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執筆者:有馬 純

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国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院 教授

  • 2013/12/18

    私的京都議定書始末記(その27)
    -25%目標の表明-

    25%目標の衝撃

     2009年9月7日、私は朝日地球環境フォーラムに出席していた。その2週間前の総選挙で政権交代が決まっており、その日、次期首相になる鳩山民主党代表が温暖化対策についてスピーチをすることになっていたからである。民主党はマニフェストの中で温室効果ガス削減目標を2020年までに90年比25%減とするとの方針を明らかにしていた。 続きを読む

  • 2013/12/11

    私的京都議定書始末記(その26)
    -中期目標をボンで発表-

    AWG-KPとAWG-LCAで発表

     2009年6月10日、ボンで日本代表団の雰囲気は慌しかった。この日、半年以上に及ぶ中期木曜検討会の議論を踏まえ、麻生総理がついに中期目標を発表したのだ。発表された中期目標はオプション3(2005年14%減)に太陽光発電等の大胆な導入等により削減幅を更に1%上乗せしたものであった。日本政府代表団としては、これを交渉の場で発表せねばならない。 続きを読む

  • 2013/12/04

    私的京都議定書始末記(その25)
    -中期目標の策定-

    中期目標検討委員会

     2009年前半の国内における温暖化議論の中心は中期目標の策定であった。COP14(ポズナン)のAWG/KP結論文書の中で、「2009年のCOP15(京都議定書締約国会合としてはCMP5)において作業を終了すべく、未だ中期目標を提示していない附属書Ⅰ国に対して2009年3-4月に開催予定の第7回会合までに目標提出を慫慂する」との文章が盛り込まれたことは前に記した通りである。 続きを読む

  • 2013/11/28

    私的京都議定書始末記(その24)
    -交渉官の1日-

     閑話休題。今回は私の経験を元に、交渉官の1日を綴ってみたい。舞台は最も多くの交渉が行われたボンのマリティムホテルである。

     朝6時に起床。霞ヶ関では自宅からオフィスまで片道1時間20分を歩いているが、ボンでは会議会場と宿泊場所が同じであるため、どうしても運動不足になる。そこで6時半頃ホテルを出て30-40分ジョギングをすることを日課としていた。 続きを読む

  • 2013/11/22

    私的京都議定書始末記(その23)
    -AWG-KPとはどんな場か(3)-

     AWG-KPでは同じような議論が延々と繰り返されており、私が参加した12回の交渉をそれぞれ紹介してほとんど意味がない。そこで今回はAWG-KPにおける典型的な議論のいくつかを紹介することとしたい。

    AWG-KPにおいて先進国全体の削減幅を先決することの是非 続きを読む

  • 2013/11/13

    私的京都議定書始末記(その22)
    -AWG-KPとはどんな場か(2)-

     160ヶ国近くが参加する国連温暖化交渉であるが、キープレーヤーはおのずと限られてくる。12回にわたって参加したAWG-KPにおいても、毎回必ず発言する「会議の顔」のような人々がいる。今回はAWG-KPの主要な登場人物の何人かを紹介しよう。

    途上国の交渉官達 続きを読む

  • 2013/10/31

    私的京都議定書始末記(その21)
    -AWG-KPとはどんな場か(1)-

     これから数回にわたって私が首席交渉官を務めたAWG-KPについて書いてみたい。2008年12月のCOP14から2011年4月まで、12回の会合に出席し、私の在任期間中のほぼ全期間はAWG-KPとの格闘に費やされたからである。 続きを読む

  • 2013/10/22

    私的京都議定書始末記(その20)
    -本格交渉開始の前哨戦-

    米国新政権へのアプローチ

     2009年の年が明けた。その年から、新年には靖国神社にお参りに行くようになった。国際交渉は「武器を使わない戦争」のようなものであり、国のために戦うという点では、戦場にあるか否かを問わないと思っていたからである。2009年に交渉を妥結するというのがバリ行動計画で与えられたミッションであり、2009年を通して熾烈な外交戦が予想された。 続きを読む

  • 2013/10/10

    私的京都議定書始末記(その19)
    -COP14(ポズナン)-

    AWG-KPの首席交渉官に

     アクラのAWGが終わると、12月1-12日にポーランドのポズナンで開催されるCOP14まであとわずかであった。ある日、岡本地球環境対策室補佐が「相談がある」と私の部屋にやってきた。COP13以後、AWG-LCA、AWG-KPの2トラックで交渉が行われてきたことは既に書いたとおりであり、私はそれまでAWG-LCAを担当してきたが、COP14からAWG-KPを担当してもらえないかという。AWG-LCAは米国、中国も含む全ての主要排出国が参加する枠組みを交渉する新たな場であり、否が応でも関心が高かった。 続きを読む

  • 2013/10/01

    私的京都議定書始末記(その18)
    -アクラ気候変動交渉に再登板-

    気候変動交渉チーム

     2008年7月、洞爺湖サミット直後の人事異動で産業技術環境局審議官に就任した。このポストは地球温暖化国際交渉のみならず、国内の温暖化対策、リサイクル問題、環境アセスメント等を含む広義の環境問題もカバーする。事実、私の前任のポートフォリオの中で国際交渉の占める位置づけは2-3割だったと思う。しかし、私が就任した際のミッションは「主に国際交渉に専念せよ」ということであった。 続きを読む

