塩崎保美・日本化学工業協会技術委員会委員長に聞く[後編]

社会のサステナビリティを支える化学産業


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

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化学産業は自動車、電機・電子、医薬品、化粧品など他産業に原料や素材を提供し、まさに私たちの暮らしと産業を支えている。震災直後の影響や対応や今後の温暖化対策への取り組み、エネルギー政策について、日本化学工業協会の技術委員会委員長を務める住友化学の塩崎保美常務執行役員に聞いた。

省エネNO.1で素材を開発するのが化学産業の使命

――エネルギー問題は温暖化問題と表裏一体というお考えが塩崎委員長の持論と思いますが、化学業界が温暖化対策に今後どのように取り組むか伺えますか。

塩崎保美氏(以下敬称略):実は、別の表裏一体の問題があって、国内生産と海外生産の問題も出てきます。ただし、どこで生産しようとも、使用エネルギーを減らしていくことは非常に重要な取り組みです。現在、日本の産業は省エネでは世界最高水準です。今後も、トップをずっとキープし続けることが大事です。同じ製品を作るとしても、省エネ努力をずっと続けていかないと、日本の産業は国際競争力を失ってしまいます。それがまずベースになります。

 一方で、太陽光発電など再生可能エネルギーに利用される素材は、ほとんどすべてといっても過言ではありませんが、化学産業が供給しています。今後もこのような製品を開発し、供給していかなければいけませんし、その製品の製造も、世界NO.1の省エネ、低コストでやらなければならない。それがまさに化学産業のあるべき姿だと思います。

塩崎保美(しおざき・やすみ)氏。社団法人日本化学工業協会技術委員会委員長。京都大学大学院工学研究課修士課程修了後、1973年4月に住友化学工業(現在の住友化学)に入社。レスポンシブルケア室部長、執行役員などを経て2010年4月に常務執行役員、2012年4月に顧問就任、現在に至る

化学製品による温室効果ガス削減効果は非常に大きい

――化学製品による温室ガス削減の効果について、一般にはあまり知られていないようにも感じます。

塩崎:今まで十分な情報発信ができていなかったのかもしれませんね。日本化学工業協会は昨年7月に、地球温暖化対策における化学業界の貢献に関する報告書「温室効果ガス削減に向けた新たな視点-国内における化学製品のライフサイクル評価」を発行しました。この報告書の中で、化学製品を使用した太陽光発電などの再生可能エネルギー、軽量化における燃費向上、省エネルギー関連の3分野で、9品目について分析し、製品の製造から廃棄までのライフサイクル全体で排出される二酸化炭素(CO2)の量が、従来製品を使用した場合と比べて、大きく削減されることを報告しています。

 今後も協会として、参加企業に情報提供をお願いしてデータの数を増やすと同時に、化学業界にかかわる人たちがだれでも簡単に情報発信ができるようなガイドラインを今年度中をメドにつくろうとしているところです(http://www.nikkakyo.org/upload/3118_4547.pdf 「日化協、カーボンライフサイクル分析(c-LCA)手法の指針策定に着手」8月24日を参照)。少なくとも日化協に所属する皆さんにはこのガイドラインを共有していただき、それぞれの会社が地球温暖化問題の解決に貢献していることを自ら算出し、その情報を発信していくことが大事だと思います。

表.評価例

注1:使用差ではなく、原料~製造~廃棄時の排出量差

国内における化学製品のライフサイクル評価の結果、日本の化学産業がかかわる9品目だけで、CO2を1億t以上削減できていることが明らかになった(出典:「国内における化学製品のライフサイクル評価-温室効果ガス削減に向けた新たな視点-」)

IEAと共同でクリーン・エネルギーのロードマップづくり

――化学業界はグローバルな温暖化対策としてどのような取り組みをしていますか。

塩崎:世界の化学会社の集まりである国際化学工業協会協議会には、気候変動や化学品の安全などの大きな課題を議論する3つのリーダーシップ・グループ(LG)があります。私たちは気候変動を議論するLGの中心メンバーとして、化学製品はライフサイクルを通してみると温室効果ガス(GHG)を大きく削減していることを示しました。さらに、将来に向けて解決すべき課題とその対策は何かということを議論して、現在、次の3つのテーマについて取り組んでおり、南アフリカのダーバンで開かれた第17回気候変動枠組条約締約国会議(COP17)でも情報発信しました。

