過小であることが判明したが、民間保険契約の増額はどこまで可能なのか。詳細な条件を設定しなければ算出できないが、安定的に保険を提供するためには最大でも2,000億円程度が限界であるといわれている。
 保険によらない賠償措置額の引き上げとして、米国に見る事業者間の事後的相互扶助制度の有効性を指摘したい。相互扶助であるために、事業者間のピア・レビュー(相互評価)が充実し、安全性向上の効果も期待できる。現在の一般負担金制度は奉加帳形式であり負担額の見通しが立たず、総括原価方式の下で原価参入を認められているうちはまだしも、今後自由化されるのであれば制度改正が必要になる。
 事業者間の相互扶助制度、期限内にそれを上回る大災害がなければ投資家は元本と高い金利を得る大規模災害債券の発行など、あらゆる可能性を検討する必要がある。

6 時効に関する検討の必要
 原賠法は消滅時効に関する規定を置いていないため、民法第七二四条前段の不法行為の時効についての規定が適用されることとなり、被害者が損害を知った時から3年間請求権を行使しないときは、請求権が時効によって消滅するとの解釈が有力である。
 東京電力は、消滅時効の起算点を同社が損害賠償の受付を開始した時点とすること、同社から送付される損害賠償請求を促すダイレクトメール等の受領をもって時効の中断と認めること、その他時効の完成について柔軟な対応をしてきた。
 政府も2013年12月11日、今回の事故に限り原子力損害賠償請求権の消滅時効期間については「10年間」とすること、また、民法で、「不法行為の時から20年」とされている除斥期間について「損害が生じた時から20年」とする原賠時効特例法を成立させたが、わが国原子力損害賠償制度における根本的な改正は図られていない。
 時効の扱いは事故の規模によっても大きく異なることが予想されるため(JCO事故の際には賠償の規模も範囲も東電福島原発事故とは比較にならないほど小さく、賠償が早期に進んだため時効の問題は生じていない)、事故後の対応スキームを判断する中で時効についても検討することが合理的である場合もあるだろう。しかしその際の判断基準・手続きについては事前に明確化しておく必要がある。

[1]
電力中央研究所田邉朋行・丸山真弘「福島第一原子力発電所事故が提起した我が国原子力損害賠償制度の課題とその克服に向けた制度改革の方向性」(2012)

(2) 大規模原子力災害への対応のあり方
 原子力災害は、家庭、職場、地域コミュニティという「場」を破壊するという意味において異質である。今次の東電福島原発事故のような大規模災害においては、金銭賠償では救済が困難な被害があり、それが被災者の生活再建を滞らせている要因であることをかんがみ、国あるいは地方自治体による地域コミュニティ再生の取り組みが、事故後早い段階においてなされる必要性、民法不法行為制度による対応とは別に、例えばダム開発における土地収用法を参考に、集落・地域の再建を図ること等を含む国による災害補償スキームを創設しておく必要性を指摘しておきたい。

(3) 原子力事業関連法体系のあり方
 原子力損害賠償制度を見直すにあたっては、原子力利用のリスクマネジメント施策の一部であるとの認識のもと、原子力安全規制、防災制度、地域再建支援制度、原子力国際協力等、諸制度との相互補完的な役割や協調を確保した原子力利用のリスクマネジメント施策について、総合的な全体像を描く必要性がある。限られたリソースの中で、どの救済を優先し、どうやって損害拡大を防止し、どう地域を再生させるか、いかに迅速に現実に即した形でなしうるか。原子力損害賠償制度を含めて事業環境関連制度全体を総合的に見直す必要がある。
 原子力損害に関する国際条約、具体的には原子力損害補完的補償条約(CSC)への加盟を検討する必要もあると考える。CSCに加盟した場合の意義としては、

わが国のメーカーがプラント輸出を行う場合、輸出相手国がCSCを締約していれば当該国における原子力事故の責任は輸出相手国の原子力事業者に集中されるため、わが国企業にとっての事業リスクの回避につながる。
事故発生時に、事故を起こした国の責任額が3億SDR(約450億円)を超えた場合、全ての加盟国により拠出された補完基金の支援が受けられる。
わが国で起きた事故によって他国で越境損害が生じた場合であっても、裁判管轄権がわが国の裁判所に集中される。

 というメリットが認められる一方で、①基金拠出金の負担金主体・負担方法の明確化、②研究炉等少額賠償措置しか持たない施設の扱い、③裁判管轄権の問題(他国で事故が起こりわが国に損害が及んだ場合は、裁判管轄権の集中原則によって日本国民は事故発生国において訴訟を提起する必要があることも受け入れなければならない)という潜在的なデメリットも考慮する必要がある。

4. 今後の原子力損害賠償制度のあり方

 わが国原子力損害賠償法が制定されてから約半世紀。東電福島事故によってもたらされる混乱を当時の法学者たちは予見していたかのように、国家の明確な関与のない原賠法を強く批判していた。法律制定後開催されたシンポジウム「原子力災害補償」において、我妻栄教授は「部会の答申と法は立脚する構想が異なる」と批判している。
 「原子力の平和利用という事業は、歴史上前例のないものである。その利益は大きいであろうが、同時に、万一の場合の損害は巨大なものとなる危険を含む。従って、政府がその利益を速進する必要を認めてこれをやろうと決意する場合には、被害者の1人をも泣き寝入りさせない、という前提をとるべきである」と述べている。
 わが国においては国の関与と覚悟が不明確であるまま原子力技術を利用してきてしまったのである。今後も原子力技術の平和利用を継続するのであれば、改めてそのリスクを明確化し、分担を明らかにすべく全体観をもった議論を行う必要がある。

2013年9月30日の為替レートによれば、1SDR=1.534080$

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