藤井敏道氏・セメント協会 生産・環境幹事会幹事長/三菱マテリアル株式会社 常務取締役に聞く[前編]

コンクリートが人の命を守る


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

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今回ご登場いただくのは、セメント協会 生産・環境委員会委員長代行で生産・環境幹事会幹事長の藤井敏道氏。震災直後のセメント業界の対応と復旧状況、さらに今後の業界としての環境・エネルギー問題への取り組みについて聞いた。

――震災直後は、セメント業界としてサプライチェーンなど影響はありましたか。

藤井敏道氏(以下敬称略):セメント業界の場合、お客様が二種類あります。1つは、セメントを製造しセメントという素材を使っていただくお客様、もう1つは、セメントの原料となる他の産業から発生する廃棄物廃棄物や副産物の処理を委託されるお客様です。セメント産業では、かねてより他産業等で発生した廃棄物や副産物を、原料、エネルギー、製品の一部として積極的に活用してきました。

 セメント工場は北海道、東北、関東いろいろなところにありますが、大部分の工場が1ヵ月後に復旧でき、セメントを製造開始しています。太平洋セメントの大船渡工場が、津波で大きな被害を受けましたが、新聞発表等によると11月4日(2011年)から一部の設備でセメントの製造を再開できました。セメントの場合には、重量物ですから、セメント工場からセメントを供給するだけでなく、たとえば日本の九州からセメントを運んできて、沿岸にサイロを造ってそこを基地として出荷する形もあります。出荷ターミナル、サービス・ステーションを我々はSSという呼び方をしていますが、太平洋側のSSのほとんどが被災しました。

藤井敏道(ふじいとしみち)氏。セメント協会生産・環境幹事会幹事長。京都大学工学部工業化学科卒業後、1977年4月に三菱鉱業セメント(現在の三菱マテリアル)に入社。セメント事業カンパニー生産管理部長、九州工場・工場長、執行役員セメント事業カンパニー技術統括部長などを経て2010年6月に代表取締役常務取締役・セメント事業カンパニープレジデントに就任、現在に至る。

――SSはどれだけ復旧している状況でしょうか。

藤井:ほとんどのSSは、復旧できています。太平洋社の大船渡工場は、生産能力が200万トン弱で、国内で生産するセメント5600万トンの内4%弱ですが、他の地区から供給して支援しています。

セメント工場は非常事態でも運転を止められない

――電気を止めてはいけない設備だと聞きますが。

藤井:はい。地震、津波の後に、電力供給の問題が発生しました。電力の供給自体は、セメントはエネルギー消費型ですから、1トンのセメントを作るのに約110kWhぐらいの電力を使います。大多数の工場には、自家発電設備を持っています。当社の横瀬工場など一部の工場では計画停電があり、操業自体を止めなくてはなりませんでした。一回止めても、またすぐスタートし、また止めてということを何回も繰り返しました。セメント工場は、鉄鋼の高炉と同じで一回火を入れたら約半年から1年連続的に運転します。

たとえ非常事態であっても、廃棄物を処理するお客様のためには止められません。廃棄物処理については、家庭に密着した下水汚泥、ごみの焼却灰、石炭灰等いろいろなものがありますが、生活に密接に関わっているので処理しないと皆さん困るでしょう。我々も社会的責任がありますので、毎日止めては運転することを繰り返して対応しました。

――昨夏の節電要請は大変でしたか。

藤井:セメント業界は多くの工場が自家発電の設備を持っていますので、今回の電力制限についてはなんとかクリアできました。私ども、三菱マテリアルの岩手工場では、自家発電設備を運転して余剰電力を東北電力に供給しました。また東北電力から要請を受けて、新たに発電設備をリースで設置し、発電した電力を東北電力に供給するなどの対応もしました。

――その他に、東日本大震災後で貢献されたことはありますか。

藤井:最初はライフラインの確保が問題でしたが、私どもの岩手工場には、飲料できる飲み水として使える井戸があります。井戸から汲み上げるためには電気がいりますが、非常電源を確保して、井戸水を地元の人達に供給しました。他には、各地の生活物資が足りなくなったので、九州から物資を調達して各地に送り、地元の人に供給するなどの対応をしました。