 一つはバイオ燃料、もう一つはGHGゼロエミッション住宅、そして3つ目が小さなエネルギーで化学反応を起こさせるための触媒技術です。化学反応には、いろいろなところで触媒が使われていて、より効率的に化学反応を進めるために非常に重要な役割を果たしています。これら3つのテーマに関して、日米欧の三極それぞれがリーダーを決めてGHG削減に取り組んでいます。ちなみにバイオ燃料は日本、触媒技術は欧州、ゼロエミッション住宅はアメリカがそれぞれリーダーです。

 例えば、バイオ燃料導入にあたっての障壁、課題を整理し、どの時点でどんな技術を開発し、どの時点でどのような政策が必要かなど、現在、IEA(国際エネルギー機関)と共同でロードマップを作っています。

 また、日本の化学プラントの省エネ技術は世界最高水準を誇っており、日本の化学会社が海外でプラントを立ち上げたり、海外に技術供与したりする場合は、この最高水準の省エネ技術を用いて、GHG排出を極力削減することに努めています。

――化学製品がクリーン・エネルギーや省エネ技術のカギになるということですね。

塩崎:そうですね。ソリューション・プロバイダーとして、当社を含めた化学産業が、今後大きな役割を果たすと思います。テーマはいくつもあります。太陽光発電におけるエネルギー変換効率一つとっても、もっと上げなくてはいけません。さらにコストを下げることも必要です。

 また、技術開発にあたっては先に申し上げたライフサイクル全体で考えるということが重要です。たとえば、電気自動車といっても電気を作るためにどのくらいエネルギーを使っているのかが問題です。走る時はCO2を出しませんが、充電する時には発電所の電気を給電するわけで、全体としてどのくらいCO2が出ているのかという評価が必要です。そして、この評価を公表すべきです。

 太陽光発電も同様で、どのくらいの効果があるのかをライフサイクルのなかで押さえることが重要です。そのうえで、何がネックになっているのかを抽出して、その課題の解決をめざすことが大事です。

政府にしかできないことはどんどん議論して、大胆な発想で行動を

――環境と経済の融合をどのようにお考えでしょうか。また、国に対しての期待は?

塩崎:化学産業の特徴は、“レスポンシブル・ケア”という考え方を大事にしていることです。その実現のために、自ら目標を立て、実行し、チェックして、さらに新しくアクションを起こす「PDCAサイクル」と呼ばれる手法を取り入れています。これにより、環境と経済のバランスをキープし、バランスよい取り組みで成果を上げていくことが大事です。環境負荷が少ない技術を開発し続け、環境にやさしく、従来の製品に比べて環境負荷の少ない製品を開発しています。2次電池材料など、使用時のCO2発生を削減する製品の開発などもその一つです。今は温暖化問題が焦点になっていますが、地球環境問題は温暖化だけではありません。大気汚染、水質の問題などいろいろな問題があるわけですから、全般的にやっていくことが大切です。

国には、もっと大胆な発想を持ってもらいたいと思っています。たとえば電力の問題に関しても、今は日本の東西で、周波数が50Hzと60Hzに分かれているという問題があります。周波数の統一は民間にはできない、国や政府にしかできない役割だと思います。そういうことをどんどん議論して、実行してほしいと思います。とにかく大胆な発想で行動していくことが大事です。

