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水力開発が牽引するブータンの経済成長

グリーン成長の模範たるか


慶應義塾大学産業研究所 教授


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EPレポートからの転載:2018年10月21日号 )

 国民総幸福量によって国際的なブランディングに成功したブータン王国は、再エネにほぼ100%依存しながら経済成長を実現する、グリーン成長のモデル国とも捉えられている。2008年、ブータン政府は従来の計画を倍増し、20年までに総計1000万kWもの水力発電所を建設する計画を示した。タラ水力発電所(102万kW)が稼働を開始した07年には、実質GDPの成長率は年15%を超えている。成長率の変動は大きいものの、2000~16年の年平均値でも7.4%と極めて好調である。その成長の40%ほどは、電力と建設セクターの拡大によるものであり、もはやGDPの4分の1を水力発電に依存する。
 水力による発電量は、既にブータンの国内需要を大きく上回り、旺盛な需要を持つ隣国インドへと輸出される。むしろその役割を果たすべく、開発された宿命にある。両国には経済規模にして千倍もの格差があり、ブータンでの水力開発はそのほとんどがインド政府による資金支援と貸付によりファイナンスされている。電力輸出はブータンにおける貴重な外貨獲得機会となり、政府収入の半分にまで近づいている。
 水力開発のポテンシャルは3000万kWとも見積もられており、現在の開発量は、まだその5%にすぎない。インドと中国という二つの大国に囲まれたヒマラヤ山脈の東端に、グリーン成長による理想郷が誕生するのだろうか。

現地での生産性統計の構築

 15年夏、国連経済社会局の要請によりブータンを訪れた。目的は、水力発電を中心とした一国の経済効率性の評価である。既に国際NGOなどから水力の大規模開発による環境破壊が問題視されており、政府は水力発電が牽引(けんいん)する経済成長モデルの価値を示そうとしたのだろう。経済効率性の評価には、生産性統計の構築が必要である。統計は政府によって整備されているが、求められる情報量にはほど遠い。1週間の滞在期間で資料の有無を確認し、さまざまなデータから一国経済を描写していく挑戦が始まった。
 単身乗り込んだ私は、齢(よわい)が近い政府官僚一人と数日を共にした。まずは統計資料の所在を確認するため統計局へ向かう。議論を始める直前、美しい民族衣装に身を包んだ彼は次に何を知りたいかと聞く。私が就業データを調べたいと言えば、その場ですぐさま携帯で労働省へ連絡し2時間後のアポを取る。彼のマイカーで一緒に移動し、到着後その次は何だ、ということで、通関データを見たいと言えば、また次のアポを取る。どうも皆が顔見知りのようであり、多くが豪州などへの留学経験を持つ。縦割り行政とは無縁の優秀な官僚たちが小さな王国を支えている。
 水力開発によって牽引される経済成長は負の側面も持っている。それは国内雇用を誘発しない。発電所の建設需要は巨大だが、その雇用者はインドからの出稼ぎ労働者である。インドに比べて賃金水準が2倍ほど高く、教育水準も相対的に高いブータン人はそうした労働に従事しようとはしない。若年層の就業機会は横ばいのままだ。
 水力による成長モデルは、年率4%を超える高い労働生産性の改善を誇るものの、それは一面的な評価である。生産に必要な全ての投入要素を考慮した総合評価では、驚くことに生産性の改善はほぼゼロである。労働生産性の改善は、不釣り合いなほどの資本ストックの拡大により嵩(かさ)上げされてきた。一般に、開発の容易なものから建設されるとすれば、新規の発電所の建設コストは増加する傾向となろう。他方、インドの経済成長に伴い賃金率も上昇し、環境対策のためのコストも増加している。現在建設中の100万kW級の複数の発電所では、コスト見積もりは既に数度改定され、軒並み2~3倍へと膨らんでいる。
 推計された資本ストックのGDP比は既に4.4倍となり、類似的な成長段階にある国のおよそ2倍である。それは同量の生産のために2倍の資本を必要としていること、つまり資本が非効率に利用されていることを意味している。より魅力的な投資機会があろうとも、既に収益率が低下している水力開発へと傾斜してきた帰結である。
 好調な経済成長率は、こうした資源配分の非効率性のもたらすリスクを覆い隠している。ブータン通貨はインドルピーとペッグされている。製造業を拡大させているインドにおける総合的な生産性の成長率は年率2~3%となり、両国における生産性格差の拡大はペッグ制の持続を困難なものとしている。自然環境の変化も大きなリスクである。将来ヒマラヤからの流水量が減少したり、洪水によって発電所が被災する状況となれば、こうした成長モデルは一気に崩壊し、債務不履行は回避できないだろう。
 本年9月15日の予備選挙では、与党は敗北し、政権交代が決まった。インドへの極めて高い依存、水力発電への傾斜から生じる諸問題、そして潜む大きなリスク、それはブータンに南北を挟む二つの大国間とのリバランスを求めるものとなろう。インドが注視する中、本選は10月18日に行われる。