最終話「IAEA事務局長」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使


皇帝(カイザー)の都、ウィーン

 ウィーンは長きにわたり、皇帝(カイザー “Kaiser”)の都であった。
 神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国と名を変えながらも、数百年にわたり、歴代皇帝を輩出したハプスブルク家のおひざ元として繁栄してきた。
 今から約100年前、1918年の第一次世界大戦の敗戦とともにハプスブルク帝国は終焉を迎えたが、その遺産は街のあちこちに残る。昨年は実質的な最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の没後100周年、今年は「女帝」マリア・テレジア生誕300周年にあたり、ウィーンは今でも皇帝の都としての面影を色濃く残している。

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写真上:ウィーン旧市街の王宮
写真下:王宮内博物館に所蔵される神聖ローマ皇帝(左)とオーストリア皇帝(右)の帝冠
(筆者撮影)

 現代のウィーンにはもちろん、本来の意味でのカイザーはもはやいない。
 しかしながら、原子力外交の都ウィーンには、この世界における「カイザー」とも呼ぶべき人物がいる。国際原子力機関(IAEA)事務局のトップ、IAEA事務局長である。
 3月6日の週に開かれたIAEA理事会では、本年12月からの次の4年の任期の事務局長を選出するため「事務局長の任命(Appointment of Director General)」が議題となった。昨年10月に始まった立候補受付は既に昨年末に締め切られており、現職の天野之弥事務局長以外に候補者は現れなかった。このため理事会は3月8日、全会一致で天野事務局長の再任を決定した。9月のIAEA総会での承認を経る必要があるものの、この理事会決定は天野事務局長の三選をほぼ確定的にするものである。天野事務局長はIAEA設立60周年を締めくくり、次の10年を切り開く最初の事務局長となる。再任決定直後の記者会見で天野事務局長は、IAEAが過去60年にわたり世界の繁栄と安全に多大な貢献をしてきたとしつつ、IAEAの果たす役割は世界の多くの人々の生活にとって極めて重要であり、様々な課題はあるものの、前向きの精神(positive spirit)で取り組んでいくとの決意を述べた。

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写真左:理事会で再任が決定された後、理事会議長に伴われて会議場に入る天野事務局長。(出典:IAEA)
写真右:再任決定後の理事会で最初の挨拶を行う天野事務局長。(出典:IAEA)

 最終話となる今回は、このIAEA事務局長に焦点を当てつつ、過去60年のIAEAの歴史を振り返ることとしたい。

原子力外交の「皇帝(カイザー)」:IAEA事務局長

 あらゆる国際機関は、加盟する主権国家の合意によって設立、運営され、意思決定の主体はあくまで加盟国である。国際機関の事務局はそれを補佐する存在にすぎない。この点はIAEAも例外ではなく、IAEA憲章では、総会(General Conference)、理事会(Board of Governors)がIAEAの意思決定機関として規定されており、事務局長はそれを補佐する事務局(Secretariat) の長との位置付けである。
 もっとも、国際機関事務局の長は、その分野における自らの長年の経験と、専門知識を持つ多数の有能なスタッフに支えられた組織力を背景として、また主要国の利害、思惑の微妙なバランスの上に立ちながら、時として国際社会で重要な影響力を行使し得る。国連事務総長がその最たる例であるが、IAEA事務局長もまた、核・原子力を巡る諸問題において重要な役割を果たしてきた。
 その背景の一つには、IAEAが有する各国原子力施設への査察という強力な権限がある。過去に核開発が問題となったイラク、イラン、北朝鮮について、いずれもIAEAによる査察で軍事転用の懸念が指摘され、それが国連安保理に報告されて、これらの国々に対する国際的な制裁につながった。もとより、IAEA自身が制裁を決定、実施するわけではなく、それは国連安保理や各国が行うものである。しかしながら、各国の原子力関連活動を監視・検証(monitor and verify)し、報告(report)するIAEAの活動は、国際社会による制裁のトリガー(引き金)となる点で、各国に対して強いインパクトを持つ。このため、「核の番人」のトップであるIAEA事務局長は、他の国際機関の長にはない影響力を行使し得る立場にあると言える。
 また、チェルノブイリ原発事故や福島第一原発事故などを契機に原子力安全に対する国際社会の懸念が高まった際にも、IAEA事務局長のイニシアティブは、事故後における関係国への支援や、国際的なルールメイキングにおいて重要な役割を果たしてきた。

(「選帝侯」:IAEA理事国)
 上述のIAEA事務局長の役割は、もちろん無制限ではなく、IAEAの意思決定機関(総会/理事会)が与えるマンデートの下で行われる。
 とりわけ、IAEAの場合は、他の国際機関と比べて、理事会が非常に強い権限を持っている。その権限の一つがIAEA事務局長の任命(appointment)であり、総会は理事会決定を承認(approve)するいわば受け身の位置付けである(憲章第7条A)。また、事務局長は理事会の権威と統制に服し、理事会が採択する規則に従って任務を遂行することとされている(憲章第7条B)。
 IAEA事務局長が原子力外交における「カイザー」だとすれば、理事国はさしずめ「選帝侯」とも呼ぶべき存在といえよう。
 IAEA理事国は35カ国で構成され、現在の会期(2016年10月~2017年9月)の理事国は下記の表の通りである。この中でも、理事会に常に議席を維持する13カ国(日、米、加、英、仏、独、露、中、豪、印、南アフリカ、ブラジル、アルゼンチン)が事実上の常任理事国として、IAEAの運営に強い影響力を有している。

図

 35カ国の理事国は、IAEA独自のユニークな方式で選出される。このうち13カ国が「理事会指定理事国」(毎年9月の理事会で次の会期の理事国を指定)、22カ国が「総会選出理事国」(毎年9月のIAEA総会で選出)である。

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