水素社会を拓くエネルギー・キャリア(5)
「水素社会」の実現のために必要なこと
塩沢 文朗
国際環境経済研究所主席研究員、元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター
前回、エネルギー・キャリアの開発、利用が重要である理由、エネルギー・キャリアとして用いられる物質が備えるべき要件などについて記した。加えてエネルギー・キャリアの開発、利用を進める際には、「水素社会」とは何かということについて、振り返って考えてみる必要があると書いた。今回は、そのことから始めたい。そうすることによって、エネルギー・キャリアの開発、利用にあたって留意すべき視点を明確にすることができるからである。
私たちの「水素社会」への期待、そして私たちが「水素社会」に見出している大きな価値は、「水素社会」の構築により、日本が直面しているエネルギー、環境制約を克服することが可能になるということだろう。これをもう少しブレークダウンしてみると「水素社会」の価値は、以下のようなことが実現することにあると考えられる:
- (1)
- 再生可能エネルギーの利用の拡大 (エネルギー多様化、選択肢の拡大)につながること、
- (2)
- CO2排出量の大幅な削減 (環境負荷の低減)ができること、そして
- (3)
- エネルギーを身近に、いつでも利用可能な形で、必要量を貯めておけるようになる(エネルギー社会システムのレジリエンスが向上する)こと。
それでは、最近、進みつつある「水素社会の構築に向けた取り組み」は、これらの価値の実現にどれほどの意味をもっているのだろうか。まずは、燃料電池に関連する動きから見てみよう。
日本では、家庭用燃料電池コジェネレーション・システム(エネファーム)が2009年の販売開始から2014年9月までに累計で10.5万台が販売され、普及しつつある。今年度は4月から9月の半期だけで2.1万台が販売され、年間の販売台数は4万台を超える勢いだ。今後についても、政府が「日本再興戦略」(2013年6月閣議決定)で、2030年に530万台のエネファームを普及させるとの目標を掲げ、政策面でも補助金の交付などにより普及を推進している。
また、燃料電池自動車(FCV:Fuel Cell Vehicle)も、世界の先陣を切って2014年度中にトヨタから発売される予定だ。ホンダも2015年度内の発売を計画している。FCVの普及目標については、FCVに関係する民間企業から成る燃料電池実用化推進協議会が、一時期、2025年に200万台程度のFCVを普及するとの目標を掲げていたが、先ごろまとめられた「水素・燃料電池戦略ロードマップ」(2014年6月、水素・燃料電池戦略協議会)ではその目標は明記されなかった。ハイブリッド車(HEV)の国内保有台数が200万台を超えたのは、トヨタが1997年にプリウスの販売を開始してから14年目の2011年度だから、水素ステーションの整備が必要というインフラ面での困難を抱えるFCVの普及がそれよりも早く進み、販売開始から11年でその国内保有台数が200万台に達するというこの目標は、少し高すぎると考えられたのかもしれない。それでもFCVの普及を推進する民間企業の動きを後押しするために、政府はFCVの購入や、水素ステーションの整備に対する補助金の交付など、強力な支援を行う方針である。
このように日本では燃料電池の普及が進み始めており、燃料電池の利用では日本は世界の最先端を行っている。これらの目標を実現することは、水素エネルギー利用の道を開くという点では重要なのだが、しかし、「水素社会」の実現との関係では、その端緒を開くに過ぎないものだ。このことは別稿注1)でも指摘したが、最近になって新たに利用可能となった情報もあるのでそれをもとに、再度整理しておこう。
エネファームの特長は、発電効率の高い燃料電池で発電し、同時に発生する熱を給湯用に利用することから、燃料のもつエネルギーを高効率で利用できることにある。このエネファームの普及の効果については、エネファームが政府の目標通り530万台、つまり日本の全世帯の約1割に普及したあかつきには、家庭部門のエネルギー消費量を約3%、CO2排出量を約700万ドン削減する効果があると見込まれている注2)。日本のエネルギー消費量全体に占める家庭部門のエネルギー消費量の割合は約14%、日本のCO2排出量は約12.8億トンなので、これを日本全体に対する削減効果でみると、それぞれ約0.4%、約0.5%といったレベルの削減効果となる。
エネファームが全世帯の約1割に普及しても、削減効果が家庭部門で3%~4%のレベルにとどまるのは、エネファームが都市ガス(またはLPガス)を燃料としていることが関係している注3)。都市ガス、LPガスに代わり、水素をパイプラインなどによってエネファームに直接供給することも考えられるが、水素の輸送、保管に係る安全確保の観点から、水素供給源に近接した一部の地域を除き、市街地に水素パイプラインを通して一般家庭のエネファームに水素を直接供給することは困難と考えられている。
それではFCVはどうか。FCVについては「水素・燃料電池戦略ロードマップ」で次のような分析が示されている。
この390万トン、760万トンのCO2排出量の削減は、日本全体のCO2排出量のそれぞれ約0.3%、0.6%に当たる。仮にFCVの普及台数が、一時期、2025年の普及目標として掲げられていた200万台であればこの数字は1/3に減じ、それぞれ約0.1%、約0.2%となる。なお、日本の化石エネルギー消費量に及ぼす影響は、輸送部門のうちの旅客部門が消費している化石エネルギー量は日本全体の約1割なので、FCVが600万台普及した場合のインパクトは最大で1%程度の削減注4)ということになる。(200万台の普及の場合には、最大で0.3%程度の削減。)
- 注1)
- 「水素社会の構築に向けて持つべきスケール感」 国際環境経済研究所コラム(2013年11月25日)
- 注2)
- 「水素・燃料電池戦略ロードマップ」 2014年6月
- 注3)
- エネファームは、燃料の都市ガス(またはLPガス)から、内蔵している改質器で水素を取り出して燃料電池の燃料としている。その際、エネファームからはCO2が排出される。
- 注4)
- ここで「最大で」と記したのは、FCVの燃料となる水素を製造するためにナフサや都市ガスから水素を製造する場合はもちろん、太陽光アルカリ電解により製造する場合であっても製造に用いられる電力が火力発電によるものである場合には水素製造量の増加に伴い化石エネルギーの消費量は増えるので、日本の化石エネルギー消費量はこれほど減ることにはならないため。