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最終話「IAEA事務局長」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使


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 天野事務局長がとりわけ力を入れてきたのが、原子力の平和的利用である。1957年の発足当時、50数カ国だった加盟国は、168カ国(2016年2月現在)に増えた。その大半は途上国であり、様々な開発分野での原子力技術へのアクセスのためIAEAに技術支援を求めている。アイゼンハワー大統領の演説以来、「平和のための原子力(Atoms for Peace)」は長年にわたり、IAEAの標語であった。途上国支援の側面を強調するため、天野事務局長は新たな標語として「平和と開発のための原子力(Atoms for Peace and Development)」を提唱し、がん治療や感染症対策、防災支援などで具体的イニシアティブを打ち出してきている。中核的なプロジェクトが、長年IAEAの原子力技術応用の拠点であったサイバースドルフ研究所の改修計画(ReNuAL: Renovation of the Nuclear Applications Laboratories)である。老朽化が進む同研究所の改修のため、関連機材の更新の他、2つの建物を建設中であり、2018年に完成予定である。

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写真左:2016年1月にニカラグアの国立放射線医療センターを訪れた天野事務局長(出典:IAEA)
写真右:サイバースドルフ研究所改修計画を示す天野事務局長(出典:IAEA)

「夢の都」ウィーンと原子力外交

 「ウィーン、わが夢の街(“Wien, du Stadt meiner Träume”)」という歌がある。古き良き美しいウィーンを唄った曲として広く知られており、ノスタルジックなメロディーに聞き覚えがある方も多いであろう。ルドルフ・ズィーツィンスキー(Rudolf Sieczynski)による1912年頃の作である。

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ベルヴェデーレ宮殿から臨むウィーン旧市街(筆者撮影)

 もっとも、この曲が出来た後のウィーンは、第一次大戦の敗戦、ファシズムの席巻、第二次大戦での敗戦、10年に及ぶ占領という、夢とは程遠い苦難の道を歩むこととなる。映画「第3の男」に出てくる、街中にあふれる瓦礫の山は、ウィーンの歴史が光と影の両面を併せ持つことを思い起こさせる。
 光と影の二面性は、本連載で触れてきた、原子力の歴史とも重なる。広島と長崎の戦争被爆から始まった原子力の歴史は、その後のチェルノブイリや福島での原発事故、北朝鮮の核問題などと合わせ、影の面を抜きに語ることはできない。その一方で、エネルギーや保健・医療、食料・農業など民生面で原子力技術がもたらす光の面に、多くの国、人々が期待を寄せ、その恩恵を切望してきたのも事実である。

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IAEA本部のあるウィーン国際センター(出典:IAEA)

 原子力外交は、この原子力が持つ二面性に向き合い、「影」を抑え、「光」を広める営みである。原子力外交に夢があるとすれば、それは「核兵器のない世界」、「平和と開発のための原子力」の実現ということになろう。
 ウィーンが原子力外交の都となってから60年が経った。夢の実現にどこまで近づけるかは、原子力外交に関わる我々自身の取り組みにかかっている。

(※本文中意見に係る部分は執筆者の個人的見解である。)

【参考資料】

IAEA理事会における事務局長再任決定後の理事会議長ステートメント
https://www.iaea.org/newscenter/pressreleases/statement-by-chairman-of-iaea-board-of-governors-on-re-appointment-of-director-general
再任決定後の天野事務局長記者会見
https://www.iaea.org/newscenter/multimedia/videos/iaea-board-of-governors-reappoints-director-general
“History of the International Atomic Energy Agency: the First Forty Years”(David Fischer)
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub1032_web.pdf
IAEAウェブサイト(the Sixtieth Anniversary of the IAEA)
https://www.iaea.org/about/policy/gc/gc60/anniversary

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