――西の拠点からも支援をされたのですね。

藤井:はい、関東で調達しようとすると足りなくなります。関西地区だけではなく、九州にセメント工場がありますので、そこからも物資を調達して船で関東まで運んで、そこから被災地へ車で運びました。東北は太平洋側の港が使えなくなりましたから、日本海側のターミナルに運び必要な場所まで供給しました。

放射能問題について隠さず公表する情報発信が大事

――震災直後は情報が混乱しましたが、どのように対処されましたか。

藤井:震災当日の3月11日には、私はベトナムにいました。
ベトナムに私どもが参加している日越合弁のセメント工場があり、その日の深夜に帰国する予定でしたが、震災発生が14時46分で、私にメールが入ったのが14時53分でした。携帯電話に危機管理室から安否確認などの緊急情報が入りました。私は当時、工場から移動中でしたが、そのメールで何が起きたかがだいたいわかりました。震災発生直後、飛行機は成田には飛ばなかったので、深夜便で福岡に飛び、福岡から羽田に帰ってきました。

――震災翌日に帰国されたのですね。

藤井:翌日に帰国し、会社にたどり着いたのが12日の正午頃でした。震災当日は、社長もタイに行っていました。当社で地震対策本部を作り正式に発足したのは12日の14時頃で社長も揃ってスタートしました。そこでは、情報がいかに大切かということを改めて認識しました。情報の手段と情報を一元的に管理する、この2つが大事だと思います。岩手工場などはライフラインがストップしたままでしたから、電源が絶対的に必要でした。セメント工場の場合には、非常用の電源があり、なんとか電気を確保しましたが、もう1つ情報手段として確保したのは、衛星電話でした。電話回線がつながったらパソコンは非常用電源を持っていますので、真っ先にパソコンで連絡が取れるようにしました。

 当社では、情報は大宮に情報センターがあり、そこで一括管理していますが、リスク分散のため兵庫県三田にバックアップのシステムがあります。しかし今回改めて見直すとまだ不十分で、バックアップ・システムをもう一度整備することが必要だと考えています。私どもにはいろいろなセメント工場があり、東北には多くのグループ会社がありますから、それらの情報を地震対策本部で情報を一元管理し、どこでどういうことで今困っているのか、どのように復旧作業が進んでいるかを経営幹部が確認できる体制にしたい。

――政府の情報発信についてどう思いましたか。

藤井:セメント業界が今でも非常に影響を受けている問題として、放射能の問題があります。これについては一業界がこれで安全だと判断できませんし、どういう基準の下でどういうものを守れば安全が確保できるかが明確にはわかりません。やはり国が正しい基準を出すべきで、セメント工場も一部操業を止めて、はっきりした指針が出るまで待っていた経緯もあります。

――指針が出されたのは、原発事故発生後のいつ頃でしたか。

藤井:報道ではさまざまに言われましたが、当初、放射能問題について我々もよくわかりませんでした。しかし、5月の連休中に福島県の一部の下水処理施設で放射性物質を含んだ下水汚泥や焼却灰の問題が出た。我々は何をどうすればよいのか、またセメントの安全は担保できるのかについて何も知見がなかった。政府からの指針が発表されたのが、5月13日だったと思います。一般的には放射線の強度、シーベルトで管理すればいいが、その時に出された通知は、放射能濃度でした。放射能濃度にも放射性物質として扱う必要がないクリアランス・レベルがあるが、放射能濃度をどう測ればいいのかわからず、測定に1週間もかかるため対応にかなり苦慮しました。

 その時に思ったのは、隠してはいけないということです。放射能濃度がどのくらいセメントに含まれているかを公表することが大事だと。当社もそうですが、セメント業界では各社ともホームページで、この時期に製造したセメントの放射能濃度を公表しました。

――オープンにしていくことで国民の信頼が得られるように思います。むしろ隠していると思われると、信頼が根こそぎに崩れる懸念があります。そういう意味でもオープンに迅速に対応されたということですね。

藤井:計画停電でもセメントは下水汚泥などを処理しなくてはいけないし、毎日運転しなくてはならない。放射能問題についての指針が出ましたので、それに基づき、下水汚泥の処理を中断した経緯もありますが、受入れ基準を設けて一定の数値以下であることを確認し、下水汚泥を受け入れ、処理を再開しました。