  • 2013/09/26

    私的京都議定書始末記(その17)
    -北海道洞爺湖サミット-

    エネルギー戦線と気候変動戦線

     一連のG8関連エネルギー大臣会合が無事終了し、2007年初めから取り組んできた「気候変動問題に対するエネルギー面からの取り組み」も、それなりの成果をあげることができた。7月の北海道洞爺湖サミットのG8首脳声明の中にもエネルギー大臣会合の声明のエッセンスを盛り込むことができた。 続きを読む

  • 2013/09/18

    私的京都議定書始末記(その16)
    -G8+3エネルギー大臣会合(2)-

    ドラフティング会合で悪戦苦闘

     第三次準備会合は、共同声明スクリーン上にドラフト案を映し、line by line でセットするドラフティング会合の形となる。スクリーン上にドラフトが映し出されると、色々ものを言いたくなってくるのがマルチ交渉官の習い性である。各国がいろいろな修正案を出すたびに、それを瞬時に聞き取って、スクリーン上のドラフトにブラケット(括弧)付きテキストとして反映させていくことは、日本人の手に余る。 続きを読む

  • 2013/09/11

    私的京都議定書始末記(その15)
    -G8+3エネルギー大臣会合(1)-

    青森でG8エネルギー大臣会合

     バリのCOP13から戻って休む間もなく取り組んだのがG8エネルギー大臣会合の準備だった。2008年に日本はサミット議長国となっており、7月に洞爺湖で首脳会合が開催されることが決まっていたが、G8プロセスでは首脳会合に先立って、外相会合、蔵相会合等、テーマ別の大臣会合が開かれるのが通例である。その一環としてエネルギー大臣会合も開催されることになったわけである。 続きを読む

  • 2013/09/04

    私的京都議定書始末記(その14)
    -COP13とバリ行動計画(3)-

    デボア事務局長の涙

     さて、長い夜が空けて15日の朝、全体会合を前にバリ行動計画(案)が配布されたが、ここでアクシデントが起こった。複数の途上国代表が「バリ行動計画に関する途上国内のコーディネーションが終わっていない」とクレームをつけたのだ。 途上国は「G77+中国」で総称されるが、その中にはアフリカグループ、中南米グループ、島嶼国グループ等、多くのサブグループがある。 続きを読む

  • 2013/08/21

    私的京都議定書始末記(その13)
    -COP13とバリ行動計画(2)-

    同床異夢のバリ行動計画

     前回、バリ行動計画は原文に即して読む必要があると述べた。またまた長い原文引用で恐縮だが、12月14日深夜の閣僚折衝を踏まえて、紙になったバリ行動計画の重要部分とポイントを以下に示す。(○数字は筆者注) 続きを読む

  • 2013/08/05

    私的京都議定書始末記(その12)
    -COP13とバリ行動計画-

     2007年12月、私はCOP13経産省代表団の一員としてバリ島のヌサドウア・ビーチにいた。その年の6月に資源エネルギー庁内で新設ポストの国際エネルギー交渉担当参事官に異動し、このポストのミッションの一つが気候変動問題だったからだ。2001年のCOP7以来、6年ぶりのCOPになる。久しぶりではあるが、交渉の雰囲気についてはMEMやAPEC、東アジアサミットの気候変動に関する議論から大体の想像はついていた。 続きを読む

  • 2013/07/26

    私的京都議定書始末記(その11)
    -APEC、東アジアサミットでの議論-

     ハイリゲンダムサミットでは首脳声明の策定プロセスを直に見ることはできなかったが、2007年9月のAPECサミットと11月の東アジアサミットについては、首脳声明策定プロセスを体験することができた。 続きを読む

  • 2013/07/12

    私的京都議定書始末記(その10)
    -気候変動戦線波高し-

     2007年前半、私がエネルギーマルチで「気候変動問題に関するエネルギー面からの取り組み」であくせくしている頃、本家本元の気候変動フロントでも色々な動きが生じていた。これには理由がある。京都議定書は2005年に発効し、2008年に第一約束期間が始まることが確定したが、第一約束期間は2012年末で切れる。 続きを読む

  • 2013/07/02

    私的京都議定書始末記(その9)
    -<エネルギーマルチ>転戦記-

     各種のエネルギーマルチ(エネルギー分野の多国間会合)で省エネ、セクター別アプローチ、革新的技術開発のメッセージを盛り込むというミッションの皮切りは、2007年5月のIEA閣僚理事会だった。先進国26ヶ国で構成されるIEAは、先進国、途上国を問わず省エネを進めるべしというメッセージを打ち込む上で、最も合意を得やすい場であった。 続きを読む

  • 2013/06/25

    私的京都議定書始末記(その8)
    -エネルギー面からの取り組み-

     2002年6月に国際エネルギー機関(IEA)に出向し、温暖化交渉とは縁が切れたが、温暖化問題との付き合いは続いた。私がIEAで担当した国別エネルギー政策審査の中では、各国が京都議定書の目標達成に向けてどのような施策を講じているかが大きな比重を占めていた。 続きを読む