昆布と鉄鋼スラグ

-9年目を迎えた藻場造成への取り組み-


新日鐵住金株式会社 技術開発企画部 主幹(部長代理)

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 平成25年7月6日の北海道新聞によれば「本年度の道内昆布生産量は1.6万トンで、前年度に比べ14%減の見通しとなったことが道漁連の調査で判明した」と報道された。にもかかわらず、北海道の日本海側、石狩と留萌の間に位置する増毛町の舎熊海岸はこの6月、写真1のように浜一面・沖合50m程度まで豊かに昆布が繁茂している。この海岸にはかつての昆布場を造成するための地元増毛漁業協同組合などによる発酵魚粉を始めとした施肥の取り組みの一環として、平成16年の秋に鉄鋼副産物を用いた「鉄分供給ユニット」が埋設されている。

写真1 北海道増毛町舎熊海岸(平成25年6月著者撮影)

藻場の衰退現象

 この増毛町を含む北海道の日本海側は、昭和の初めから「ニシン漁」で栄えていたが、昭和40年以降、「磯焼け」とも称される有用な藻場が衰退する現象が進展、これに伴ってニシンの漁獲高も減少したと言われる。この磯焼けは北海道のみならず日本各地の沿岸域で確認され、有用海藻のみならず漁獲高の減少などが深刻化しており、この原因としては温暖化による海水温の上昇や人間活動による海況の変化、ウニやアイゴなど食植性動物による食害が指摘され、漁業関係者の間で種々の対策が講じられてきた注1)。更に最近では、貧栄養海域に対して窒素やリン酸といった栄養塩不足を補う施肥技術も有効な手段の一つとして注目され始めている。

鉄分供給ユニットの誕生に至るまで

 一方、陸上の植物と同様、鉄分(正確には釘のような固体ではなく溶けたイオン状)は海藻にとっても、窒素を体内に取り込む際や生育(光合成)に利用される必須元素であり、北海道日本海側において川を介した山(森)からの鉄分供給が減退し、それが藻場衰退の一因となったのではないかという考えも報告されてきた注2)。古くから魚付き林とも呼ばれ豊かな海には豊かな山が必要だ、と「森は海の恋人」活動に代表される日本各地で漁民による植林活動が20年来、行われているのもこの説に基づくものである。本来は、このような山林保全や護岸改造といった自然界の治癒(体質改善)が望まれるべきであるが、そこまでのつなぎの技術(対処療法)として、鉄分を含む栄養塩供給の意義も高まった。
 但し、鉄イオンは海水中ですぐに酸化され水酸化鉄として沈澱してしまうのに対し、自然界では腐葉土中に存在するフルボ酸に代表される腐植酸が鉄イオンと錯体を形成することで、水中に溶けた状態の腐植酸鉄として安定に山から海域に供給されることに着目、前述の鉄分供給ユニットを考案するに至った。
 この製品は、鉄分が欠乏している海域に同成分を供給するに際し、二価鉄イオン(Fe2+)を豊富に含む資材として、鉄鉱石から鉄分を取り出した残りの岩石状副産物である「製鋼スラグ」に白羽の矢が当り、一方、腐植物質に相当する資材としても、未利用バイオマスである廃木材チップを嫌気発酵させた人工腐植土(堆肥)が用いられている。

「海の森づくり」プロジェクトのスタート

 故・定方正毅東京大学名誉教授は、磯焼けの原因の一つとして海水中の鉄イオン不足に着目し鉄供給源として前述の製鋼スラグを利用する研究開発を開始、平成15年には産学連携の共同研究へ発展し、当時、東京大学・西松建設・エコグリーン・新日鉄などが参画した「海の緑化研究会」が発足(現会長:東京大学 山本光夫特任准教授)、「海の森」を再生するプロジェクトが始動した。その後、大学や企業における基礎研究を積み重ねて、増毛漁業協同組合や㈱渋谷潜水工業の協力の元、平成16年秋に北海道増毛町で開始した実証試験によって、実海域における技術の妥当性や有効性が確認されてきた。
 増毛町の舎熊海岸は50m沖合でも水深1.5m程度と遠浅で、底質は直径20~50cmの玉石で構成されており、試験前には写真2のようにこの玉石の大部分が石灰藻に覆われていた。この海岸の波打ち際(汀線)に写真3に示す深さ1mの溝を掘削、製鋼スラグと腐植物質を容積比1:1の割合で混合した鉄分供給ユニット約6tを埋設して、波や潮汐によって腐植鉄分が海水中へ染み出す仕組みとした。また、比較のために汀線の掘削・埋め戻しのみを行った対象区も、試験区から約100m離れた地点に設置した。

写真2 試験前の海底状況
(平成16年5月)
写真3 鉄分供給ユニット施工状況 (平成16年10月)

注1)藤田大介ら:「藻場を見守り育てる知恵と技術」、成山堂書店、2010
注2)Matsunaga K., et.al: J. Exp. Mar. Biol. Ecol., 241, pp.193-205, 1999