循環型社会の形成でセメント業界は大きく貢献

――一般にはあまり知られていませんが、下水汚泥の処理などでセメント業界は世の中に役立っているのですね。

藤井:地震に対してセメントを供給してインフラや社会基盤の整備に貢献することと、もう1つは、震災後、震災廃棄物等をきちっと処理して貢献することがセメント産業に課せられています。震災瓦礫にはコンクリート殻などいろいろありますが、木屑も多い。それらの処理は我々の岩手工場でも震災後6月からスタートしています。震災瓦礫は、産業廃棄物と一般廃棄物の内、一般廃棄物になりますが、資格を取得していないと処理できません。我々はもっと早くやりたかったけれど、資格の認定証をもらうまでに数カ月がかかりました。

――認定証が必要なのですか。

藤井:ようやく取得できました。地元の一関市で地震により倒壊した家屋の木屑や畳等の処理を始めました。

――瓦礫の処理は問題ですね。廃棄物を再利用する技術はありがたいです。

藤井:はい。しかし、東北地区の地元のセメント工場だけで処理できる量ではありません。九州や山口県、広域でも処理しなくてはなりませんが、その時の一番の問題点が放射能問題です。東京都での震災瓦礫の処理も、地元の方が受け入れることに理解がないと始められません。また放射能については自然界にも普通に存在しますし、同様のレベルの放射線であれば健康への影響がないことへの理解も不可欠です。

――放射能問題への理解は大きな課題です。

藤井:広域での処理については、まだ理解が得られていません。東京都での処理が1つの先鞭になって、各地の自治体、または地元の方々の理解が得られればスタートする可能性があります。また、セメントの品質としての安全性については、原子力災害対策本部を経て国交省から通知が出ましたが、実際に使われる方々が安全で大丈夫だと納得してもらえるかどうかの問題があります。

――不法投棄問題にも取り組まれたそうですね。

藤井:セメントは、自然共生社会へ向けて3つの貢献をしています。セメントを製造する意味での貢献、コンクリート製品としての貢献、また独自の活動として森林の健全な育成と整備があります。代表的な例としては産業廃棄物への貢献があります。岩手県と青森県の県境に産業廃棄物が山のように積まれた問題が出ました。一般にはご存じないかもしれませんが、これをセメント工場に運んで処理しています。

コンクリートが人の命を守る

――コンクリートが社会に貢献できることは何でしょうか。

藤井:セメント業界のキャッチフレーズは、「守ろう、日本」です。コンクリートを通じて、いろいろな社会的なインフラの整備に貢献していきたいと考えています。大雨などの自然災害から人の命を守るために、たとえば砂防ダムを造ることによっても役立っています。今回の震災では副次的な例ですが、仙台の津波被害が沿岸部でくい止められたのは、実は高速道路があったからなんです。

――私も震災後、仙台に行って大変驚きました。高速道路を境に右と左ではまったく被害の状況が違いました。

藤井:そうです。高速道路が地震や津波被害を食い止める上で役立った。また道の駅がありますが、そこも避難場所になった。「コンクリートから人へ」と言われますが、コンクリート自体は社会の基盤整備に必要であり、人の命を守るために必要なものであることを我々はアピールしたい。セメントは低炭素社会、循環型社会、自然との共生というこの3つのものを組み合わせながら持続可能な社会をつくっていくことを考えています。

――「コンクリートから人へ」というスローガンは、当時業界として複雑な思いでしたか。

藤井:我々は社会にとって必要な素材を供給しているのだという自負がありますから、そういう言い方を一方的にされるのはおかしいのではないかという思いはやはりありました。

――東日本大震災後は、そのスローガンもほとんど聞かれなくなりましたが。

藤井:無駄な公共事業はやってはいけませんが、地震、津波、最近は局地的な豪雨がありますから、人の命を守るために必要な素材という位置づけの中で、必要なものは推し進めていく必要はあるのではないかと思います。

――大雨や豪雨に見舞われると被害の規模が心配ですし、コンクリートは災害防止に役立ちますね。

藤井:これは一個人としての考えですが、税金は何のために払っているのかというと、やはり命を守るためではないでしょうか。それが一番の目的だと思いますから、そういうことにきちっと使っていただきたい。

(後編に続く)

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