温暖化交渉の本質は経済戦争だ


国際環境経済研究所前所長

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(産経新聞「正論」からの転載:2015年7月21日付)

 今年末にパリで開かれる国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)に向けて、主要国の温暖化対策に関する「約束草案」が出そろった。これから交渉は本格化するが、その本質と実態が「武器なき経済戦争」であることは意外に知られていない。

《石炭火力規制が不透明な米国》

 削減目標が大きいほど経済は成長する「神話」があるが、それならばどの国も争って野心的な目標を提出するはずだ。が、実態は逆。経済的コストが嵩む温暖化対策は経済成長の足かせとなる。そのため、各国ともできるだけ他国に押し付けようと考える。しかし、交渉の場では、そんな本音はおくびにも出さず、各国とも温暖化対策の野心レベルの高さを世間に印象付ける戦略を工夫する。数値目標や対策の見せ方に工夫を凝らして、他国からの攻撃の刃をかわしながら、切っ先を向けるスケープゴートの国を探すわけだ。

 自国が被る経済的・政治的コストを最小化すること、それが各国交渉団のスコアカードとなる。

 その意味で、最も危うい状況にあるのは米国だ。これまで、目ぼしい業績を挙げてこられなかったオバマ大統領は、自らの歴史的成果として、この気候変動交渉に狙いをつけている。そのための国内対策の柱は石炭火力発電規制だ。しかし、石炭火力の水銀などの環境規制に対する訴訟で、米国連邦最高裁は「規制の是非を決める前に対策費用の大きさを考慮すべきだった」として下級審に差し戻した。CO2規制についても訴訟が続発することは確実で、米国内での温暖化対策が確実に実施されるかどうかは不透明になっている。

 さらに、パリでの合意に現在の米国政府が参加したとしても、将来、共和党に政権交代した場合、合意から脱退する可能性は排除できない。合意が途上国との義務のバランスが欠けているとみなされ、米国の国益が侵害されると懸念される場合には、「ちゃぶ台返し」がありうるのだ。かつて、ブッシュ政権が京都議定書から離脱したことを覚えている人は多い。

《削減目標を過大に見せるEU》

 欧州連合(EU)はどうか。気候変動交渉は自らがリードしてきたという自負があり、政治的象徴性を持つ。しかし、コペンハーゲンでのCOP15の際に、議事運営の失敗から、ポスト京都議定書の枠組みについての歴史的な合意が得られる偉業を逃す痛恨のミスをした。その後遺症は今でも続く。それもあって、今回のパリでの交渉には力が入っている。

 ただ自らの目標となると、(1990年代に生じた英独でのエネルギー転換などの特殊事情のゆえに)削減目標が最も大きく見える90年対比での表現に固執したままだ。途上国も削減に参加する今回の新たな合意に向けて、他国と比較可能なように基準年はリセットすべきなのである。そのうえ、これまでと違って森林による吸収分も削減目標に含めるなど、ふくらし粉を混ぜている。

 独はこれから脱原発に向かう。しかし太陽光や風力のような不安定電源が増えれば、その調整電源として化石燃料火力は必須だ。ところが、天然ガスはロシア依存増大が懸念されるため、石炭から脱却することは難しい。CO2はそう簡単には減らない。他のEU各国も似た事情があり、目標が達成されるとすれば欧州経済が長期低迷に陥る場合だ。

《達成度の検証が困難な中国》

 中国や韓国も6月末にようやく温室効果ガス削減の約束を示した。中国は(1)2030年頃にCO2排出のピークを達成(2)30年までに05年比で国内総生産(GDP)当たりのCO2排出を60~65%削減などの目標を掲げた。しかし、ピーク時の排出総量は明確にされていないうえ、30年以前でもピーク達成は可能という分析もある。GDP原単位についても、30年の到達点が現状のG20諸国の標準レベルにようやく手が届く程度。仰々しく発表されたわりには、大して野心的ではない。そのうえ、データ整備が遅れており、達成度の客観的検証が困難という致命的な欠点がある。

 韓国は、そもそも経済協力開発機構(OECD)加盟国であるのに先進国が期待される総量削減目標ではないこと、1人当たりで既に日本よりも多くの温室効果ガスを排出していることなどを踏まえると、胸が張れるものではない。

 多くの日本人が誤解しているが、今回のパリ合意では、数値目標の美人コンテストが行われるわけではない。先進国も途上国も、自主的に温暖化対策目標を掲げ、それを真面目に実施して成果を積み上げるための仕組みづくりが新しい合意の本質だ。

 対策実施状況を互いに監視し合い、経済的・政治的負担を伴う政策努力の各国間均衡を実現し相互信頼につなげる。このプロセスの設計こそがパリでの合意の基礎になる。削減努力を行うにも各国間の公平感が必要だからだ。日本も「一国だけ前のめり」になる愚を犯さず、主要各国の政策実行可能性を十分見極めて、交渉に臨むべきである。