昆布場が戻った

 試験開始から8カ月経過した平成17年の7月には、ユニットを埋設した部分を中心に昆布を主体とした藻場の形成が確認注3)された。昔の浜を知る、地元のご年配の方に話を伺うと「昔は夏に泳ぐのに昆布をかき分けて沖まで出た、その当時と同じ様な浜だよ。」と笑ってお答え頂いた。
 このような藻場造成の試験は、単年度での成果ではなくその持続性の評価が重要であるとの意見を受け、以降、毎年の同時期には海藻の植生(種類)や重量の調査、鉄分を含む海水の水質測定を実施しているが、図1に示すように、気象条件などによって繁茂状況は年毎に変動するものの対照区より試験区の方が海藻の量は多い傾向が継続注4)し、今年で9年目を迎える。

図1 昆布を含む海藻の平均繁茂量の経年変化

もうひとつあった昆布への重要な鉄の効果

 プロジェクトスタート以降、当社では「何故、単純な鉄分の供給で昆布が戻ったのか?どれ位の鉄の濃度が必要なのか?この効果はどれ位続くのか?」と言った、素朴な疑問を少しでも明らかにすべく、数名の研究者でメカニズム究明に関する基礎研究注5)も進めてきたが、ここで幸いに北海道大学の理学部で藻類研究がご専門の本村泰三教授と知り合うことができた。先生は修士時代に、昆布の一生注6)から見てどこで鉄が必要か?という  研究に従事され、この結果、図2に示すように光合成による成長期(図中の緑枠)もさることながら、実は秋に親昆布から放たれた遊走子(種子)が雄と雌の配偶体(雄しべと雌しべ)に成熟(成長)するために鉄が必要(図中の赤枠)である事を明らかにされ注7)、双方が成熟しなければ受精に至らず昆布場の持続サイクルは回らない、と教えて頂いた。
 そこでこの配偶体の成熟がどの程度の鉄濃度で進むのか?という基礎実験を実施した結果、ppb(10億分の1g)レベルと微量ながらもある程度以上の鉄濃度が昆布の受精・成長に必要であること注5)、さらに実際に増毛の試験海域での鉄濃度がこのレベルにあることを確認できた。実はこの微量レベルの鉄の分析も、プロジェクト開始当時は不純物を多く含む沿岸域の海水中の鉄を感度良く測ることは不可能だったものを、数年でppmからppbまで1000倍も感度を高めることができた解析研究部隊の開発成果である。

図2 昆布の生活史における鉄分の必要性

本技術の展開に向けて

 この増毛町での実証試験結果を公表して以降、北海道内では寿都町や函館で同様の海域試験が進み、何処でも昆布場の造成を確認でき、ビバリー®シリーズ注8)という名称で製品化を行った。また、平成21年度には北海道経済産業局の「低炭素社会に向けた技術発掘・社会システム実証モデル事業」(国プロ)を受託、寿都および室蘭の海域にて、同じく鉄鋼スラグからなる人工石(鉄鋼スラグ水和固化体:ビバリー®ロック)を用いた400m規模の藻場礁(マウンド)を築きビバリー®ユニットを設置、平成23年に藻場造成を確認している。本事業では、静岡大学の佐古猛教授らのグループが昆布やアオサを用いて、研究室の段階ではあるが亜臨界水処理により海藻を分解しバイオオイル化(燃料化)に成功、という興味深い結果をも得ている注9)
 その後も、藻場造成に興味をお持ちの各地漁業関係者の皆様からお問い合わせを頂き、製品としての安全性も含めた十分な討議を通じて技術の内容を理解頂いた上で試用販売・施工を行い、その数は日本各地で30数か所に及んでいる。
 このような広がりにおいて、ある海域では海流による拡散などで十分な鉄の濃度が観察できない事例や、にもかかわらず海藻の生長が改善する傾向が見られる海域もあることが判ってきている。少なくとも昆布への生長促進効果は多くの方に認知頂けてきたものの、あらゆる海域や海藻に効果がある訳ではなく、本製品の適切な利用や施工法については、今後も引き続き多岐な面からの解析や考察を進めてゆく所存であり、海洋立国たる我が国の豊かな海の維持・拡大に、鉄鋼スラグ製品がお役に立てれば何よりと考えている。

注3)
Yamamoto M., et.al:Journal of the Japan Institute of Energy, 85, pp.971-978, 2006
注4)
加藤敏朗ら:環境技術、42(7)、pp.404-410、2013
注5)
例えば、藤本健一郎ら:新日鉄技報、391、pp.206-209、2011
注6)
例えば、川嶋昭二編著:「日本産コンブ類図鑑」、(北日本海洋センター)、p.18、1989
注7)
Motomura T., et.al:Bulletin of the Japanese Society of Scientific Fisheries, 47(12), pp.1535-1540, 1981
注8)
商標登録のビバリー®は、ビバリウム(Vivarium:人工生態植物園)に由来する
注9)
受託名:「農工循環資源を利用した亜寒帯沿岸域藻類によるCO2吸収実証モデル事業」詳細は北海道経済産業局HP(http://www.hkd.meti.go.jp/hokni/lcsmodel/report05.pdf)参照

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