長期低排出発展戦略の争点(その2)


印刷用ページ

※ 長期低排出発展戦略の争点(その1)

4 地球温暖化対策と経済成長の両立

(1)ビジョンと報告書の比較

 地球温暖化対策計画では、地球温暖化対策と経済成長を両立させながら、長期的目標として2050年までに80%の温室効果ガスの排出削減を目指すとしていることから、地球温暖化対策と経済成長の関係が問題になる。単に両者が矛盾しないことで両立が確保されるに留まらず、互いにシナジーを生じて「同時解決」できれば理想的である。
 環境省ビジョンでは、地球温暖化対策が省エネなどの投資を促し、低炭素型の財・サービスの新市場が形成されるとし、これを「約束された市場」と呼ぶ。このことで高付加価値な知識集約型産業のウェイトが拡大するなど「量から質への転換」に向けて経済社会構造のイノベーションがもたらされる。こうした地球温暖化対策を通じて排出削減と経済成長を「同時解決」する考え方が重要だとして注15)、長期大幅削減が実現した我が国の社会の「絵姿」を子細に描く注16)
 これに対し経産省報告書では、地球温暖化対策が省エネ投資を促したとしても他の市場をクラウドアウトする可能性があり、ただちに経済成長にはつながらないとする。また、温室効果ガスの排出の多い産業自体の排出量を削減するイノベーションがなければ、我が国だけこのような産業から撤退しても世界全体の排出には影響を与えないとする注17)。製品ライフサイクルやバリューチェーンでの削減を目指す企業の取組みの紹介はする注18)が、将来の我が国の社会全体の「絵姿」を示すことまではしない。

(2)「同時解決」は経済学的根拠を欠くが・・・

 環境省が成長戦略の観点から将来の我が国経済社会を論じ、経産省が地球温暖化対策の観点からはこれに意味がないと否定するとは、まるで立場が入れ替わったかのようである。なぜこうなるのか。
 経済学的には投資は貯蓄に事後的に一致するから、ある分野の投資が増えたとしても、貯蓄が不変なら金利が上昇するなどして他の投資の取り分が減るだけである。最終的に経済が成長するかは、誘発された所得増と所得減の差引きで、乗数効果的にどちらが大きいかによる。一般に消費性向が高い方が短期的には景気刺激効果はあるが、長期投資は損なわれる。地球温暖化対策で「約束された市場」が生まれても、このことで経済が成長するか縮小するか、アプリオリには言えない。
 また「量から質への転換」は、世界全体の排出削減を目指すという地球温暖化対策の文脈ではあまり関係がない。なぜなら、いかに知識集約的な産業のウェイトが高まっても、これらはオフィスの照明、空調やサーバに電気を使っているだけで、元々直接排出がないからである。それどころか、直接排出の多い鉄鋼、化学といった重厚長大な素材産業が海外移転すれば生産が非効率化し、世界全体の排出は増えるかも知れない。素材産業の排出原単位を極小まで減らす新たな生産プロセスか、これらに代わる新たな素材の発明があって、これが世界を席巻していく必要がある。
 環境省ビジョンの取りまとめには我が国で著名な経済学者も参画しているので、基本的知識を欠くとは考えにくい。地球温暖化対策と経済成長の「同時解決」の考え方は、経済学的議論というよりは願望を述べたものと理解すべきではないか。願望に過ぎないのであれば、あえて反論するまでもないようにも思われる注19)

(3)ネット排出ゼロの絵姿

 試みに、ネットでの排出ゼロを目指す地球温暖化対策の経済成長に対する影響を考えてみよう。我が国のエネルギー起源CO2の排出を部門別に見たものが【図1】である。

図1
【図1】我が国の部門別CO2排出量割合
[拡大画像表示]

 我が国の最大の排出部門は、合計40%を占める電力等のエネルギー転換部門である。同部門からの直接排出を極限まで減らすには、火力発電を再エネや原子力といった非化石電源に置き換えることになる注20)。経済への影響は、短期的には需要が海外に漏出してマイナスになるが、長期的には化石燃料の輸入が減るのでプラスに転じるだろう。
 次に直接排出が多いのは産業部門(27%)であるが、その9割は鉄鋼、化学、セメント、紙パルプといった、生産過程で不可避的にCO2を排出してしまう4産業である。これらの直接排出をゼロにするには、CO2を発生させない新たな生産プロセスか、これらに代わる新たな素材の発明が必要である。成功すれば新たな市場が生まれて排出量も減るが、今のところ見通せない。当面、軽量化、リサイクルや植林など、生産過程のみならずライフサイクルで見たネット排出を極小化することしか方法はなさそうである。
 運輸部門からの直接排出(16%)をゼロにするには、EVやFCVあるいはバイオマス燃料に置き換えることが考えられる。これにより充電インフラや蓄電池の需要が増えるだろうが、代わりにガソリンスタンドが廃業し、エンジンに関連する自動車部品への需要がなくなる。電動化により部品点数が大幅に減るので、特に中小企業にとってマイナスに働く可能性が高いと言われている。
 家庭部門及び業務その他部門からの直接排出(11%)をゼロにするには、徹底的な電化を進めることである。経済への影響は、コンロやヒーターをIHやエアコンに置き換える点では中立的である。需要の全般的な電化により、天然ガス輸入基地や導管等のインフラに損失が生じるが、代わりに水素等の新たなガス体エネルギーが供給されることになれば中立的である。

(4)結局はカーボンプライシングが争点

 このように、ネット排出ゼロを目指していく社会では、エネルギー転換部門の地球温暖化対策の経済成長への影響は、長期的にはプラスだろう。運輸部門の対策の影響は中小企業にマイナスだろう。家庭、業務その他部門の対策の影響は中立的である。産業部門の対策は、イノベーションが起きた場合には経済成長に対しプラスに働く可能性があるが、これは不確実である。
 省エネは、エネルギー転換部門の非化石化が完了した場合には電源からCO2は排出されないから、地球温暖化対策としての意義は後退する。しかし、省エネには生産性向上効果があるので、たとえCO2の排出削減と無関係でも費用対効果の見合う範囲ではプラスだろう。
 このことから地球温暖化対策は、「約束された市場」への投資が増加して、産業構造に「量から質への転換」が生じるからというよりも、化石燃料の輸入の減少を通じて所得流出が抑えられ、省エネを通じて生産性も向上するので、経済成長にプラスに働くと言うべきなのである。
 この結論は、カーボンプライシングを通じてすべての経済主体に働きかけ、経済社会構造の転換を促すべきとする環境省ビジョンと一致しない。例えばエネルギー需給高度化法の非化石電源比率の規制水準を徐々に高め、企業の手元資金を増やして投資を促進すれば足りることになる。そうするとこの争点は、実はカーボンプライシングの位置づけをめぐる路線対立を反映したものだったのである。

注15)
環境省ビジョン31ページ以下第4章。
注16)
環境省ビジョン45ページから55ページ。
注17)
経産省報告書10~11ページ。
注18)
経産省報告書27ページ。
注19)
環境省ビジョンの「同時解決」の考え方に対する経産省報告書の反論は、第3回会合の事務局案では「補論」の扱いだったが、本文にすべきとの委員からの意見を受けて、最終版では簡略化された上で移されたようである。
注20)
二酸化炭素回収・貯留(CCS)は火力発電所からパイプライン輸送可能な近傍に貯留適地を見出す必要があるが、火力発電所は大都市圏や瀬戸内海に立地が集中していることから困難性が高い。