長期低排出発展戦略の争点(その1)

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1 はじめに

(1)議論の経緯

 パリ協定では、締約国は「長期的な温室効果ガスの低排出型の発展のための戦略」を策定するよう努めることとされている。この長期低排出発展戦略は今世紀中頃のもので、これを2020年までに提出することが招請されている。昨年の伊勢志摩サミット首脳宣言において、G7諸国は2020年の期限に十分先立って提出することにコミットしている。
 そこで環境省は、中央環境審議会地球環境部会に「長期低炭素ビジョン小委員会」を設置し、14回の議論を経て、今年3月に「長期低炭素ビジョン」を取りまとめた。パブリックコメント等の民間意見募集は行わなかった。
 同ビジョンでは、パリ協定に基づき「カーボンバジェット」を効率よく使いながら脱炭素化社会を構築するに当たり、長期にわたる継続的投資が行われる「約束された市場」が創出され、これが我が国の成長にもつながることで、気候変動対策をきっかけとした経済・社会的諸課題の「同時解決」が実現するという。我が国には人口減少や高齢化といった課題があるが、これは「量から質への転換」で克服することが求められるとする注1)
 一方、経済産業省は「長期地球温暖化対策プラットフォーム」を開催し、「国内投資促進タスクフォース」8回及び「海外展開戦略タスクフォース」6回の議論と民間からの意見・情報募集(Call for Evidence)を経て、今年4月に報告書を取りまとめた。
 同報告書では、我が国の長期低排出発展戦略は、国内、業種内、既存技術内に閉じた発想にとらわれず、「国際貢献」「産業・企業のグローバル・バリューチェーン」及び「イノベーション」にまで視野を広げる「3本の矢」により、国、産業・企業といったすべての主体が自らの排出を上回る削減(カーボンニュートラル)を目指して行動を起こし、これを競うゲームチェンジを仕掛けることで、パリ協定の排出・吸収バランスに向けた本質的な貢献をしていくべきとする注2)

(2)何が争点になっているのか

 我が国は地球温暖化対策計画で、「パリ協定を踏まえ、全ての主要国が参加する公平かつ実効性ある国際枠組みの下、主要排出国がその能力に応じた排出削減に取り組むよう国際社会を主導し、地球温暖化対策と経済成長を両立させながら、長期的目標として2050年までに80%の温室効果ガスの排出削減を目指す」注3)としている。
 そこで環境省ビジョンでは、2050年80%削減が実現した社会や産業の絵姿を描き、これを達成するために、特に炭素税、排出量取引等のカーボンプライシング施策について、いつまでも導入の是非をめぐる議論に終始するのではなく、導入した場合の制度のあり方を具体的に検討すべきだとする注4)
 一方で経産省報告書では将来の絵姿を何ら示さない。代わりに国際貢献、グローバル・バリューチェーン及びイノベーションの三つの戦略分野毎に削減ポテンシャルを示す。排出量取引や炭素税といったカーボンプライシング施策については、「追加的に行うことが必要な状況にはない」注5)とする。
 このように環境省ビジョンと経産省報告書では記述がまったく異なるが、これは地球温暖化対策の進め方についての基本的な考え方の違いを反映したものである。本稿ではこれが何かを解説する。
 ここで取り上げる争点は【表1】のとおりである。イノベーションのように両省とも共通する部分については説明しないが、それが重要でないことを意味しない。

表1
【表1】長期低排出発展戦略の争点
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2 国際貢献か国内削減か

(1)ビジョンと報告書の比較

 国際貢献は、経産省報告書における長期戦略の「三本の矢」の一つである。環境省ビジョンでは「世界の潮流」を受け身に捉えており、外への働きかけは重視しない。
 これまで国際貢献は、開発途上国の排出削減プロジェクトを先進国が支援するCDM注6)等の京都メカニズムやその後継の二国間クレジット(JCM注7))によるものが中心であった。かつての京都メカニズムは、国際貢献のための仕組みであると同時に、クレジットを取得すれば国内排出量から同量を相殺(オフセット)できるから、各国の削減目標達成義務を履行するための仕組みでもあった。
 経産省報告書は、CDMやJCMのようなクレジットの取得自体を国際貢献の目的としない。そうではなく、円借款のようなクレジット対象外のプロジェクトもその削減量を「見える化」し、国際貢献量そのものを競うゲームを仕掛けるべきだとする。
 一方でパリ協定はプレッジ・アンド・レビュー方式を採り、中期目標の策定とその達成は各国の任意であり、クレジットを購入して国内排出量をオフセットしてまで目標を達成すべき義務はなくなった。そうだとすると国際貢献には特にメリットがなく、かえって国内対策の努力が殺がれるから、むしろ手を引いて国内に専念すべきとも考えられる。
 しかし経産省報告書では、国際貢献に先立って、まずは国内対策の実施を大前提とすべきとの考え方を「本末転倒」だと強く批判する。我が国の温室効果ガス排出量は世界の2.7%に過ぎない。地球温暖化問題の本質的な解決には世界全体の削減が必要であり、我が国の有限なリソースを戦略的に活用して、国際貢献と国内削減を両立させることが重要だとする注8)
 これに対し環境省ビジョンでは、世界全体に占める排出量の割合に応じて国内排出削減への取り組みの強度を変えるのであれば、日本よりも排出量の少ない国々の排出量を積み上げると世界の4割にのぼるから、パリ協定の目標を達成できなくなってしまう注9)。気候変動対策は「科学に基づき必要とされる取組」注10)である。我が国は世界に率先してこれに取り組まなければならない責任ある立場なので、国内削減を大前提とすべきだとする。

注1)
環境省ビジョン6ページ。
注2)
経産省報告書5ページ。
注3)
地球温暖化対策計画(平成28年5月13日閣議決定)
注4)
環境省ビジョン70ページ。
注5)
経産省報告書62ページ。
注6)
Clean Development Mechanismの略。開発途上国で行われる排出削減プロジェクトの実施を先進国が資金的、技術的に支援し、国連が認証した排出削減量を証書(クレジット)にする。先進国はこれを購入し、登録簿上、償却することで自国の排出量から相殺(オフセット)できる。
注7)
Joint Crediting Mechanismの略。日本と開発途上国の二国間で協定を結び、排出削減プロジェクトを実施する。プロジェクト認証等は二国間の委員会で行い、国連を通さないことで迅速化や柔軟化を図るとする。
注8)
経産省報告書24ページ。
注9)
環境省ビジョン41ページ。事務局原案にあった「国内対策が大前提」との文言は一部委員からの批判を受けて削除されたが、修正後の39ページの(2)見出し「国内対策に加え世界全体の排出削減への貢献する日本」との書きぶりは、基本的考え方が依然変わっていないことを示す。
注10)
環境省ビジョン20ページ注22。