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日本文明とエネルギー(12) 反重力から重力へ

-持続可能なエネルギー-


認定NPO法人 日本水フォーラム 代表理事


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反重力都市シンガポール

 前回、シンガポールを紹介した。小さな島国のシンガポールには水がなかった。そのためマレーシアに頭を下げ、つらい思いをしながら水を分けてもらっていた。
 そのシンガポールは、この水がないことをバネにして、海水淡水化や下水再利用の技術を世界から受け入れ、今や最高レベルの「水処理産業国家」になり、水の自給率も60%を越えた。シンガポールは水の分野で、世界で最も進化した都市となった。
 このシンガポールのマリーナ・ベイサンズ・ホテル56階の屋上にある地上200mの巨大天空プールが世界の話題を呼んでいる。そのプールサイドにいると、泳いでいる人が空中へ飛び出してしまうように見えてしまう。
 シンガポールの姿は、究極の水の近代化を表現していた。その姿は、重力に抗した反重力の近代都市であった。
 このシンガポールと真反対の都市がある。日本の仙台市であった。

仙台市の実験

 数年前、友人の誘いで仙台を訪れた。仙台市内で面白い工事が行われているという。
 仙台では、2011年3月11日の東日本大震災で被害を受けた下水道施設の復旧の真最中であった。その復旧事業の中で、仙台市と大手化学メイカーが協力して実験をしていた。その下水管の汚水の熱を利用した地域熱供給事業であった。
 下水道管の中を流れる下水汚水は熱を持っている。外気温が低い寒冷地ほど、下水汚水の温度は相対的に高くなる。その温度差を利用して、温水を地域の住宅、商店に供給するシステムである。
 本システムはドイツでは実績があるが、日本では初めての実証実験であるという。この実証実験の下水道の熱は、実際に近くのスーパーマーケットで使用されていた。そのスーパーマーケットでは、確実に省エネルギー効果が上がっているという。
 下流に流れ去ってしまう下水道汚水が、地域に温水を供給する。このような地域を創出することが、未来のインフラの使命となる。

仙台の歴史遺産

 この現場の後、3.11震災で大被害を受けた南蒲生(みなみがもう)下水処理場の復旧工事現場に向かった。(写真-1)が3.11で被災を受けている南蒲生下水場。
 南蒲生下水処理場は、名取海岸に沿った貞山掘りの直近に位置している。そのため、下水道施設は津波を直接受けてしまい、新しい下水処理場の工事の最盛期であった。南蒲生下水処理場の所長から、当時の厳しい状況の説明を受けた。
 その中で、心に残ったのが「重力」であった。
 南蒲生下水処理場は、仙台市民の70%の下水処理を受け持っている。3.11の大津波で、その処理場は壊滅状態になった。
 ところが、仙台市の下水道の汚水排水システムは、震災直後から機能していたのだ。
 その理由は、この仙台市の下水道システムでは、一切、ポンプを使用していなかったからだ。つまり、自然流下だけで、仙台市の汚水は流れていた。そのため、仙台市全域で電気が止まった災害直後も、家庭やビルからの汚水は市内で滞留しなかった。市内の汚水は、自然流下で南蒲生下水処理場まで到達していた。
 汚水が下水処理場まで到達したので、処理場の最初の貯水池で暫定的に塩素殺菌した後、汚水は海に流せることができた。
 自然の重力だけで汚水排水と処理が出来た。これが震災直後の仙台市民の生活を救ったのだ。
 実は、これは歴史の遺産であった。


写真1:2011年3月11日 南蒲生浄化センター 
出典:仙台市

伊達政宗が仙台を支えた

 1601年、戦国大名の伊達正宗は仙台を選び、そこを拠点として城下町を建設した。それ以降、仙台は東北地方の中心都市として栄え、現在に至っている。
 その伊達政宗が選んだ仙台は、海岸沿の仙台平野から緩やかに上る坂の上にあった。仙台の街にいると、つい背後の美しい青葉山に目を奪われてしまう。しかし、仙台の街そのものが台地の上にあった。その台地は20mから100mの標高の、広瀬川と七北田川が形成した河岸段丘であった。
 大昔から河川が運んだ土砂が堆積し台地となり、河川がその台地を再び深く削り、台地の下を流れる地形が河岸段丘である。仙台市の中心地は、その河岸段丘の上にある。
 仙台市の旧市街地は低平地の沖積平野にはない。だから、中心市街を流れる広瀬川には堤防がない。堤防がないから、堤防の破堤はない。仙台は堤防が破堤する恐れのない、絶対的に安全な街なのだ。どんな豪雨が襲っても地形に沿って海に流れ下ってしまう。
 しかし、台地の上の仙台には水害はなかったが、水不足に対処しなければならなかった。そのため、広瀬川の上流部から取水して、仙台の街に水を引く用水路が建設された。四ツ谷用水と呼ばれる水路であった。江戸時代の(図-1)で、仙台市中心部の街路の中央を水路が流れている。
 この水路は生活用水、防火用水として仙台の街を潤し、水車の動力にも使われ、下流部の名取平野の灌漑用水にもなった。この四ツ谷用水が、近代になって仙台市の下水道の原型となって行った。
 伊達政宗は地形を利用して、洪水に安全な街、自然流下で排水する快適な街を創った。その400年前の歴史遺産が、21世紀の3.11の大災害時に仙台市民を支えた。


図-1:仙台市芭蕉の辻 街路の中央に水路が流れている 
出典:仙台市ホームページ

重力のインフラ

 私の人生の大半はインフラ整備であった。時期は、戦後の急成長の時代に当たっていた。当時のインフラ整備は、常に人口急増と、激しい都市化と、経済が膨張する圧力に追われていた。
 住宅が足りない。水資源が足りない。下水道が足りない。洪水が頻発する。交通渋滞が激しい。これらは全て社会の膨張圧力によるものだった。
 この急激な膨張に対処するためには、「効率」が最大の合言葉であった。効率とは単位時間の生産性を上げ、単位面積当たりの生産性を上げることであった。
 水資源開発や上下水道インフラの分野の効率とは、ポンプを大量に使用することであった。ポンプはエネルギーを必要とする。ポンプは電力の力で大量の水を送り、電力の力で大量の汚水処理することになった。
 社会の膨張圧力に追われた近代は、エネルギー消費型の社会を造ってしまった。エネルギー消費型の社会は持続可能ではない。ポスト近代のインフラは、持続可能な社会でなければならない。
 水インフラ分野では、電気を消費しないシステムにしなければならない。そのためには、重力による水インフラシステムに再構築する必要がある。
 江戸時代、玉川上水は江戸へ43kmも重力で水を送った。明治時代、ヘンリー・スペンサー・パーマーは、相模川から横浜へ48kmも重力で水を送った。
 そして、伊達政宗は水の重力を利用して、洪水に安全で、快適な仙台の街を創出した。この「重力」が未来の持続可能な社会の重要な柱となっていく。
 未来の持続可能な社会の再構築に向け、我々が考え、そして実行していく課題は山積みしている。