――今後の日本経済については、どのようにお考えですか。

塩崎:私はエンジニアですので、経済学者のような分析はできませんが、日本の経済はこのままでは縮小均衡の悪循環に陥るのではないかと危惧しています。これを打ち破るためには官民あげて新たな付加価値を持った産業分野の創出に邁進する必要があります。エネルギー・環境分野、IT分野、ライフサイエンス分野など日本が得意とする分野は沢山あります。国は法人税を下げ、各種規制緩和で企業の活力を高めるように後押しし、企業も高齢者や女性などの雇用を促進して、内需拡大を図ると共に、海外へのインフラ輸出などで一層発展を目指すべきでしょう。

社会のサステナビリティを支える化学産業

――ものづくり立国、技術立国として、我が国の強さをいかに発揮していくべきでしょうか。

塩崎:我が国に化学産業が興ってから百年、化学産業は大きく変化してきました。たとえば、我が社は2013年に創立百周年を迎えるのですが、もともとは肥料製造からスタートしました。その後、硫酸やアンモニアなどの基礎化学品や染料の製造、1950年代後半からは石油化学品、さらには農薬や医薬品などのファインケミカル、そして現在ではIT・エネルギー関連の機能化学品へと製造する品目を大きく変えてきています。これらは、国の政策とともに化学産業が国内外の需要を敏感にキャッチして、業態を変化させ、技術開発を絶え間なく実施してきたからにほかなりません。

 今後も我が国が技術立国として強さを発揮するためには、これまで以上に社会や他の産業のニーズを的確に捉えて、産官学が協力して技術・研究開発に取り組むことが重要だと思います。そして、日本で持っている優秀な技術を、技術を必要とする国や地域に順番に展開していき、その人たちに貢献することが必要です。

 日本の産業のあり方という意味では、いろいろなことが考えられます。たとえば、汎用品、機能化学品など品目によっては、これまで日本が開発して完成した技術を使って海外で生産する、あるいは消費者に近いところで生産するといったことをしつつ、国内ではさらに技術開発を進めていく。また、技術開発のための設備は国内に残して雇用を確保するなど、いくつもの可能性があります。当社はいろいろ海外展開していますが、原料が産出される国で生産を行う石油化学はその一つの典型として考えています。

――インド、中国をはじめ、さらなる市場開拓をお考えになっていますか。

塩崎:人間として快適な暮らしをするためには、まだまだ我が国の科学が提供できる技術はあると思います。中国やインドは人口が多いですし、地域によりますが、南米やアフリカなどは、人間としての生活を向上させるという意味で、いろいろなポテンシャルがあると思います。

 ただ単にモノを供給したらいいというのではなく、生活レベルを上げるためにはどうしたらいいのかを考えることが重要です。住友化学では、WHO(世界保健機関)を通じてマラリア対策のための薬剤入り樹脂でできた蚊帳「オリセットネット」を提供しています。アフリカ、おもにタンザニア周辺ですが、そこにオリセットネットの技術を提供し、アフリカ全土で幼児の死亡率を下げることに貢献しています。さらに、そこで得た利益の一部を小学校の建設に充てています。

 教育に貢献することも必要なことです。アフリカの人口は増えていきますが、「生活を支えるためにはどうしたらいいのか」「生活を支え、かつ快適な生活をするためにはどうしていくのか」をCSR(企業の社会的責任)活動として取り組んでいます。

――技術を提供するとともに、相手国や地域の持続可能な社会のあり方を考えて活動されているのですね。

塩崎:そうです。いろいろなところで、「なぜ化学産業は存在するのか」と問われますが、答えの一つは“サステナビリティ”です。企業は継続して利益を出さないといけませんが、同時に、継続して製品で社会に貢献していかなければなりません。そのためには、一時的な利益追求だけではだめで、いろいろな機会を活用して人間や社会のよりよい発展に貢献していくことを信念としています。

【インタビュー後記】
 塩崎さんのお話を伺い、化学製品がさまざまな製品の技術開発の要になっていることを再認識しました。製品の開発から製造、物流、使用、廃棄にいたるすべての課程で、安全・環境・健康に配慮しながら、品質の維持・向上を目指す自主的な活動こそ“レスポンシブル・ケア”。これまで発展してきた日本の科学技術の陰には、一本筋の通った化学産業の精神が生きていることも感じました。

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